三日ぶりで訪ねた長屋の扉にはやはり罵詈雑言が貼り付けられており、侃爾は見なかったふりをして取っ手を引いた。やはり鍵は掛かっていない。
土間で「おい」と声を掛ける。草履はあるが反応が無いので何度か呼んで、そのうちにシイがおずおずと障子から顔を出した。
「いるなら早く出て来いよ」
怯えたような顔のシイの肩が跳ねる。
「まさか、ま、また……来るとは思わなくて……」
「約束しただろう」
怒気を含んだ声に彼女はひっと小さな悲鳴を上げ、それでも侃爾を部屋へ上げた。そして障子で仕切られた奥の部屋から座布団と火鉢を引き摺って来て侃爾に勧める。
どっかりと座って改めてシイの顔を見ると、当てたガーゼに褐色になった血が染みていて、とても衛生的とは言えない有様になっていた。
「ガーゼを変える」
「あ、あの、あ……す、少しだけ、待っていて貰えません……か?」
侃爾から距離を取って膝をついたシイが俯いて自分の両手をぐちゃぐちゃと絡め回す。
「今、し、仕事を……していたところで……まだ、あの、しゅ、集中して、いたいのです……」
許しを請うように頭を垂れたシイを見て、――否、彼女の口から出た『仕事』という言葉に侃爾は驚いた。
「お前、仕事があるのか?」
「は、はい……た、大したものではないのですが」
「ここで?」
はあ、と上目遣いで侃爾を見たシイは、次に侃爾が言い出すことを予測したようように立ち上がり、奥の部屋から『それ』を持ってきた。
「櫛……か?」
シイの合わせた両の掌に乗っていたのは黒漆の塗られた櫛だった。上部には桜のような模様がキラキラと不思議な色合いで輝いている。
「こ、この、模様……は、貝を貼る、螺鈿(らでん)という手法、で、作られています。あ、あの、こ、これを、わ、わた……」
つぎはぎの言葉を掬い上げると、彼女は櫛に貝片で絵をつける仕事をしているということだった。
ついでに、仕事部屋として使っている四畳の部屋を覗いてみた。正面に日当たりの悪そうな窓があり、その前に文机が置かれ、机の上とそこを囲むようにして謎の貝殻や光を反射する細かい破片、筆やら茶碗やらが無造作に転がっていた。
部屋の隅には不器用に畳まれた布団。
「……片付け下手だな」
侃爾がシイに半目を向けると、彼女は泣きそうに顔を歪めて障子を閉めた。
出された茶は薄く、それでも温かさが腹に染みた。シイが仕事に励んでいる間、侃爾は六畳間で教材を取り出し、試験勉強をすることにした。火鉢を引き寄せ、万年筆を指先で回す。
奥の部屋からは物音ひとつしない。
午後の明るいうちに来たのに、気付けば陽が落ち室内には暗闇が蔓延していた。
字が見えずらくなってきたあたりから『そろそろ女の作業も終わるのでは』と思っていたのだが、全く声が掛からない。辛抱ならず許可も得ずに吊りランプに火を灯す。
そういえばシイのいる部屋にも明かりが無い。
まさか寝ている……?