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001 商店街、まるごと転生

《 序 文 》



 転生――それは、魂が再び生まれ変わり、この世に生を受けること。世界中で語られるこの概念・現象は、サンサーラ、生生世世しょうじょうせぜ、リインカーネーションなど、多くの名を持っている。


 異世界――多次元宇宙において、認識している世界とは異なる、無数の可能性が広がる世界。




 時間、年月……その概念すら薄まるほどに、私は長い間、数えきれない世界を旅してきた。


 今より語る物語は、数ある異世界冒険譚のほんのひとつである。


 だが、私にとってかけがえのない、大切な物語だ。


 思えば、遠い過去のようでもあり、まるで先ほどの出来事のようでもある。


 初めての転生、初めての異世界。


 それは偶然か、必然か。


 原点……その一点にすべてが宿るように、この物語は、私の胸の一番奥、魂に刻み込まれている。


 これは私が愛した初めての冒険、私が愛した人々との、愛しき日々の記録――




 ◇     ◇     ◇




 ――チーーン……



 りんの音が斎場に響き、読経が耳に染みわたる――


 参列者の静かな息遣いや、かすかに漏れるすすり泣き。それら全てが通夜という儀式を形作っていた。


 まだ少し肌寒い風が、窓から吹き込んでいる。風にのり一片ひとひらの桜の花びらが舞い込んできた。


 ひらひらと舞い落ちる花びらが、窓明かりに照らされている。


 まるで、雪のようだな――


 俺はぼんやりとした頭で思った。



「皆様、生前中は姉がお世話になり、ありがとうございました。姉もきっと喜んでいることと思います」



 大狸おおだぬき商店街、最後の砦、江藤書店の店主である伊織ばあちゃん、江藤伊織えとういおりさんが99歳で亡くなった。亡くなる直前まで店を開けていたその姿は、100歳間際とは思えない若々しさを保っていた。



「生前姉は、100歳まで生きると豪語していましたが……あと一年足りないところが、姉さんらしいというか……」



 喪主は、ばあちゃんより十歳以上年下の妹、小梢(こずえ)さん。ばあちゃん同様、80代後半という年齢を感じさせない若さだ。毎日市民プールに通っているのがいいのだろうか。バタフライで1キロも泳ぐそうだ。


 二人とも結婚せず、独身のまま生涯を過ごしてきた。その為、参列者は少数で、親しい人だけが静かに集まった。



「蓮くん、来てくれてありがとう。お店のこと以外でも、本当にようしてもらって」


「いえ、俺の方こそ、伊織ばあちゃんには、小さいころからずっと可愛がってもらっていたので」


「ごめんねぇ、お店……続けられんで。さすがにこの状況で私が継いでもね」



 日本各地に点在するシャッター商店街。その一つが、F県の片田舎にある、ここ大狸商店街だ。かつては賑わいを誇っていたが、今ではその面影も失われ、ほぼすべての店舗がシャッターを下ろしてしまった。


 俺の名前は、田中蓮たなかれん。29歳。下の名前ランキング上位常連。そんな全国で数多くいるであろう蓮のうちの一人、俺、田中蓮は、この地区を担当する商工会議所の職員だ。


 俺はここで生まれ育ち、東京の大学を卒業後、故郷に戻って商店街の再生に取り組んだ。だが、商工会もこの地区からの撤退を決定し、俺が最後の担当者となった。


 そして今日、俺の役目も終わる――


 商店街最後の店、江藤書店が閉店したからだ。


 俺は子供のころから江藤書店に入り浸り、奥の座敷で伊織ばあちゃんと一緒に本を読んでいた。ばあちゃんはいつも果物やお菓子をくれて、そのひと時が何よりも好きだった。


 俺は主に漫画や歴史小説を読んでいたが、ばあちゃんは本のカバーを裏返していて、何を読んでいたのかわからなかった。ただ、時折「……ふへ……」と楽しげに唇の端を上げるその姿が、今でも鮮明に思い出される。


 ん? ちょっと待て……裏返しのカバーに、あのニヤリとした笑い顔……今思えば、ばあちゃんって……いや、変な邪推はよそう。ばあちゃんに失礼だ。



「ばあちゃん。俺……なんとかこの商店街を立て直そうとしたけど、結局、ダメだった。本当にごめんな。いつも『蓮ちゃんならできる』って言ってくれたのにな……でも、ばあちゃんがいてくれたおかげで、最後まで頑張れたよ。ありがとう。長い間、お疲れ様……」



 棺の中のばあちゃんは、笑っているように見えた。その穏やかな顔が涙で滲んでいく。俺の喉、いや、胸の奥から、今までに聞いたことのないような『音』が溢れ出ていた。人は失ったときに初めてその大切さを理解するというが、それは本当だと実感する瞬間だった。


 俺は、この血の繋がっていないばあちゃんのことが、本当に、本当に大好きだったのだ――



「蓮くん蓮くん、よかったら姉さんの遺品、どれか貰ってくれんやろか?」


「え? 僕がですか?」


「姉さん、蓮くんの事いつも電話口で褒めとったんよ~。本当に優しか子に育ったって」


「いや、そんな……でも、そうですね。僕なんかでよければ喜んで」


「よかった! なんがいいかねえ~」  



 小梢さんは、ばあちゃんのアクセサリー入れからどれを選ぼうかと考えている。そして、ひときわ大きな宝石がついた指輪を手に取り、俺に差し出した。  



「これなんかどげん? なんかいい感じやない? ぎらんぎらんして」


「ええ?! いえいえ! こんな高価そうなものはいただけません!」  


「そうね? 男ん子やけん、あんまり派手じゃない方がいいんやろか?」


「そ、そうですね。(いや、そういう事じゃない)」


「ん~もっと地味なやつね~……あら、これなんかどうやろか?」



 小梢さんは銀色のロケットペンダントを掲げ、満面の笑みを浮かべている。やはり姉妹だ。伊織ばあちゃんの笑い方に似ている。



「ロケット……ですか。綺麗ですね」



 銀細工のロケットには細かな模様が施されている。蓋を開けると、美しい女性が弓を構えている写真が収められていた。



「え? 小梢さん、この写真って」


「ああ、これ、姉さんの若いころの写真たい」


「ええ?! 伊織ばあちゃん?!」


「弓道をやっとたんで、そん時のもんやね。戦時中の写真やろね。こん当時は学生も武道が推奨されとったけんねぇ」



 すらりとした目鼻立ちに、凛とした立ち姿。的を見つめる鋭い視線。しかしその瞳の奥には、俺が知っている伊織ばあちゃんの優しさが見えた。



「姉さんかっこよか~! 若いころは、縁組の話がたくさん来とったとばい~。でも姉さん、ぜ~んぶ断ってからねぇ。もったいなか~」


「そうなんですか……」



 ばあちゃん、なんで結婚しなかったんだろう? その辺りのことは、あまり話してくれなかったな。もしかして……何か理由があったのか? 今となっては、本人から聞くことも出来ない。



「うん! これがよかばい! 姉さんの写真も入っとるし! 蓮くん、孫みたいなもんやし!」


「孫……か。ふふ……ですね! これ、頂いていいですか?」


「もちろん! 姉さんも喜ぶばい!」



 小梢さんは優しく微笑み、俺の首にペンダントを掛けてくれた。



「ふふ。本当にそっくりやねぇ。姉さんったら本当に……」


「え? そっくり?」


「んーん。なんでも! あ、本当にこっちのいらん? 高川質店に持ってったら、結構な額になるんやない? ぎらんぎらん!」


「い、いえ! 本当にこのロケットだけで結構です! ありがとうございます!」



 俺は伊織ばあちゃんの遺品のペンダントを胸に、式場を後にした。




 ◇     ◇     ◇




 雨が降り出していた。この時期の雨を花時雨はなしぐれと呼ぶそうだ。その名の通り、柔らかな雨が、桜の花びらを舞わせている。まるで伊織ばあちゃんを悼むかのように。


 俺は傘を差す気にもなれず、重い足取りで商店街へ向かった。


 灰色のシャッターが並ぶ道は、人っ子一人いない。マジか……マジでか。令和のこの時代に、こんなことがあるのか。 本当にすべての店が潰れてしまった。


 俺にもっと知恵と力があったら……難しいとは思っていたけど、やっぱり後悔が残るな。みんな、ごめん。そして、お疲れ様。


 俺は一軒一軒、シャッターの前で頭を下げて回った。


 最後は……商店街の一番端の店、江藤書店だ。



「江藤書店、本当にありがとう。俺、この店と伊織ばあちゃんがいたから、とても――とても幸せだったよ……ありがとう。さようなら」



 ――「れ……ちゃ……」――



 商店街を後にしようとした時、なにか小さな声が聞こえた気がした。振り返っても誰も見当たらない。気のせいだろうか。


 ふと、視線の端に灯りの点滅が映る。


 小さな赤い灯籠とうろう鳥居とりいが目に入った。商店街の入り口、江藤書店の脇に建立こんりゅうされた稲荷神社だ。


 そういえば、伊織ばあちゃんが毎日お参りしていたな。商売繁盛と縁結びの神様だったか……これが最後になるだろうけど、手を合わせておこう。



「お稲荷様、今まで大狸商店街を守って下さり、ありがとうございました」



 って、今声に出して気が付いたが、狐が狸を守ってたのか。ふふ、なんか変な話だな。



 ――バチッ! ジジッ!



 何かが弾けるような音がした瞬間、灯籠が激しく点滅し始めた。なんだ? よく見ると、灯籠の足元から劣化した配線が突き出していて、そのすぐ傍に水たまりができている。


 漏電……? これ……まずくね? 俺、びしょ濡れじゃん……やばい!



 ――バチバチッ!!!



 刹那、灯籠の足元から青白い火花が飛び散り、激しい電撃が俺の身体を貫いた!



「あべべべべ! やべべべべ!! し、しぬぬぬぬぬ!!!」



 間抜けな叫び声が、灰色のシャッター街に吸い込まれていく。



「だだだ、ダレかたスけ……ろうデ……か、火事……し、しに、めーーーす!」



 心臓がバクバクと鳴り、体中の汗が冷たく感じる。これは……本当に、死……ぬ……



 ――「れ……ちゃん!」――



 誰かの……声がする……誰でもいい……助けてくれ……



 死にたくない――!!!



 そう願った瞬間、お社から眩い光が放たれた。その光はまるで生き物のように螺旋を描きながら俺に迫り、ばあちゃんのペンダントと繋がった――



 ――「蓮ちゃん!!!」――



 この声は……少し感じが違うが、間違うはずがない……



「ばあ……ちゃん?」



 光の筋はその強さを増し、俺の身体を包み込む。奇妙な感覚が足元から押し寄せてくる。


 あ、足が消えていく? ええ?! 感電って……こんな感じで死ぬのか?!


 まるで、小さな虫が這い上がってくるような……ゾワゾワとした感覚が次第に全身を覆い、俺の身体が消えていく。




 あ……消……え…………る…………




 ◇     ◇     ◇




 ――「れ……ちゃ……! 蓮ちゃん!」――



 暗闇の中、俺を呼ぶ声がする。


 誰だ……懐かしい声……ああ、ばあちゃんか…………俺、死んだんだ……



 ――「起きんね! 蓮ちゃん!」――



 頬に温かく柔らかい感触がある……なんだこの天国のような肌触りは。



 ――「ちょっと! なにしとるん!」――


「嗚呼……これが天国か。気持ちいいなぁ……ふふふ……まるで天使のおけつだ」


 ――「な~んがおけつね! いいかげん起きんね!」 ゴン!!!――


「痛っって!!!……ん? 痛い? 死んでるのに?」



 瞳を開けると、金色の美しい髪をした女性が俺をのぞき込んでいた。彼女の膝枕の上で、俺は無意識にその太ももをしっかりと抱きしめ……その上ものすごく、さすっていた。



「あ、すみません……今すぐ……」


「だめ! まだ動かんで。なんかね、身体と魂がズレとるみたいやけん」


「え? ズレ?」


「蓮ちゃん、落ち着いて聞いてね。私たちね……異世界に転生したんよ! はうぅ!」


「は、はあ???」


「やけん! 異・世・界・転・生! しかもね! 蓮ちゃんだけやなくて……」



 女性が指さした先には、森が広がっていた。そしてその木々の間に、なじみのある風景があった。この連なる灰色のシャッター群……大狸商店街だ。



「商店街が森の中に? ど、どうなってるんだ???」


「あ、それとごめん。私があん時呼んだけん、蓮ちゃん、死んでしもうた。感電死……へへ」



 何を言ってるんだこの人は……というかよく見ると、この人、頭に狐のような耳が付いてる! あ……この顔! ロケットの―― 



「い、伊織ばあちゃん……なのか?!」


「……へは!」



 う~わ、この気持ち悪い笑い方……間違いない! 伊織ばあちゃんだ!


 おい……おいおい、マジか。俺は……ばあちゃんと一緒に、商店街まるごと、異世界に転生してしまった。






 ⛩――【大狸商店街へお越しの皆様へ】――⛩


 本日は、数ある商店街の中から大狸商店街へお越しいただき、誠にありがとうございます!


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 ぜひ、またのご来街をお待ちしております!


 大狸商工会・青年部 田中蓮(独身)


 ⛩――「素敵だね きみに寄り添う 街の店」――⛩






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