ヒーローになったのであれば専用の学校に入れられ、そこで同じ立場の若者たちと切磋琢磨していく…なんてことはなく。
今日も私は市内でも中堅レベルの普通の高校こと『真糸中央高校』へ通うべく、愛用のママチャリをキコキコと漕いでいた。この自転車は通学だけでなくパン屋への出勤、それ以外の用事でも使っている主要な移動方法の一つだ。
ヒーローになれば走ったほうが早いのだけど、さすがに通学目的でスイッチングをするのはよろしくないため、今日も今日とて普通の高校生として登校している。
…普通の、なんて前置きをすると調子に乗った芸能人気取りっぽく聞こえるな…もっと別の呼称はないものだろうか。
「おはよ、舞…相変わらず眠そうね、パン屋の子なのに」
住宅地の穏やかな朝を背景にとりとめもないことを考えていたら、同じように自転車通学をしているクラスメイト…嵐山鈴(あらしやますず)が私に並び、こちらの横顔を眺めつつわずかな皮肉がこもったいつもの挨拶をしてきた。
「おはよう、鈴。パン屋の仕事があるときはそこそこシャキッとしているけど、学校だけだとどうしてもね…」
その挨拶に私も横を向き、口元を緩めて挨拶を返す。言葉だけを捉えると嫌みったらしく聞こえても仕方ないのだけど、中学時代からの付き合いということもあってかこれくらいならすでに慣れてしまったので、私の心はまったくと言っていいほど起伏を見せなかった。
髪の長さは私と同じくらいで色はライトブロンド、左側にサイドテールとしてまとめている。まとめるためのゴムはブラウンのシンプルなもので、勝ち気な光を宿すチェリーレッドの瞳が「これで十分よ」なんて物語っているような気がした。
服装はもちろん私と同じ制服で、ジャケットはインディゴブルーでボタンは銀色のものが二つ、やや細身のノッチドラペル、その裏側には赤いステッチにて学校のマークが施されている。シャツは白でネクタイは一年生を示すワインレッド、なんとなく私よりも鈴のほうが似合っているように見えた。
スカートはプリーツ多めのグレー・紺・青のチェック柄、膝丈10cmほどの動きやすいタイプだ。靴下は私が紺色、鈴が黒のハイソックスを履いていて、靴はお互いが学校指定の茶色ローファーだった。
「あんたって本当にパン屋に関わるときだけはやる気を出すわよね…お店だとそれなりに愛想もいいし、美人なんだから普段もニコニコしてたら?」
「まあ、パン屋は私の本業だし…ていうか、美人ってほどじゃないと思うけど。鈴から見ると私ってきれい?」
「そ、そういう意味じゃないから! あんたなんてちょっと目鼻立ちが整っていて、口元が可愛くて、髪がさらさらのロングで似合っていて、スタイルも抜群なだけよ! これは客観的な評価ってだけだから、調子に乗らないで!」
「それ、見た目に関してはほぼ欠点なしじゃない…?」
キコキコ、二つの自転車が同じような音を立てる。まだ住宅地であるためなのか、朝の喧噪と言うには柔らかな環境音しか存在してなくて、私たちのやりとりもくっきりと聞き取れた。
そう、鈴はこういう子だった。いじっぱりでちょっと口が悪いけれど、実際は他人に対して悪意を抱くことがなく、むしろ私のようにそこそこ仲がいい相手に対しては今のようにぼろを出す…いや、デレる…?みたいなことがままある。
正直に言うと、私は容姿よりもパンの味を評価してもらえるほうが圧倒的に嬉しいのだけど…髪についてはお母さんの真似をして伸ばし続けているから、このシナモン色のロングヘアを褒められるのは素直に嬉しかった。
「…もう。あんたといい、『あいつ』といい、話してると調子が狂うのよね…」
「あいつ? 私に似てる人でもいるの?」
「…そうね。ま、人がよさそうなところとか、他人に迷惑をかけないところとかは…似てるかもね」
「…うーん? まあ、悪く思われていないならよかったよ」
それからもお互いに長い髪をなびかせて、少しのあいだは言葉も交わさずに自転車を漕ぐ。
鈴と一緒にいるときは、こういう無言が苦痛じゃなかった。元々私は他人にあまり関心がないけれど、それでも鈴とは話しているときも、黙って一緒にいるときも、どちらも妙に落ち着く気がした。
だから鈴とは出会ってそんなに経っていない頃から話すことが増えて、学校が同じだからなんとなく一緒に過ごすことも多くなって、それがこれからも続いていくのだろうと思ったら…やっぱり、悪くはなかった。
「…ねえ、鈴。今度さ、またパンを買いに来てよ。最近は私も結構焼かせてもらえるようになったから、私が作ったのでいいならちょっとサービスするよ?」
「…今もちょくちょく行ってるような気がするけど、まあいいわよ。言っておくけど、失敗作を押しつけてきたらとっちめてやるんだから」
「ふふ、失敗したら自分で食べるから大丈夫。それにレシピはお母さん譲りだから、安心してね」
「…ん。期待しないでおくわ」
鈴への友情をなんとなく再確認した私は、自分なりにその形を口にしてみる。
鈴はパン屋に来てくれることもあって、とくにチョココロネが好き──いつも尻尾側から食べているのがちょっと可愛い──みたいだから、彼女が来てくれるときは私がコロネを担当するのもいいかもしれない。
そんな気持ちをこねこねと伝えてみたら鈴はちょっとだけ耳を赤くして、前だけを見ながら幾分か優しい声で応じてくれた。その横顔が朝日に照らされる様子は、私よりもよっぽど美人に見えた。
*
「思いのほか早く着いたね」
「そうね…今朝は私がお弁当を作ったから、少し早起きしすぎたかしら」
真糸中央高校は進学と就職が半々、部活動もそこそこ盛んという『いろんな意味で平凡な高等学校』だった。ただ、真糸市はモンスターの出現エリアが多めであることからここを拠点に活動しているヒーローも結構いるとされており、同時にモンスターへの対策も進んでいる。
たとえばこの学校の体育館には防護フィールドが張られているらしく、いざという場合の避難先に指定されていた。さらに学校も含めた『人が多いエリア』に関しては魔力封じのフィールドが張り巡らされていて、そもそも学校にいきなり出没することはほとんどない。
おかげで安心して通学できることもあり、私と鈴は思いのほか早く到着した…私だけならモンスターと遭遇してもヒーローになってぶっ飛ばせるけど、鈴がいると変身のタイミングが難しそうだ。
「…あれ? 江田さん、今日も早いね」
「…」
自分たちの教室のドアを開くと、窓際の席に座っているクラスメイト…江田乃亜さんの姿が飛び込んできた。
ほんのりと焦げみのあるランプブラックの髪をショートヘアに揃えており、右側に作ってある短めの三つ編みが印象的なヘアスタイルだった。赤橙の瞳は私の声かけにも揺らぐことはなく、じっと窓の向こうの空を眺めているように見える。
ともすれば返事を無視されたと感じるような態度だけど、私も鈴もとくに不快感は覚えない。なので私たちは自分の席にスクールバッグを置いてから、いつもの調子でもう一度声をかけた。
「江田さん、おはよう。今日は体の調子、大丈夫?」
「…あ。おはよう、ございます。星川さんに、嵐山さん。今日は、元気。です」
「ならいいけど…もしも調子が悪くなったら、すぐに保健委員の私に言うのよ? あんたはちょっとぼうっとしていて口数が少ないから、我慢していないかどうか不安になるのよね…」
私がもう一度挨拶をすると江田さんはゆっくりとこちらを向いて、ぺこりと律儀に頭を下げつつ、いつものたどたどしい様子で返事をしてくれた。その顔立ちはまさしく完全な無表情で、クラスメイトへの愛想も、考え事の最中に話しかけられた不快感も、あらゆる感情を感じさせない…真っ平ら、という表現がぴったりの表情だった。
それでいて身長は170cm近くあるため、向かい合うと威圧感を感じるという人も少なくない。そうしたこともあって彼女はクラス内でも孤立気味だったけど、私と鈴はこんなふうにちょくちょく声をかけていた。
理由は…鈴の場合、保健委員という立場が関係している。江田さんの肌は病的なまでに白いけれど、その色合いから想像できるように体調を崩しやすいらしく、ちょくちょく早退や欠席をしていたのだ。その一方で保健委員に頼ることはなく、世話焼きな鈴からすると無理をしているように感じるのだろう。
私は…なんだろう。強いて言えば鈴が気にかけていることが会話するきっかけになって、そのまま普通に話しかけるようになった感じだろうか。江田さんとは高校に入ってから知り合ったので、鈴相手に比べると友達と断言していいのかどうかは判断に困った。
…それでも、はっきりしていることもある。
「ありがとう。二人とも、優しい、ね。でも私は、こう見えて。サイ…」
「サイ?」
「…サイのように、体が頑丈。なのです。だから、早退したときも、学校を休んだときも、大丈夫。けど、心配してくれるの、嬉しい」
「…そっか。江田さんがつらくないならよかったよ」
「…ふ、ふん。私は保健委員だから心配してるだけで、別に、そんなふうに言われても…嬉しく、ないし」
江田さんは雪原に一輪の花を咲かせるように、無表情のまま口元だけわずかに緩めて、静寂を乱さないよう静かに喜んでくれた。
それは多分、ある程度親しい人でないとまだまだ不気味に見えるのかもしれない。私たちだって親しいと断言できるほどじゃないかもしれないけれど、それでもこうした様子を見せてくれるのは…やっぱり嬉しいと感じられた。
素直になれない鈴ですらぷいっとしながらも口の端を上向きにして、サイドテールの先っぽをいじいじとしている。これは彼女が照れているときの仕草で、私が中学の頃に気付いたサインだった。
そんな二人を見ていると徐々に教室へ差し込む日光も強くなっていって、ほかのクラスメイトたちも登校してくる。私は学校よりもパン屋にいるときのほうが好きで、それこそ中退してずっとお店で働きたいとも考えているけれど。
鈴や江田さんとこうして静かに一日の始まりを迎えられるのは、ヒーローの日常としてはなかなか悪くない気がした。
(…でも、なんで『サイ』なんだ? 江田さん、センスが独特なんだよな…)
体が頑丈であることの比喩はたくさんあるけれど、そんな中でサイをチョイスした理由が少しだけ気になりつつ、私はそのまま三人で雑談を続け、ホームルームが始まるまではぼへっと美少女二人を眺めていた。
*
「えー、それではホームルームを始めます。最初の伝達事項として、『モンスター予報』からです。すでに知っての通り、近々居住区に近い場所で多数のモンスターの出現が予測されており…」
モンスターが出るようになって長く時間が経った結果、私たちの生活はそれ以前に近い状態に戻っていた。なので担任の口からも小説やアニメみたいな単語が飛び出すのは当然のことで、クラスメイトたちも一切ざわつくことはない。
私たちの世界が『異世界』と部分的につながった結果、こちら側にもモンスターが出現するようになってしまい、当初は世界的な大混乱に陥ったらしい。当時は警察や軍隊が対処していたものの、日本全国へ広く出没することから追いつかなくなり、さらには大型の『ドラゴン』や『ゴーレム』といった日本の武力では対処の難しいモンスターもいたことで、ごく一部の都市以外は放棄すべきだという意見すら出ていたらしい。
「…すでに何名かのヒーローが対処するように動いておりますので、皆さんは焦らず『
けれど、モンスターという人知を超えた厄災が現れたように、人類側にもこれまでの常識では考えられない希望が誕生した。
ヒーロー。それはアニメや特撮の中にしか存在しないとされていた、強大な敵を倒すための戦士たち。なぜモンスター出現後にこうした存在が生まれたのか、諸説あるけれど…現在の研究結果だと『モンスターという人類共通の脅威が現れたことでそれに対応すべく進化した新しい人類としての素質』とされており、人間が自然界に適応してやがて支配するようになったみたいに、これもまた新しい順応の形なのかもしれない。
あるいは『モンスターと同時に流れ込んできた異世界由来の力──魔力と呼ばれるものらしい──がこちらの世界の人類に影響を及ぼした』とも言われているけれど、とにかく異世界とのつながりがヒーロー誕生につながったのは間違いなかった。
「…『
ヒーローは誰でもなれるわけではなく、『ヒーロー因子』の強さによって変わるとされていた。
この因子はすべての人類に備わっているらしいけど、とくに強い素質がある人のみがヒーローとして目覚めるらしい。そしてヒーロー因子の強さや内容はどのようにして決まるのか、そして受け継がれるのかまでははっきりとしていなかった。
一説によると『ヒーローになるべくして生まれた強い【因果】を持つ人間しかこの因子は発現しない』ともされているけど、それが事実ならその人の過去や前世にまで影響が及んでいるため、オカルトだと揶揄する人も多かったのだ。
…仮にそれが事実であれば、私は『いつの時代に生まれてもヒーローとして戦わないといけない』みたいな存在になるけれど、それこそフィクションの世界でしかあり得ないだろう。
「…以上が連絡事項です。次は…」
「ギリギリセーフ! クラスのアイドルこと新井日奈子、本日も元気いっぱいに登校しました!」
「…セーフではありません。新井さん、また遅刻ですか?」
「ああ〜ん、そんな顔で睨まないでよ先生〜…せっかくの美人が台無し、ほらほら笑って見逃して? スマ〜イル☆」
「そうですか、では新井さんには三日以内に反省文を書いてきてもらいましょう…」
「ひどい! ほらほら、みんなもあたしのために抗議して!」
そして先生がホームルームを終えようとしたところで、教室のドアが勢いよく開かれる。そこに立っていたのはこのクラスの自称アイドルこと、新井日奈子さんだった。
グレージュのロングヘアをガーリッシュハーフツインにしていて、アザレアの瞳には快活な光をたたえている。制服は若干崩した着こなしで、ジャケットのボタンは開けておき、シャツの第一ボタンはラフに外していた。
自称とは言えアイドルだとのたまうように、顔立ちは間違いなく美少女だろう。けれどその言動はまさしく『残念な美人』という雰囲気が漂っていて、それがちょうど親しみやすい雰囲気作りに一役買っているのか、彼女のすがるような言葉に何名かのクラスメイトは「ホームルームだし、見逃してあげてもいいのでは?」といった意見を控えめに述べていた。
ぶっちゃけてしまうと私の苦手なタイプで、本来なら接点なんて生まれるはずがないのだけど。
「舞ちゃんはあたしの味方になってくれるよね!? 一緒にアイドルを目指すって約束したじゃん!」
「…本当ですか、星川さん?」
「あっ、違います。新井さんが勝手に誘ってきただけです」
「友達に裏切られた!? あとで覚えててよ!」
…そう、なぜか新井さんは私のことを少しだけ気に入っていて、案外話すことも多かったのだ。もちろんそれでアイドルになるはずがなく、先生の質問にすげなく答えたらプリプリと怒りつつ席へと向かった。
最初に話しかけられたときは鈴と一緒に「なんだこの人」みたいな目を向けていたけれど、気付いたら休憩時間に雑談したり、一緒にお昼を食べるようになっていて、なぜなのかと尋ねたらこんなふうに言われたのだ。
『ん〜…あたしたち、どこかで会ったような気がするんだよね。あと舞ちゃんはカワイイし、あたしと一緒にいると美少女コンビでもっと目立てて嬉しいでしょ?』
(…どこかで会ったことがある、か。なんとなくわかるような、そうでもないような)
新井さんからの抗議たっぷりの視線を無表情で受け流しつつ、あのときの言葉を思い出す。
彼女の言葉はどれも素っ頓狂だけれど、あれだけは奇妙にしっくりくるというか、私にも思うところはあった。
新井さんだけでなく、鈴や江田さんにも感じている妙な収まりの良さ。私は間違いなく自分から友達を作るようなタイプではなくて、二言三言しか話したことのない相手も多い中で、彼女たちとはなんとなく縁が続いている。
それはまさに合縁奇縁というやつで、自分にもそんな出会いがあって、さらにはつながりを感じられるだなんて、今でもよくわからない関係なのだけど。
もしも新井さんの言葉が事実なら、私たちは無意識下ですでに出会っていたのかもしれない。そしてヒーローである私が戦うことでそんな人たちを守ることにつながっていたのなら、それは自分には似合わない充実感をわずかに生み出していた。
そして今日も学校が始まる。ヒーローである私の、ヒーローではない…ちょっとだけ楽しい時間が。