「観測者に気を使わせてしまったか?」
地下から舞い戻った地上で量見君のゆるふわっとした髪が夕日に照らされて、光っている。
「彼はそういう人だよ」
僕はと言えば、明るくなった視界に少し瞳を伏せた。
「でも、だからって、本の返却っていう理由で走り去るのは無理があるだろ」
「まあ、彼だからね」
明らかにチグハグな動きをしながら去っていった友人の後ろ姿を思い出して、思わず頬が緩む。
「仲、いいのか?」
ぽつりと紡ぐ量見君の発言に考える素振りを見せてみた。
「まあ、親友なんだろうね」
「なぜ、疑問形?」
「そこは夜詠者同士、察してほしいかな」
「夜詠者だからって俺とお前とは明らかに違うだろ」
「同じだよ」
「よく言う。俺なんか足元にも及ばないぐらい強い力だ」
「自分を卑下するような発言はいただけないかな?」
そんな風に返せば、量見君は鼻で笑うように息を吐いた。
「そういう発言、イラっとするからやめた方がいいぞ」
「なるほど。じゃあ、気を付けるよ」
「本当に思ってるのか?」
仲良くしたいんだけどな。
これは先が長そうだ。
「もちろん。量見君と敵対するつもりはないよ」
「それは本堂さんから聞いた」
「先生って付けないだね」
「俺にとってはあの人は先生じゃなくて夜詠者の先輩でしかない」
彼はゆっくりと僕を見据えた。
うん。良い色の目だ。
「それで、俺達を助けに来たって?」
「うん。そうだよ」
「律儀だな」
「それが僕の役目だからね」
「勝手にしろよ」
僕はこの瞬間も、量見君の後についていく。
「今からどこへ?」
「帰るって言ったら信じるか?」
「そう言うなら、僕はお暇するよ」
風が僕達を通り抜けていく。春の匂いだ。
僕は思いっきり息を吸い込む。
ああ…。涼しい。
「ねえ、商店街に残っていた縫い目は君?」
「違う」
「そっか…」
「探してるのか?」
「まあ、興味はあるよ。この街で最初に見つけた夜詠者の痕跡だから」
「そうか」
彼は何かを考えるように遠くにかすかに輪郭が確認できる図書館を見上げた。
「なら、会いに行くか?多分、来てるはずだから」
「他の夜詠者を紹介してくれるのかい?」
「さっきのお礼も兼ねてだ」
「良い人なんだね。量見君は…」
なぜから彼の眉がピクリと上がる。
「それやめてくれ」
「気に障る事言ったかな?」
「陽輝だ。俺の名前…」
「ああ、なるほど。苗字で呼ばれるのは嫌なタイプか。わかったよ。陽輝君」
「坂、上るけどいいか?」
「目的地は蒼書棟かい?」
「まあ、そうなるな。これなら、桜真君がいてもよかったかもな。他の連中に紹介する丁度いい機会だったのに…」
「それはまた後日って事でいいんじゃないかな?」
「呑気な奴」
「褒められたって事いいのかな?じゃあ、友好の印にどうぞ」
「クリームパン?」
「ふわふわ生地だよ」
良い出来に仕上がったしっとりした丸いクリームパンを彼に差し出した。
ちなみにミニだから食べやすい。
「桃太郎か何かなのか?あんたは…」
「これはきびだんごじゃないよ」
「見れば分かる…」
「なら、受け取って」
陽輝君は無表情にクリームパンをもらってくれる。
さすがは観測者の友人って所かな。
うんうん。良い人だ。
「これ、お前の修正の道具だろ?こんなに気楽に手渡していいのか?」
「道具じゃなくて、パンだよ。美味しいって言葉がつく…ね」
それに君も力を使ったばかり。
僕は君も整えたいから。
その言葉は静かな坂道の中で音にならずに溶かすけれどね。
「ところで他の夜詠者達とは認識し合っているんだね」
「まあ、ここが長い奴らはな。俺達は自分が何を修正したのかは覚えられない。それでも痕跡は残るから」
「なんとなく、通じ合うっていう感じか。うん。そういうの良いね」
「どうだろうな。でも、俺達よりもずっと前の夜詠者の時代からその場所は存在している」
「場所?」
「夜詠者達がそれとなく集まる空間。誰が意図したわけでもない。だけど、いつからかそこに集って、同じ空気を味わう」
「そうか」
僕はどこか嬉しさがこみあげて来て、思わず、ホッと息をはきだした。
「どうして笑っているんだ?」
「夜詠者達が孤独でない事を知れたからかな」
「なんだよ、それ。すべてを忘れてしまう俺達にそんな感情意味ないだろ?」
「でも、自分達が世界から切り離された存在だって事は忘れないだろう?」
「どうでもいい。それより、ついたぞ」
暗闇の中に出現した図書館。僕らを出迎えてくれたのは表玄関に映える絵画だ。
「
友か…。
それも嬉しいな。
陽輝君が絵画に触れた瞬間、絵は不自然に滲み、インクが僕達を包み込んだ。
その瞬間、僕の視界に広がったのは壁際に並べられた巨大な本棚。そして、魚も誰も泳いでいない水槽と円を描くテーブル。その中央に不規則に置かれた椅子に腰かけるのは二人の人影。
「初めまして。今日は出会い日和だね」
こんなにも立て続けに夜詠者に会えたんだから。
でも、会う事が分かっていたら、もっと沢山のパンを用意したのに。
それだけが少し心残りではあるかな。
僕はそんな事を思いながら、彼らをもう一度見た。
一人は生徒会書記、小口将人君だったかな。
そして、もう片方の女子生徒。
彼女は…。
「まさか、君が夜詠者とはね。同じクラスなのに気づかなかったよ。里菜さん」
彼女は持っていたマギスマホから視線をあげた。
「白々しい。分かっていたんでしょう?」
「なんとなく、そうかなと思っていただけだよ」
「私は驚いたわ。同じクラスに新しい夜詠者がいるなんて…」
「新しいっていうのは正確じゃないかな」
ああ、今なら分かるよ。
「君だね。商店街に縫い目を残したのは…」
「縫い目ね。天戸君はそう呼ぶんだ」
「里菜さんは違う?」
「教えてあげない」
「残念だな」
そう言えば、彼女とこうして話したのは初めてかもしれないな。
僕は桜真君達の会話を聞いていただけだから。
「無駄話はどうでもいい。どうして、そいつを連れてきた」
小口君にはどうやら敵意を向けられているらしい。
まあ、それも普通の反応なのかもね。
「彼も夜詠者だ。顔を合わせておいて損はないだろ?」
「本堂先生は見逃したようだが、信用できない。この時期なら余計…」
「この時期だから、僕は来たんだよ」
――バンッ!
会話を遮断するように静謐の間を揺らすほどの爆音が響き渡った。
「ああ、封魔夢が現れた。それも強敵ね」
マギスマホをどこかに向ける里菜さんは小さくつぶやいた。
クラスで見せる彼女とは違い、どこか憂いが見える。
これが本来の彼女なのかな?
「封魔夢は魔法師の管轄だ」
小口君は眼鏡を人差し指で持ち上げた。
「だが、複魔区なら話が変わってくる」
陽輝君の言葉に頷いて同意した。
「歪理が頻発していたのはあそこが原因のようだね」
そして、封魔夢の出現が目立っていたのも…。
「だが、あそこの魔力はずっと安定していたはずだ」
「そうだね。小口君。でも、どんな物だって永遠は存在しない。君達の代にたまたま、あれが出現しそうになっているというだけ。この意味、分かるよね?」
「クソッ!俺達に出来るのか?」
「当たり前みたいに私を数に入れないでよ」
小口の言葉に里菜さんは悪態をついた。
「それでも、やるしかない。今動ける夜詠者は数えるほどしかいないんだから」
陽輝君の言葉に二人は黙ってしまう。
「大丈夫。僕も手伝うから」
だって、君達の助っ人だからね、僕は…。
それはさておき…。
「とりあえず、友好の印にパンでもどうかな?」
僕がやる事は昔も今も変わらない。
でも、不安事項がないとも言えないんだよね。
だから、ごめんね。
今回は観測者に手を貸してもらう事になりそうだよ。
ここにはいない親友に謝りつつ、僕はパンの香りを嗅ぐのである。