大切な弟の体の自由を奪った憎い女。
いまだ鮮やかな憎悪が胸の内を塗り、顔を思い出す度に暴力的な気持ちが湧き上がる。だからこそ利用しようと思った――己の自己中心的な成長の為に。どうせ死を決めた人間なのだから、出涸らしになるまで使ってやればいいのだ。
震えるほど拳を握っていると、清那が侃爾の肩に頭を乗せた。
「兄さん、あと後シイちゃんはどこに行ったの?」
奇跡のように見つけたシイを、引き摺るようにこの部屋に連れて来た日のこと。
「さあな。逃げて行ったがそれからのことは知らん」
「あの後会った? 同じ町にいたら偶然出会うなんてこともあるんじゃないの?」
侃爾は黙った。
『会った』と言えば、また連れて来てほしいと頼まれるような気がした。それでもいい。弟の頼みならば何でも叶えるつもりだった。しかし何となく面倒、で――侃爾は首を横に振っていた。
「そう……」と清那は俯いた。
嘘をついたことの罪悪感を誤魔化すように、
「そろそろ行く」
と立ち上がる。
「兄さん」
清那がわずかに腰を浮かせて切なそうな声を上げた。
「もしシイちゃんと会ったら、またここに連れて来てくれないかな。小学校の頃はこれでも仲が良かったんだ。また友達みたいに遊べられたらって思うんだ」
彼の切実そうな表情を見ると、頷くしかなかった。
清那の部屋を出て階段を下りたところで待ち伏せていたルカが侃爾の袖を引く。
「先日飛び出して行った子もひどく泣いていましたよ。前の子もそうでした。ああいう子ってそんなにオベンキョが嫌なんですかねえ」
断髪を一括りにしただけのルカがしみじみとして言う。立ち止まらない侃爾の横にぴったりと張り付いて「ねえねえ侃爾様、清那様はどうして引きこもりの子たちを集めるんです? 思いやりに溢れる優しい方なのは分かりますけどあまりに親切過ぎやしませんか? 実はものすごく教えるのが下手とか厳しいとかなんですかねえ。じゃないと来た子みんな一か月も持たないなんて……」
「ルカ、喋り過ぎだ」
一息に喋るルカを、侃爾は玄関で下駄を履きながら制した。
「神経衰弱な人間は堪え性が無いものだ。別に清那が悪いわけじゃない。不要な詮索はするなよ」
「はあ、承知致しました」
気の抜けたようなルカの声に見送られ、侃爾は敷石を進み、門を出た。
先延ばしにしていたシイとの約束が、頭の片隅で焦燥感を生む。
本心では、血など見たくないのだ。
明日こそはと何度目かの決心をして、侃爾はぬかるんだ田んぼを眺めた。