コンソメ出汁の良い匂いが鼻をくすぐる。もうそろそろ、朝食も完成しそうだ。
「ふんふんふん~♪」
ウチは裸エプロンでキッチンに立ち、鼻歌を歌いながら、最愛の夫と娘への朝食、そしてスペシャルなお弁当を作成中だ。そう! なんてったって今日は久しぶりの家族水入らず。ピクニックの日だ。──あ、娘って言うと怒られるのか。
しかし亜瑠美、ウチだけ「
食事の準備に戻ろう。お弁当には暖かいものは持って行きにくいので、サンドイッチ等の冷めても美味しいもので彩る。熱を加えた食事は朝たっぷり食べて、昼は景色を見ながらの軽い食事にしよう。
コトコトコト……
鍋の中で煮込まれたスープが良い匂いを醸し出す。数年前に家族旅行でマキナヴィスへ行った際、買って帰った加熱器が良い仕事をしている。黒光りする鉄の塊から、炎が噴き出す様は見ていてカッコイイ。
全体的に木で出来た我が家の中、キッチン周りだけ重々しい鋼で囲まれている空間は違和感があるが、意外とウチはこのアンバランス感を気に入っている。
ウチの住まう国【グーバスクロ】は長い間、宗教上の理由から自然界にある有機物をメインとした物質しか、生活で使用していなかった。具体的には木がメインだな。石ですら「有機物でない」という理由で昔はあまり使用しなかったらしい。明らかに火事に弱いので最近は石の建築物も増えているが。
そういった背景があるため、マキナヴィス人が使用するこのような機械の類は、長らく導入されて来なかった。
しかしここ十数年、マキナヴィスが開発した蒸気機関という物凄い発明により、その便利さに惹かれ我が国も庶民の間にはジワジワと機械が流行り始めている。
古い世代の人間には受けが悪いが、若い世代であるウチらはとにかくその利便性に飛びついた。だって便利じゃん。体力も魔力も使わずに、石炭と水入れておくだけで勝手に動くとか、ずるいだろソレ。
ウチは学生時代から結構理系寄りの思考回路で、こういった技術に興味津々だった。その上見た目もカッコイイ。マキナヴィスへ旅行へ行ったときは、亜瑠美以上にウチの方がはしゃいだくらいだ。
これらの機械、庶民以外にも国の重要機関にも使われ始めているかな? 特に医療関連には多くの機械が導入されている気がする。元々グーバスクロは世界一の医療大国だったが、その技術進歩に拍車をかけているみたいだ。昔ウチの性癖を開発してくれた医者からその辺の情報を色々聞いた。
その医者、バニ様とは最近はあまり連絡は取ってない。ウチと夫が結婚する前はよく一緒に遊んだものだが、ウチが結婚して夫の実家の近くに引っ越したのが原因で若干疎遠だ。
いうて連絡付く年には何度か思念で通信してるが、ヤツも新しい患者の性癖開発に忙しいから、開発され切ったウチらとばかり遊んでもいられないのだろう。……マジ何でアイツ捕まらないの??
バニ様はウチらを開発していた時から、1年単位で姿を消していた。病院にいるのは1年で、その後1年は音信不通になる。翌年になれば帰ってくるが、また1年後音信不通になっていた。何してるんだアイツ?
変態の医者は置いておいて。技術提供のお礼にグーバスクロからマキナヴィスへ、機械技術を交えた上での肉体再生の医療技術を教えたらしいが……反応は微妙だったそうだ。
向こうの国民は怪我するたびに体を機械に変えていくらしく、あまり浸透しなかったとの事。文化の違いって面白いなと思う。機械の体になりたいかと言われたら微妙なところだが、マキニトと呼ばれる向こうの宗教に則った脳以外を機械に改造した人々には、正直目を奪われたものだ。素直にカッコイイ。
ただ、技術提供も無意味という訳ではなかったらしい。医療技術はマキナヴィスに必要な部分だけ吸収され、向こうの人達も出生率や平均寿命は上がったみたいだ。両国の技術は相乗効果で人類の役に立っている。
不慮の事故で死ぬ人も減っているらしい。昔なら無理だった怪我も、助けることが出来る様になった。取り残される人が減る。それだけで技術の進歩は素晴らしいものだと実感できる。
(ナトくん……)
頭についたフナムシの髪飾りを撫でる。冷たく、硬い感触が帰ってくる。頭から外し、手に乗せても、動く事は無い。尖った足の造形が、手に刺さり痛い。
ほんのり暖かく、柔らかく、チョコチョコ動き回っていた最愛の
ナトくんが天に昇ったのはもう20年以上前だ。なのに、今でもたまに涙が出る。ペット一匹でこれなのだ。それが人間だった場合、その悲しみはどれほどのものか。
「ナトくんも、一緒にピクニック行こうね」
ウチは髪飾りに話しかける。届いてるといいな。ウチの声が。天国で、ナトくんが待ってくれてると良いな。ウチが寿命を全うした際は、また会えるかな。
ナトくんに、ウチの家族を紹介したいな。ナトくんは人懐っこかったから、たぶん夫や亜瑠美にも懐いてくれるだろう。
「大丈夫だよナトくん。キミがいなくなってしばらくは沈んでたけど、ウチは今幸せに生きてる。空から、見ててね」
木製の天井に向かってつぶやく。空は見えないけど、伝わってると良いなと思って。
さあ、気分を切り替えよう。楽しい一日の始まりだ。家族を起こしに行かねば。
* * *
「まずは亜瑠美の下半身チェックからかな!」
下半身チェック。これは毎週一回ウチが勝手にやっている亜瑠美へのセクハラだ。寝てる間にパジャマを脱がし、陰毛の生え具合を確認する。
亜瑠美はどういう訳か胸の発育は良いが、中々陰毛が生えてこない。いつ生えるかと楽しみにしつつ、露出仲間に勝手にイメージを共有している。もちろんこのことは亜瑠美に伝えている。ウチが露出に目覚めたのも同じ様な歳だった。亜瑠美も嫌々言いながらも内心では喜んでいっぽい。流石ウチと
「お、おお!!」
陰毛が一本生えている!! これは感動だ! 早速連結脳サーバーを介して露出仲間にイメージを送信しよう。さっき考えてた変態医者、バニ様にも送ってやろう。
「うわあああ! 詩絵美ぃぃぃぃぃ!! この! またボクのパジャマ勝手に脱がして!!」
ウチがテンション上げすぎたせいか、亜瑠美が起きて暴れ出す。
「まかせろ! 既に仲間に送っておいた!! 沢山の人が見てるぞ!」
「ぎゃあああ!!」
「亜瑠美のクラスメートにも送っとく?」
「絶対やめて!!」
顔を真っ赤にして涙目になってるが、喜んでるなこれ。本気で凹んでる訳ではない。ウチには解る。その内マジで送ってみようか。
「何ニヤニヤしてんのさ!!」
「ぐほぉ!?」
めっちゃ殴られた。グーで。真正面からやられたから鼻血が出る。興奮して出た訳じゃないよ!? マジで鼻潰されて血が出ただけだよ!?
「こらこら、お母さんを殴っちゃダメでしょ」
夫の英雄も起きて、ウチを労わってくれる。おお。それでこそ夫婦よのぅ。
「コレは母親ではない!」
コレ扱いされた。母親どころか人ですらないのかウチは。
「うう酷い。ウチは亜瑠美の母だというのに。ウチの股間からアルビはこんにちわしたというのに」
「そういう事言うなぁぁ!! お父さんも大概だけど、詩絵美ほどではない! お父さんはボクにセクハラはしてこないし。でもボクの見えるところでその……セック……ああもう! あれやめて!」
「見られるから良いんじゃない」
「僕は娘に見られても興奮はしないなぁ」
「だったらお父さんも詩絵美を止めて! ボクが嫌なの!!」
我が家の朝は通常通りだった。三人揃う日の朝は、だいたいこんな感じでやかましい。そんなやかましい朝も久しぶりで、ウチはほっこりする。
「しかし、亜瑠美ちゃんもついに生えて来たかー」
「何でお父さんも知ってるの!?」
「そりゃ英雄はウチの露出仲間ですし……ウチが作ったチャンネル入ってますし」
連結脳サーバーの中には自由にチャンネルを作ることが出来、コミュニティが形成できる。広い大陸や、場合によっては海を越えて異国の地まで、ネットを通じて連絡が取れる。
ウチが作ったのは露出好きが集まって、自らの痴態を晒しまくるチャンネルだ。似た様なチャンネルは沢山あったが、とりあえずウチが実際の知り合い同士で立ち上げたこのチャンネルも、今や数十人が参加する中規模な物へと成長した。
自らの見て欲しい欲望も満たせるし、人の見て貰いたい欲望を満たしてあげる助けも出来る。おおなんと心温まるチャンネルな事よ。
「お! 良い匂いがするね。今日の朝食は何かな?」
夫の英雄が早速朝食に匂いに反応する。彼には近親相姦の性癖は無いので、娘の陰毛にはさほど食いつかない。いやそれが普通か? 別にウチも亜瑠美と組んずほぐれずしたいわけじゃないしな。ただからかいたいのと、折角だから露出の快楽を教えてあげたいだけだ。
「昼は冷たいご飯になるからね。腕に寄りをかけて、温かいスープに焼き立てのパン、あとは目玉焼きとサラダと紅茶。わりかし見た目は普通だけど、味には自身のあるメニューとなっております」
特に野菜や肉で具沢山のコンソメスープは、寝起きのお腹に優しく吸収されて行く事だろう。野菜も肉も味がしみ込み、柔らかくなるまで煮た。きのうの夜から下準備していた甲斐があるというものだ。
実は今日のピクニックを一番楽しみにしてるのはウチかもしれない。
夫は最近昇進し、忙しくなった。お給料が上がるのは良い事だが、その分家にいる時間は減ってしまった。土日も家に帰らず忙しく仕事をしてるケースが多い。人々の安全を守る警察なんだもの、しょうがないとは思ってるけどさ。
ウチには最初、俄かには信じられなかったが、夫は正義感の強い男だったのだ。ウチの露出を法的権力使って隠蔽しておいてマジで!? って思ったが、どうも犯罪が許せないのではなく、人が悲しむのが許せないのだそうだ。露出して悲しむ人はいないでしょ? ってのが夫の理論。……不快に思う人はいると思うが……それは彼的には良いのだろう。自身の善悪を基準に動くってのも良くは無いと思うが、ウチがその恩恵にあやかってるの事実なので詳しくは突っ込めない。
夫、英雄は幼いころ、両親を亡くしている。殺人によって。
特に意味の無い、動機の弱い、衝動的な殺人だったそうだ。社会に対しての不満がどうとか、誰でもいいから殺したかったとか、そんな下らない理由で、たまたま町中に外出していた英雄の両親は、刺された。
犯人は捕まったものの、それで英雄の心が救われる訳ではない。その事件がきっかけで、悪を憎み、悲しみを減らしたいと願う様になった英雄は、警察官になったのだ。現在も昇進はしているものの、その分自由に動ける範囲も増えたらしく、現場で、可哀想な遺族の為に日々働いている。
ウチも、ナトくんの件もあり、取り残される人の悲しみは知ってるつもりだ。両親も他界してるし。ペット程度で何言ってるんだって話だが、悲しむ人は少しでも減れば良いと思っている。最初は性癖が合致したことで意気投合したが、結婚まで至ったのはこの芯の部分が大きいだろう。
ウチの両親は、病死だった。元々かなりの高齢出産だったらしく、脳が弱っていたみたいだ。病気に対しての治療に、うまく魔力を使えなかった。
稼働魔力の技術が発達してから、人間は肉体の年齢をとらなくなった。好きな年齢で固定できるし、老いたり若返ったり自由自在だ。でも脳はそうはいかない。
脳細胞の数は増える事は無く、減るいっぽうだ。100歳を超えれば記憶力も弱まり、魔力コントロールもしにくくなる。120にもなれば脳が機能を維持できずに死に到る。
本来の人間は、歳と共に肉体も壊れて行って、様々な行動制限が出るらしい。各種文献でそういった資料は見た。
しかし今の人間、今と言っても1000年以上前から、魔力の解析がなされて以降の人類は老いることをやめた。そのため本来失われる生殖機能も、脳が無事ならずっと使える。両親がウチを産んだのはお互いが80くらいの時だったか。
避妊をしていたのに出来てしまったらしい。普通避妊はお互いが稼働魔力で精子の子宮内侵入を防ぐのが定石だが、お互いにもう脳が劣化しだしていたのだろう。魔力のコントロール力が低かったのだ。
そして身ごもったのがウチという訳だ。堕ろす選択も考えたらしいが、出来てしまったら育てたいと思うのが人間と言う生き物。ウチは生まれ、20になる前に両親と死別した。
凄い悲しかったし、何でそんな生い先短い状態でウチを産んだんだと恨んだ事もあるが、産んでくれたから今の幸せがある。結局は両親には感謝している。
それに、英雄の話を聞き、ウチの両親との別れは、まだ悲しくない方だったのだと気が付いた。病気の予兆はあったし、年齢の事も知ってたから覚悟もしていた。ある朝起きたら動かなくなっていたナトくんとは大きく違う。
……両親との別れより、ペットとの別れの方を引きずってるのもどうかと思うが、恐らくこれは覚悟の有無によるものなんだろう。両親には生前、伝えたい事は全部伝えられたし、両親からの暖かい言葉ももらった。愛していると、ちゃんとお互いに言い合えて、覚悟を持って、後悔無く、送り出す事が出来た。
英雄は……出かけたまま帰ってこなかった両親を、どう思ったのだろうか。詳しくは聞かない様にしている。そこに土足で踏み込めるほど、ウチの良心は欠けてはいない。性的には欠けてるけど。
お互いに親がいない者同士、ウチらは縋りつくように身を寄せ合った。英雄もバニ様の元々の知り合いだったらしいし、もしかしたらバニ様はウチらをめぐり合わせたのかもしれないな。……いやどうかな。ウチが逮捕されたのがきっかけだったし。でもその場所での露出を勧めたのはバニ様だし。計られたかなぁ?
英雄はよくバニ様の事を恩人と言っていた。バニ様に合って救われたと。悲しみを和らげ、前に進む術を教えてもらったと。それはウチも同じかな。お互いに色々開発されたけど、その間は性に夢中だった。何かに夢中になってる時は、寂しさを忘れられる。今は、英雄も亜瑠美も側にいる。二人に夢中だ。幸せしかない。英雄に会うきっかけをくれたバニ様には、感謝しかないな。露出癖が無ければ、ウチらは出会えてない訳だし。
(それでもいきなり処女膜ぶち抜かれたのはショックだったぞ……)
でもその後の下半身裸&椅子縛り付けの強制院内徘徊は、未だに思い出してはオカズにしている。今でこそ堂々と露出しているが、あの時は他人に性器を見られるのが初で、羞恥心も高かった。いや、今でも羞恥心はあるし、だからこそ露出が楽しいんだけど、それ以上だった。
そんな状態で一気に十数人に性器を観察されたのだ。快感に脳が焼かれて、頭おかしくなるかと思った。実際、おかしくなったのだろう。その結果が今のウチだ。
そういえば英雄は結婚前「ご両親やナトくんの件で前に進めないほどつらいなら、バニ様に相談してみな」とも言っていた。まあ恐らく、現実を忘れるくらい素敵な性の世界へいざなってくれるのだろう。
正直悲しかったしつらかったけど、前に進めない訳ではない。バニ様に会う前にナトくんは天に昇っていて、その後英雄に出会うまでには、すでに数年経っていた。だから、ある程度心の整理も付いていて。
両親に関してだって、亡くなる覚悟は出来てたし、無くなってすぐに、英雄に出会えた。だからウチは大丈夫。今こんなに幸せなのだ。ちゃんと前に進んでいる。天にいる両親やナトくんも、応援してくれてる事だろう。
「「頂きまーす」」
英雄と亜瑠美が朝食を食べ始める。思想にふけっていたウチも慌てて椅子に座り、食事を取る。お前ら作った本人を待ってろや。
美味しそうに朝食を口に運ぶ英雄の顔にふと目が行く。幸せそうな顔して食べてるな。あ、スープ熱かったかな? 口に含んだ瞬間ちょっと苦しそうにした。でもその後すぐに笑顔に戻ったから、おいしくはあったのかな? そんな、彼のコロコロと変わる表情にウチは見とれる。正義を愛する夫。毎日を人々の為に忙しく動き回ってる刑事。でも……
(ウチだって、寂しいんだぞ?)
やってる事は立派だし、ウチも同じ気持ちだから是非とも頑張って欲しい。でもただ単純に、好きな人に会えないのは寂しい。これは単なるウチのワガママだ。
だから今日は、目一杯楽しむ。亜瑠美もお父さんとの外出を楽しみにしてたしね。14になっても反抗期が来ないというか、父親を嫌わないのは、亜瑠美の成長が少しおかしいからのか、それとも反抗の対象がウチ一人に集約しているからなのか。
ともかく、父と娘が仲良く食事している姿は幸せな光景だった。
「おいしいねー。特にこのスープ」
「えー? 詩絵美が作ったご飯だよ?」
「ひどない??」
「詩絵美ちゃんが作ったとしても、材料は農家さんや畜産家さん達が心を込めて届けてくれたものだから」
「なるほど」
「いやいや、ひどない? ウチの努力は? 調理したのはウチよ??」
「いやー良い材料だ」
「亜瑠美さん!?」
きのうの夜から頑張って準備したというのに酷い言い草だ。ぐすん。
ともかく、そろそろ朝食も終わる。今日は幸せな家族プチ外出になる。
そう、そのハズだった。幸せな一日に、なるはずだったのだ。