「あと少しで家に着く……」
広告会社の営業として新卒で入り現在六年目。
六年も働けばそれなりに責任のある仕事を任され主任という役職も貰い、毎日バリバリ働くみんなの憧れのお姉さん──……
「ってのは幻想で、板挟みつらぁぁあいっ!」
毎日の残業と、突然無理難題に変更するクライアント。
そして『そんなん出来るか!』とブチギレるデザイナーとの板挟みの日々に嘆きつつ、玄関の鍵をガチャリと開けると、今日も今日とて疲れ切っている私の鼻を美味しい香りがくすぐった。
「この匂いって、ビーフシチュー……!?」
「あ、おかえり! めぐちゃんっ」
玄関が開く音で帰宅に気付いたのかパタパタと出迎えのために駆け寄る音がし、音の方へと視線を向ける。
するとおそらく帰宅を喜んでくれているのだろう、頬があるあたりをぽわんと赤く染めた愛しい旦那さまがリビングの扉から顔を出した。
「このつるっつるが癒されるぅぅ! 仕事疲れが取れるぅぅ!」
玄関まで来てくれた愛しい旦那さまである
つるつるですべすべ、手のひらにしっとり吸い付くような触り心地が堪らなく、また凹凸のない顔が気持ちいい。
「あぁあ、お出迎えいっくんは本当に心に沁みる……!」
「めぐちゃんの癒しになっているなら嬉しいな」
くすくすと笑い声が聞こえ、私の口角も自然と緩む。
確実に笑い合っている今に、幸せを感じた。
『おそらく』帰宅を喜び、頬がある『あたり』を赤く染め、笑い声を聞いてやっと『確実に』笑い合っていると確信する。
──何故さっきから絶妙に曖昧な表現なのかと言うと、文字通り彼の顔に『凹凸がない』……否、彼に顔のパーツがないからである。
そう。私の愛しい愛しい旦那さまは、のっぺらぼうなのだ!
「まさにたまご肌、ううん、ゆで卵肌……!」
「ちょ、あはは、くすぐったいよ」
(ほっぺたらへんが赤いところを見ると、満更じゃないわね?)
その事に気付き、きゅんの胸が高鳴る。
「いっくんは本当にかっわいいんだから!」
「も、もう……。可愛いのはめぐちゃんだよ」
照れているのかまさにつるつる大きなゆで卵のような顔を掻いたいっくんが、ぱっとこちらに顔を向けてそっと寄せる。
(あ、キス……)
ちゅ、と私の唇に触れた感触的にはきめ細かい頬にキスしたような感覚だが、これが私たちの口付けだった。
人それぞれ。これも個性である。
「も、もうっ、まだ玄関なのに……」
「ごめん、めぐちゃんが可愛くて」
「もうっ、もうっ、可愛いのはいっくんの方よ?」
「違うよ、めぐちゃんの方だよ」
他の人から聞いたら呆れられそうな会話をしつつ、でもここには私たち二人だけ。
(それに何て言ったって私たちは新婚だもの)
『新婚』という免罪符に全て許された気になった私は、そのまま彼の口だか頬だか鼻だか少し判断のつきにくい至るところにすりすりと頬を寄せ、彼の気持ちいい肌触りを顔面で堪能しながら仕事の疲れを癒したのだった。
──これは、人間の妻とのっぺらぼうの夫による、新婚夫婦の新婚たるふわふわゆるゆる、そしてつやつやすべすべな日常のラブラブ記録なのである。