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第22話

地図が示す通路は、予想以上に長く険しかった。七人の「守護者たち」は、青山を先頭に、迷路のような道を進んでいった。壁の青白い炎の松明が次第に薄れ、代わりに壁面から淡い青色の光が染み出てくるようになった。


「気温が下がってきたな」加納が手のひらを見ながら言った。「外気温ではこうはならんが」


確かに、彼の吐く息が白く霜となって舞っている。


「湖の底に通じているんだから、当然か」村瀬は厚手のジャケットの襟を立てた。「気温の変化に注意しろ。低体温症の危険もある」


「うう、寒いよ」中村は両腕を抱いて震えていた。「これが夏だってことを忘れそうだ」


「ほら、これを羽織って」白石が予備のブランケットを彼に差し出した。「常に体を動かして、血流を保つことも大切よ」


七人は黙々と前進した。壁の氷の結晶が徐々に大きくなり、廊下自体が透明な氷の洞窟へと変わっていった。天井からはつららが垂れ下がり、床は滑りやすくなっていた。


「気をつけて」橘が全員に注意を促した。「滑ると危険よ」


「まるで別世界だな...」青山はつぶやいた。


火の神殿が炎と熱の空間だったとすれば、彼らが今向かっているのは、まさに氷と冷気の空間。対照的でありながら、不思議と調和している感覚があった。


突然、通路の先から「バキッ」という氷の砕ける音が響いた。


「何だ!?」村瀬が警戒態勢を取った。


全員が足を止め、音のした方向を見つめる。だが、何も動くものは見えなかった。


「気のせいか...」中村が緊張を解こうとした瞬間、今度は彼らの足元の氷に亀裂が走った。


「わっ!」


橘の悲鳴と共に、床の一部が崩れ落ちた。とっさに佐久間が彼女の腕を掴み、引き戻す。


「危なかった...」橘は震える声で礼を言った。「ありがとう、佐久間さん」


「...気をつけろ」無口な男は短く応えただけだった。


七人はさらに慎重に進むことにした。だが、どうやら最初の氷の砕ける音は偶然ではなかったようだ。彼らが進むにつれ、周囲の氷がきしむ音、水が滴る音が頻繁に聞こえるようになった。


「まるで...何かが目覚めたみたいだな」中村が不安げに周囲を見回した。


「氷の鍵を守る何かかもしれないな」加納は冷静に状況を分析していた。「火の神殿に火の守護者がいたように、ここにも氷の守護者がいるのだろう」


その言葉が終わるか終わらないかのうちに、通路が突然、大きな空間へと開けた。そこは巨大な円形のホールで、天井は高く、氷の柱が何本も立ち並んでいた。中央には氷で作られた祭壇があり、その上に小さな青い光が浮かんでいる。


「あれが...氷の鍵?」白石が小声で尋ねた。


「可能性が高いな」村瀬も声をひそめた。「だが、あまりにも簡単すぎる気がする...」


彼の言葉通り、それは罠だった。七人が慎重に中央へと歩き始めた瞬間、祭壇の周りの氷が一斉に砕け、何かの姿が現れた。


それは巨大な氷の彫像のようだった。人の形をしているが、通常の人間の二倍はある大きさで、全身が青い氷で構成されている。その目は燃えるように青白く光り、手には大きな氷の槍を持っていた。


「これは...氷の守護者か」佐久間が低い声で言った。


青山は思わず、「火の鍵」を握りしめた。すると結晶が強く脈打ち、温かさを放った。その反応に、氷の守護者が一歩前に出た。


「オマエタチ...ヒノミヤコカラノ モノドモ...」


誰もが驚いた。それは明らかに言葉だった。口から発せられるというより、氷がきしむような音が言葉として全員の頭に直接響いた。


「話せるのか...」村瀬は緊張した面持ちで言った。


「我々は火の神殿から来ました」青山は一歩前に出て言った。「氷の鍵を求めています」


守護者は動かなかった。しかし、その目の光が強まった。


「ナニタメニ...キヲ モトメル...」


「火の巫女の封印を...」青山は言いかけたが、どう続けるべきか迷った。封印を強化するためか、解くためか。彼らはまだ決断していなかった。


その躊躇いに、守護者は反応した。


「マヨイノ ココロ...シンジツヲ シラズ...キヲ アタエズ...」


次の瞬間、守護者は氷の槍を床に叩きつけた。ゴォンという鈍い音と共に、床から無数の氷柱が突き上げてきた。七人は慌てて散り散りに逃げた。


「くっ...!」中村が転がりながら氷柱を避ける。「話し合いは通じないみたいだな!」


「あの守護者、私たちの心の迷いを感じ取ったのかも!」橘が叫んだ。


「理にかなっている!」加納も叫び声を上げた。「火と氷は正反対だが本質は同じ。純粋な意志のみを認める存在なのだろう!」


青山は「火の鍵」を強く握りしめた。確かに彼らはまだ決断していない。火の巫女を解放するべきか、再び封印するべきか。その迷いが守護者の怒りを買ったのだろうか。


「どうすれば...」


その時、突如として青山の胸の内に強い感情が湧き上がった。それは彼自身のものではなく、まるで外部から流れ込んでくるような感覚。同時に「火の鍵」が強く脈打ち、熱を放った。


「うっ...!」


青山が膝をつく。その様子に気づいた白石が駆け寄ろうとしたが、新たな氷柱が彼の行く手を阻んだ。


「青山くん!」


耳元で白石の声が聞こえたが、青山の意識は別の場所に引き寄せられていた。目を開けると、彼はもはやホールにはいなかった。真っ白な空間の中、赤い着物を着た女性が立っていた。


かがり...?」


彼女は微かに笑みを浮かべた。


「蒼の血を引く者よ、迷いの時が来たか」


「はい...」青山は正直に認めた。「私たちはまだ決断できていません。あなたを解放すべきか、封印を強化すべきか...」


「当然だろう」かがりは穏やかに言った。「千年の嘘の上に真実が築かれることはない。だが今、確かなことが一つある」


「それは?」


「氷の守護者は、純粋な意志にのみ反応する」彼女の目が真剣さを増した。「迷いを持ったまま鍵を手にすることはできない。だがその決断は、まだ急ぐ必要はない」


「でも、守護者は...」


「今必要なのは、『対話の意志』だ」かがりは言った。「彼に伝えよ。君たちは真実を求めてここに来たと。判断を急がず、全てを知った上で決断を下すと」


青山の意識が現実へと引き戻される。彼は立ち上がり、氷の守護者に向き合った。


「聞いてください!」彼は力強く叫んだ。「私たちは真実を求めています。火の巫女の真実、封印の真実、そして...私たち自身の使命の真実を!」


「その通り!」村瀬も叫んだ。「私たちは決断を急ぎません。すべてを知った上で、最善の道を選びます!」


「だから」白石が優しくも毅然とした声で続けた。「私たちに氷の鍵を見せてください。それが何なのか、どう使うべきなのかを知るために」


「私たちは地域の守護者です」橘も力強く言った。「千年の歴史の中で、最も正しい選択をするために、知恵を求めています!」


七人の声が一つになり、ホール全体に響き渡った。その純粋さに、氷の守護者の動きが止まった。その目の光が弱まり、より穏やかな青さに変わっていく。


「シンジツヲ モトメル...カ...」


守護者はゆっくりと氷の槍を下げた。そして、中央の祭壇へと視線を向けた。


「ススメ...シカシ...ココロノ トウメイサヲ シメセ...」


「心の透明さを示せ...と言っています」橘が翻訳した。「私たちの純粋な意図を示すべきなんでしょう」


「どうやって?」中村が困惑した表情で尋ねた。


「分かった」佐久間が静かに言った。「あの祭壇に、各自の純粋な思いの証を置くのだ」


「思いの証?」加納が眉をひそめた。


「そう」佐久間は頷いた。「自分にとって最も大切なもの...心の純粋さを表すものを」


七人は互いを見つめ、頷き合った。一人ずつ、祭壇に近づき、自分の大切なものを置いていく。


村瀬は、長年携帯してきた父の形見の懐中時計を置いた。「父の教えは、いつも人々を守ることだった」


加納は、自作の小型機械を置いた。「これは、人々を救うために作った最初の発明品だ」


白石は、医師免許証のコピーを置いた。「私の誓いの証...どんな状況でも命を守ることを誓った証」


橘は、古いラジオのマイクピンを置いた。「真実を伝えることを誓った日の記念品...」


中村は、消防団の初任研修の記念バッジを置いた。「冗談ばかり言ってるけど、実は真面目なんだぜ...これが証拠」


佐久間は、古い漢字で「誠」と刻まれた木の札を置いた。言葉は添えなかったが、その目には強い決意が宿っていた。


最後に青山は、祖父から貰った青い石のペンダントを置いた。「これが蒼の証...僕の血筋の証です」


七つの品が祭壇に置かれると、中央の青い光が強く輝き始めた。氷の守護者が高く声を上げる。


「ココロノ トウメイサ...ミトメラレタリ...」


光が拡大し、七つの品を包み込んだ。そして不思議なことに、それらの品はそのままに、中央から別の光が立ち上った。それは「氷の鍵」だった。青山の「火の鍵」に似た形の結晶だが、冷たい青色に輝いている。


「アヤマレリ...シンジツノ タメニ タタカウ モノドモヨ...」


守護者の言葉と共に、「氷の鍵」はゆっくりと青山に向かって浮かんできた。彼はおそるおそる手を伸ばし、それを受け取った。


瞬間、激しい寒気が彼の体を貫いた。だが、次の瞬間には「火の鍵」が強く脈打ち、その温かさが彼を包み込んだ。二つの鍵が、彼の手の中で調和するように輝いている。


「これが...氷の鍵」


全員が息を呑んで見つめる中、突如として空間全体が揺れ始めた。


「なっ...!」村瀬が叫んだ。


床や壁の氷が砕け、大きな亀裂が走る。氷の守護者も、驚いたように周囲を見回した。


「コレハ...ヨソウ セザリシ コト...」


守護者の言葉が続く前に、ホールの天井が崩れ始めた。大きな氷塊が落下してくる。


「逃げろ!」村瀬が叫んだ。


七人は急いで出口へと走った。だが、通路も崩壊し始めていた。


「どうして!?」橘が恐怖に声を震わせた。「何が起きてるの!?」


その時、青山の手にある二つの鍵が強く反応した。火と氷の結晶が共鳴するように光を放ち、彼の頭にはっきりとした声が響いた。


『封印が崩れ始めている...』


それはかがりの声だった。


『二つの鍵が一つになった今、封印の均衡が壊れた。火の神殿も崩壊し始めているだろう。満月を待たずとも、決断の時は来た...』


青山は震える声で、仲間たちにかがりの言葉を伝えた。


「つまり、私たちが二つの鍵を手に入れたことで、千年の封印が自然に崩れ始めたということか」村瀬が理解を示した。


「でも、逃げ道が...!」中村が崩れゆく通路を指さした。


その時、氷の守護者が彼らの前に立ちはだかった。だが今度は敵意を示すのではなく、手を広げ、何かを促しているようだった。


「守護者が...助けてくれるのか?」白石が驚いた様子で言った。


守護者は頷いたように見えた。その巨体が光に包まれ、形を変え始める。氷の巨人から、巨大な氷の鳥へと変わったのだ。


「ノレ...アンゼン ナル バショ ヘ オクル...」


「乗れと言っています!」橘が叫んだ。「守護者が私たちを安全な場所へ連れて行ってくれるわ!」


七人は躊躇なく、氷の鳥の背に飛び乗った。守護者は羽ばたき、崩れゆくホールの天井へと飛び上がった。氷の塊を避けながら、彼らはどんどん上昇していく。


「すごい...」中村は興奮した様子だった。「鳥に変身するなんて、ファンタジー映画みたいだ!」


「今はそんなことを言っている場合か!」加納がいつもの調子で叱った。


氷の鳥は天井を突き破り、彼らは突如として開けた空間に出た。それは猪苗代湖の湖底だった。だが不思議なことに、彼らは水中にいるにもかかわらず、呼吸ができた。


鳥は湖底から一気に水面へと向かい、水しぶきを上げて空中へと飛び出した。夕暮れ時の猪苗代湖の上空を、七人を乗せた氷の鳥が舞っていた。


「信じられない...」橘は息を呑んだ。「私たち、湖から出てきたのね」


「しかも乾いたままだ」加納は自分の服を確認して言った。「科学では説明できん現象だ」


氷の鳥は湖畔へと降下し始めた。着地すると、再び光に包まれ、人型の守護者へと戻った。


「タスケタ ノハ キミタチ ノ ココロノ トウメイサ ユエ...」守護者が言った。「イマ カエレ...ダンジョン ニ...キョジン ナル ケツダン ノ トキ...」


言葉を終えると、守護者は光となって消えた。残されたのは七人と、青山の手の中の二つの鍵だけだった。


「ダンジョンに戻れ...と言ったな」村瀬は磐梯山の方向を見た。「大きな決断の時...」


かがりの言う通り、封印は崩れ始めている」青山は二つの鍵を見つめた。「満月を待たずに決断を下さなければ...」


「でも、どうやって戻るの?」白石が心配そうに尋ねた。「通路は崩れてしまったわ」


その時、青山の手の中の二つの鍵が強く反応した。「火の鍵」と「氷の鍵」が共鳴するように輝き、二つの光線を放った。その光線は湖面に向けられ、そこに光の門が形成された。


「新しい道だ」佐久間が静かに言った。


七人は互いの顔を見つめた。「火の鍵」と「氷の鍵」を手に入れた今、彼らは千年に一度の大きな決断を下さなければならない。火の巫女を解放するか、再び封印するか。


「行こう」青山は決意を込めて言った。「みんなで決めよう...私たちの使命を果たすために」


七人は静かに頷き、光の門へと足を踏み入れた。磐梯山のダンジョンへ、そして千年の歴史を左右する決断の場へと。


門の向こうでは、青白い炎が激しく燃え盛っていた。まるで、彼らの大きな決断を待ち望むかのように。


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