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第39話 店長の提案

 わたし達は殆ど言葉を交わすこと無く、霧に包まれた森の小道を歩いていた。足音と鳥のさえずりだけが、朝の静けさの中で響いている。拓人さんの表情は硬く、彼は前だけを見つめて歩いていた。ポケットに入れた手帳の写真に何度も手を触れるのが見えた。


「ほら、エリアス先生の家はすぐそこだよ」


 わたしが声をかけると、拓人さんは軽く頷いただけだった。彼は魔法界に近寄るたびに緊張するらしい。人間界とは空気が違うせいか、肩に力が入っている。

 森の小道は次第に明るくなっていき、霧も薄れていった。木々の間から朝日が差し込み、魔法の力で色鮮やかに輝く葉や花がわたし達の周りを彩っている。人間界の植物とは少し違う、不思議な形の花々が道端に咲いていた。


「ふむ、朝の森はいい香りがするな」


 店長が満足気に言った。彼は猫の姿でありながら、わたし達と同じペースで颯爽と歩いている。時々、珍しい植物を見つけては立ち止まり、匂いを嗅いでいた。


「店長、美咲ちゃんのことで何か思い当たることはある?魔法事故で次元の向こうに行ってしまった人を救い出した例とか……」


 わたしの質問に、店長は少し考え込んだ様子で歩みを緩めた。


「次元を超えて戻ってきた例はあるにはある。だが、それは非常に稀なケースだ。多くの場合、異次元に迷い込んだ者は二度と戻れないというのが通説じゃからな……」


 その言葉に、拓人さんの足が一瞬止まった。


「ただ、先日の百年目の満月の影響はまだ残っておる。次元の壁が薄くなった状態が続いていて、普段なら不可能なことも可能になる瞬間がまだ続いておるんじゃ。とはいえ、すぐに元の状態に戻るじゃろうが……」

「具体的には?」


 拓人さんが初めて口を開いた。彼の声には切実さが滲んでいた。


「百年目の満月の力が残っている間に、適切な儀式を行えば、おそらく一時的に異次元への通路を作り出すことは可能じゃ。ただし、それには強力な魔力と、対象の正確な場所の特定が必要となるじゃろう」

「場所の特定?」

「ああ。美咲がどの次元に閉じ込められているのか、そしてその次元のどこにいるのかを知らなければ、適切にそこへ通じる扉を開くことはできん」


 店長の言葉に、拓人さんの表情が曇った。そんな情報を得るのは、ほぼ不可能に思えた。


「でも、拓人さんは夢で美咲ちゃんの気配を感じてるんだよね?それは何かヒントになるんじゃ?」


 わたしは希望を捨てたくなかった。拓人さんの表情から少しでも暗い影を取り除きたかった。


「そうじゃな……」


 店長が立ち止まり、振り返った。彼の黄色い目が朝日に照らされて輝いている。


「実は、1つだけ思いついた方法がある。『記憶の映し鏡』というものを使えば、拓人の記憶と感覚を外部に映し出すことができる。それをヒントに美咲の居場所の手がかりを得られるかもしれん」

「記憶の映し鏡?」

「古代魔法の品の一つじゃ。心の中の記憶や感覚を映像として映し出すことができる。ひょっとして、夢の中で感じた気配もそこに映るかもしれん。やってみる価値はあるじゃろう。ただ、儂は持っておらん。持ち主を探して借りる必要がある」


 わたしは思わず手を叩いた。


「それなら、エリアス先生が持ってるかも!彼はまるで古代魔法アイテムのコレクターだもんね」

「持っておるらしいぞ。エリアスは古い魔法の品を数多く所有しておるからな」


 店長の言葉に、拓人さんの表情が少し明るくなった。それはほんの僅かな変化だったが、希望の光が灯ったのは確かだった。


「その鏡で、美咲の居場所がわかるのか?」

「確実にとは言えんが、可能性はある。特に拓人が感じた『気配』は、兄妹の絆が次元を超えて繋がっている証かもしれん。そういった繋がりは、記憶の映し鏡に映りやすい」


 わたしは思わず拓人さんの腕を掴んだ。


「聞いた?希望があるよ!」


 彼は少し困ったように笑ったが、その目には確かな光が戻っていた。


「ありがとう、千秋」


 それだけの言葉だったが、わたしの心は温かくなった。拓人さんがこんな風に素直な言葉をかけてくれるのは珍しい。普段は「ポンコツ」とか「考えなし」とか言われることが多いのに。

「それにしても」と、店長が少し考え込みながら言った。


「光の魔法が次元の壁に穴を開けたとなると、面白い現象だな」


 拓人さんが少し驚いた顔で店長を見た。


「どういう意味だ?」

「光の魔法というのは細かく分けると幾つか種類があるが、中には次元の境界に干渉することがある特殊な効果を含んだ魔法もあるんじゃ。しかし、そういう効果を含んだ魔法は、通常なら魔法の練習を始めたばかりの者が操れるものではないんじゃよ……」


 店長は頭を傾げて考え込んだ。


「美咲は元々高い魔法の素質があったのかもしれんのう。それに、偶然とはいえ次元の壁が薄い場所で魔法を使ったとなると、その影響は計り知れん」


 拓人さんの表情に複雑な感情が浮かんだ。妹に魔法の素質があったという事実は、彼にとって誇らしくもあり、痛ましくもある事実だったのだろう。


「あの時、教えてやれれば……」


 彼の声が小さくなった。過去を後悔しても仕方ないと分かっていながら、それでも心は痛むようだ。


「今は前を向くしかない。美咲を取り戻すために」


 店長の言葉に、拓人さんは黙って頷いた。




 小道を進むと、割とすぐに巨大な樫の木が見えてきた。その木は周囲の木々よりもはるかに大きく、幹の太さは小さな家ほどもある。幹には窓のような開口部がいくつも見え、螺旋状の階段が木を取り巻いていた。これがエリアス先生の住まいだ。魔法で拡張された樫の木の中に、彼は広大な空間を作り上げている。


「到着したようじゃな」


 店長が足を止め、樫の木を見上げた。

 樫の木の根元には、優しげな表情の老人が立っていた。銀色の長い髪と髭をたくわえ、青い長衣を身にまとったエリアス先生だ。彼は穏やかな微笑みを浮かべ、わたし達を出迎えてくれた。


「よく来たね、千秋さん、拓人くん、そしてユーリオス」


 エリアス先生は店長のことを本名で呼んだ。彼らは古くからの知り合いで、互いに敬意を持って接している。


「おはようございます、エリアス先生!」


 わたしは元気よく挨拶した。エリアス先生は元魔法評議会の上級魔法使いで、今は引退して研究に打ち込んでいる。特に次元魔法と古代魔法に詳しく、わたしもよく彼から教えを請うことがある。


「おはようございます」


 拓人さんも丁寧に頭を下げた。彼はエリアス先生のことを尊敬しているようだ。魔法は嫌いでも、エリアス先生の人柄と知恵には惹かれるらしい。


「ユーリオスから大まかな事情は聞いてるよ。拓人くんの妹さんのことで相談があるとか?さあ皆さん、中にお入り」


 エリアス先生は手招きして、木の幹の中へと案内してくれた。幹の中にはいつも通りの想像以上に広い空間が広がっていた。天井は高く、壁一面に本棚が設けられている。その量は図書館に匹敵するほどだ。中央には大きな円卓があり、周りに快適そうな椅子が置かれていた。


「皆さん、椅子をどうぞ。今お茶を出すよ」


 エリアス先生が手を軽く動かすと、テーブルの上にティーポットとカップが浮かび上がるように現れた。お茶が自動的に注がれ、湯気が立ち上る。


――店長もそうだけどさ、こういう日常魔法って便利だよね~。いつも感心しちゃう。どこで習ってくるんだろう?店長には古代魔法の応用と組合わせだからまだ早いって言われるけどさ……。


 現代魔法を自在に扱えるのはもちろんのこと、複数ある古代魔法を一定数修得したと認められれば中級魔法使い、複数の古代魔法を同時にあるいは組み合わせて発現できるようになれば上級魔法使いと呼ばれる。わたしは正式な魔法使い資格を持っているとはいえ、まだ中級にもなれていない。古代魔法は力加減も難しいし、道のりは遠い。


「ありがとうございます」


 わたし達は円卓を囲んで座った。拓人さんは少し緊張した様子で、硬い表情のままだ。


「さて、拓人くん。君の妹さんのことについて、ユーリオスから少し聞いた。夢の中で彼女の気配を感じるようになったんだってね?」


 エリアス先生の優しい声に、拓人さんはゆっくりと頷いた。


「はい……、ここ数日、毎晩のように美咲の夢を見るんです。彼女が暗い場所に閉じ込められていて、助けを求めているような……」


 彼は詳しく夢の内容を話し始めた。暗い空間、滴る水の音、壁に刻まれた古い文字。そして、断片的に聞こえる美咲ちゃんの声。エリアス先生は真剣な表情で聞き入り、時折頷いていた。


「それから、昨日は配達の途中で、博物館の近くで彼女の気配を強く感じました」

「博物館?村上さんがいる所かい?」

「はい、特に西側の古い文書館があるあたりで……」

「どう思う?エリアスよ」


 エリアス先生は考え込むように眉を寄せた。店長が答えを促す。


「古い文書館……そこには古代の石碑や碑文が保管されているんだったね。これは興味深い」

「何か思い当たることがあるんですか?」


 わたしは期待を込めて尋ねた。


「可能性としては……美咲さんが異次元に閉じ込められているなら、その対象次元と人間界が接点を持つ場所、つまり次元の壁が薄い場所の1つがその博物館なのかもしれない。特に古い石碑や碑文には、次元を超えた力を内部に留めているものもある」


 拓人さんが身を乗り出した。


「それって、美咲を見つけ出せる可能性があるということですか?」

「ああ、その可能性はある。しかし、手がかりが少なすぎる」


 エリアス先生は静かに言った。彼の言葉には重みがあり、安易な希望は与えないという慎重さが感じられた。


「ユーリオス、君が提案した方法は?」


 店長は優雅に前足を舐めながら答えた。


「『記憶の映し鏡』じゃ。拓人の感じた気配を映し出せば、もっと具体的な手がかりが何か得られるかもしれん」

「なるほど、そういう事だったんだね。実は私も同じことを考えていた」


 エリアス先生は立ち上がり、本棚の方へ向かった。彼は几帳面に並べられた古い本の間を探り、一冊の重厚な本を取り出した。表紙は古い革で覆われ、光沢のある金色の文字が刻まれている。


「『次元と境界の魔法理論』……この本には、様々な次元間の繋がりについての記述がある。特に血縁者同士の絆が次元を超えて維持される例も記録されている」


 彼は本を開き、ぱらぱらとページをめくった。そして、一箇所で止まり、声に出して読み始めた。


「『血によって結ばれし者たちの魂は、時空を超えて繋がり続ける。特に強い感情の絆で結ばれた場合、その繋がりは次元の壁をも越えてなお存在し、夢や直感を通じて互いを感じ取ることができる』という事だそうだ」


 拓人さんの目が輝いた。それは科学的に説明できない現象かもしれないが、彼の心は確かにその可能性を感じ取っていた。


「『記憶の映し鏡』なら、その繋がりを可視化できるかもしれないね」


 エリアス先生は本を閉じ、別の棚へと向かった。そこから彼は、布に包まれた平たい物体を取り出した。慎重に布を解くと、そこには美しい銀の縁取りがされた鏡が現れた。表面は曇りのない深い青色で、まるで澄んだ湖面のような印象を与える。


「これが『記憶の映し鏡』だよ。古代魔法で作られた貴重な品だよ」


 彼は鏡をテーブルの中央に置いた。


「この鏡は、使う者の心に深く刻まれた記憶や感覚を映し出す。拓人くん、もし良ければ、この鏡に美咲さんの気配を感じたときの記憶を映してみないか?」


 拓人さんは少し躊躇したが、すぐに決意の表情を見せた。


「お願いします。どうすれば良いのでしょうか?」

「では少し準備をするので待っていてくれるかな?」


 わたし達は息を詰めて見守った。エリアス先生の準備が終わるのを今か今かとそわそわしながら待ち構える。エリアス先生は鏡をテーブルの中央に固定し、周りに魔法の印を描いていく。彼の指先からは淡い青い光が溢れ、空中に美しい文様を描いていく。


「よし、これで良いだろう」


 エリアス先生の許可を得て、わたし達は鏡をのぞき込む。そこには、無事に起動したのか、鏡面が水面のようにゆらゆらと揺れ、淡く光を放つ不思議な鏡が、静かに、だが強い存在感を放ちつつ置かれていた。


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