目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第一章 08話 『決意』

 ズンコが死んだ日の日記は、書くのがつらかった。書いてしまったらズンコの死が確定してしまいそうで。しまいそうも何も、もう死んでしまったんだけど。

 でも日記を書かなければ、1ヵ月後にウチ等はズン子が死んだ事を忘れる。適当な理由を書いて、店を辞めたことにして、ズンコからかけてもらった優しい言葉だけを日記に書いて。「今頃この日記に出てくるズンコってヤツ、どうしてるかなー」なんてアルビと二人で言って。

 悲しい現実から目を背け、ウソの情報を日記に書けば、ウチ等の記憶は操作できる。あの痛ましい事件を忘れる事も出来たんだ。でも……



 “ズンコの脳が腐敗しきり、天に昇った”



 今日、日記にこう書いた。ズンコが死んだ事はちゃんと日記に書いた。だからこそ、昇葬の終わりもしっかりと書かないと。


 土に帰ったズンコの脳。煙突の上に座りながら見下ろす町並みは1カ月前に比べ活気を取り戻しつつあった。

 風や虫から脳を守るために貼っていた稼働魔力のバリアを解除する。吹き込んだ風がズンコの土を運んで、天へ……



「よかったのか?」


 隣に座るエムジが聞いてくる。風に揺れる髪が、彼の表情をより寂しそうに感じさせた。



「ズンコに失礼な気がして……」


 正直苦しいし、日記を読むたびに胸が張り裂けそうになる。でも、書いておいてよかったと思う。

 だってもう、明日には、ズンコの事は覚えてないから。ズンコが亡くなって今日で丁度30日。明日にはズンコの声も、姿も、かけてくれた優しい言葉も、全部ただの情報になってしまう。ウチとアルビは、30日分の記憶しか保持できない。だからその前に、悲しい気持ちと暖かい気持ちが残ってる内に、全部書いておきたかった。

 明日になったら、もしかしたらウチ等はズンコに対しての感情まで、無くしてしまうかもしれないから……。



「何でこんな時間かかる方法を手伝ってくれたんだ?」


 ウチは話題を変えようと、素直に疑問だった質問をぶつける。エムジはウチに戦争の手伝いをしてほしいと言ってた。いや、一緒に来ないかと言われただけだから違うかもしれないが、たぶんそういう事だろう。

 この1ヶ月の間にも、各地で戦闘は起きている。ウチ等の街と同じ様な状況も多数ニュースで知った。


 動かなくてよかったのだろうか。その間。ここで一緒にズンコを見て、エムジは何で。



「重なったから。俺と」


 何が、とは聞かなくてもだいたい分かった。そうか。だからウチ等にあんなに優しく……



「俺も親しい人を亡くしてるから……。その人は、グーバニアンに脳を取られて……昇葬のしようもなくて……」

「いいよ。話さなくて。ありがとう」


 ウチはエムジの話を遮る。そんな顔、見てられないよ。多分ウチも同じ顔をしてるんだろう。



「ああ、エムジが話した方が楽になるならいくらでも話してくれていいから! ちゃんと聞くから、ウチ」

「いや、いい。ただ、いつか頼むかもしれない。サンキューな」


 エムジは目を背け、少し照れたような表情をする。あ、その顔可愛い。



「青臭い理由だろ? 愛が踏みにじられない世界を作るとか言っておいて、目の前の悲しい事件からは目を背けられない。アンタ等の事なんか無視して、さっさと戦場に行った方がいいんだけどな。本当は」

「でもそのおかげで、ウチ等は助かったよ。ありがとう」


 アルビもお礼を言っている。ウチも本当に助かったと思う。


 しかし、今エムジが言った言葉には疑問が多々残る。本当か? 今の話は。そもそも個人の感情論は置いておいて、軍人てのはそんなに自由行動できる職業なのか? ウチが記憶喪失になった際の服装も変だったし、そんなもんなのか?


 ウチは記憶も無いし脳の照会もできないから、多分死亡兵か脱走兵みたいな扱いになってるんだろう。でもエムジはバリバリの現役のはずだ。軍の連結脳サーバーにもアクセスしてたし。それが個人の感情だけで1ヶ月も意味もなく同じ街に滞在出来るのか?

 感情にしたって疑問は残る。自分と重ねたのは事実だろう。先ほどのエムジの表情は鬼気迫るものがあった。大切な人を亡くしたんだろう。だからウチ等に同情を。

 でもなら、葬儀のやり方だけ教えて自分は復讐に奔走した方が良いのではないか。ウチならたぶんそうする。ウチ等と1ヶ月も一緒にいる事のメリットが無さすぎる。


 ウチはエムジが言った言葉を思い出していた。



『あんた俺とあった事ないか?』



 エムジは確かにあの時、こう言った。ウチが憶えている最古のズンコの店での会話だ。ウチに何かあるのだろうか。

 その上ウチのエムジに対する好感度も異常だ。出会ってからのこの1ヶ月、エムジは良い人であり続けたから、好感度が上がるのはまぁ普通だ。でもウチは、初対面から大好きだった。ウチはこっちが一方的に知っていて、ウチの無くした記憶に関わる人物だと思っていたが……



(双方に何かある、関係なのかもな)


 実は恋人でした。とかだったら嬉しいなと思う。ウチのピンク色の脳みそは隙をつくとそんな思考ばかりを挟み込んでくる。



(そういえばあの日ウチ、エムジに性器見られたんだよな)


 股間の奥がうずく。このどうでもいい幸せな記憶とも、明日でおさらばだ。

 大切な、本当に大切なズンコとの記憶と共に。



「そろそろ宿に帰ろうか」


 返事も待たずに煙突から飛び降りるウチ。元が軍人だったからか、重力を殺して無事に着地するのも容易だ。エムジも続いて飛び降りてくる。



「じゃあね、ズンコ」


 脳を置いていた煙突を見上げ、別れを告げる。本当に、これで本当にお別れ。明日にはウチは、あなたを忘れてしまうから。

 馬鹿みたいに綺麗な夕日がズンコの店を照らしていた。



 その日は寝るのが怖かった。寝なくても結局ウチの記憶は消えてしまうのだけど、それでも、少しでも抵抗したかった。少しでも長くズンコを覚えていたかった。



   *  *  *   



 朝。ウチはズンコの事を覚えてなかった。情報としては知っている。日記は昨日も書いたし、昨日は特に念入りに読んだから。

 でもズンコの顔も、声も、ウザイウザイと書いていた絡み方も、独特と書いていたイントネーションも、全て覚えてない。かけてもらった、心温まる優しい言葉も覚えてない。ズンコが死んでからの、昇葬の過程も、何もかもを覚えていなかった。覚えてるのは煙突に乗っかってるズンコの腐りゆく脳だけ。



 でも、でも、ウチはズンコが大好きだった。この想いは、消えてなかった。姿も声も思い出せない。でも、ズンコへの想いは忘れて無かった。

 ウチはその場に崩れ去り、大声で泣いた。どうしたんだとエムジが部屋に入ってくる。下半身裸で寝てたからまた股間を見られたな。そんな事、今はどうでもいい。嬉しいとも思えない。


 アルビを見ると、完全に沈黙していた。思念魔力によるホログラムも出ていない。たぶんウチと同じで泣いているんだろう。涙腺もないし、声帯もないから、感情が高ぶると黙り込むしかないのだ。



「ウチ、忘れて無かった」

「……ズンコの事か」

「姿は忘れた。声も忘れた。あの日の出来事は全部、情報だけになってしまった。でもウチは、ズンコへの想いは忘れて無かったよ……」


 よかった。 


 涙が止まらない。ウチはこれからも、ズンコを想ってあげることが出来る。

 ズンコの親族の話は聞いたことが無かった。国に死亡届を出そうとしたけど、戦時中で死者が多く、登録だけは出来たが親族を探す事は出来なかった。

 友達がいないと言っていたし、その死を悲しむ人は恐らく少ないのだろう。もしかしたらウチ等だけかもしれない。

 だから、ウチ等がこの想いを覚えていれば、天国にいるはずのズンコに届く。ズンコを想ってあげられる存在が、現世にちゃんといる。そのことが、たまらなく嬉しかった。

 この悲しみが、心の開いた穴が、ズンコがいた証明になる。



 ……ザザ……ザザザ



 ふいに脳内に映像が映し出された。これは思念魔力による記憶の転送か? どこかの店の入り口から、店内を見渡す映像だ。背を向けたウチとアルビがいるから、第三者が記憶した映像なんだろう。


 その中に、全て機械で出来たイントネーションの変なサイボーグがいた。そのサイボーグが──



『ワタシ、シーエちゃんとアルビちゃんが死んじゃったらイヤだからネ』


『アナタ達は1ヶ月しか覚えてないらしいけド、ワタシはもう一緒に3年も働いてるのヨ。このお店ってなぜかバイト雇ってもすぐ辞めちゃウし、一緒に話してくれるのは嬉しいのヨ』


『女子3人だしね。女子会みたいで楽しいヨ!』



 これ以上涙は出ないと思っていたのに、ウチの中にはまだこんなに水分が残っていたのか。もう視界がゆがんで何が何だかわからない。

 ズンコがいた。映像の中に。これがズンコだと確信できる。姿も、声も、あの優しい言葉も、全部全部、本物のズンコだ。

 ウチが感動と混乱でぐちゃぐちゃになってると、エムジが寂しそうな笑みを浮かべながら語りだした。



「感情ごと忘れちまったのならほっとこうと思ってたけどな。その方が幸せだし。でもそうじゃなかったみたいだから、俺の覚えている記憶を思念魔力で二人に飛ばしたんだ。その様子を見ると……送ってよかったみたいだな」


「あり、が、とう。本当に、ありがとう……」


 ウチはエムジに抱き着いていた。エムジは黙って、それを受け入れてくれた。

 エムジと一緒にいればズンコを忘れなくてすむ。ズンコの事を、ずっと覚えていられる。

良かった。本当に良かった。



   *  *  *   



「で、結局俺と一緒に来てくれるのか?」

「そりゃもちろん。ウチとしては感謝しかないしね。ウチの記憶の手掛かりも手に入るかもしれないし、断る理由が無い。むしろ、これから宜しくな! エムジ。アルビもそれでいいか?」

「もちろん。ボクだってこれだけしてもらって、断るとかないでしょ」


 日記に書いてあったが、施設周辺が爆破された日、アルビはエムジに同行することに反対していたはずだ。その理由はズンコの件があって聞きそびれたが、アルビも今回の件でエムジに恩がある。今回は断られずに素直に話がまとまった。


「ならウチらはまず、ソマージュ付近まで飛んでる飛行機に乗ることを目指そう。連結脳サーバーで検索したところ、ここからソコソコの場所にあるキャド空港が一番近いみたいだ」

「俺はまぁまぁ金もってるし、シーエ達もズンコから受け継いだ財産があるだろ。旅費はしばらく困らない。あとは敵兵から奪った脳を培養液で保存して、有事の際の戦闘に備えるくらいだな」


 そう。ズンコは遺書を書いており、そこには自分が死んだ場合にはその財産をウチとアルビに譲ると記載されていた。

 ズンコの店は儲かってたみたいで、今ウチ等には有り余る資金がある。敵兵の脳を保存する培養液も、問題無くストック出来る。



(何から何まで、ズンコにはお世話になりっぱなしだったな)



 遺書の最後には、幸せになれと書いてあった。自分はシーエちゃんとアルビちゃんに幸せを貰ったから、あなたたちも幸せに。と。


 なってやろうじゃないか。幸せに。心から笑える日が来るかはわからないけど、戦争を終わらせる手助けをして。少しでも多くの命を救おう。そうすれば悲しむ人が減って、ウチも少しは幸せになれるはずだ。


 これからウチ等が向かうソマージュ地方は、ウチの記憶の手掛かりがあるだけではない。国内有数の、最前線に近い地域だと聞く。



 殺しまくってやる。グーバニアン共を。

 そのための決意は、もう固まった。





---------------------------------------------




■一章あとがき



 この物語を作ろうと思ったきっかけは、自分の経験です。一章も終わったこのタイミングで、折角だから吐き出させて下さい。誰かに聞いてほしくて。



 5年間、一緒に暮らした文鳥がある朝亡くなってました。ほぺまるっていう、可愛い文鳥です。

 とてもよくなついてくれていて、呼べば返事してくれて、帰宅するとチュンチュン可愛い声で出迎えてくれて。出かけると慌てたように鳥かごの中でバサバサと抵抗して、かごを開けるとすぐ出てきて。帰そうとするとソフトに抵抗してきて、背中を撫でると凄くリラックスしてくれて。


 いつもそばにいてくれて、寿命が短いのは知ってたけど、なんとなく自分はずっとほぺと一緒に暮らしていくような気がしてた。そんなことはあり得ないんだけど。

 でも文鳥の平均寿命は7年だったので、まだ大丈夫だろうと油断してた。「また明日ね」って言って鳥かごにお布団をかけて、いつもの様に寝かして。その後鳥かごの前を通ったら、気配を察したのか「チュン」て一言発してくれました。それが、最後に聞いたほぺの声になった。


 明日が来ないなんて思わなかった。その日もいつも通り自分は起きて、ほぺのお布団をどかして。そしたらほぺが動かなくなってた。大切な、大好きなほぺが、動かなくなってた。

 自分はめんどくさがりで、たまにほぺをお風呂に入れてあげなかった。あんなにほぺはお風呂が好きだったのに。亡くなる前日、俺はよりにもよってお風呂をさぼってしまった。仕事も忙しく、あまり遊んであげられなかった。あれがほぺの最後の1日だったのに。もう二度と、ほぺをお風呂に入れてあげることは出来ないのに。


 ごめんね。ごめんねほぺ。


 「これは悪い夢じゃないか」シーエがズンコの死に対して思っていた言葉は、全部自分の言葉です。人物を置き換えただけです。ほぺを、ズンコに。

 この夢が覚めて、そしたら俺は急いでほぺの籠に行って、ほぺと遊ぶんだと。きのうお風呂に入れてあげられなかったから、さっそく入れてあげよう。普段はカロリーを気にしてあまり食べさせてあげられなかったカナリーシードも今日はちょっと多く食べさせてあげよう。いつもより長く手に乗せて、ほぺは嬉しそうに手の中でモフっとお団子になって。ずっと一緒にいようねって、いつもの様に話しかけて…。


 亡くなってもう8年になります。でも自分の心は一向に晴れず、毎日後悔ばかりしてます。新しい文鳥との出会いもありました。仕事も充実しました。でも胸に開いた穴は一向に埋まりません。

 後悔ばかりしてたらほぺが悲しむかもしれない。そう思って前向きに生きようと決意して、でも次の日にはまたボロボロ泣いて、でもやっぱり頑張らなきゃと思って…。その繰り返し。

 せめて前日にもっとしっかり遊んであげられたら、せめてもっと健康に意識をもって平均寿命まで生かしてあげられたら、この気持ちは軽くなってたのでしょうか。


 あたらしく出会った文鳥、ドリにはほぺにしてあげられなかった事を全てしてあげてます。毎日沢山遊んで、しっかりお風呂に入れて、健康にも前以上に意識をもって健康診断連れて行ったり、寝かせる時間守ったり、温度管理しっかりしたり。

 でも、ドリを大事にすればするほど、何でこれをほぺにしてあげられなかったんだろうという思いが強くなる一方です。どれだけドリを大事にしても、それはほぺを大事にしてあげたことにはならない。もう二度と、ほぺを大事にしてあげる機会は訪れない。

 ドリの事はほぺと同じくらい大好き。だからドリに関してはいつか旅立ってしまっても後悔は少ないんでしょうが、ほぺへの後悔は増えるばかりです。


 たかがペットに大げさなって思う方もいるかもしれません。でもペットを飼ったことがあって、愛し合ったことがある方なら分かってくれると思います。

 大事な人を亡くした方は、自分なんかよりもっとつらいんだと思います。まだ自分は、幸いその経験が無いですけど…。


 天国が、あってほしい。あの世が存在していて欲しい。死んだ命たちが、天国で幸せに暮らしていて欲しい。

 自分の精神状態はペットロスというものらしく、それについて調べていたら虹の橋という神話を見つけました。どの宗教も関係無く、生前人間と仲の良かった生き物は亡くなってからそこで待っていて、飼い主の死後再会できると。天国の手前にある橋で、一緒に天国へ渡っていくのだと。

 有ってほしいと、思う。今はそこでほぺに会うために、胸の張れる人生を送ろうと思ってる。ほぺに会うために、死ぬためにしっかり生きてる。

 でも、本当に虹の橋がある証拠は無くて。誰もそれを証明できなくて。ただあるはずだと、無理やり信じる事しかできなくて。



 この物語は、そんな思いをぶつけて書きました。シーエ達のたどり着く先、その結末を見てくれたら幸いです。

 たぶん、一部の人には劇的な共感を、多数の人には批判を。そんな結末をお届けします。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?