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28. オタクに優しいギャル

28. オタクに優しいギャル




 今日は、週に一度の憂鬱な校内清掃の日。ボクの担当場所は、薄暗くて埃っぽい理科室と、隣の薬品の匂いが微かに漂う理科準備室だ。


廊下の喧騒とは隔絶されたこの空間は、どこか時間が止まっているみたいで、一人で黙々と作業するにはちょうどいい……のかもしれない。憧れの葵ちゃんとは残念ながら掃除場所が違う。彼女のいる場所はきっと明るくて楽しそうな雰囲気なんだろうな。


 今は、理科室の隅に積み重ねられた、使い古されたビーカーたちを一つ一つ丁寧に洗っている。科学部が実験で使ったまま無造作に放置していったものだから、底には謎の白い粉末がこびり付いている。念入りにピカピカにするつもりだ。洗い終わったビーカーが、光を反射してキラキラと輝くのを見るのは嫌いじゃない。


 でも……さっきから、胸の奥に小さな引っかかりを感じている。それは……理科室の掃除当番が、なぜかボク一人だけだってこと!


他の掃除当番の生徒たちの話し声は、ずいぶん前に聞こえなくなった。きっともう掃除を終えてそれぞれの帰路についているんだろう。


まぁ……ボクはクラスの中でも隅っこの方にいる、いわゆるぼっちだし、根っからの陰キャのオタクだ。こういう、誰とも話さずに一人で黙々と作業するような役回りは、いつものことだから別に今更どうってことないんだけどさぁ……


 そんなことを心の中でほんの少しだけ自虐的に思いながらも、洗い終わったビーカーを元の棚へと丁寧に片付けていく。


理科室に備え付けられた古びた棚は、長年の実験の歴史を物語るように所々にシミがこびり付いている。最後のビーカーを棚に戻しホッと息をついたその時、理科室の入り口の方から、コツ、コツ、と誰かが歩いてくる足音が聞こえてきた。誰か、忘れ物でもしたのかな?そう思って顔を上げ、薄暗い入り口の方を見てみる。そこに立っていたのは……


「ん?白瀬?」


 明るい声が静かな理科室に響いた。声の主は明るい茶髪のウェーブヘアが特徴的な、少し今時のギャルっぽい雰囲気の東城千夏さんだった。葵ちゃんの仲の良いお友達で、ボクのクラスメートでもある。


 でもなんで東城さんがこんなところに?ボクは疑問に思いながらも、とりあえず軽く会釈だけしておく。彼女の鋭い視線がボクを射抜くように感じるのは気のせいだろうか……


「白瀬一人?他のは?」


「えっと……帰ったよ……」


「は?マジ?」


「マジ……」


 ボクがもう一度そう答えると、東城さんはこれでもかというほど大きなため息を深くついた。


「お前バカか?真面目に一人で掃除とか……何時間かかると思ってんだよ」


「え?えっと……ごめんなさい……」


「いや、ウチに謝られても困るし!まぁいいや。手伝うよ」


 そう言って東城さんが躊躇なく理科室の中に入ってくるので、ボクは思わず目を丸くして驚いてしまった。だって……東城さんって、見た目の印象からして少し怖そうなイメージがあるから……でも手伝ってくれるのなら、それは本当にありがたいかもしれない。


 そう思って、ボクは東城さんに感謝の言葉を伝え、二人で一緒に残りの掃除を始めることにした。それからしばらくの間、二人は特に会話もなく黙々と掃除に励んだ。東城さんは窓ガラスを丁寧に拭いたり、床に落ちているゴミを拾ったり、テキパキと作業を進めていく。


こう言ったら東城さんに失礼かもしれないけれど、彼女はその派手な見かけによらず、本当に真面目に丁寧に掃除をしていた。そしてある程度掃除が終わったので二人で理科室を出ようとした、その時だった……突然、東城さんがボクの腕をぐっと掴んできた。


 え!?何?なんで急に腕を掴むの!?怖い!何かボク、東城さんに対して失礼なことでもしてしまったのかな!?心臓がドキドキと音を立て、冷や汗が背中を伝うような気がする。そんなことを頭の中でぐるぐると考えながら、ボクは恐る恐る東城さんの顔を見た。


「待て待て、白瀬」


「なっ……なに……?」


「ウチは、お前に、聞きたいことがあるんだけど」


 東城さんの言葉に、ボクはますますドキドキしてきた。一体何を問い詰められるんだろう?


「聞きたいこと……ボクに?」


「そう。だから掃除手伝ったんだし」


 そう真剣な顔で東城さんがボクをじっと見つめてくる。その瞳は、何かを見透かそうとしているみたいで落ち着かない。そしてほんの一瞬の沈黙の後、東城さんはゆっくりと口を開き、ボクが全く予想していなかったことを言い出した。


「白瀬……お前さ……葵のこと、好きだろ?」


 えっ……!?な……なんでいきなり葵ちゃんのことを!?ていうか、なんでバレたの!?ボクはあまりにも突然のことに頭の中が真っ白になり、完全にパニック状態になってしまった。


全身の血液が逆流したみたいに顔が熱くなるのを感じる。そんな狼狽えているボクの様子を見て、東城さんはニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべた。


「お前、分かりやすいな?」


「えっ……あっ……その……」


「顔、真っ赤じゃん。なに?もしかして、本当に葵のこと好きだった?」


「えっと……その……」


 もう、完全に思考回路がショート寸前だった。まさか、東城さんがそんなことをいきなり言ってくるなんて、夢にも思わなかったし!ていうかバレてたなんて……でもなんでバレたんだろう……?いくら考えてみても全く分からない。すると東城さんは、さらに言葉を続けた。


「お前、いつも葵のこと見てるもんな。バレバレだし。好きなら告白とかしないの?」


「こっ!?こっ……こ……ここ!?」


「鶏かよ!落ち着けよ!いや……実はさ、最近葵がお前の話をしてくる時があるからさ?」


 東城さんのその言葉に、ボクは心臓がドキッとした。まるで、静寂の中に落ちた一滴の水滴のように、その言葉が胸の奥に波紋を広げていく。


「藤咲さんが……?」


 まさか……葵ちゃんもボクのことを……?いや!そんなわけないよね!でも……もし本当にそうだとしたら、すごく嬉しいな……そんなことをぼんやりと思っていると、東城さんがさらに言葉を続けた。


「めっちゃ嬉しそうだな白瀬。その顔……なんか少し可愛いかも……弟みたいで」


「えっ!?」


 東城さんの予想外の言葉に、ボクは思わず目を丸くした。可愛い……?弟みたい……?それは褒められているのだろうか?


「まぁ、いいや。最近、葵は変わったと思う。前よりも明るくなったし、週末に会っている女性のおかげなのか……それとも白瀬のおかげなのかは分からないけど……まぁ、それだけ言いたかっただけ」


 そう言って東城さんは、どこか満足そうに、ふわりと微笑んだ。その表情は、いつもよりなんだか大人っぽくて、ボクは少しだけドキッとしてしまった。


「あ。お前がもし本当に葵のこと本気なら、ウチが相談くらい乗ってやるからな?じゃあ帰るわ」


 これが、所謂……オタクに優しいギャルというやつなのか……ボクはまた一人心強い相談相手ができた。それがなんだか嬉しかった。

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