先日からの予報通り、この日の真糸市ではモンスターが多めに出現していたらしい。それも居住区に近い場所で発生したのであれば、早期の対処は必要不可欠だった。
(こっちに来るのは大体小粒、今日は狼型…『ウルファン』が多いかな)
避難が終わった郊外の住宅地前に陣取り、私はこちらに向かってきたモンスターたちを撃退していた。今日は敵がとくに多いこともあり、もっと前…いわゆる最前線と呼べる場所ではベテランのヒーローたちが大物中心に倒してくれているらしく、私のような新米は漏れてきた小型を倒すだけでよかった。
時刻は夜、煌々と輝く満月のおかげで薄暗さは感じられない。モンスターは夕方から夜にかけて出やすいけれど、これには『逢魔が時や月の光には魔力が含まれており、モンスターが活発化するため』という事情があるらしい。
たしかに満月や新月といった月が輝くタイミングではモンスターが多い気がするため、今の日本は昔より夜のお出かけにはリスクが多そうだった。
「ギャウッ!」
「ふっ!…これくらいなら今日は余裕かな?」
居住区といっても郊外であれば自然が身近であり、それはモンスターに襲われやすいということでもある。人が多い場所ほど密度の高い『魔力封じのフィールド』が張られているため、近年はより一層都市部の地価が高騰しているとのことだった。
裏を返せば人が少ないエリアほど家賃や土地代といった価格は下落しているため、細々とパン屋を続けたい私は都会に出る必要もなさそうだ。
そんなことを考えつつ、また前線をくぐり抜けてきた一匹がこちらへと駆け寄ってきた。飛びかかる動作はレディが使役する犬型の使い魔に似ているけれど、スピードもパワーも比較できないほどしょぼい。
それでもヒーロー以外であれば危険な存在なのは間違いなく、私は足を開いてどっしりとした構えから正拳突きを放った。
バシィッ!とウルファンの鼻先に拳が突き刺さり、モンスターは悲鳴を上げてゴロゴロと転がり、やがて黒い粒子になって夜に霧散していった。こちらの世界に出現するモンスターは言うなれば魔力の集合体のようなもので、生命活動が停止するとこのように燃え尽きた炭の如く崩れ落ちていく。
遺体の処理が不要なのは助かるものの、一方で生け捕りにしての研究が非常に難しいらしく、モンスターの生態についてはまだ解明されていない部分が多かった。
唯一たしかなのは『ほとんどのモンスターは人語を解さず一方的に襲ってくること』という点だろうか。モンスターが出てきてから間もない頃、お花畑を頭に咲かせた連中が「力で対抗するなんて野蛮。まずは話し合いで解決を試みるべきだ」なんて息巻いて、実行に移した人間が何人も犠牲になってからようやく諦めたことは、人類の汚点の一つになっていた。
…そういえば、モンスターが登場する以前も害獣によって人間が犠牲になったケースがあったけど、その際も安全な場所にいる人間たちが徹底的に殺処分に反対し、現地住民の被害を拡大したという話もある。いつの世も人間は、自分に実害がない限りは理想論を振りかざすのだろう。
「…! まずいな、飛行タイプがこっちに来た…」
敵の波が途絶えたことで今日はもう終わりかもしれない…なんて思っていたら、夜空を駆け抜けるモンスターのシルエットが視界に収まる。
人型、背中に生えたコウモリみたいな羽、鳥類を思わせるくちばし、手に持った三つ叉の槍…ガーゴイルだ。
単純な戦闘能力もそうだけど、私にとって厄介なのは空を飛んでいることであり、いくらヒーロー状態で跳躍力も強化されているとはいえ、垂直跳びで攻撃を加えるには厳しい高度を飛んでいる。
挙げ句の果てに狡猾さを有するこいつは弱い人間から襲う傾向が強いため、攻撃を加えないとこちらを見ることはなく、住宅地に向かって一般人を狙おうとするだろう。避難は完了しているけれど、稀にそれを無視して過ごしていたり、あるいは避難所から抜け出してヒーローを一目見ようとする不届き者もいる。
つまり放置するのは論外、かといって飛び道具のない私はどうすれば…と思っていたときだった。
「…! 槍を投げた…!」
ガーゴイルはなにかを見つけたのか、住宅地に向かって手に持っていた槍を投げる。その先に何があるかはわからないけれど、少なくともモンスターの攻撃が居住区に加えられたのは確かで、私は反射的にしゃがみ込んで地面にあるものを手に取る。
それは手のひらに収まる程度の石ころで、普段であれば何の意識を払うこともないものだけれど。だけど今なら使えるかもしれない、そう思った直後に私はガーゴイルめがけて投擲していた。
滞空しつつまた別の獲物を探していたのか、標的にはあっさりと命中、大きく体勢を崩しながらも落下まではせずにこちらを見る。
そして鋭い爪をギラリと輝かせながら、こちらに向かって急降下してきた。
…こんなことなら、事前に投擲用のボールとか買っておいたほうがよかったか…。
自分が狙われたことに対しては何の恐怖も感じないけれど、余計な被害を出してしまったことへの自戒をしていた私は案外ヒーローっぽいのかもしれない…いや、それは言いすぎか。
「ギョギャァ!」
「…遅い!」
目前に迫ってきたガーゴイルは私を切り裂くべく腕を振り抜いたけれど、その動きは大して早くない。
もちろんその感じ方はヒーロー特有のもので、人間を一回り大きくしたような物体が空から襲いかかってくる様子は十分怖いだろうけど、やっぱり私はおびえていなかった。
むしろこちらを狙うことでもう住宅地には向かわないだろうから、安心ですらある。しかもガーゴイルはそこそこ見栄えもいいだろうから、今日も自動で撮影してくれているドローンもよい映像を残せているだろう。
だからバク転で回避しつつカウンターのキックも放ったけれど、こちらも空振りをしてしまった。
(…でも、見栄えがいまいちでもいいから…先に仕留めておきたかったな)
それからもガーゴイルは低空飛行を続けつつ、私に空中から攻撃を加えようとする。対する私はそれを毎回紙一重で回避しながら、もう一度反省をしておいた。
現代はヒーロー動画の人気が高いこともあって、あえて苦戦しているふうを装って戦いを長引かせ、ときに余計な被害を出しつつ敵を倒す人もいた。
私も居住区から離れているならヒーローらしい動きを見せてから仕留めるようにしているけれど、今日みたいな状況であれば人命のほうが大事だと理解しているし、それが完遂できなかった私はまだまだ未熟なのだろう。
パン屋のためにもっと稼がないといけないけれど、それでも誰かを犠牲にするようなことはしたくない。そしてその二つを両立できなかったことに対し、ヒーローらしくない私であっても自責の念に駆られた。
「…そろそろケリをつけたいけど、どうするか…そうだ」
怒り狂っているガーゴイルは素早く飛び回り、一撃離脱を繰り返している。攻撃を避けること自体は難しくないけど、一撃で決めるにはもう少しじっとしてもらいたくて、私の目はふとガーゴイルの足が負傷している──関節が明らかに歪んでいる──のに気付いた。
そこは先ほど私が石をぶつけたと思わしき部位で、思いのほかダメージが大きいらしい。ヒーローパワーをもってすればその辺にあるものも武器になる、それに気づいた私は相手の攻撃を回避しつつ、次は親指大の小石を拾った。
「…当たれっ!」
「ギャッ!」
右手人差し指に小石を乗せ、親指で弾くようにそれを発射する。小さな弾丸とも言うべきそれは目を狙ったつもりだけど、当たったのは額のあたりだった。
でも敵が頭を押さえる程度には痛かったみたいで、その瞬間だけ空中で静止する。そしてその隙を逃さず、私は足に力を込めて飛び蹴りを放った。
「…高速飛び蹴り!」
…また、技名を考えるの忘れた…。
そんなことを考えた直後、私の足はガーゴイルの腹部を貫き、生命活動を停止した敵は夜霧のように消滅した。
いつも通り回避はきれいだったし、今回は投擲による攻撃も見せたし、とどめのキックは相変わらず一撃必殺だったけど。
我ながら最後が締まらないなぁ…なんて思いつつ、着地を成功させてから追撃がないかどうかを確認していた。
*
それから少ししてモンスターが全滅したことを確認すると、私は走って住宅地…敵が攻撃を加えたと思わしき場所を探しに向かった。
一軒家が建ち並ぶエリアを駆け抜け、大きな被害はないか確かめるべくジャンプして家屋の屋根に着地し、状況を確認すると…とある家の駐車場、そのカーポートに槍が突き刺さっていて、それは住宅地において異彩を放つオブジェとなっていた。
少なくとも人に当たった形跡はなかったことに安心しつつ、それでも詳しい被害状況を確かめるためにその家まで移動すると、玄関付近で頭を抱える女性がいた。
「やってくれたわね、また残業だわ…」
その女性はサンドベージュ色の髪を一つ結びにして前へ流しており、ボルドー色の瞳に疲労を滲ませながら、状況を記録するために携帯端末のカメラでカーポートを撮影していた。
服装はクリーム色のニット服とストレッチジーンズの上に、ゴブリンなどの小型モンスターの爪程度であれば多少は耐えられる、夜間迷彩が施された軽防護用外套を羽織っていた。
そして万が一に備えて携行している武器、旧式のポンプアクション式散弾銃のMSS-870も背負っていて、木製ストックの部分には協会の刻印が施されていた。銃身は布テープで補修されており、外部の人間である私でも予算不足を察してしまう。
その疲労感と装備には哀愁すら漂っていて、私の中で申し訳なさが急速に膨れ上がっていった。
「すみません、『監督官』…空を飛んでいる奴がいて、被害を防ぐことができませんでした」
「いいのよ、ブレッド…今回前線を担当したのは『ビジュアル・フォース』、あいつらはいっつも動画映えのいい敵を優先するから小粒ですばしっこいのは無視しやすいのよ。あれが担当する時点で、いやな予感はしてたんだけどね…的中したわ」
監督官の前に降り立ち、私は深々と頭を下げる。
すると彼女は撮影を終えた端末をポーチに収納し、私に向き直って事情を教えてくれた。
ビジュアル・フォースはチームで活動するヒーローで、ぶっちゃけると『昔から日本で放送されていた戦隊ヒーローのような存在』だった。中堅クラスとも評されるように結成からそこそこ経っているらしく、実力は確かみたいだけど…監督官の話を聞く限り、現場の評判は悪そうだった。ちなみに私はほかのヒーローにあんまり興味がないため、ビジュアル・フォースの動画は見たことがない。
「もう少ししたら『
私に話すことは全部終えたとばかりに、監督官はタブレット端末を取り出して忙しく操作を始める。基本的には指を使っているけれど、その言葉通り書類作成も行うのか、スタイラスペンを取り出してなにかを記入する様子も見られた。
ブツブツと独りごちながら、モンスターのいなくなった現場での事後処理を行うこの人…監督官こと『
監査部は『ヒーローたちが戦う最前線において、彼らが問題行為を起こさないか監視するための部署』で、その立場上、こうして現場に訪れることが多かった。そして多少とはいえモンスターに対抗できる装備も備えているように、最悪の場合は逃げ遅れた人たちの護衛なども行う。
…と、こうして書くと重要な部署に思えるのだけど、その実情はなかなかに世知辛い。
『こうやって私たちを派遣して現場の確認と報告を行わせることで、協会として最低限の責任を取っているってアピールしているのよ…あなたは口が堅そうだから教えるけれど、あんまり言いふらさないようにね』
監査官が所属するヒーロー安全推進協会はその名前の通り、ヒーローたちに安全を守るように啓蒙するのが主な役目だけど、その実態は『国としてヒーローの存在を把握しつつ、できるだけ責任を取らなくていいように最小限の干渉を行い、ヒーロー関連の公的資金を集中させるための組織』だったのだ。
なので主な仕事は名簿の作成、公認ヒーローとしての登録作業、安全講習の実施といったなんとも当たり障りのない…言ってしまえばいるのかどうか微妙な業務が多く、ヒーローを免許のような制度として運営していくために作られた存在だった。
さらには複数の外郭団体を抱えているけれど、その中には仕事をしているのかどうかわからないものが多いらしく、ヒーロー関連の予算が膨れ上がっていくのは協会が原因とも言われている。一見すると協会とは無関係に見える企業や組織についても、しばしば何らかの利権が絡んでいると疑われていた。
そんな中で監督官が所属する監査部というのは危険も仕事量も非常に多く、そうした実態からもわかるように『協会内において左遷された人が行き着く先』らしい。監督官も昔は庶務課にいたらしいけれど、そんな人がここにいる理由ははっきりしていた。
「あの、監督官…私が仕留め損ねたせいですし、私も作業を手伝います。えっと、これでもヒーローですし…撤去とかの力仕事なら手伝えると」
「不要よ。あなたが直接被害に関わっていたならともかく、モンスターが起こしたトラブルは事後処理に関わるチームが対応するのが決まりよ」
「ですが…」
私の申し出に対し、監査官はタブレットからは目を逸らさずにバッサリと拒否した。
それは一見すると、あまりにも冷たい対応かもしれない。だけどタブレットにペンを走らせつつ書類作成をしている彼女からは疲労が消えていて、むしろ自分の仕事に誇りを持っているかのような、芯の通った声音に私も姿勢を正すしかない。
それでも引き下がろうとしたら、彼女はようやくタブレットから私へと視線を移す。聞いた話だとまだ二十代前半らしいけれど、その顔立ちと責任感は、私に比べてあまりにも大人びていた。
「あなたはヒーローよ、それも学生の。休めるときはしっかり休み、学業との両立を目指しなさい。そのために大人の私たちがいるの」
「…はい。いつもありがとうございます」
「ふふ、あなたは聞き分けがいいから助かるわ…そろそろCUREも来るから、またね。もしもスタッフの人たちと会ったらちゃんと挨拶はしておくのよ? あなたたちも頑張っているだろうけど、ああいう人たちが支えてくれているからこそ戦えるのも忘れないで」
「はい。では失礼します」
かつて監督官は協会の腐敗に対し真っ向から非難したことで、監査部への左遷を言い渡されたらしい。そして、監査部にいる人たちの多くは似たような事情で配置されていた。
それはつまり、まともな人ほど貧乏くじを引かされるという…今も昔も変わらない、そしてままならない事情があったのだ。
私はヒーローに憧れていないし、強く尊敬しているわけでもない。だけどヒーローたちがこの世界を守っていることは事実で、そしてそんなヒーローを支えている人たちもたくさんいて、その中の人の一人がこの人だとしたら。
一緒に平和を守れていることは、少しだけ誇りに思っていいのかもしれない。そんな気持ちを込めてもう一度頭を下げてお礼を伝えたら、監督官の穏やかな笑い声が聞こえた。
そして家に戻る途中、『公共戦闘被害補填チーム』ことCUREの人たちとすれ違ったので、監督官に恥を欠かせないためにもしっかりと頭を下げておいた。