翌日に蓮のところへ行こうと思っていたが、宗吾の一件でバタバタして遅れてしまった。そもそも身内に亡くなった人間がいる以上、神社に参るのはマナー違反だ。約二ヶ月、僕は怠惰な日々を過ごしていた。蒼麻は「兄さんのせいじゃないよ」と慰めてくれたが、自分で自分を責めてしまう。あの時、宗吾のことを助けることが出来たはずなのに。僕は愚かだ。
神社の空気は、いつも澄んでいる。礼をして足を踏み入れると、「やっと来たか、大馬鹿者め」と声をかけられた。
「蓮……」
「貴様の事情はわかっている。弟が亡くなったらしいな」
事実を改めて突きつけられ、気分が落ち込む。
「僕のせいです、思い上がっていたのかもしれません。今まで、挫折なんて知らなかったから」
蓮は、瞬きしてから「そうだ」と肯定した。
「一成、貴様の思い上がりは確かにあっただろう。だが、悔いたところで弟が帰ってくる訳ではない。挫折は悪いことではない、経験すればもっと強くなれる。これは貴様に課された試練の様なものだ」
いつでも手厳しいのが蓮だ。確かに、言っていることはわかる。だが、理性と気持ちは必ずしも一緒ではない。そんなに割り切れるほど、僕は強くないのだ。
「……その為に、宗吾が死ぬことはなかったのでは」
「甘いな、貴様は強いから少しのことでは挫折などしないだろう。弟の命は、考え得る限り貴様の中でかなり大事なものだったはずだ。それを失ってしまったからこそ、今貴様は岐路に立っている。もっと強くなるか、このまま立ち直れず生涯を終えるか。貴様は、どうする」
考える。蓮としては、もっと強くなってほしいと思っているのだろう。だけど、僕は弟を失ってまで戦おうとは思えない。そもそも、平和が好きなのだ。好んで戦っている訳ではない。今まで幽霊を退治していたのだって、平和な世の中を保ちたかっただけなのだ。僕は、どうすれば良いのだろう。
「貴様がどうしようが、それは自由だ。だが、忘れるな。私の気は長くないぞ」
蓮は、そう言い残すと姿を消した。僕に残された時間は、そう長くないだろう。とりあえず、家に帰って考えるか。ここに居ても、考えはまとまらないだろうし。
「兄さん、お帰りなさい!」
今日も相変わらず蒼麻が出迎えてくれる。蒼麻だけでも、守り切らなくては。これ以上、命を失う瞬間を見たくはない。
「……兄さん?」
「あ、いや……何でもないです」
不審がる蒼麻に背を向け、部屋に戻る。雑然とした空間は、今の僕の心境そのものだ。元々は整理好きだったのにな……。
本当は、戦わなければ平和が訪れないことくらいわかっている。蓮と対面していた時には、その事実から目を背けていただけだ。蓮も、恐らくそれに気がついている。僕に必要なのは決心だ。それが出来れば、ここまで悩んでいないけど。
ベッドに寝っ転がって色々考えているうちに、眠りに落ちていた。夜になると、宗吾のことを思い出してしまう。目の前で起きた惨劇が、まだ脳に焼き付いている。それを振り払うように強引に起床し、違うことを考える。
蓮は、これが試練だと言っていた。人の命が試練に使われたのか。僕はそんなに大層な人間ではないのに。駄目だ、思考がどうしても宗吾の件に向かってしまう。二ヶ月も経ったのに。それほどまでに、自分の中で大きな出来事なのだ。わかっているからこそ、この思考の沼から出られない。
「兄さん、母さんがご飯だって呼んでるよ」
蒼麻がドア越しに呼びかけてくる。
「要りません、食欲がないので」
「そう……。兄さん、僕心配だよ。宗吾の件以降、ずっとその調子で。兄さんまで死んだら、流石に耐えられないかも」
表情はわからないが、弱々しい声の蒼麻。宗吾のことを、何だかんだで嫌いではなかったのだろう。僕以外にも彼のことを想っている人間がいるのは、救いでもあるかもしれない。
「僕は死にません、ただ……少し疲れているだけで」
「そうだよね、兄さんは死なないよね。僕もちょっと疲れてるのかも。ご飯食べてくるね」
足音が遠ざかっていく。やっぱり、蒼麻だけでも守らなくては。その為なら、戦闘もやむなしだ。戦うのは好きじゃないけど。
翌日。再び神社に向かう。蓮に、自分の意志を伝えるために。
「蓮、居るんでしょう。返事をしてください」
何もない空間にそう呼びかけると、景色が歪んだ。
「貴様がこんなに朝早くから、私の元に来るとは珍しい。何の用だ」
そう問う蓮の表情は、柔らかい。僕の心を読んでいるのかもしれない。
「昨日の話の続きです」
「ほう」
僕は深呼吸して、語り始める。
「僕は、正直に言うともう戦いたくありません。元々平和主義ですし。だけど、思ったんです。僕にはもう一人弟がいて……蒼麻っていうんですけど。蒼麻だけでも、守りたいって思うんです。僕の大事な存在を守るためなら、僕は戦います。蓮、貴方のことも」
蓮は目を丸くしている。何か失言しただろうか。
「貴様は馬鹿か。私は自分の身くらい自分で守れる。……だが、貴様の決意は固い様だな。目を見ればわかる。よく言った。私は貴様を認めよう。この私が認めたのだ、負けなど許さぬ」
蓮は、僕の胸を叩いた。
「一成、貴様はもっと強くなれる。私の修行を終えたのは、今まで貴様しか居ないのだから」
「そうなんですね」
流してしまったが、蓮は過去にも弟子をとっていたのか。確かに修行は厳しかったが、それ以上に蓮の性格の方が難儀だろう。高飛車で、冷酷な時もあるし。
「……何か、この私に対して不敬なことを考えていないか?」
「いえ、そんなことは」
「ふん、まあ良い。寛大な私だ。何を考えていても許してやる、感謝しろ。ところで一成、貴様に
「……僕に?」
僕に用事がある存在? 一体何だろう……。言われるがまま蓮についていくと、本殿の奥にある宿舎に通された。
「一成を連れてきたぞ、トリフネ」
「トリフネ……?」
聞き覚えのない名前だ。この響きは、人間ではなさそうな気がする。蓮が襖を開けると、ブロンドの髪を肩の長さで切り揃えている白装束の姿が見えた。
「はじめまして。貴方が一成様ですね、お噂は高天原にも届いております。私はアメノトリフネ。名前の通り、本当は船です。どうぞよろしくお願い致します」
トリフネはこちらに顔を向ける。蓮と瓜二つの顔をしているということは、血縁関係でもあるのだろうか。
「はあ……よろしくお願いします」
「挨拶はいい。貴様、一成に用事があると言っていただろう。用件を話せ」
蓮は短気だ。その性分をわかっているのか、トリフネはすぐに話し始める。
「はい。蓮様の修行を無事終えられたとのことで、高天原の皆様は非常に驚いておられるのです。今までそんな存在は、神も含めいらっしゃらなかったので。
そこで、我々は考えました。蓮様に高天原に戻って頂く際に、一成様もお連れして危機を救って頂こうと」
何だか大それた話すぎて、現実味がまるでない。高天原に僕が? どんな場所かも知らないのに。そもそも、人間が行って大丈夫なのだろうか。
「高天原が危機とは、どういうことだ」
蓮は、そこが引っかかったらしい。確かにそれも聞き捨てならない言葉だ。
「はい、実は蓮様には早急に戻って頂きたいのです。雷斗様が一足先に戻ってこられたのですが、やはりあの方だけではアマツミカホシに対抗しきれず」
わからない単語が多すぎる。雷斗? アマツミカホシ?
「あの、蓮。雷斗というのは……」
「貴様には話したことがなかったかもしれないな。雷斗は、私と共に東国を平定した武神だ。地上で隠居したと思っていたが、高天原に戻っていたとはな。アマツミカホシは……敵なしだった私と雷斗が唯一敗北した、星の神だ」
悔しそうに唇を嚙む蓮。僕よりずっと強い蓮でも、負けることがあるのか。というか、そんな敵は僕が行ったところで倒せるのだろうか。凄く不安だ。
「そういうことなのです。一成様の強さは、人間の域を超えているはずです。なので、私が天照大御神様のご命令でお迎えに上がりました」
皆、僕を買い被りすぎだ。ここは正直に、自分の想いを伝えよう。
「……でも、僕は弟を見殺しに……」
「そんなことは誰も訊いていない。貴様に提示されているのは、私と共に高天原に向かい戦うか、否かだ。言っておくが、高天原の危機はこの世界の危機。貴様のもう一人の弟にも、危害が及ぶかもしれん」
それは嫌だ。しかし、自分に自信が持てないのも本音だ。
「……僕が行って、邪魔になることは」
「蓮様が認める実力であれば、ないかと。何かを悔いている暇があるほど、人間の一生は長くないでしょう。弟様の無念を、アマツミカホシにぶつけてください」
……確かに、神から見れば人の生涯など一瞬だろう。どうやら選択肢はないらしいということも、わかった。
「わかりました。僕も高天原に行きます」
なら、蒼麻を守るためにも。平和に過ごすためにも、僕は高天原の敵を倒そう。