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ヒーローごっこはもう終わり

 悪魔三人の強襲を受け、守るべき先輩の友人を奪われた後。

 負傷しながらも肩すら貸されること拒否した黒条院こくじょういん先輩と共に、彼女が持っているらしいアパートの一室へと場所を移した。


 とはいえ、先輩が腕の応急処置を終えた後も、古びた六畳間に言葉はない。

 明かりも付けず。外では天気雨か、ぽつぽつと雨音が耳に届いてくるばかり。

 時計なんてない部屋の壁で、互いに向かい合わせて壁に寄りかかり、気まずい沈黙がいつまでも続くのみだった。


「……悪かったわ。足を引っ張ったのは私なのに、あんなに当たってしまって」


 何か言おうと考えるも、結局何も思いつかず。

 こういうときに必要なのはイケメンではなくコミュ力だと、考えては中の自分の何も出来なさに嫌気が差していると、ぽつりと聞き逃してしまいそうなほど小さな声で先輩が謝ってきた。


「いや、謝ることはないよ。情けないが、このイケメン仮面が力不足だった。それだけだ」

「いえ、私の力が足りなかった。私があの場で、あの娘を助けるのに一番邪魔だった……」


 先に謝らせてしまったことを申し訳なくなり、こちらが深く頭を下げるも先輩は意に介してくれず。

 ただ自分の無力を蔑み、疎み、悔やむ。

 そんな絶望に打ちひしがれる彼女を見てもなお、情けない俺の頭では掛ける言葉さえ見つかってくれなかった。


「……ほんと、度し難いほどの馬鹿よね。この程度の力で悪魔から陽奈ひなを守るなんて。戦闘向けじゃない黒系統だけど努力すればやれるって、死に物狂いで槍を練習してもこの様。それで中級悪魔を狩れるようになったって、上級悪魔に歯が立たないんじゃ意味なんてあるわけがないのに……!!」


 ぽつぽつと。

 外の雨粒と重なりながら、流す涙を押さえるように顔に手を当ててしまいながら、先輩は懺悔するように言葉を零していく。


 きっと先輩は、この日のためにすごい鍛練を積んできたのだろう。 

 だからこそこんなにも後悔しているし、安請け合いして何も出来なかった俺の心を、こんなにも強く揺さぶってくるのだ。


「何か隠してると思ってるでしょ? ……残念ながら、知っていることはほとんど話したわ。五歳の頃から必死に調べて、それでもその程度しか分からなかったの。笑えるほど滑稽でしょ?」

「……そう、だったのか」

「ええ……まあ当然よね。五色の大悪魔の降臨が成功したことなんて、長い歴史の中ですら一度もない。もし一度でもあったら、それこそ世界に甚大な被害が生じているもの。先人達があらゆる手段を駆使して、事前に食い止めてきたものを私ごときがどうこう出来るものじゃないと……そんなこと、ずっと前から分かっていたのよ」


 自身がこれまでの否定していく先輩の姿は、あんなに尊大だったのというのに、蹲っている子供みたいに酷く小さく見えてしまう。


「人すら信用出来ないと、荊華けいかさんは言っていたね。本当に協力は出来なかったのかい?」

「どうでしょうね。ただ色彩部カラフルの……国が保有している対悪魔組織の存在理念は、五色の大悪魔の降臨阻止と打倒。時代問わず、あいつらはそのためなら何だってする。生温い現代の人権なんて通用しない、野良の色師しきしとは違う世界の裏を支える本物の狂人達。器であると断言されたあの娘なんて簡単に使い潰されてしまう。そんなの死んでいるのと同じ……いえ、それ以上の地獄でしかないわ」


 何も知らない俺には、その辺の事情や歴史なんかは分からない。

 助けを求めた者を研究したのかもしれないし、もしかしたらそんなことしていないのかもしれない。


 何も分からぬまましがみついてきた個人を弄び、何も知らぬまま殺して全体を取る。

 それは悪であると、決して否定出来ない正義でもある。仮にやっていたとしても、そうやって危機を乗り越えてきたからこそ、現代まで平和を紡いでこられたのだろう。


 俺もまた、そうやって出来た平和の中で暮らしている一人。

 何も知らずに屍の上に築かれた平和と発展の恩恵を受けて生まれ育った者として、少しでも正義のヒーローなんて名乗っているのなら、間違っているなんて口が裂けても言っちゃいけないはずだ。


 だが一つ、今の話を聞いて一つだけ、どうしても無視できない疑問が湧いてしまう。


「器と断言されたというのは、誰になんだ?」

「……赤の大悪魔によ。全ての始まりである五歳の頃、小さな冒険の偶然から陽奈ひなを見つけてしまっ彼女は、次の赤い月の夜が楽しみだと、勝ち誇ったようにそう告げてきた。もっともあの娘は記憶を奪われたから、あの日のことを何も覚えちゃいないのだけど」


 聞くべきだと、少し迷ったがそう決断して尋ねた疑問。

 先輩は少しだけ躊躇うように口を閉じるも、大きく息を吐き、やがてゆっくりと答えてくれる。


 なるほど、赤の大悪魔自体と接触があったのか。

 プロの方々ならもっと問い詰めるのだろうが、よく知らないからこそそれだけ聞ければ十分だ。


「たった一人を救うために、色師しきしとしての責任を放棄して、結果友達も世界も守れなかった最低最悪な女。……このまま赤の大悪魔が降臨したら、人類の戦犯は間違いなくこの私。ねえイケメン仮面、私を色彩部カラフルに突き出せば、それだけで正義のヒーローとして表彰されるかもしれないわね?」


 自虐混じりに、自暴自棄とばかりにへらりと笑いかけてくる。

 腫れた瞼。輝きを失った黒の瞳はもう何もかもがどうでもいいと一目瞭然で、だから俺は無意識に、ぎゅっと拳を握ってしまう。


 そんなわけがない。そんなわけ、あっていいはずがないだろう。

 先輩は友達を本当に想っているから、今日までたった一人で頑張ってきたんじゃないか。

 俺の身勝手でしかないイケメン仮面なんかとは違う、報われなきゃいけない献身。天が、人が、悪魔が嘲笑おうとも、先輩が最後に報われなきゃ誰が


 確かに世の中にはどうしようもない悲劇の方が多くて、誰もが我慢して呑み込んで生きている。

 だからこそ、例え全部ではない不平等だけど、手を差しのばせる存在がいてもいいはず。正義のヒーローイケメン仮面は、そんな存在を目指していたはずだ。


「すまないが、鏡を貸してくれないか?」

「……手鏡なんてないから、洗面台で見てきなさいよ」


 立ち上がり、断ってから洗面所へ向かい、鏡の前に立つ。

 仮面を外してみれば、そこに映っていたのは覇気のない、中の人の自信のなさが滲み出ているヒーロー失格のイケメンだけ。


 鏡に映るイケメン仮面おまえは、こんなにも格好いいのに。

 鏡に映るイケメン仮面おまえの肉体は、こんなにも健在で完璧なのに。

 鏡に映るイケメン仮面おまえの顔には、美しい碧い目には、こんなにも自信が足りていない。


 恐れていた。怖がっていた。臆していた。そんなの全部、中にいる俺の方。

 よりにもよって、俺が誰よりもイケメン仮面を過小評価していた。誰よりもイケメン仮面を推しているはずの俺が、誰よりもイケメン仮面の限界を想像してしまっていた。


 言い訳なんて必要ない。

 真に望む正義のヒーロー、イケメン仮面ならばあの状況でも二人を助けることが出来たと、凡庸な大地味太だいちあじたは最推しであると宣っていようが信じ切れなかった。それだけだ。


「フハハ、ハハハッ!」

「……うるさいわね、変態不審者らしくついに狂ったの?」

「いや違うとも! こんな顔をしていた自分に、情けなくなってしまっただけだよ! ハハハッ!」


 バチン、と。

 音なんて気にしないくらい思いっき両頬を叩いてから顔を上げ、付いてしまったイケメン仮面には似合わない、紅葉みたいな跡を見て笑いがこみ上げてきてしまう。


 自分でも理解出来ない、色々なものが混じった興奮。

 部屋へと戻って先輩に怪訝な顔をされようとも構わず、ひたすらに腹の底から笑い続ける。


 何を迷っていたんだ。馬鹿なんじゃないか、俺は。

 そうとも、今の俺はイケメン仮面! 

 可能な限り助ける市民の味方、正義のヒーロー! 何も持っていない地味太じみたが唯一誇れる、どんな漫画アニメのキャラよりも推せると心に誓った真のイケメン! 


 俺の最推しに、こんなしけたしょぼくれ顔は似合わない。

 仮面の下で爽やかな笑みを浮かべるイケメン仮面は、取り返しが付くのなら、たった一度の失敗で俯くなんてあり得ないだろう?


「そうとも、俺は市民の味方、正義のヒーローイケメン仮面。正義のヒーローが助けると言ったのなら、決して悲劇で終わるなどあっちゃいけない。友達を第一に考える先輩を戦犯に、そんな風に想われる先輩の友人を犠牲になど決してさせないのが、ヒーローを名乗る者としての矜持だ」


 ゆっくりと、この胸の内に刻み込むように。

 今度こそ、もう違えないと言葉に変えながら、俺は再び仮面を被ってイケメン仮面となる。


 それは決意であり、自らに化した呪い。

 イケメン仮面が助けると決めたのなら、その決意を違えてはならない。出来ないのなら存在意味のない、自らを戒める鎖。

 だけどこれでいい。むしろこれがいい。イケメン仮面が真のイケメンだというのなら、その鎖を力に変えていけなければならない。


「無理よ。もう当てがない。どこにいるかも分からないのに、どうやって、あいつらを見つけるって──」

「いいやある。違っていても死ぬ気で探す。どんなに見苦しくとも、助けるべき人のためなら最後まで足掻くのがイケメン仮面だからね」


 空虚な瞳で見上げてくる先輩。

 そんな彼女に少しでも希望を与えたいと願いながら、俺はイケメン仮面としてのいつも通り、爽やかなイケメンスマイルを見せる。


 去り際、ゾンクリムが残してくれた唯一のヒント。

 餞別のつもりか。それとも挑発か。気まぐれ、或いは俺達を騙そうとしているだけなのか。


 ──どれでもいい。あの悪魔の意図なんて、今はどうだって構わない。


 考えることならいくらでも出来る。

 悩むことだっていつまでだって出来る。

 それっぽい理由をつけて足踏みなんてのは簡単で、誰にだって出来る事。


 だから俺は、イケメン仮面は今踏み出す。そういうのは後回しにして、動き出す。

 何も決めることが出来ず、一度は見捨ててしまった少女を助けるために。

 イケメン仮面は誰にだって誇れる最推しだと、一番のファンである地味太おれを裏切らないために。


「……うじうじめそめそ、私って本当馬鹿。ねえ、ビンタして」

「え? ……え、えっと、イケメン仮面は女性に手を上げないポリシーが……」

「ガタガタ抜かさない! 構わないからビンタして! この私の頬に、全力で、早くっ!」

「は、はい!」


 怪我をしている先輩は流石について行けないし、今はそっとしておこうと。

 一人で決戦の場候補を目指そうと、そう告げて、マントを翻しながら先輩に背を向け、玄関に向かって歩き出そうとして──先輩は立ち上がりながら俺を呼び止め、突拍子もないことを命令してくる。


 イケメン仮面として、女性に手を上げるなんて紳士にあるまじき行為。

 当然拒否しようと想ったが、情けないことにあまりの剣幕と圧に負けてしまった俺は「じゃあ行きますよ」と声を掛けて、流れるようにイケメンビンタ(弱)をしてしまった。


「……痛いわ。正義のヒーローって案外手加減とかしないのね。きっとこの跡は、一生残ってしまうわ」

「え、いや、申し訳な──」

「冗談よ。……でも、これですっきりしたわ。そうよね、まだ終わってない。失敗して嘆くのなんて、後でいくらでも出来る。そんな当たり前のことすら、見えなくなっていたのね」


 出来た紅葉跡を手で擦りながら、ちょっぴり責めてくる先輩。

 やれと言ってきたのはそっちなのにと思いながら、それでも人として最低なことをしたのは事実なのでつい謝ろうとした俺だったが、先輩は「冗談よ」と口元に手を当てながら微笑んできた。


「私は黒条院こくじょういん荊華けいか。私がすべきは陽奈ひなを──大切な友達を明日へ送ること。そのために今日まで生きてきて、そのために今日全部を懸ける。それがこの私が曲げちゃいけない、唯一にして絶対の矜持よ」


 先輩は俺と同じように独り言つ。自分はまだ立ち上がれると、折れてないと宣言する。

 その黒い瞳はもう、輝きを失った虚無の目なんかじゃない。決意に満ちた、最後まで戦うと覚悟を決めた者の目だ。


 奮い立ったか、俺と同じように……いや、全然違うな。

 先輩は自分の足で、自分の決意一つで立ち上がった。それはイケメン仮面として立ち上がれた俺よりも、ずっと称賛すべき尊ぶべき事だ。


「当てがあると言っていたわね。ならとっととこの私を連れて行きなさい。反撃よ、イケメン仮面?」

「……それはいけない。腕が折れているのなら、安静にしていなきゃ──」

「平気よ。こんなもの、負傷した内になんて入らないんだから」


 そうして先輩は応急処置と固定していた三角巾を取っ払い、しっかりとした足取りで俺を追い越して扉へと歩き出す。


 窓を見れば、天気雨もすっかり上がっていて、まん丸で綺麗な月が空から照らしてくれている。


 消沈という名の休憩タイムはもう終わり。

 正義のヒーローイケメン仮面は、俺が誰よりも推している真のイケメンにへこんでいる時間はない。イケメン仮面の全てをかけて、必ず二人を助けて夜明けを迎えなければね。


 ──さあ、こっからは反撃の時間だ。一度負けた俺達が、駆け上がって一気に逆転する番だ。

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