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第40話   運命

 舞弥は額に脂汗を浮かばせながら立ち上がると、大の字になって寝転がっていたシュナの元へ慎重な足取りで歩み寄った。


 数発の弾丸を肉体に受けたシュナは虫の息だ。


 浅く短い呼吸を繰り返し、小麦色だった顔は痛ましい蒼白に染まっている。


「さあ、教えもらいましょうか? 緊急用のヘリコプターを奪って侵入してきた人間ってどんな奴なの?」


 舞弥は歯切れの悪い言葉で尋ねた。


 当然である。


 舞弥の左腕にはナイフが突き刺さったままなのだ。


 先ほどから猛獣の牙に貫かれているような激痛が一秒たりともおさまらない。


「そんなことを聞いてどうする?」


 血抱を吐きながらシュナが口を開く。


 本物の医者には到底及ばないが、舞弥も救急医療の技術を学んだ身である。


 もう病院に搬送されてもシュナは助からないだろう。


「悪いけど、あんたの意見は聞いてない」


 舞弥は瀕死のシュナにベレッタの銃口を突きつけた。


「だから正直に答えなさい。もしかすると侵入者って灰色の髪をした、あたしと同じくらいの子供なんじゃないの?」


 シュナは肯定も否定もしなかった。


 ただ舞弥から視線を外し、幾何学模様が彫られた天井を仰ぎ見たのみ。


 それだけで舞弥は確信した。単独でホテルに侵入した人間がユタラだと。


 さすが自分のバディであり弟である。


 ムーナの演説中に送った密かな合図をユタラはテレビ画面越しでも見過ごさなかったのだ。


「とどめは欲しい? 欲しいなら一度だけ頷きなさい」


 どんな医療行為を施してもシュナが助かる見込みはない。


 そう判断した舞弥は命を懸けて闘った者の情けとして、せめてシュナを楽に逝かせてやろうと思ったのだ。


「とどめよりも俺の最後の言葉を聞いていけよ」


 シュナは顔を動かして舞弥と目線を合わせ、唇の端を鋭角に吊り上げた。


「クソ食らえ」


 吐き捨てるように言った直後、シュナは酷薄した笑みを浮かべたまま死を迎えた。


 脈を取らなくとも拡大した瞳孔がシュナの確実な死を示している。


 舞弥はベレッタを下ろし、緊迫した肉体を弛緩させるために盛大な溜息を吐いた。


 それほどシュナの戦闘力は凄まじかった。


 もしもオリビアが予備マガジンを拾う時間を稼いでくれなかったら、立場は逆転していたに違いない。


「オリビア議員、ありがとうございました。あなたの加勢がなかったら今頃は――」


 と、感謝の気持ちを述べながら振り返ったときだ。


 舞弥の視界にオリビアが仰向けの状態で倒れている姿が飛び込んできた。


「オリビア議員!」


 舞弥は左腕から広がる激痛を堪えながらオリビアの元へ駆け寄り、すぐさま密着させた人差し指と中指を頚動脈に当てて脈拍を測った。


 幸いなことに脈は正常だ。


 おそらく、度重なった心労と生まれて初めてアサルトライフルを人間に突きつけたことがきっかけで気を失ったのだろう。


「好都合なのかしらね」


 誰に言うことなく呟いた舞弥は、床にベレッタを置いて呼吸を整えた。


 続いて舞弥はナイフの柄を握るや否や、あらん限りの力を込めて一気に引き抜く。


 舞弥は両目を見開いて声にならない叫びを発した。


 身体中に電流を流し込まれたような激痛が走り、刺し傷からはとめどなく血が溢れてくる。


(早く止血しないと)


 本当ならば傷口を清潔な水で洗浄して糸で縫合することがベストだったのだが、まともな治療を行うことは不可能な状況だったため、仕方なく舞弥はナイフで切った軍服の裾を傷口に巻きつけた。


 血のついたナイフはケースに仕舞い込む。


「これで……ひとまず……大丈夫ね」


 そう自分に言いつけた舞弥は、ベレッタを拾って出入り口の扉へと向かった。一度も振り返らず、開けっ放しだった扉を抜けて肌寒い風が吹いていた通路に躍り出る。


 さて、どこへ向かうべきか。


 ユタラがホテル内に侵入していることはわかったが、肝心の居場所を聞き出す前にシュナは事切れてしまった。


 とりあえず屋上に向かうべきか。などと思った矢先のことである。


 突如、足元から轟音が響いてきた。


 手榴弾や爆発物の衝撃波ではない。


 何か重そうな物体が凄まじいスピードで床に叩きつけられたような音だ。


(まさか……)


 嫌な予感が舞弥の脳裏を過ぎった。


 居ても立ってもいられなくなった舞弥は、左腕を庇うようにして両足を動かす。目指す場所は階下の多目的ホールだ。


 やがて舞弥は記憶を頼りに多目的ホールへと辿り着いた。


 逃げ出す際に爆発させた手榴弾の衝撃波で出入り口は見事に破壊されていた。


 見ようによっては魔物の口にも見える。


 舞弥はごくりと生唾を飲み込み、ぽっかりと開いた穴の横の壁に張りついた。


 半分ほど顔を出してホール内の様子を覗き見る。


「ユタラ!」


 舞弥は目の前の光景を見て大声を上げた。


 嵐が通過したような有様だったホール内の一角に、爬虫類のような硬質化した肌に灰色の髪をした人型の物体がうつ伏せになっていた。


 背中からはワニを彷彿させるような先端に向かうほど鋭く尖っていた尻尾が見える。


 遠目からでもすぐにわかった。あれは完全変態したユタラだ。


 舞弥は足早にユタラへと近づくと、うつ伏せになっていたユタラに声をかけた。


「ユタラ! ねえ、ユタラってば! 意識があるのなら返事してよ!」


「う、うう~ん……ま、舞弥?」


 うつ伏せだったユタラの顔が動き、今にも消え入りそうな声で自分の名前を呼んだ。


 舞弥はベレッタを落としてユタラの身体を激しく揺さ振った。


 右手の掌からは爬虫類の肌を触ったときのような、ゴリゴリとした感触と発達した筋肉の堅さが伝わってくる。


「そんなに心配しなくても大丈夫だよ……ちょっと、身体を強く打っただけだから」


 はっきりとした返事が聞こえたとき、完全変態していたユタラの肉体に変化が起こった。


 背中から生え出ていた尻尾が見る見るうちに縮んでいき、硬質化していた肌も次第に本来の小麦色の肌に戻っていったのだ。


 完全変態が解けた証である。


 完全に人間の姿に戻ったユタラは、仰向けになって上半身をゆっくりと起こす。


「本当に? 本当に大丈夫なの?」


「本当だよ。全身打撲だけど骨には異常はない。内臓はわからないけどね」


「よかった。あんたが無事で本当によかった」


「それはこっちの台詞だよ、舞弥。それにその格好はどうしたの?」


「うるさいわね。ただのイメチェンよ」


 舞弥は好意のこもった悪態をつきながら、ユタラに肩を貸して立ち上がらせる。


 日頃から鍛えに鍛え抜いているユタラでも完全変態したあとの疲労感は一入なのだろう。


 舞弥は腕から伝わってくる感じでユタラが満身創痍の状態だと見抜いた。


「とりあえず互いの無事を確認できたんだから、すぐにここから脱出しよう。僕の勘だとそろそろ警察か軍の特殊部隊が踏み込んでくるはずだから」


「そうね。でも、ちょっと待って。その前に確かめたいことがあるの」


 そう言うと舞弥は数メートル先に横たわっていた物体へ視線を投げた。


 ユタラも舞弥が見つめた視線の先に顔を向ける。


 そこには胸部に赤い花を咲かせた全裸の少女が仰向けに倒れていた。


「ムーナ、生きてる?」


 おそるおそる問いかけると、虫の息だったにもかかわらずムーナは唇を歪ませた。


「かろうじて生きている。だが、シュナのいない世界で生きていくつもりはない。だから私もシュナのあとを追わせてくれ。ちょうど、お前の右手には銃があるみたいだしな」


 そこまでシュナを慕っていたのか。改めて舞弥は身を詰まされる思いがした。


「わかった。そこまで言うならあたしがとどめを刺してあげる。どのみち、その怪我じゃ長くは持たないでしょうから」


 ただし、と舞弥は片膝をついて青ざめているムーナを見下ろす。


「その前に訊かせてちょうだい。あなたはあたしのパパの仇を知っているって言ったわね。それって結局はあたしを勧誘するための嘘だったの?」


「そうだと言ったら?」


「とどめを刺さずに放置するだけよ。最後の最後まで苦しんで死になさい」


 舞弥の本気が伝わったのだろう。ムーナは血泡を吐きながら笑い声を上げた。


「いいだろう。この際だから正直に話してやる。私はお前が探している仇とやらの正確な情報は持っていない。ただ、仇かもしれない奴の情報なら持っている」


「それは誰! 誰なの!」


 ムーナは口内に溜まっていた血を大量に吐き出した。


「耳を貸せ。お前だけに教えてやる」


 舞弥は右耳をムーナの口元に近づけた。


 ついに九年越しに自分の悲願が達成するかもしれないと心を躍らせたのも束の間、ムーナの口から紡がれた言葉は驚くほど簡潔だった。


「クソ食らえ」


 想像の斜め上の返事に舞弥が顔を上げると、慌てふためいた舞弥を見て満足したのかムーナは自害した。


 全身を小刻みに震わせた直後にぴたりと動かなくなる。


 このとき舞弥はムーナの口元から漂ってきたアーモンド臭に素早く反応。


 ガスを吸い込まないようムーナから颯爽と離れた。


「どうしたの? 舞弥」


「どうしたもこうしたもない。青酸カリよ。危うくガスを吸い込みそうになったわ」


「青酸カリって……そんなものを一体どこで手に入れたんだよ」


 確かに不思議だった。


 爆弾と違って青酸カリなどの毒薬は入手しにくい。


 危険な薬品を扱う会社でも気軽に持ち運べないよう厳重に保管されているほどだ。


 そして、これらの情報は製薬に携わる人間ならば誰でも知っている。


「なるほど、そうだったのか」


 疑問符を浮かべていた舞弥の耳にユタラの快活な声が聞こえてきた。


「何がそうだったのよ」


「〈アーツ製薬〉の製薬工場を襲ったUMAは彼女のことだったんだよ。〈発現者〉の彼女は製薬工場を襲ったとき、きっと青酸カリを奪っていたんだ」


「じゃあ、やっぱりムーナは〈発現者〉だったの?」


「うん、僕と同じ〈発現者〉だったよ」


 舞弥はユタラと一緒にムーナの遺体へ近づいていく。


「彼女は飛翔能力に優れたスズメバチの能力を持つ〈発現者〉だった。生物タイプが恐竜の僕とは最も相性の悪い相手だ。お陰で倒すのに苦労したよ。とてもじゃないけど、彼女の土俵で闘っていたら勝負にならなかった」


 だから、とユタラは呟くように声を漏らす。


「強引に僕の土俵に上げて何とか勝ちを拾えたんだ。上地流空手には爪先を固めて攻撃する足先蹴りという技が伝わっていてね、普通の人間でも高段者になれば木製バットをへし折るほどの威力が手に入る。僕はその足先蹴りを完全変態した状態で放ったのさ。そうじゃなかったら僕は今頃あの世逝きだったよ」


〈発現者〉同士の死闘がどれほど恐ろしいかはホール内を見渡せば嫌でも理解できる。


 亀裂や凹みができていた床に散乱しているパイプ椅子。


 よく見れば血痕もあちこちに確認できた。


「それで? 舞弥は何を確かめたいの?」


「ああ、それはもういいのよ。肝心のムーナが死んでしまった以上、これで完全にパパの仇に繋がる情報は……」


 不意に舞弥は全裸だったムーナの胸部に目が釘づけになった。


 左乳房の数センチ上にあった小さな縫合痕が破れ、人体には相応しくない鉛色の何かが傷口から顔を覗かせていたのだ。


 その場所は舞弥にも見覚えがあった。


 ムーナがシュナと何やら話し合っていた際、不適な笑みを浮かべて叩いていた場所だ。


 舞弥はナイフ・ケースからナイフを抜き、縫合痕をなぞるように切っていく。


 すると傷口からは縦横三センチほどの金属板が出てきた。


 舞弥は傷口に人差し指と親指を突っ込んで金属製のケースを取り出す。


「何それ? 金属板?」


「ううん、ただの金属板じゃない。ケースになっていて何か入ってる」


 そして舞弥がケースを開けようとしたときだ。


「舞弥、これ見てよ」


 ユタラがムーナの裸体に人差し指を突きつけた。


 それも股間の部位にである。


 男ならば異性の大事な部分に目を奪われるのはわかるのだが、ユタラが性に関する興味本位のために指したのではないことは、ムーナの股間に視線を固定させた舞弥も理解した。


「なるほど……彼女はそういう理由で〈発現者〉としての素養があったのね」


 思い返してみると、ムーナの男勝りな言動や態度には違和感を覚えていた。


 どうしてなのか最後まで訊くことはできなかったが、こうした理由だったのならば少しは納得できた。


「彼女も〈青い薔薇〉に拾われれば違った人生を歩んでいたかもね」


 ユタラは両手を合わせてムーナに黙祷を捧げた。


 一方の舞弥は金属製のケースをズボンのポケットに仕舞い込んで吐息する。


「殺した相手の心配をするのはお門違いでしょう。それに大事なことは死んだ人間のことよりも生きている人間のこと。はい、そこでユタラ君に質問です。現時点であたしたちがしなければいけない最優先事項は何でしょう?」


「このホテルから脱出すること?」


「わかっているじゃない」


「でも、僕たちがホテルから脱出するのは難しいだろうね。何たって僕は救急隊員を叩きのめして緊急用のヘリコプターを奪った強盗犯。舞弥に限ってはテロリストたちと行動をともにしていた身なんだ。警察に自首しても釈放してくれる可能性はほとんどないよ」


「それに関してはいい考えがある。上手くいくかどうかは五分五分だけどね」


「五十パーセントもあるなら作戦としては上出来だよ」


「決まりね。じゃあ、話すわよ。あたしたちがホテルから脱出する手段を」


 舞弥はユタラの耳元に唇を近づけ、起死回生の脱出策を囁くように告げた。



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