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第13話   整った舞台

「確かに新薬を飲んだ先天的遺伝病患者は〝遺伝子組み換え〟生物――〈発現者〉になる。ただし、遺伝病の度合で〈発現者〉か巷で騒がれている人食いUMAになるかが決まるんだ。わかりやすく言えば発症率の低い遺伝病に罹っていた患者は〈発現者〉になり、発症率の高い遺伝病に罹っていた患者は能力を自分でコントロールできない単なる化け物になる」


 ムーナは続ける。


「発症率の低い遺伝病というのはADA欠損症、血友病、筋ジストロフィー、18トリソミーなどで、発症率の高い遺伝病というのは色覚異常、クラインフェルター症候群、白皮症、発達障害などだな。もちろん、これらの他にも多種多様な遺伝病が存在する。だが、先天的遺伝病は発症率の低い疾患よりも発症率の高い疾患のほうが格段に多い。ここまで聞けばわかるだろう? どうして〈発現者〉よりも人食いUMAとやらが世間を賑わせているのか」


 シュナは鼻息を荒げながら無言で頷いた。


「とにかく、そういうわけで〈発現者〉と人食いUMAという新種の生物が地球の生態系に加わることになった。どうだ? これで長年の疑問は解消されたか?」


「まあな、〈発現者〉や人食いUMAの誕生秘話については何となくわかった。けどな、もっと肝心な質問をしていないことに気づいちまったよ」


「回りくどい言い方はよせ。私が知っている情報ならすべて教えてやる」


「じゃあ訊くけどな、その新薬を開発したのはどこの組織なんだ? お前の話を聞いた限りだと製薬会社だってことは理解できた。でも、インドの製薬会社じゃねえよな? 何たってインドの製薬会社は新薬の開発よりもジェネリック医薬品に力を入れてるんだからよ」


 伊達に国内の情報収集に余念のないシュナだ。


 確かにインドの製薬会社は新薬の開発よりもジェネリック医薬品の研究と開発に精力を注いでいる。


 ジェネリック医薬品とは約二十年と言われている特許期間が過ぎた先発医薬品を、他の製薬会社が同じ主成分と効果がありながらも安価に販売できる後発医薬品の別名だ。


 それゆえに優秀な人材を格安の賃金で雇えるインドの製薬会社は、圧倒的なコスト競争力を武器にジェネリック市場に参入。


 先進諸国の製薬会社を次々に買収して有力なジェネリック医薬品を生み出し続けた結果、ジェネリック業界の大手として名を馳せていたイスラエルのテバ社を抜いて現在では業界一位の座に深々と腰を下ろしている。


「どうなんだ? 俺の言ったことは間違っていたか?」


「いいや、おおむね当たっている。新薬を開発したのはインドの製薬会社じゃない。私が聞いたところによると、新薬を開発したのは日本の製薬会社だそうだ」


「極東にある島国が? 俺はてっきりアメリカの製薬会社かと思った」


「私も最初は信じられなかったが、日本の製薬会社が先天的遺伝病の特効薬を開発する過程でジャンクDNAを刺激する新薬を開発してしまったのは真実らしい。何でもその製薬会社は心臓病に利く遺伝子治療薬で財を成し、新薬の種となる新たな候補物質を見つけたことで難病の多い先天的遺伝病に利く特効薬の開発に乗り出したという」


「だけど開発されたのは新人類と怪物を生み出す劇的な新薬だったと」


「こんな副作用がなければ世界でも有数の製薬会社に成長しただろうな。難病に関係なく先天的遺伝病が根治するのは一般人が考えているよりも魅力的だ。それこそ年間で兆を超える売り上げを叩き出してもおかしくない」


 などと会話に花を咲かせていたとき、遠くから近づいてきた眩しい光がムーナとシュナを煌々と照らした。


 インドの国産車であるアンバサダーとは比較にならないほど静かなエンジン音の車から発せられたヘッドライトの光である。


「相変わらず豪勢な車に乗ってやがるな。この前はベンツで今日はBMWかよ」

「金持ちはよほどドイツの車が好きなんだろう」


 二人で皮肉を言い合っていると、光量が落とされたBMWから一人の女性が姿を現した。


 インド人の女性には珍しく明るめに髪を染め、白と黒のストライプ柄のスーツで抜群のプロポーションを包んでいる。


 かつてインドの女性はふくよかなタイプが美人と持てはやされていたものの、ハリウッドに似せたボリウッドと呼ばれる映画産業が国民の心を射止めてからは欧米でも通用するようなスマートで顔立ちの整った女性が美人という概念に移り変わった。


 右手を腰に当てて颯爽と佇んでいる女性はどう見ても後者のタイプだ。


 そして人工的に造られたような美貌や体型もさることながら、ゴールドフレームの眼鏡からも美を強調させるインテリジェンスなオーラが醸し出されていた。


 ムーナは立ち上がるなり、全身から華々しい雰囲気を放出していた女性に言い放つ。


「遅刻とは感心しないな。待ち合わした時間は零時だったはずだぞ」


「たった七分遅れただけじゃない。パートナーだったら多少の遅刻ぐらい大目に見てよ。それとも遅刻の謝罪を聞くためにあなたたちはここにいるのかしら?」


 腹黒い女狐が、とムーナは心中で舌打ちする。


「いいや、私たちは遅刻の謝罪を聞くためにノイダに来たんじゃない。あくまでも計画の打ち合わせをするために来たんだ」


「それはこちらも同じこと。今回の計画にはどうしても十人以上の駒が必要なのよ。絶対に命令を遂行する使い捨ての駒が。その点は抜かりないわよね?」


「私をそこらのチンピラと一緒にするな。必要な駒はすべて用意してある。元武装ゲリラで数は十二人。実力は素人以上プロ未満といったところか。私から見れば素人の寄せ集めのような奴らだが本当の素人よりはマシだろう」


「絶対に命令には従うの? こちらとしては計画の内容を知って逃げ出されたり、情報を他者に漏らされるようなことだけは何としても避けたい」


「そんな心配は無用だ。十二人全員が私の力で〈ワーカー〉にしてある。私が命令しない限りは裏切りや逃走する確率はゼロに近い」


「よくわからないけど、つまり〈発現者〉の力を使ったからOKということ?」


「まだ私の力を信用していないのか? ほんの数日前に力を証明して見せたはずだろう」


 直後、美貌の女性は思い出したように表情を険しくさせた。


「そうそう、その件に関してあなたに問いただしたかったのよ。どうして〈アーツ製薬〉の製薬工場を襲ったの?」


〈アーツ製薬〉の名前はムーナも知っている。


 インドの薬局店にも製品が置かれている日本の製薬会社だ。


 そして数日前にムーナは〈ワーカー〉に仕立てた武装ゲリラと一緒に〈アーツ製薬〉の製薬工場を襲撃していた。


 襲った理由か、とムーナは両腕を緩く組んだ。


「あえて理由を言うのなら日本の製薬工場だったことだな? 私のような〈発現者〉を生み出すきっかけになった新薬は、日本の製薬会社が偶然に生み出したと聞いている。しかし、噂などは伝わるうちに尾ひれがつくもの。もしかすると、その製薬工場では密かに〈発現者〉を生み出した新薬を生産しているのではないかと思ったのだが、残念なことに私の見当違いだったようでな。〈アーツ製薬〉が生産していたのはホルモン剤や一般大衆薬だった」


「そんな理由で〈アーツ製薬〉の製薬工場を襲ったの? ふざけないで! あなたが余計なことを仕出かしたせいで、インドにいる私のような人間がどんなに落胆したことか」


「何だ? お前は病気持ちだったのか? それは悪いことをしたな。お詫びといっては何だが欲しい薬があるのなら手に入れてやろう」


「要らないわよ。そんなことよりも〈ラール・サルバ〉という名前だったかしら? あれには私も社長も驚いたわ。まさか、一介の武装ゲリラが油田施設を襲うなんて」


「お陰でお前たちの仕事が増えてよかったじゃないか」


「勝手なことを……大体、あんなことをしてどう収拾をつけるつもりなの?」


「その心配はいらん。〈ラール・サルバ〉の連中には、突入作戦が始まった段階で始末をつけるよう命じてある。これはあくまでもデモンストレーションだ。ちょうど〈ラール・サルバ〉の連中がタール砂漠の油田施設を襲う計画を立てていたことを風の噂で知ってな。まあ、襲うといってもパイプラインに流れている石油を掠め取る小さな計画だったが……それでついでとばかりに油田施設を占拠させてみようと思い立ったのさ」


「呆れた。デモンストレーションで油田施設を占拠させるなんて狂ってる」


「それがインド全土を震撼させるような計画を立てた奴らの言う台詞か。それに本物の〈発現者〉であることを証明しろと言ったのはお前たちのほうだろう? だから私は足がつきにくいラージャスターン州まで足を運び〈発現者〉であることを証明して見せた。ケチな略奪行為で満足していた小物の武装ゲリラを立派なテロリストに仕立て上げたことでな。そんな私を狂人呼ばわりするとはパートナーにあるまじき言動だぞ。まさか、今回の計画に入れ込みすぎて情緒不安定になっているのか?」


 当たり前よ、と美貌の女性は感情を剥き出しにして叫んだ。


「今回の計画に失敗は許されないの。こっちは命が懸かっているのよ。そこら辺は頭に入れておいてちょうだい」


 美貌の女性がムキになるのもわかる。


 今回の計画が実行不可や未遂に終われば、彼女たちの会社はインドから跡形もなく消え去るだろう。


 そうなれば家族持ちの人間や、一人身でも他の職に就けない人間は確実に路頭に迷うのは火を見るよりも明らかだ。


「安心しろ。私たちを雇ったことで今回の計画は必ず成功する。だから成功した暁には私たちが望むものを用意してもらう。いいな?」


「造作もないわ。職業柄、裏の繋がりはあちこちにある。あなたたちの欲しいものを用意するなんて簡単よ。もちろん、それもすべては計画が成功したらの話だけどね」


 そう言うと美貌の女性はスーツのポケットから小型の機械を取り出し、五メートル以上も離れていたムーナに小型の機械を投げつけた。


 大きく弧を描いて飛んできたipadをムーナは難なくキャッチする。


「計画に必要な情報はその端末に全部入力してある。学校にも通ってないあなたでもipadぐらいイジれるわよね?」


 この言葉に反応したのはシュナだ。


 ゆらりと立ち上がると、懐に忍ばせていた拳銃に手を伸ばそうとした。


 すかさずムーナは「やめろ」とシュナの眼前に右手を突き出す。


「心配には及ばない。学校に通っていなくても、この手の機械操作は得意なんだ。ありがたく使わせてもらおう」


「それを聞いて安心したわ。これで社長も枕を高くして眠れる。じゃあ、私はこれで帰るけど何か質問があるなら受けつけるわよ」


「では、お言葉に甘えて一つだけ質問させてもらおうか」


「何なりと」


 了承を得たことでムーナは今ほどの仕返しとばかりに小悪魔的な微笑を作る。


「あんたのボスはインド陸軍の特殊部隊出身だと聞いているが、それは真っ赤な嘘で実はラージャスターン州を中心に悪事を重ねていた元武装ゲリラというのは本当なのか?」


 次の瞬間、美貌の女性はわなわなと身体を震わせた。


 図星だったのだろうか。


 ムーナの質問を無視した美貌の女性は車内へ乗り込むと、現れたときと同じく静かにノイダから去ってしまった。


「わかりやすいリアクションだったな。あれじゃあ、肯定したのも同じだぜ」


「軍需産業に手を出す輩などそんなものさ。何だかんだ言ってもこの世界は大げさな経歴が物を言うからな。あの女も海外に留学経験があると言っていたが怪しいものだ」


「あんな高飛車な物言いをする女が海外留学経験者なんて嘘に決まってる。何があなたでもipadぐらいイジれるわよね、だ。人を舐めるのもいい加減にしろってんだよ!」


 シュナは苛立ちを抑えきれずに足元に転がっていた石ころを蹴飛ばした。


「落ち着け。いちいち、あんな女の挑発に乗っていたらキリがない。そんなことよりも今は計画を成功させることだけに集中してくれ」


「わかったよ。で? 計画を実行させる場所は?」


 ipadを起動させたムーナは、人差し指の腹で画面を上下左右にスクロールさせながら入力されている情報を確認した。


 しばらくしてムーナは固定した画面をシュナに見せる。


「さすがに切羽詰っているだけあって不手際はなかったようだ」


 シュナは食い入るように画面を覗き込む。


「おいおい、まさかここって……」


「面白い舞台だろう? これで二日後にはインド全土がひっくり返るはずだ」


 ipadの小さな液晶画面には、高級感が漂う十階建ての建造物が表示されていた。


「でもよ、ムーナ。こんな大それた計画を立てて実行しようっていう奴らが、俺たちが望む報酬を大人しく払ってくれると思うか? 俺はそれだけが心配だぜ」


「その点は私も同意見だ。奴らが報酬を素直に払うとは思えない」


 だからこそ、とムーナは自分の左胸を掌で軽く叩いた。


「こうして保険をかけてある。もしも私を裏切れば奴らの会社は終わりだ」


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