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見えない重さ
見えない重さ
狗島いつき
現実世界現代ドラマ
2025年04月15日
公開日
1,457字
完結済
朝の総合病院。ざわめく待合室に一人の学生服の少年が座っている。彼の手には診察券と薬手帳。どこか疲れた様子のその瞳に映るのは、日常とは思えない日々の繰り返し。隣に座った見知らぬ女性とのやりとりを通して、少年の心に少しだけ、やさしい風が吹く――。 静かな会話の中に、社会が見逃しがちな“誰かの物語”がやさしく描かれるショートストーリー。

第1話

 総合病院の待合室。

 朝から人であふれ、ざわめきが絶えない。

 受付を済ませた学生服の男の子が、空いているシートに腰を下ろした。


 疲れているのか、背を曲げて大きなため息をつく。

 制服の袖をぎゅっと握りしめ、一瞬目を閉じた。

 その手には、母親の薬手帳と、診察券が握られていた。

 ふと、カバンの中に入れたはずの英語の教科書を忘れたことに気づいた。

 また、先生に注意されるだろうか。

 昨日も同じだったし、おとといも――。

 朝、母を起こし、朝食を用意し、病院へ連れてきて、学校に少しだけ顔を出して……。

 そんな日が、もうずっと続いている。


「今日は付き添いで来たの?」


 男の子は顔を上げ、一瞬戸惑った表情をしたが、やんわりと頷いた。

 隣りに座る四十代後半の女性が声をかけてきた。


「この病院、評判が良いから混むのよね」


 女性は暇を持て余していたのか、その後も言葉を重ねた。

 最初こそ困惑顔の男の子だったが、女性のやさしい口調にいつしか和やかな雰囲気に。


「高校生でしょ? 今日は休みなの?」


 その質問に、男の子の顔が曇った。


「ごめんなさい。おばさん変な質問したかしら?」


 男の子は、下を向いたまま「いつものことなんで」と、ぽつりとつぶやいた。


「ご家族が病気なの?」

「はい。母がちょっと」

「どんなご病気?」


 男の子は少し言いづらそうに、「若年性認知症で……」と消え入りそうな声でいう。


「あら……まだお若いのに、大変ね。誰かに相談はしたの?」


 男の子は黙って首を振る。

 誰かに話していいんだろうか。でも、母が知ったら嫌だろうし、先生に言ったら大ごとになって、もっと母に負担をかけるかもしれない。

 そう思うと、誰にも言えなかった。


「あなたならきっと大丈夫。でも、困ったときは、誰かに話していいのよ」

「誰かに?」

「そう。先生でも、友達でも。話すだけで、楽になることってあるから」

「……はい」


 男の子はスッと顔をあげて、女性に笑顔を向ける。

 苦笑い。

 でも、ほんの少し、心が軽くなった気がした。


「受付番号102番 診察室A−8までお越しください」


 待合室に流れるアナウンス。

 男の子はやっと自分の番がきたと、立ち上がった。


「お母さん、呼ばれたよ。ゆっくりで大丈夫だからね」

「え? どこに行くんだったっけ?」

「診察室だよ」

「誰か病気なの?」

「行こう、先生が待っているから」


 男の子はそう言って立ち上がり、隣りに座る女性ーー母親に手を差し出した。

 母親は、一瞬きょとんとした表情を見せ、戸惑いながらも、息子の手を借りて立ち上がる。

 一歩踏み出した途端、わずかによろめいた母親を、男の子は慌てて支えた。

 その瞬間、母親は小さく咳き込んだ。


「ごめんね、いつも……」

「大丈夫だよ、気にしないで」


 男の子は笑ってみせる。

 けれど、その目の奥には、消えない疲れが滲んでいた。








■ヤングケアラーとは

家族の介護や世話を日常的に担っている子どもたちです。

公立中学2年生の5.7%(約17人に1人)、高校2年生の4.1%(約24人に1人)が該当すると報告されています。(日本財団調査より)

クラスに1~2人はいる計算です。


■相談したことがある子は3割、相談していない子は6割

「一人で抱え込まず、まずは相談してみること」が大切です。

「学校の先生に話したら、配慮してくれるようになって、少し気持ちが楽になった」という声もあります。

「友達に話したら、一緒に話を聞いてくれるようになった」という子もいます。

 小さな一歩でも、必ず誰かが助けてくれます。


■相談窓口

・厚生労働省HP(若年性認知症なども含む情報)

・こども家庭庁HP(ヤングケアラー専用相談窓口)


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