「清那。お前、先程の話は真実か?」
侃爾の凄みのある表情を見ても、清那は飄々と答える。
「うん本当。僕はシイちゃんに落とされたわけじゃない。自分で落ちたんだよ」
「何故そんなことを……」
「彼女が好きだたから。自分のせいで僕が死んだりしたら、優しいシイちゃんはずっと気に病んでくれるでしょ?」
「シイのせい、だと?」
「シイちゃんはね、僕から逃げたんだ」
言いながら清那は火鉢に手を伸ばし、その中に刺さっていた火箸を――否、先が平たい名刺ほどの大きさの焼きごてを引き抜いた。
「何を……っ」
侃爾が清那の行動の意味を汲み取れずにいる間に、清那は立ち上がり、侃爾の後方にいたシイに掴み掛かりその体に自分の体重をかけて押し倒した。シイの腹の上に乗った清那はシイの衿を暴いて、露わになった胸元目掛けて焼きごて振り上げた。
「待てっ!!!」
侃爾は清那の体を力の限り突き飛ばした。戸の嵌められていたところまで吹き飛んだ清那は厭な笑みを浮かべながら、再び這って――まるで獲物を狙う蜘蛛のように、シイに近付こうとした。
しかし侃爾がその首を両の腕に挟み締めた。
「お前は間違ってる!」
「間違ってるよね。でもね、好きなんだよ。兄さんだって分かる筈だ。父さんだって言ってた。『馬鹿な子ほど可愛い』って」
「…………っ!」
侃爾は言葉を失った。
自分にその性質が無いとは言い切れなかった。
だって確かに、好いた相手は『馬鹿で』『可哀想な』シイなのだから。
しかし、己は弟のような捻じ曲がった想い方など絶対にしない。
もう、彼女を傷つけたりしない。――誰にもさせない。
そう、確固たる決意をしたのだ。
「ああ、シイちゃん。僕の気持ちが届いたんだね」
侃爾に捕らえられながらも、シイをうっとりと観察していた清那がとろけそうな声で言った。その時になって侃爾は漸く、窓際に居たシイを見上げた。
床板に膝をついたシイは、落ちていた焼きごてを拾い上げ、無表情にその先端をひっくり返し、書いてある模様を見つめていた。
そしてぼんやりと後ろ髪を掻き上げ、うなじを露わにする。瞳に光を宿さない、坦々とした動きだった。
流れるような静謐な所作で、右手で握った焼きごての先を首の後ろに近付ける。
侃爾があっと思った時には、それは――――、
シイの手は、既に降り下ろされていた。
ううっ、と呻いたシイは、うなじに落とした焼きごてに皮膚を焼かれてくぐもった悲鳴を上げた。
痛みに体を丸め、しかし罰のように何度も、振り上げては焼き、焼きつけては振り上げるという自虐的で残酷な上下運動を思考回路が焼き切れたように繰り返していた。
人が焼ける、何とも形容しがたい匂いが室内に漂った。
じりじりと皮膚が溶ける音が蚊が鳴くほどの大きさで聞こえてくる。
「馬鹿っ!やめろ!」
清那の首から腕を離した侃爾はシイに飛び掛かり、二人で倒れ込んだ。倒れて尚、ベッドの下に転がった焼きごてを拾おうとする彼女の手首を床板に押しつけて体の自由を奪うと、シイはやっと侃爾と目を合わせた。
はあはあと息を荒くするシイの瞳からは、はらはらと涙が零れていた。侃爾が口惜しさに顔を歪めると、シイは鼻を啜って「これで、あの人の名前なんて消えたでしょう?」と引き攣った泣き笑いを浮かべた。
シイが侃爾に見せるように顔を横に向けると、そこには真新しく出来た火傷が痛々しくも何本も引かれていた。そして辛うじて、古いケロイドの判が四角の枠の中に『セナ』と書かれたものだと読み取れた。焼け溶けたばかりの傷は目を凝らせば『清那』と読めたが、何度も押しつけたことにより、それはほとんど判別出来ない迷路のようになっていた。
皮膚の下層を剥き出しにするひどい火傷だった。
侃爾はシイを横抱きに担ぎ上げ、進む途中にいた清那を蹴り飛ばして階下へ駆け下りた。階段の下には、様子を窺っていたのか心配そうな顔のルカが待っていた。
「侃爾様……っ」
シイを見て狼狽するルカに、侃爾は、
「清那のことを頼む! それと父が帰って来たら、今聞いた全てを伝えておいてくれ!」
と言い置いて玄関を出て行った。
家から一番近い診療所まで三十分掛かる。侃爾はもつれる足を叱咤しながら走った。
「大丈夫ですよ」
と囁くシイの言葉など聞かないふりををした。
とにかく動転していて、応急処置として、患部を冷やすことすら忘れていた。