私たちの暮らす
それは住環境としては理想的に見えて、実際は人々を脅かす深刻な問題と隣り合わせだった。
「…出てきたか。『ストーンゴーレム』、動きは鈍いけどまあまあ固い敵…最初は回避重視、隙を見てとどめを刺す」
林の合間を縫うような空白地帯にて土煙が舞い、低い振動と共に『それ』は姿を現した。 私はドミノマスクに覆われた目を細めつつ、『ヒーロー』らしく敵の分析をする。
背丈はビルの二階分ほど。岩をそのまま人型に固めたような、無骨なモンスター。頭部らしき部位は形状がいびつで、表情らしきものもない。
ただ、ゆっくりと、そして確実に。両腕の岩塊を振り上げてこちらを狙っていた。足は腕よりも細くて小さいから、こちらへと歩み寄る速度はあまりに鈍重だ。
だから私は手に持っていた自動追尾型ドローンカメラ『O-DRIVE』を余裕たっぷりに起動させ、早速録画を開始する。鞄にも入れられる折りたたみ可能なドローンが起動直後には私の背面へと周り、今はちょうど『巨大な敵に立ち向かうヒーローの背中』の様子を撮影していることだろう。
ゴーレムがこちらを射程距離内に収める直前、私は左手を突き出すようにして半身の構えを取り、すうはあと呼吸を整えて口を開く。
「『ブレッド・ノヴァ』、参上。これより…えっと…正義を執行するため、その…なんだっけ…打ち砕く!」
妹が考えてくれた正義のヒーローっぽい前口上をど忘れした──そもそも覚えるためのモチベーションがなかった──私はいろいろとはしょって、とりあえず名乗っておく。
それを終えると同時にゴーレムは右腕を振り上げ、鉄球を投げつけるかのような勢いで振り下ろす。その動きは動物園のナマケモノと同じくらい遅く見えて、私は左側に軽くステップするだけで回避できた。
(…避けるのは簡単だけど、当たったらしばらくは入院かなぁ…お母さんや妹に迷惑をかけるし、油断はできないや)
大地を揺らす一撃は砂埃をもうもうと立ち上げ、それが並の人間であれば即死、軍が使う戦車であっても大破は確実な威力を持つことを物語っていた。
なるほど、これなら警察や軍が対処しなくなったのも納得で、そのために私たちヒーローが生まれたというのはなかなかのご都合主義に思えた。
『異世界』と部分的につながってしまった結果、モンスターが現れるようになった日本。そんな日本を救うために現れるのが勇者ではなく私たち『ヒーロー』というのは、事実は小説よりも奇なりと表現するほかなかった。
「…うわ、ちょっとギリギリすぎたか…パーカーとスカートが汚れた…」
それからも私は攻撃はせず、ゴーレムの両腕を使った振り下ろし、あるいはなぎ払いをステップやバク転で回避し続ける。こいつは射程が短いので大幅に距離を取ればそもそも攻撃すらされないけれど、そんなことをしたら居住区に向けて侵攻するだろうし、何より…安全圏で様子見なんてしていたら、『動画』としての価値が落ちてしまう。
だから私はわざと相手の射程距離内にとどまり、その攻撃をひょいひょいと回避する。ヒーローらしい身体能力があればこれはエクササイズのようなもので、どうしても緊張の糸が切れやすい私は「明日はどんなパンを作ろうかな」と考えていた結果、回避運動がギリギリすぎて服に土塊が付着してしまった。
パーカーは、まあいい。これはヒーローとして戦うときにしか着ないから、洗濯する余裕もある。けれど、スカートについては学校の制服だから汚れると面倒で、まだまだ自分が未熟だと痛感した。
…でも、ずっとヒーローで食っていくつもりもないし、いまいち努力する気になれないんだよな…。
「…そろそろいいかな」
ゴーレムの左腕によるなぎ払いをジャンプで回避し、そのまま腕に着地。私を振り落とすべく腕を持ち上げたらその反動も活かして大ジャンプ、空中でわざとらしいムーンサルトを決めてからゴーレムめがけて突き刺すような飛び蹴りを放った。
…あ、キックのときに技名を口にするの忘れた…妹に怒られる…。
そんな心配をよそにキックは命中、私はその手応えを感じつつ後ろへと飛び下がり、ゴーレムは派手によろけて背中側からダウンした。すでに体にはひびが入っており、そのまま上空からもう一発蹴りを入れてもよかったけど、今日はパンチでとどめを刺すように言われていたのだ。
そんなわけで少しだけ距離を取って着地した私は再び構えを取り、右腕に力を込めてとどめの一撃を放つべく、最後の踏み込みを行い。
ちょうどいい必殺技名を考えていなかったことに、今さら気づいた。
「…ええと、ええと…『強めのパンチ』!!」
ドガァッ!!
立ち上がろうとしたゴーレムの体に拳が直撃、亀裂が生じて真っ二つに割れる。それと同時に岩の体は黒い粒子となって夜の闇に溶けていき、その体に収まりきらなかったパンチの衝撃が軽く地面をえぐっていた。
敵の攻撃はどれも軽々と回避し、こちらの打撃は一撃必殺を体現するかのように敵を屠っている。となれば、この勝利は世界の平和を守る意味でも、動画の見栄えとしても、決して悪くないはずなのに。
「…あの技名だと、また妹に怒られるかな…」
これから動画の編集をしてくれるであろう愛しの妹のリアクションを思い浮かべると、私はため息をつくしかなかった。
これはそんなヒーロー…ブレッド・ノヴァである私が、モンスターを倒し、それを撮影して投稿、収益を得ることで実家のパン屋を支える…そんなお話。
…そんなお話に、なるはずだった。