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1.のっぺらぼうと朝ご飯

 土曜日の朝。

 目覚めて隣に愛しい旦那さまである一太郎こといっくんがいないことに気付いた私が、彼の仕事場にもなっている書斎を覗くと、そこにはどうやら徹夜で仕事をしていたらしいいっくんがまさしく頭を抱えて唸っているところに遭遇した。


「いっくんが頭抱えてるのって珍しいかも」


(昨日寝室にも来なかったし)


 会社勤めの私は土日祝が休日だが、フリーランスでデザイナーをしているいっくんには決まった休日という休日がない。

 だからこそ私の残業に合わせて臨機応変にご飯を作ったりが出来る訳なのだが、それと同時に決まった休みがないともいえて──


「ここは、新妻たる私がいっくんを癒してあげないと!」

 フンス、と気合いを入れた私は、そっと書斎の扉を閉めてキッチンへと向かったのだった。


「私だって料理くらい出来るんだから!」

 いつもいっくんに頼りっぱなしではあるが、私だって大学時代から一人暮らしをしていて最低限の家事スキルは持っているのだ。

 ここは仕事に疲れた旦那さまを癒す新妻として、最高の料理を披露しなくては──……!


「って息巻いて料理した結果が、この魚?」

「……うん」


 ぽかんとしているいっくんを見ながら思わず項垂れてしまう。

 それもそのはず、ザ・日本の朝食を目指した私の朝ご飯のラインナップが残念なことになってしまったからだ。


(魚焼きグリルって名前なんだから引っ付かないでちゃんと取れなさいよ!)

 思わず内心文句を言うが、だからといって現実は変わらない。


 朝食魚の定番、焼き鮭を作ろうとしたのだが火力を誤ったのか、グリルの網に引っ付いた鮭。

 その鮭を取ろうと菜箸で何度もつついたせいで、身はボロボロになり半壊というか本懐してしまった。

 そんなボロボロの鮭と一緒のお皿に乗っているのはスクランブルエッグ。

 目玉焼きを作ろうとしたのだが、割れてしまった黄身を誤魔化すためにスクランブルエッグにせざるを得なかったのだ。


(鮭とスクランブルエッグの組み合わせがアンバランスすぎる……!)

 目玉焼きも鮭とは合わない気がしたが、品数を増やそうとした結果である。

 だが、目玉焼きならばまだ日本の朝食と言い張れた気がしなくもないが、スクランブルエッグは違う。

 スクランブルエッグはカタカナなのだ、きっと日本の朝食というよりは欧米の朝食にカテゴリーされるだろう。

 知らんけど。


 唯一成功といえる、見た目も香りも完璧なお味噌汁は、インスタントなのでお湯を注ぐだけ。

 手軽で美味しくその企業努力には頭が上がらないものの、手料理をことごとく失敗した時の完璧な完成品は心にクるものがあった。

 ちなみに白ご飯を炊いていなかったことに気付いたので同じ炭水化物代表として食パンを用意した。

 白ご飯ではなく食パンの時点でそもそも日本の朝ご飯という目標からズレてしまっていることは否めない。


(何もかもがダメすぎる……)


 思わず項垂れ俯いてしまう。

 のっぺらぼうのいっくんには目、鼻、口という表情を形成するパーツがないのでどちらかといえば私の表情を見られたくないからであったが、そんな私の心情には気付かないのかゆで卵のようなつるつるの顔が私の俯く顔を覗き込む。


「落ち込んでる?」

「自分のダメさ加減に……」

「それって、どの辺?」


(どの辺って聞かれても)

 正直全てだ。

 ラインナップも出来栄えも全てまるごと、である。

 だがそれを自ら口にするのが憚られた私が口ごもっていると、いっくんの手がボロボロになった一欠片の鮭をパッと摘まんだ。


「あ!」

「ん、美味しいよ」


 明るい声色でそう宣言したいっくんがそのままお皿をリビングのテーブルへと運ぶ。

 ささっと手際よく二人分のご飯とお箸、飲み物が並べられ、そして彼に背中を押される形でリビングに連れられた私は観念して椅子に座った。


「じゃあ、いただきますをしよう」

「う、うん」


 歯切れが悪いのは並べられこれらの料理がちぐはぐで至極残念なことになっているからなのだが──


「そして僕は今からめぐちゃんの好きなところを言いながら食事をします」

「な、なんでっ!?」

「だってめぐちゃんのことが好きだから」


(ぜ、全然理由になってない!)

 さらりと言われた台詞に唖然としていると、少し気恥ずかしそうにこほんと彼が咳払いをした。


「僕はほら、その、のっぺらぼうだから。表情で気持ちを伝えるとかが出来ないからさ」

 そんな事を言ういっくんのゆで卵顔は全体的に赤い。

 耳まで真っ赤に染まっているところを見ると、自ら発案したくせに恥ずかしくて堪らないのだろう。

 ついでに全体的にそわそわとしており、人差し指同士を引っ付けいじいじと指遊びをしている。

 それにいつもより少し声が高く早口だ。


 確かに彼の言う通り表情ではわからないことも多いが、ポーカーフェイスが得意な人と比べるとむしろわかりやすいくらいである。

 そして彼が今こんなことを言い出したのも、落ち込んだ私の為だということが伝わっていた。


(愛されてるんだから)


 苦笑に近い微笑みが私から溢れたのを見て、どうやら安堵したらしいいっくんが意気揚々と声をあげる。


「まず、この僕には思い付かない自由なラインナップの料理が作れるところがいいと思う」

「えっ、そこ!?」

 だが全然私としては誉められた気にはならない。


「だってさ。このスクランブルエッグって多分目玉焼き作ろうとして黄身が割れちゃったからこうしたんじゃない?」

「うっ」

 流石夫。私の性格をよく読んでる。

 つい冷静にそんなことを考えてしまう。


「鮭を焼いたのを見ると、作りたかったのは和食の朝食なんだと思うんだけど」

 一瞬言葉を切ったいっくんは、まるでそれが聖杯であるかのように掲げる。食パンを。なんで。


「ボロボロにした鮭に凹んで白米代わりの食パンは堂々と出す、それは素晴らしい心意気だよ」

「そ、そう?」

 断言されてなんだかこそばゆい。


 言われて見れば、鮭の身をつつきすぎてボロボロにしてしまったことも、目玉焼きという形を形成するという意味では難易度の低い料理に失敗し苦し紛れにぐちゃぐちゃに混ぜてスクランブルエッグと言い張り、だが和食から遠退いたとへこんだことも確かだが、白ご飯炊き忘れたから炭水化物は他のでいいや、と食パンを並べたことにはあまりへこまなかったと思い出す。

 というか、その時にはもう盤面がめちゃくちゃなことになっていたのでほぼ開き直っていたともいうが。


「僕には絶対そんな発想出来ないもん」

「そう」

 皮肉や嫌み……ではなさそうな声色で並べられた言葉たちに絶妙に引っかかりつつとりあえず頷く。


「和食の朝食を作ろうとしてくれたのって、僕が和食の方が好きだからでしょ」

「そ、れは……まぁ、そうなんだけど。でも失敗して」

 机に今並んでいるのは『和食』と言い張るにはなかなか厳しいラインナップだ。


「折角の休みなのに、早起きして朝食作ってくれて」

「いつも仕事しながら作って貰ってるのは私だよ」

「美味しいって食べてくれるの、嬉しいよ」

「だって美味しいし」

「あと、僕なんかと結婚までしてくれたし」

「な!」


 当たり前のように重ねられた言葉に思わずガタッと立ち上がる。

 僕なんか、ってなんだ。私はいっくんだから、結婚したのに。


「なんか、じゃない! 私はいっくんだから結婚したの。確かにキスしてる時だってこれってキスなのかなってたまによくわからなくなるけど、でもいつもドキドキしてるし! それに優しくて、作ってくれるご飯も美味しくて、いつも癒してくれて、虫が出たときは颯爽と退治してくれるし、それから……っ」

 捲し立てる私の勢いに少し驚いた様子を見せたいっくんが、すぐに宥めるよう私の手に自身の手を重ねた。


「僕と、結婚してくれてありがとう」

「そんなの、私の方こそだし」

「僕も大好きなめぐちゃんと結婚できて幸せだよ」

「ん」


 彼の言葉に小さく頷き、少し冷静になった私が再び椅子座るとくすくすと笑い声が聞こえてくる。

 一拍遅れて面白くなったらしい。


(いっくんが私の好きなところを言うって話だったのに)


 何故だか自分の方が沢山言ったという事実に、もし彼に顔があれば今どんな表情をしているのだろうと考える。

 だが、当然だが出会ってからずっと彼の“顔”はこうだったから。


「いっくんも、今からいっぱい言って」

「あはは、了解。そうだなぁ、まずめぐちゃんの可愛いところは──……」

 結局彼が指折り教えてくれる私の好きなところに、恥ずかしさが勝った私が焦って止めるまで三十分もかからなかったのだった。


(……いや、三十分も言わせたとか言わないでよね。だって私たち、新婚だもの)

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