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第10話 勝者の余韻と新たなる挑戦者

渾身の力を込めた私の回し蹴りが、寸分の狂いもなくシオンの顎を捉え、その衝撃で彼の意識を刈り取った。鍛え上げられた彼の身体は、力なく闘技場の硬い床へと崩れ落ちる。


──そして、数瞬の静寂の後、どれだけ待っても彼が再び起き上がってくる気配はない。



『しょ、勝者ぁぁぁぁ!!!! エレンゥゥゥ!!!! またしても圧勝! 魔法なき剣士、その強さ、底が知れなぁぁい!!!!』


実況の絶叫にも似たシャウトが闘技場に木霊したその瞬間、先ほどまでの静寂が嘘であったかのように、会場全体が地鳴りのような割れんばかりの大歓声に包まれた。それはもはや称賛というよりも、畏怖と熱狂が入り混じった、人間離れした者への賛歌のようだった。


数秒後、白い制服に身を包んだ治療班らしきスタッフたちが、慌ただしく担架を持って舞台下から駆けつけてくる。


「おい、意識確認! 大丈夫か!?」


「すぐに動かすぞ! 肩を貸せ!」


「ああ、いくぞ、せーのっ!」


しかし、屈強そうに見えるスタッフ2人がかりでシオンの身体を運ぼうとしたが、その見た目からは想像もつかない重みに、彼らの顔が明らかに苦悶に歪む。


「……お、おもっっ!?!?!? なんだこれ、鉄塊でも抱えてるみたいだぞ!?」


「だ、ダメだ、これじゃ運べん! もっと人を呼べ! 一体なんなんだ、この人の異常な重さは……!」


……それは、さすがに口に出して言ってやるな、と私は内心で苦笑する。


恐らく、彼のあの流麗かつパワフルなトンファー捌きを可能にしていたのは、この異常なまでに高められた筋肉の密度なのだろう。それはもはや、常人のそれとは比べ物にならないレベルに達しているに違いない。


私自身、先ほどの攻防で彼の攻撃を柔の構えで受け流したつもりだったが、いまだに手のひらがジンジンと痺れている。あの細身のどこに、あれほどの質量が隠されているというのか。


結局、屈強なスタッフがもう一人加わり、三人がかりでようやく担架に乗せられ、完全に白目をむいたシオンが、まるで戦場から運び出される傷病兵のように運ばれていった。その姿に、観客席からは労いの拍手が送られている。


私はその光景を静かに見送ると、ただ静かに闘技場の舞台を後にする。



(エレン、今日も本当に素敵だったよ! ハラハラしたけど、最後はやっぱり圧巻だったね!)


控室へ向かう通路を歩いていると、エレナが心の底から嬉しそうに、そして少し興奮した様子で私に笑いかけてくる。彼女の声は、どんな万雷の拍手よりも心地よい。


ふふ、やはりこの屈託のない声を聞くと、張り詰めていた私の気も自然と緩んでしまう。こうして純粋に褒められるというのは、存外、悪くないものだ。


(だが、あのシオンという男、なかなかに手強かったぞ。)


洗練された体術に加え、遠隔トンファーによる攻撃…。


魔法使いにとっては、かなりやりずらい相手だろう。


(そうだね…!本当に強そうな人に勝ったんだから、そのご褒美に、私のお財布から、何でも好きな物をご馳走してあげるよ!)


(なに!? ほ、本当か、エレナ!? それは聞き捨てならんな!)


思わず声が上ずる。


(もちろん! いつもちゃんと手加減して、私の身体を気遣ってくれてるし、何よりエレンが勝つと、私も鼻が高いんだから!)



──そうとなれば、今夜の夕食は……そう、あの背徳的で官能的な味わい、ピザで決まりだな。それも、一番大きなサイズで、チーズもマシマシだ。


私は内心の歓喜を悟られぬよう平静を装いつくろいながらも、隠しきれない満足感を噛みしめ、足取りも軽く会場を後にしたのだった。


***


(うまい……! やはり、これに勝るものはない!)


熱々、焼きたてのピザは、まさに人類が生み出した最高傑作の一つだ!!


私はエレナの財布から気前よく調達した特大サイズのピザを、宿屋の一階にある食堂のテーブルで、次から次へと至福の表情で口へ運んでいた。

香ばしい生地、濃厚なトマトソース、そして何よりも、とろりと糸を引く黄金色のチーズの三重奏。ああ、至福だ。


(……エレン……あのね、私が言い出した手前、すっごく言いにくいんだけど……もうちょっとだけ、控えめに食べてくれないかな? 私のダイエットが、本当に大変なことになっちゃうから……!)


エレナの、少し困ったような、それでいて懇願するような声が頭の中に響く。


(君のその健気な努力は尊重する! だがしかし、この目の前で湯気を立て、芳醇な香りを放つ、トロけるチーズの悪魔的な誘惑……! ああ、やはりピザは、至高にして究極の料理だ!! )


(うう……わかった、わかったから……せめて、飲み物はお砂糖たっぷりのジュースじゃなくて、お茶にして…………)


そんな微笑ましい(私にとっては死活問題だが)やり取りを頭の中で交わし、ピザの最後の一切れに手を伸ばそうとした、まさにその時だった。


不意に、私の正面の席に、音もなくすっと一人の青年が腰を下ろしてきた。


闇夜に溶け込むような黒髪は、清潔感がある程度に短く整えられており、額の上でふわりと揺れる癖のある前髪が、その目元のシャープな印象をさらに引き立てている。


そして何より印象的なのは、その双眸。揺らがない深い静けさを湛えたその瞳は、一見すると何の感情も読み取れず、まるで磨かれた黒曜石のようだ。


身に纏っているのは、光沢のある黒レザーのタイトなジャケットに、シンプルな白のインナー。下半身は、同じく黒の細身のレザーパンツで、動きやすさと同時に、どこか近寄りがたい重厚感を兼ね備えている。腰に巻かれた機能的なデザインのベルトには、いくつかの小型のポーチや、何かの魔導式の起動装置らしきものが取り付けられていた。全体的に、無駄がなく洗練された印象を受ける。


「どうも。突然すみません。俺は魔法研究所の研究員、シイナと申します。あなたが、エレンさんですね?」


彼は静かに、しかし真っ直ぐ私を見つめて言った。


「……それで、何の用だ? 見ての通り、私は食事中なのだが」


せっかくの至福のピザタイムに割り込んでくるとは、なかなかどうして図太い神経の持ち主らしい。あるいは、それだけ切羽詰まった用件でもあるというのか。


どちらにせよ、早めに用件を切り上げてほしいところだ。このピザが冷めてしまう前に。


「いえ、大した用ではないんです。ただ、今日のあなたの戦い方を見て、感銘を受けまして。俺ももっと頑張らなければいけないな、と改めて思ったんです。それと……実は、明日の準決勝の対戦相手が俺なので、そのご挨拶に、と」


彼は淡々とそう告げた。


「研究員が、この魔法闘技大会に、だと? それはまた、珍しいな」


まあ、それを言えば、魔法の使えない私がこの大会に出場していること自体が、最大の異端なのだろうが。


「はい。まだまだ見習いみたいなものですが……先日、ミストが、あなたに助けられたと話していました。彼女の代わりに、改めてお礼を言わせてください。ありがとうございました」


ミスト。ああ、そういえばそんな名前だったか。あの妙に喧しい、魔法研究所の少女か。グールに襲われ、下水道の奥深くに引きずり込まれていたところを、偶然通りかかった私が助け出したのだった。


「では、明日はどうぞよろしくお願いします。手加減は……しないでくださいね」


シイナはそう言うと、軽く一礼し、私が何かを言う前に、来た時と同じように音もなく静かに席を立った。



(あの人……なんだか、すごく強そうだね。グレンさんやシオンさんとは、また全然違う雰囲気だった……)


エレナが、少し緊張したような声で呟く。


(ああ。その佇まいからして、只者ではないな。おそらく、かなりの手練れだろう。面白い)


明日の戦い。果たして、あのシイナという男は、一体どういうスタイルで私に挑んでくるのだろうか。


──ふふ、いけないな。まただ。


未知なる相手の動きをあれこれと想像するだけで、私の身体の奥底で眠る闘争本能が疼き、血が沸き立つのを感じてしまう。


***


──そして翌日。準決戦の日。


闘技場には、昨日までとは比較にならないほどの観客が詰めかけ、その熱気は最高潮に達していた。


盛大なファンファーレが、王都の隅々にまで高らかに響き渡っている。


『観客の皆さまァァ!! 長らくお待たせいたしました! 本日は各ブロックの準決勝ォォ!! いよいよ、この魔法闘技の最強の頂点が見えてきたぞぉぉ!!』


『そして、本日最も注目すべき目玉の対決はコチラァァ!! 嵐を呼び、風を断つ! 魔法なき孤高の剣士、優勝候補筆頭エレンVS!! 静かなるる闘志を秘めたる魔法研究所の異端児、神速の研究員シイナァァ!! 勝つのは果たしてどちらかァァ!?』


「……まったく、大袈裟すぎるな。異端児とは心外だ」


目の前でウォーミングアップをしていたシイナが、実況の言葉に、やれやれといった表情で苦笑混じりに呟く。


「それだけ多くの者が、お前と私の戦いに期待しているということだ。その期待を裏切らないよう、せいぜい全力で来ることだな」


私は静かに告げる。


「なるほど……手厳しいですね。ですが、今回は胸を借りるつもりで、全力でぶつからせてもらいますよ」


シイナの瞳に、静かだが鋭い闘志の光が宿る。彼もまた、この戦いを楽しみにしていたようだ。彼はゆっくりと、無駄のない動きで構えを取った。その構えには、一切の隙がない。


──素手か? いや、あの腰のベルトの装備が気になる。シオンと同じく、肉体強化を中心とした前衛型なのだろうか?


──いや、まだ情報が圧倒的に少すぎる。今の段階で断定するのは危険だ。



「……来る!」


開戦を告げる鐘が鳴り響いた、まさにその瞬間。


私の視界から、シイナの姿が完全に消えた。


……違う。これは、ただあまりにも、速すぎるだけだ! あのシオンの初速をも上回るか!?


私は反射的に腰の剣を抜き放ち、背後から迫る殺気と拳の風圧に、見ることなく刃を合わせた。


ガキィィィンッ!! と、硬質な金属同士が激しくぶつかり合う鋭い音が響き渡る。


シイナの拳には、いつの間にか黒光りするガントレットが装備されていた。あのベルトの装置は、これの召喚あるいは装着システムか。


──鉄属性の魔法


「今のを見ずに防ぐんですか……一体どんな反射神経してるんですか、あなたは」


シイナが、初めて驚愕の色をその瞳に浮かべて、わずかに後退する。


──なら、今度はこっちの番だ。受けてばかりでは芸がないからな。


私は即座に跳躍し、彼の頭上を飛び越え、その背後へと音もなく回り込む。


そして、彼が振り返りざまの、まさにその一瞬の隙を狙って、無防備な後頭部を目がけて、剣の柄で強か叩き落とさんと一閃──!


(ちょ、ちょっとエレン!? いくらなんでも、それは危ないって!)


頭の中で、エレナの悲鳴にも似た驚いた声が響いた。


(大丈夫だ、エレナ。こいつは、その程度で倒れるような弱い男ではない。)


私の読み通り。いや、期待通りと言うべきか。シイナは常人離れした体捌きで、無理な体勢から強引に体を捻って、私の渾身の一撃を、ガントレットでギリギリで防いでみせた。その顔には、冷や汗が浮かんでいる。


「っぶねぇ……! 今のはマジで死ぬかと思った……!」


これは面白くなってきたな──。私の口元に、獰猛な笑みが浮かぶ。


ようやく、少しは骨のある相手に出会えたようだ。


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