《 序 文 》
転生――それは、魂が再び生まれ変わり、この世に生を受けること。世界中で語られるこの概念・現象は、サンサーラ、
異世界――多次元宇宙において、認識している世界とは異なる、無数の可能性が広がる世界。
時間、年月……その概念すら薄まるほどに、私は長い間、数えきれない世界を旅してきた。
今より語る物語は、数ある異世界冒険譚のほんのひとつである。
だが、私にとってかけがえのない、大切な物語だ。
思えば、遠い過去のようでもあり、まるで先ほどの出来事のようでもある。
初めての転生、初めての異世界。
それは偶然か、必然か。
原点……その一点にすべてが宿るように、この物語は、私の胸の一番奥、魂に刻み込まれている。
これは私が愛した初めての冒険、私が愛した人々との、愛しき日々の記録――
◇ ◇ ◇
――チーーン……
参列者の静かな息遣いや、かすかに漏れるすすり泣き。それら全てが通夜という儀式を形作っていた。
まだ少し肌寒い風が、窓から吹き込んでいる。風にのり
ひらひらと舞い落ちる花びらが、窓明かりに照らされている。
まるで、雪のようだな――
俺はぼんやりとした頭で思った。
「皆様、生前中は姉がお世話になり、ありがとうございました。姉もきっと喜んでいることと思います」
「生前姉は、100歳まで生きると豪語していましたが……あと一年足りないところが、姉さんらしいというか……」
喪主は、ばあちゃんより十歳以上年下の妹、小梢(こずえ)さん。ばあちゃん同様、80代後半という年齢を感じさせない若さだ。毎日市民プールに通っているのがいいのだろうか。バタフライで1キロも泳ぐそうだ。
二人とも結婚せず、独身のまま生涯を過ごしてきた。その為、参列者は少数で、親しい人だけが静かに集まった。
「蓮くん、来てくれてありがとう。お店のこと以外でも、本当にようしてもらって」
「いえ、俺の方こそ、伊織ばあちゃんには、小さいころからずっと可愛がってもらっていたので」
「ごめんねぇ、お店……続けられんで。さすがにこの状況で私が継いでもね」
日本各地に点在するシャッター商店街。その一つが、F県の片田舎にある、ここ大狸商店街だ。かつては賑わいを誇っていたが、今ではその面影も失われ、ほぼすべての店舗がシャッターを下ろしてしまった。
俺の名前は、
俺はここで生まれ育ち、東京の大学を卒業後、故郷に戻って商店街の再生に取り組んだ。だが、商工会もこの地区からの撤退を決定し、俺が最後の担当者となった。
そして今日、俺の役目も終わる――
商店街最後の店、江藤書店が閉店したからだ。
俺は子供のころから江藤書店に入り浸り、奥の座敷で伊織ばあちゃんと一緒に本を読んでいた。ばあちゃんはいつも果物やお菓子をくれて、そのひと時が何よりも好きだった。
俺は主に漫画や歴史小説を読んでいたが、ばあちゃんは本のカバーを裏返していて、何を読んでいたのかわからなかった。ただ、時折「……ふへ……」と楽しげに唇の端を上げるその姿が、今でも鮮明に思い出される。
ん? ちょっと待て……裏返しのカバーに、あのニヤリとした笑い顔……今思えば、ばあちゃんって……いや、変な邪推はよそう。ばあちゃんに失礼だ。
「ばあちゃん。俺……なんとかこの商店街を立て直そうとしたけど、結局、ダメだった。本当にごめんな。いつも『蓮ちゃんならできる』って言ってくれたのにな……でも、ばあちゃんがいてくれたおかげで、最後まで頑張れたよ。ありがとう。長い間、お疲れ様……」
棺の中のばあちゃんは、笑っているように見えた。その穏やかな顔が涙で滲んでいく。俺の喉、いや、胸の奥から、今までに聞いたことのないような『音』が溢れ出ていた。人は失ったときに初めてその大切さを理解するというが、それは本当だと実感する瞬間だった。
俺は、この血の繋がっていないばあちゃんのことが、本当に、本当に大好きだったのだ――
「蓮くん蓮くん、よかったら姉さんの遺品、どれか貰ってくれんやろか?」
「え? 僕がですか?」
「姉さん、蓮くんの事いつも電話口で褒めとったんよ~。本当に優しか子に育ったって」
「いや、そんな……でも、そうですね。僕なんかでよければ喜んで」
「よかった! なんがいいかねえ~」
小梢さんは、ばあちゃんのアクセサリー入れからどれを選ぼうかと考えている。そして、ひときわ大きな宝石がついた指輪を手に取り、俺に差し出した。
「これなんかどげん? なんかいい感じやない? ぎらんぎらんして」
「ええ?! いえいえ! こんな高価そうなものはいただけません!」
「そうね? 男ん子やけん、あんまり派手じゃない方がいいんやろか?」
「そ、そうですね。(いや、そういう事じゃない)」
「ん~もっと地味なやつね~……あら、これなんかどうやろか?」
小梢さんは銀色のロケットペンダントを掲げ、満面の笑みを浮かべている。やはり姉妹だ。伊織ばあちゃんの笑い方に似ている。
「ロケット……ですか。綺麗ですね」
銀細工のロケットには細かな模様が施されている。蓋を開けると、美しい女性が弓を構えている写真が収められていた。
「え? 小梢さん、この写真って」
「ああ、これ、姉さんの若いころの写真たい」
「ええ?! 伊織ばあちゃん?!」
「弓道をやっとたんで、そん時のもんやね。戦時中の写真やろね。こん当時は学生も武道が推奨されとったけんねぇ」
すらりとした目鼻立ちに、凛とした立ち姿。的を見つめる鋭い視線。しかしその瞳の奥には、俺が知っている伊織ばあちゃんの優しさが見えた。
「姉さんかっこよか~! 若いころは、縁組の話がたくさん来とったとばい~。でも姉さん、ぜ~んぶ断ってからねぇ。もったいなか~」
「そうなんですか……」
ばあちゃん、なんで結婚しなかったんだろう? その辺りのことは、あまり話してくれなかったな。もしかして……何か理由があったのか? 今となっては、本人から聞くことも出来ない。
「うん! これがよかばい! 姉さんの写真も入っとるし! 蓮くん、孫みたいなもんやし!」
「孫……か。ふふ……ですね! これ、頂いていいですか?」
「もちろん! 姉さんも喜ぶばい!」
小梢さんは優しく微笑み、俺の首にペンダントを掛けてくれた。
「ふふ。本当にそっくりやねぇ。姉さんったら本当に……」
「え? そっくり?」
「んーん。なんでも! あ、本当にこっちのいらん? 高川質店に持ってったら、結構な額になるんやない? ぎらんぎらん!」
「い、いえ! 本当にこのロケットだけで結構です! ありがとうございます!」
俺は伊織ばあちゃんの遺品のペンダントを胸に、式場を後にした。
◇ ◇ ◇
雨が降り出していた。この時期の雨を
俺は傘を差す気にもなれず、重い足取りで商店街へ向かった。
灰色のシャッターが並ぶ道は、人っ子一人いない。マジか……マジでか。令和のこの時代に、こんなことがあるのか。 本当にすべての店が潰れてしまった。
俺にもっと知恵と力があったら……難しいとは思っていたけど、やっぱり後悔が残るな。みんな、ごめん。そして、お疲れ様。
俺は一軒一軒、シャッターの前で頭を下げて回った。
最後は……商店街の一番端の店、江藤書店だ。
「江藤書店、本当にありがとう。俺、この店と伊織ばあちゃんがいたから、とても――とても幸せだったよ……ありがとう。さようなら」
――「れ……ちゃ……」――
商店街を後にしようとした時、なにか小さな声が聞こえた気がした。振り返っても誰も見当たらない。気のせいだろうか。
ふと、視線の端に灯りの点滅が映る。
小さな赤い
そういえば、伊織ばあちゃんが毎日お参りしていたな。商売繁盛と縁結びの神様だったか……これが最後になるだろうけど、手を合わせておこう。
「お稲荷様、今まで大狸商店街を守って下さり、ありがとうございました」
って、今声に出して気が付いたが、狐が狸を守ってたのか。ふふ、なんか変な話だな。
――バチッ! ジジッ!
何かが弾けるような音がした瞬間、灯籠が激しく点滅し始めた。なんだ? よく見ると、灯籠の足元から劣化した配線が突き出していて、そのすぐ傍に水たまりができている。
漏電……? これ……まずくね? 俺、びしょ濡れじゃん……やばい!
――バチバチッ!!!
刹那、灯籠の足元から青白い火花が飛び散り、激しい電撃が俺の身体を貫いた!
「あべべべべ! やべべべべ!! し、しぬぬぬぬぬ!!!」
間抜けな叫び声が、灰色のシャッター街に吸い込まれていく。
「だだだ、ダレかたスけ……ろうデ……か、火事……し、しに、めーーーす!」
心臓がバクバクと鳴り、体中の汗が冷たく感じる。これは……本当に、死……ぬ……
――「れ……ちゃん!」――
誰かの……声がする……誰でもいい……助けてくれ……
死にたくない――!!!
そう願った瞬間、お社から眩い光が放たれた。その光はまるで生き物のように螺旋を描きながら俺に迫り、ばあちゃんのペンダントと繋がった――
――「蓮ちゃん!!!」――
この声は……少し感じが違うが、間違うはずがない……
「ばあ……ちゃん?」
光の筋はその強さを増し、俺の身体を包み込む。奇妙な感覚が足元から押し寄せてくる。
あ、足が消えていく? ええ?! 感電って……こんな感じで死ぬのか?!
まるで、小さな虫が這い上がってくるような……ゾワゾワとした感覚が次第に全身を覆い、俺の身体が消えていく。
あ……消……え…………る…………
◇ ◇ ◇
――「れ……ちゃ……! 蓮ちゃん!」――
暗闇の中、俺を呼ぶ声がする。
誰だ……懐かしい声……ああ、ばあちゃんか…………俺、死んだんだ……
――「起きんね! 蓮ちゃん!」――
頬に温かく柔らかい感触がある……なんだこの天国のような肌触りは。
――「ちょっと! なにしとるん!」――
「嗚呼……これが天国か。気持ちいいなぁ……ふふふ……まるで天使のおけつだ」
――「な~んがおけつね! いいかげん起きんね!」 ゴン!!!――
「痛っって!!!……ん? 痛い? 死んでるのに?」
瞳を開けると、金色の美しい髪をした女性が俺をのぞき込んでいた。彼女の膝枕の上で、俺は無意識にその太ももをしっかりと抱きしめ……その上ものすごく、さすっていた。
「あ、すみません……今すぐ……」
「だめ! まだ動かんで。なんかね、身体と魂がズレとるみたいやけん」
「え? ズレ?」
「蓮ちゃん、落ち着いて聞いてね。私たちね……異世界に転生したんよ! はうぅ!」
「は、はあ???」
「やけん! 異・世・界・転・生! しかもね! 蓮ちゃんだけやなくて……」
女性が指さした先には、森が広がっていた。そしてその木々の間に、なじみのある風景があった。この連なる灰色のシャッター群……大狸商店街だ。
「商店街が森の中に? ど、どうなってるんだ???」
「あ、それとごめん。私があん時呼んだけん、蓮ちゃん、死んでしもうた。感電死……へへ」
何を言ってるんだこの人は……というかよく見ると、この人、頭に狐のような耳が付いてる! あ……この顔! ロケットの――
「い、伊織ばあちゃん……なのか?!」
「……へは!」
う~わ、この気持ち悪い笑い方……間違いない! 伊織ばあちゃんだ!
おい……おいおい、マジか。俺は……ばあちゃんと一緒に、商店街まるごと、異世界に転生してしまった。
⛩――【大狸商店街へお越しの皆様へ】――⛩
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大狸商工会・青年部 田中蓮(独身)
⛩――「素敵だね きみに寄り添う 街の店」――⛩