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イケメン仮面、参上

 雨が止み、雲が晴れ、月が再び存在感を放つ夜空の下。

 建物の屋根、看板、ビルの屋上を幾度も跳び移りながら、人々溢れる夜の街の上をひた走っていく。


「本当に来るのかい? 安静にしてないと、腕に障るのでは──」

「黙らっしゃい。この程度、私の色術しきじゅつなら十全に動かせるし、秘策だってちゃんとある。女の覚悟に水差すとか、それじゃ顔が良くてもすぐに女は離れていくタイプね」

「……確かに野暮だったね。申し訳わけない」


 改めて俺が確認すると、固定を外した右腕を見せつけるように動かしてくる先輩。


 指の一本さえ細かく動かしてみせ、一見何も問題ないように見える右腕。

 けれど実際は折れたまま、色術しきじゅつとやらで無理矢理に動かしているに過ぎないらしく、痛みはあるが、それでも思考で回す分こっちの方が上手く速くやれるとのことだ。


 イケメン仮面としては安静にしていて欲しいが、中の地味太じみた的には一緒に来てくれると頼もしいと思えてしまう。情けない所だ。


 しかしモテない……今のは、真のイケメンとして恥ずべき言動だったか。

 例えガワが最高級でも、イケメン心皆無な中の人をそのまま出力したのでは意味がない。イケメン仮面は誰にも恋しないが、真のイケメンとしてベストな会話力と心意気は磨いていかなければと、この夜だけで痛感させられてしまうね。


「いい? 互いに目的は陽奈ひなの奪還。貴方が命の危機だろうが私は助けない。だから貴方も、私が危機に陥っても迷わず見捨てて目的を果たしなさい」

「断らせてもらうよ。イケメン仮面は市民の味方、正義のヒーロー。君達二人を揃って明日へ送ることこそが、俺が今日を戦う目的だからね」

「……そう。ならもう好きにしなさい、大馬鹿変態ヒーロー」


 俺がイケメンスマイルを浮かべながら親指を上げると、先輩は露骨に顔を露骨に顔を逸らしてしまう。


 別にイケメン仮面がイケメン過ぎて照れてるとかそういうのではなく、単純になんだこいつと呆れている様子。

 ……薄々そうじゃないかなと思っていたが、やはりこの先輩、イケメン仮面のことを好意的に思っていないらしい。……イケメンパワー、もっと養っていかないとな。


 ともかく急がなければと、ビルの上に着地して再び跳び上がろうと思った。その瞬間だった。

 突如足下が光ったと思えば、地面から現れた赤い線が折戸なり、

 何事かと警戒した俺達を数人で囲い、逃がさないと睨みながら、刀だの槍だの銃だの物騒極まりない物を向けてくる。


 まるで映画で見たレーザートラップみたいな赤い檻。

 触ればどうなるのかと、ちょっと試してみたくなったがひとまずは止めておこう。敵意ありと見られそうだ。


「驚いた。まさか悪魔用のトラップに人がかかるとは思わなかった。……さて、私は色彩部カラフル第三課所属の倉橋だ。フリーの色師しきし……だよな? 街中での私的な色力しきりょく利用は色師規定しきしきていに反している。登録済みなら所属を明かし、抵抗せず我々の聴取に応じてもらいたい」


 ぬるりと一歩前へと出てきながら、警察手帳みたいな手帳を見せてくる倉橋と名乗る男。

 恐らくこの集団の頭目であろう、少しよれた黒いスーツで着て腰に刀を携えた、刑事ドラマでベテラン枠にいそうな風貌。

 色彩部カラフル。つまりこの人達が先輩の言っていた、国が抱える大悪魔絶対殺すマン達ということか。同じ市民の味方としては仲良くしたいが、そうはいかなそうな雰囲気なのが残念だ。


「ご丁寧にどうも。俺はイケメン仮面。市民の味方、正義のヒーローをやっている者です」

「……なるほどね。誰かと思ったら万年予算不足の第三課……そう。どうりで安っぽい、試行錯誤された檻だと思ったわ」


 どうすべきかと考えながら、名乗られたからには名乗り返すのが真のイケメンだと。

 高らかにイケメン仮面と名乗りを上げれば、周りの九割からは困惑され、倉橋含めた残りの数人にはくすりと笑われ、隣の先輩から冷たく鋭い視線をぶつけられてしまう。


「これは手厳しい。ですがその安っぽい下級悪魔用の罠に引っかかるとは、どうやら相当なお急ぎだったらしい」

「ご丁寧な嫌味どうも。分かったなら黙ってとっとと解放しなさい。私急いでるの。上級悪魔絡みで、一秒さえ無駄に出来ないくらい重要事。……ああそれとも、この私を黒条院こくじょういんだと知ってなお道を阻むのかしら?」


 皮肉には皮肉と言わんばかりな嫌味の応酬。

 見上げてみればこんなにも綺麗な空だというのに、どうしてこんなにも汚い人の言葉は汚いのだろうか。


 そして先輩、もしかしていいとこ出のお嬢さまなのか。

 確かに黒条院こくじょういんなんて滅多にいないであろう無駄に大仰な名字だけど、俺ですら通える平凡な高校に本物のお嬢さまがいるとは思わなかったな。びっくりだ。


「なんと、五家の縁者の方でしたか。しかし黒条院こくじょういんに勇ましいご令嬢がいたなどとは……ああなるほど、さては分家の方。黒でありながら槍と共に前へと出る変わり者、あの黒条院荊華けいか様ですか」

「そうよ。分かったなら、とっとと解放してくれないかしら。こんな月の夜なんだし、その方が互いにメリットがあるはずよ。そうでしょ?」

「残念ながらそうは行きません。貴方方がどんな色師しきしであろうと、月がどのような色をしていても規定は規定。真偽人種場合問わず違反者を取り締まり、治安を維持することこそ我々三課の掲げる信念ですので」


 お家の名前を出されながらも、毅然として正義を掲げる倉橋さん。

 武力で拘束さえしていなければ、主張、行動共にあちらの方が全面的に正しいと俺は思えてならない。


 しかし悪い、とてもまどろこっしい。

 正義のヒーローがこんなこと言っちゃおしまいだろうが、一分一秒が惜しい今、秩序とか規則とか気にしている暇はないんだ。


「ちっ、やっぱり駄目ね。イケメン仮面、こうなれば押し通る……ってちょっと、えっ、いきなり何!?」

「申し訳ない。無用な荒事は避けたいし、何より少しばかり急ぎたいからね。ああそれと、舌噛まないように気をつけて」


 先輩が言い終わるのを待たず、有無を言わさず先輩をお姫様抱っこで抱えてがっしりと掴む。


「おや、何を?」

「申し訳ありませんが、俺達は少々急いでいますので失礼します。それとお務め、ご苦労様です」


 イケメン仮面として、綺麗な一礼をしながら、日頃裏から守ってくれている感謝と挨拶を添え。

 彼らがなにをするよりも早く足に力を溜めて跳躍し、赤い檻をちょっとひりっとしながら突き破り、イケメンスペックを遺憾なく発揮して先へと進んでいく。


 イケメン仮面、緊急アクション。

 イケメンジャンプ。そしてもう一つ、イケメンダッシュ。読んでそのままイケメン仮面のイケメンスペックをフルに駆使し、より高く、より速く進む技だ。


 本来、イケメンスペックは日常の些細な脅威を払うには大きすぎる力。

 だが今は緊急時。必要なら、後で菓子折り持って謝りにでもいけばいいだろう。

 そもそも俺は色力なんて使えない、イケメンパワー百%だからね。何の規定かは知らないが、逃げたって規定とやらには触れないはずだ。


 邪魔は入ってしまったが、あとはひたすら進むだけだと。

 己に活を入れながら、目的地を目指してイケメンジャンプ+ダッシュを続けていく。


 建物を壊さぬよう、けれども速度を出して目指すは目の前に聳え立つ建物一点。

 この国でもっとも高い電波塔。この満月を一番近くで拝むことが出来る、スカイタワーの頂上だ。






 不吉ながら不思議な魔性さえ秘める、赤く染まった月。

 この現象を初めて経験する者にとっては天変地異の前触れかと思えるほどの異常だが、実際はそうではない。


 赤、青、黄、白、黒。

 力なき人には片鱗さえ見えないが、月は何度だって五つの色に染まっている。

 長い歴史の中で何度も起き、その度に何事もなく過ぎ去っていただけに過ぎない。人々はその事実を、意味を、裏で暗躍する悪魔の存在を知らないだけなのだ。


 五色の悪魔達。

 欲を、意志を、我を持つ人類の敵だが、彼らの共通目的はただ一つ。この世界に自らの色を冠する大悪魔を降臨させ、月だけではなく世界の全てを塗り潰して自らの楽園へと変えること。


 違う色の悪魔は仲間ではなくむしろ敵。

 目的である大悪魔を降臨させるべく、時に争い、妨害し、時に人とさえも結託して他の悪魔を陥れる。全ては自らが、自らの存在意義を果たすため。誰よりも先に、自身の色の大悪魔を降臨させるために。


 ──そして今日。器を手に入れた赤の悪魔は、ついに世界を終わらせるに王手をかけた。


「嗚呼、実に美しい! 今宵の赤月は一段と優美で魔性に満ちています! 雨などという邪魔には腸煮えくり返りましたが、わざわざ雲を散らす必要がなくて何よりですよ!」


 スカイタワー。

 国一番の人工物とされる電波塔の最上部にて、赤のスーツで身を包む悪魔──右腕レッドスカーは高らかに笑い声を上げていた。


 大悪魔の四肢。

 それは大悪魔が力を分け与えながら産み出した、右腕、左腕、右足、左足からなる四体の悪魔を指す。


 自らを降臨させんと、大悪魔が唯一自らの意志でこの世界へ送り放った特別製の悪魔であり、大悪魔が降臨出来ないこの世界において、実質的な悪魔の頂点は彼ら。

 人の基準にて上級と区分されながら、自らの色に染まった月夜のみ、並の上級とは隔絶した本領を発揮する怪物達こそが彼らである。


「ったくうるせえなぁ。こっちは月見て煙吹かしてるってのに気色悪く酔ってんじゃねえよ、右腕レッドスカー

「黙りなさい左腕ゾンクリム。逆に貴方は何故! 何故悲願達成の前にして! そんな尽きかけの煙草みたいなしけた顔をしてるんです!?」


 頂上の端っこに座り、葉巻の赤い煙を吐きながら、露骨なほど疎ましげに顔をしかめる左腕ゾンクリム

 そんな左腕ゾンクリムに、右腕レッドスカーは大きな手振りと共に糾弾する。


 大悪魔の四肢には序列があり、右腕はその中でも一番上。それはどの色の悪魔も一緒。

 だが少なくとも、赤の四肢の間に上下関係など微塵もない。左腕ゾンクリムのみならず、ぼーっと空を眺める右足ビルーにも、器である少女のそばでスマホを弄っている左足ポーピーにも。


「ねえ右腕レッドスカー。濡れちゃったから帰ってお風呂入りたいんだけど……お母様の降臨は……いつ始まってくれるの……?」

「素晴らしい、実にエクセレントな質問ですね左足ビルー。褒美にレッドポイント、十点を授けましょう」

「いらないから……むしろ減点して欲しいかな……」


 ゴスロリ服の、片目隠れな小さな左足ビルーは一瞥さえせず拒絶する。

 右腕レッドスカーはそんな左足ビルーの辛辣な態度にもめげず、かけている小さな丸眼鏡を指で整え直してから、ごほんと大きく喉を鳴らした。


「ううん! では注目です同胞諸君! 母様にこの支柱世界に落とされ、未だ損なうことなき四肢達よ! ここに描きましたるは降臨の儀陣! 我らが赤の悪魔の創造主! 崇高なる母、ヴァミリオン様がこの支柱次元に降り立つための大奇跡です!」


 両手を挙げ、うるさいと言われた声を抑えることなく、むしろ更に大きくして話す右腕レッドスカー

 あまりにうるさいので、この場にいる残り三人がゆっくりと右腕レッドスカーへ顔を向ける。


「長かった……嗚呼、実に、長かった! かつての好機、忌々しくも憎き白の悪魔と色使い共に妨害された屈辱の夜から久しく! ようやく最上の条件にて! どの悪魔よりも先に! 我々は成し遂げるわけです! 僥倖、嗚呼、実に僥倖ですよッ!!」

「うるさいよ……右腕レッドスカーの声、無駄に響くから声帯ごとなくなって欲しいな……」

「器は生を持ち、健常完全な状態としてここにある! 今宵、色使い共は間に合わない! これほどまでの好機、逃せば向こう数百年と訪れないでしょう! クハハハッ!」


 最早隠れる気などないだろうと、胸を張り、ひたすらに見上げながら笑う右腕レッドスカー

 どうでもいいと目を離し、誰かを待つかのように煙を吐く左腕ゾンクリム

 我関せずと、再びスマホへ目をやり、ポップな効果音を出し始める右足ポーピー

 心底不快だと、自らの手で両耳を塞ぎながらしゃがむ左足ビルー


 同じ四肢であろうと、一切のまとまりなく。

 例え最上の使命であろう大悪魔の降臨を前にしようと、全員が思うままに時間を潰していた。


「……ふうっ。まあ好条件なのは否定しないが、果たしてそう上手くいくかね?」

「役立たずのくせして、随分水を差してきますね左腕ゾンクリム。何が言いたいんです?」

「いやなに、今回だって俺達の動向を知っているやつは零じゃねえんだ。前回みたいの白連中みたいな、笑えちまうほどの大番狂わせがあるかもだぜ?」


 退屈そうに煙吐きながら、ふと呟いた左腕ゾンクリム

 風に消されてしまいそうなほど小さな呟きだったが、聞き取っていた右腕レッドスカーはくねくねとうざったい動きで左腕ゾンクリムへと近づき問いただしてくる。


「何を馬鹿な……嗚呼、もしや先ほどの人間ですか? ククッ、クハハハッ! 何を言うかと思えば、あんな力すらない人間一匹に何が出来ると!? 例え少し腕が立とうが、力さえ扱えないのであれば所詮はそれまで!  右足ポーピーの偽装領域を見抜くことなど、前もって場所を把握していなければ不可能ですとも! 同胞を疑うつもりですか!?」

「いやまあ右足あいつの領域は疑っちゃいねえがな……まあいいや。今日の俺はもう、どっちでもいいしな」


 左腕ゾンクリムがニヒルな笑みを浮かべる。

 右腕レッドスカーも何をと首を傾げるが、すぐに言いたいことを悟ったのか、一際大きく声を張り上げながら否定してから左腕ゾンクリムの胸ぐらを掴み上げる。


 左腕ゾンクリムはポリポリと頭を掻いてから、右腕レッドスカーの手を雑に払う。

 右腕レッドスカーはちょっと痛そうに手を擦りながら、舌打ちしてから左腕ゾンクリムに背を向け電波塔の中央──今なお気持ちよさそうに眠る器の少女のそばへと辿り着いた。


「さあさあ! 間もなく、もう間もなく月は位置に来ます! いよいよです! いよいよ、いよいよいよいよッ! クハハハハッ──ハッ?」


 そうして儀式を開始しようと手を伸ばした───その時だった。


「ハハッ、最高だ! 俺を負かした男なら、絶対来てくれると思ったぜ!! なあ兄弟!?」


 左腕ゾンクリムは口角を上げ、葉巻を空に吐き捨てながら、満面の喜悦を露わにする。

 誰も来るはずのない、赤の悪魔が手に入れた万全の好機。

 色師しきしの手練れは愚か、他の色の悪魔さえ、最早間に合うことはないと確信した瞬間。


 けれどそいつはやってきた。

 あの場での決着に退屈だと思い、つい自身が零したたった一つのヒントだけで、兄弟と呼んだ男はやってきてくれた。だからこそ、この上ない興奮が溢れてしまう。



「正義のヒーロー、イケメン仮面参上。さあ悪魔達、罪なき少女を返してもらおうか」



 そうして夜天に灯る赤い光に最も近い、電波塔の上にて。

 仮面と黒マントを付けたスーツの男。金髪碧眼高身長な、漫画の中から出てきた王子様みたいなイケメン。


 彼の名はイケメン仮面。市民の味方、正義のヒーローを名乗る男。

 一度は少女を奪われながらも再び立ち上がったその男は、黒髪の美少女をお姫様抱っこしながら華麗に決着の場へ着地し、高らかに参上の口上を告げた。

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