26. 相合傘!?
しとしとと降り続く雨音が、まるでボクの心模様を映し出しているようだ。どんよりとした灰色の雲が空一面を覆い、今にも泣き出しそうな重苦しい空気は梅雨独特のもの。この時期は、髪がボサボサになるから本当に憂鬱になる。女装している時――雪姫でいる時は、ウィッグのおかげでその心配はないけど……
放課後の教室には、雨音だけが静かに響いている。日直のボクは机に向かって日誌を書き進めていた。
そして……今日の日直は、なんと憧れの葵ちゃんと一緒なのだ!憂鬱な梅雨の季節にあっても、この事実はボクの沈んだ気持ちをほんの少しだけ明るくしてくれる数少ない喜びだった。
ペン先を見つめながらも、意識は何度も葵ちゃんの方へと向かう。窓の外の、灰色に染まった空を葵ちゃんは静かに見つめている。その横顔を吸い込まれるように見惚れていると、ふと葵ちゃんの視線がこちらを向いた。慌てて目を逸らし、何事もなかったかのように日誌にペンを走らせる。心臓がドキドキと早鐘のように鳴り響く。
少しの沈黙の後、葵ちゃんが穏やかな声で口を開いた。
「今、私のこと見てたでしょ?」
その優しいけれど、どこかからかうような口調に心臓がさらに跳ね上がった。
「えっ!?あの……その……」
「ふふ。白瀬君は、面白いね。でも、恥ずかしかったかな」
葵ちゃんはクスクスと可愛らしく笑いながらそう言った。その笑顔は雨上がりの虹のように、ボクの心をパッと明るく照らしてくれる。二人きりの静かな教室。この空間がボクにとって何よりも幸せな時間だった。
「あのさ、白瀬君。聞いてもいい?」
「え?」
「なんか、偏見だったらごめんね。白瀬君ってさ、アニメとかボカロとか詳しいの?」
まさか葵ちゃんの口から、アニメやボカロという言葉が出てくるとは思ってもいなかったから、ボクは驚きで目を丸くした。なんで急にそんなことを聞いてきたんだろう?
「え?あ……うん……一応……好きだし、少しだけなら、詳しいよ」
「本当?ならさ、私に、教えて欲しいんだよね」
「教える?」
「うん。実はさ……最近、いいなって思っている子が、アニメとか、ボカロが好きなんだよね。私さ、あまり詳しくないから勉強しようかなって。あ……その子は、女の子ね!男じゃないから」
葵ちゃんのその言葉を聞いた瞬間、ボクの心臓は、まるで暴れ出すかのように激しく鼓動し始めた。
それって……もしかして……ボクのこと……?
昨日、真凛が言った言葉が鮮明に蘇る。『真剣に、恋に向き合ってる』葵ちゃんも真剣なんだ。だからボクは、その真剣な気持ちにちゃんと向き合わないといけないんだ。
「うん……ボクでよければ、喜んで教えるよ」
「ありがとう!白瀬君!」
葵ちゃんは、太陽のような、眩しい笑顔をボクに向けた。その笑顔を見るたびに、胸がドキッとしてどうしようもなく惹かれてしまう。
でも……今はまだ、この秘めたる気持ちは隠しておかないといけない。『白瀬優輝』として……本当の自分を打ち明ける勇気は、まだボクにはないから。
それから、ボクは葵ちゃんに自分の好きなアニメの作品や、心惹かれるボカロの楽曲について、たどたどしいながらも一生懸命に説明した。葵ちゃんは、真剣な眼差しでボクの話を聞いてくれて、時折、自分の知っていることを楽しそうに話したり、質問をしてきたりもした。
その時間は、まるで夢のように幸せで、このまま時間が止まってしまえばいいのにと、心から思った。放課後の静かな教室で二人だけの秘密の時間が流れていた。
「色々ありがとう白瀬君。ごめんね遅くなっちゃって」
日誌を書き終え二人で職員室へ提出すると、葵ちゃんは少し申し訳なさそうな表情でそう言って帰る支度を始めた。
「ううん……大丈夫……」
ボクも自分の荷物をまとめ、葵ちゃんと一緒に校舎を出ようとすると突然雨が降ってきた。
「あ~、雨だ……」
しかも結構強く、ザーザーという音を立てて地面を叩きつけている。灰色だった空はさらに暗さを増し、視界も悪くなっていた。
「ねぇ、白瀬君。傘、ある?」
「あるけど……」
ボクは、リュックサックの奥に畳んで入れてある、水色の折り畳み傘のことを思い浮かべながら、そう答えた。
「……もし良かったらだけど……その……一緒に、駅まで帰らない?今日、傘忘れちゃってさ。出来れば送って欲しいんだけどな?」
葵ちゃんのまさかの甘えるようなお誘いに、ボクはその場で完全にフリーズしてしまった。心臓がドクン、ドクンと、まるで体の中から飛び出してしまいそうだ。
まさか、憧れの葵ちゃんと相合傘……?
それは二人が一つの傘の下に入るということだ。必然的に二人の距離は信じられないほど近くなるだろうし……それにこれって……アニメやラノベでよくある、ドキドキの展開じゃないか!?
「その……」
「あ。ごめん。いきなりこんなこと言っても迷惑だよね?」
「そんなこと、ない!……です」
慌てて否定の言葉を紡ぎ出す。迷惑だなんてそんなはずがない。
「じゃあ、いい?一緒に帰ってくれる?」
葵ちゃんの期待に満ちた潤んだ瞳に見つめられ、ボクはまるで操り人形のようにコクンと小さく頷いた。すると、葵ちゃんはパッと顔を輝かせ、まるで花が咲いたように嬉しそうに笑って言った。
「ありがとう!じゃあ、帰ろっか」
「う……うん……」
こうしてボクは、憧れの葵ちゃんと生まれて初めての相合傘で、ドキドキしながら駅までの道を歩むことになった。その降りしきる雨の音だけが、二人の間を繋いでいるようだった。