かくして激動の夜を越えて、イケメン仮面から元の
くたくたになりながら家に帰ったまではよかったものの、まだ起きていた母上にこっぴどく叱られてから、ようやく沈むような眠りに就けた。
しかしあれだね。本気で怒った時のマイマザーって超怖いんだね。
夜遊びするなら遅くなる連絡はしろ。そして人様に迷惑かけるな。
喧嘩するのは青春だから勝手にしろ。ただし互いに入院しない程度で、一度始まったら絶対勝て。
けれどスマホ壊したのは自業自得、まだローン残ってんだぞクソガキとスマホだけガチギレされたのには驚いたし怖かった。正直悪魔よりも悪魔だったよ、まじで。
まあそんな感じで寝て起きて、学校行って寝て起きて。
いつも通りの自宅。いつも通りの学校。いつも通りの教室。その繰り返しを何回も繰り返し。
そうしてあんなにも全身バキバキだった筋肉痛さえ退いてきて、いつしか俺はあの超ファンタジーワンナイトなんて夢や幻だったみたいな気さえするほど、しっかりと日常へ戻っていた。
「ねえこれ、キラ君の最新動画ー。この前の赤い月、やっぱりガチマジじゃーん」
「えー? ……ねえ、
「あ、え、えっと……」
「ちょっと止めなよ
いつものように、陽キャ共の溜まり場である隣の席がうるさいなと。
次の授業の準備しながら煩わしく思っていると、隣で喋っていた陽キャラ美少女の
赤い月。それは今少しだけ話題の、突如月が赤く染まったこの前の現象のことだ。
恐らくあの赤の大悪魔が降臨した際の数分間、俺も認識できたあの赤い夜のことを指すのだろうが、その辺詳しいことはよく分かってない。
先輩に聞けば解説してくれそうだけど、会いに行くための面識が俺にはない。あくまで彼女はイケメン仮面と共に肩を並べた戦友であって、
まあでも多分、このクラスの中では一番ちゃんと目撃したし渦中にいた自負はあるけれど。
話題を振られたのがあまりに急すぎたせいか、まったくいい感じの言葉が出てきてくれず、オロオロしている間にチャンスタイムはすぐに終了。
クラスの陽キャラ美少女、
「……ごめんね?」
ここから交友を始め、ゆくゆくはちょっと気軽に話せる友達へと……そんな唯一かもしれない貴重な機会を逃したと、重役出勤してきたクラスの人気者である木倉君達と話す彼女の背を惜しむように見つめてしまう。
……うん。やっぱりどこまでいこうが、俺は俺だな。
例えイケメン仮面が大悪魔から世界を救い、先輩とその友人の危機を救おうとも、中の俺には一切関係ない。
個性もなく、地味で、後ろ向きで、人付き合いが下手な
「失礼するわ。ここに
ともかく準備も終わったし、次の授業開始まで仮眠を貪ろうと机に突っ伏そうとした。
その時だった。突如教室に凜とした、よく通る女性の声が響いたのは。
突然名前を呼ばれた俺はびくっと飛び起きながら、周りと同じように教室の入り口に目を向ける。
そこにいたのは、片頬にガーゼを貼り付け、右腕を包帯で固定した黒髪の美少女──イケメン仮面の戦友、
『
『最近休んでるって先輩言ってたけど……ってか
『ああ、
キョロキョロと軽く見回した後、目が合った俺に微笑みながらまっすぐこちらへ歩いてくる。
威風堂々と、周りの目など気にしないかのような歩き姿は流石と褒めたくなるほど。
道中にいた生徒を退かしながら、やがて先輩が俺の前へ到着して、教室中の注目がこの小さな机に集まってきてしまう。
……どうしよう、めっちゃ居心地悪い。
こんなにも注目を浴びたのなんて、人生あの夜以外で先輩と絡むことなんてなかったはずだけど、何か目を付けられることしたっけなぁ……?
「……え、えっと?」
「初めまして。貴方が
見下ろしながら挨拶してくる彼女の目は、まるで観察のために舐め回すかのよう。
……例え相手が先輩レベルの美人でも、開幕から罵倒されて悦ぶ趣味なんてないんだけどなぁ。
「まあいいわ。はいこれ、落とし物よ。生徒手帳を落とすなんて不用心ね、気をつけなさい?」
先輩が徐にポケットに手を入れて、取り出して机に置いたのは小さな緑の手帳。
学年毎に色が異なるこの学校の生徒手帳。平々凡々な俺の写真と名前が入っていることから間違いなく俺の物と、そこまで考えてから懐に手を入れて確かめてみる。
……本当だ、ない。どこで落としたんだろう。
まったく覚えがないし、そもそも今の今までなくしたことにさえ気付いていなかった。いつもは制服の懐に入れているから、急いでぶん投げるとかでもない限り落としたりなんかはしないはずだけどな。
「あ、ありがとうございます……」
「どういたしまして。じゃあ私はこれで……ああそうだ。そういえば
用事は終えたと立ち去ろうとした先輩だったが、わざとらしく思い出したような素振りをする。
何だろうと思ったがその瞬間、先輩は俺の胸ぐらを掴み、ぐいっと顔を寄せてきた。
「これからも仲良くしましょう? 正義の不審者イケメン仮面、
耳元でくすぐったくなるくらいの囁いた後、軽く息を吹きかけてきて。
突然すぎる攻撃にびくついて一瞬固まった後、顔を上げた俺が目にしたのは、いたずらが成功したみたいに微笑む先輩の顔。
まるで極上のおもちゃを見つけたみたいな彼女の笑顔を前にした俺は、カチカチに強張った愛想笑いを返すことしか出来なかった。