7月に入り、制服は夏服に切り替わった。
しかし、教室の空気は汗ばむほど蒸し暑い。
それに加え、今日は朝からどんより曇っていた。
教室の窓から見える雲は重く、今にも泣き出しそうな色をしている。
「降る前に帰ろーぜ、よっしー。」
宝条が首の後ろを透明な下敷きで扇ぎながら言った。
だが僕は、机に広げたプリントをじっと見つめたまま首を振った。
「ううん。教務室に少し寄っていくよ。」
「まじかー。真面目かよー。じゃ、先に帰ってるわー。」
放課後、提出物を抱えて職員室へ向かった僕は、
プリントを出し終えたあと、昇降口で空を見上げた。
灰色の雲が空一面を覆い、空気はさらに湿り気を増している。
急いで駐輪場に向かい、自転車の鍵を外した。
ポツ、ポツ、と音がして、すぐにそれはバラバラとした本降りに変わった。
「まじか・・・。最悪だ。」
制服の肩がすぐに濡れていく。
でも、傘はない。急いで自転車で帰るか。
どうせ濡れるなら、早く帰ってシャワー浴びたい。
校門の前、そんな思いでペダルを踏もうとした、そのとき。
「え、ちょっと待って!」
振り向くと、雨の中、走ってこっちに来る入野さんが顔を出していた。
髪はやや湿り、制服の袖に雨粒が光っている。
「平岡っち!そのまま帰る気?あんたバカでしょ!」
入野さんは傘を肩にのせたまま、こっちへ歩いてくる。
「もうびしょびしょじゃん!」
「う、うん・・・。」
うまく返せず、髪の水を手で払う。
「濡れて帰ったら風邪ひくでしょ。ってもうすでにびしょびしょだけど・・・。
自転車置いてきなよ。途中まで一緒に帰ってあげるから。」
「え、でも・・・。」
「決定。あたしの傘だから、文句なしね!」
そう言いながら、ぐいっと僕の腕を引いた。
しかたなく自転車を戻し、入野さんの差し出す傘の下へ入る。
傘の下、ぎこちなく二人は並んで歩き出した。
2人で並ぶと、自然と肩が触れた。
道幅の狭い歩道、小さな傘のせいか、それとも、彼女が思ったより近いのか。
こ、これは!?俗に言う相合傘というやつでは!?
雨音が世界を包み、車の音や通行人の気配が薄れていく。
空気が変わる。静かで、心地よくて、どこかくすぐったい。
「まったく~。こーいうの、あたしっぽくないよね~。」
ぼそっと入野がつぶやいた。
「え?」
「なんかさ、男子に傘貸すとか、気ぃ使うとか、あたしっぽくないじゃん。」
「らしくないってことは、気にしてるってこと?」
「うっさいなぁ。今だけだからなっ!」
肘でつつかれ、2人とも笑った。
僕は気づく。入野さんの「今だけ」は、本当はもう少し、続いてもいいと思ってることに。
彼女の髪からふわっと香るシャンプーの匂い。
傘の骨に落ちる雨粒のリズム。
そして、こんな距離で誰かと歩くことの、なんともいえない緊張感と幸福感。
家の近くに着くころには雨は止んでいた。
入野さんは傘を閉じ、「はい、おしまい」と一歩下がった。
傘を引くその手の動きが、なぜか少しだけ名残惜しく感じられた。
それと同時に、ふっと入野さんとの距離が離れた。
ふと空を見上げると、茜色に染まって夕日がのぞいていた。
濡れたアスファルトや水たまりに、雲の切れ間から射す夕焼けの光が反射している。
どこかで蝉が鳴いていた。
「なんか、夏だなー。」
思わずこぼれた独り言に、入野は何も言わず、でも少し笑ったような気がした。