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第44話 次元の扉を探して

 午後の陽射しが眩しく降り注ぐ中、わたしと拓人さんは博物館に向かっていた。市内を走るバンの窓から見える街並みは平和そのもので、次元の壁の向こう側で起きている不穏な動きなど、誰も知る由もない。


「ここを右だな……」


 拓人さんが静かに言った。彼の運転は相変わらず安定していて、これだけ心が揺れているはずなのに、職業意識は高い。彼の横顔は昨日よりも少し穏やかに見える。希望が見えたことで、彼の表情には柔らかさが戻りつつあった。


「村上教授、協力してくれるかな?」


 わたしは少し不安になって尋ねた。


「心配ないさ」


 拓人さんはバックミラー越しにわたしを見た。


「あの人は古代魔法に情熱を持っている。次元の扉についての古文書があれば、きっと興味を持ってくれるはずさ」

「うん、そうだね」


 わたしは少し安心した。確かに村上教授は、研究熱心で好奇心旺盛な方だ。彼の知識と経験は、きっと今回の任務に大いに役立つはずだ。

 博物館に到着すると、いつも以上に堂々とした建物に見えた。大きな石柱が支える重厚な正面玄関。階段を上がると、「市立博物館」という看板がわたしたちを迎える。


「それにしても」


 拓人さんが階段を上りながら言った。


「あの影魔法使いたちは、なぜ美咲を10年も閉じ込めておいたんだろうか」

「時間の流れが違うから、向こうでは数日しか経っていないのかもしれないって店長たちも言ってたよ?」


 わたしが答えると、拓人さんは深く考え込むように頷いた。


「ただ……あいつらの目的が何なのか、それがわからない」

「それは今考えても答えは出ないよ。五つの徳、特に『愛』の徳にも関係するような事を店長は言ってたけど……」


 わたしは店長から聞いた情報を思い出していた。


「何となく、それだけじゃないような気がするんだよね……」


 拓人さんは受付で名前を告げ、村上教授の研究室への案内を待ちながら続けた。


「あいつらはまた何か大きなことを計画しているんだろう。だが、美咲はその計画の一端にすぎないんじゃないだろうか」

「うーん、それなら……」


 わたしが考え込んでいると、案内の女性が現れた。


「日比野様、佐々木様ですね。村上教授がお待ちです。こちらへどうぞ」


 わたしたちは案内に従って、前回と同じ地下の研究室へと向かった。螺旋階段を下りていくと、空気が少し冷たくなり、古い本の匂いが鼻をくすぐる。

 研究室のドアを開けると、村上教授が大きな古文書の山に囲まれて、眼鏡の奥の目を輝かせていた。


「やあ、千秋さん、拓人くん!よく来てくれたね」


 教授は嬉しそうに立ち上がり、わたし達を迎えた。彼の白髪と角縁眼鏡、そして温かな笑顔は、いつも安心感を与えてくれる。


「村上教授、お忙しいところすみません」


 わたしは丁寧に頭を下げた。


「いや、とんでもない。特に今日は、君たちから興味深い相談があると聞いて、朝からわくわくしていたんだよ」


 教授の目は好奇心でキラキラしていて、まるで子供のような純粋さがあった。


「電話では詳しく説明できなかったけど」


 拓人さんが少し緊張した様子で言った。


「次元の扉について知りたいんです。特に、清水山の洞窟に関連する古代魔法の記録があれば……」

「ほう!清水山の洞窟!」


 村上教授の目がさらに輝いた。


「実はね、私もその洞窟に興味を持っていたんだよ。文部科学省が優秀な自由研究を表彰する制度が何通りかあるのを知ってるだろう?そのうちの『自然科学観察コンクール』だったかな?『清水山の自然洞窟と月の門』っていう発表があってね、明記はされていなかったんだが、どうやら古代魔法が使われた形跡がある事を匂わせる書き方がされているのを目にして、深掘りするためにちょうど調査を計画していたところだったんだ」


 思わず、わたしと拓人さんは顔を見合わせる。


――それって、もしかして優斗くんの自由研究?表彰されてたの?すご~い!


 わたし達のそんな反応には気付かず、村上教授は興奮した様子で本棚から一冊の分厚い本を取り出した。表紙には「清水の聖域:境界の神話と伝説」とある。


「この本には、清水山の洞窟に関する古い言い伝えが記録されているんだ。特に、満月の夜に『月の門』が開くという伝説は興味深いね」


――優斗くんが言ってたこととほとんど同じだ!


 教授は本をテーブルに広げ、黄ばんだページをめくった。そこには古い絵図が描かれていて、洞窟の内部と、そこに描かれた魔法陣のようなものが見える。


「これは……。記憶の映し鏡で見た魔法陣と似ている」


 拓人さんが息を呑んだ。彼の声は震えていた。わたしも絵図を覗き込み、確かに美咲ちゃんがいた部屋の床に描かれていたものとの類似性に気づいた。


「記憶の映し鏡?」


 村上教授は興味深そうに眉を上げた。


「何か特別なことがあったのかい?」


 拓人さんとわたしは再度顔を見合わせた。どこまで話すべきか迷う。しかし、村上教授の協力なしには先に進めないこともわかっている。


「実は……」


 わたしは決意を固め、これまでの出来事――拓人さんの妹の失踪、記憶の映し鏡で見た映像、そして影魔法使いたちの存在について話し始めた。ついでに、優斗くんの自由研究についても話した。村上教授は興奮状態がよく分かる仄かに赤い顔をしつつも、真剣な表情で聞き入り、時折頷きながら、重要なポイントをノートに書き留めていた。


「なるほど……これは非常に興味深い。そんなところで自由研究とつながっていたことも面白い」


 話が終わると、教授は深く考え込むような表情になった。


「拓人くん、君の妹さんが光の魔法を使えたというのは、彼女に魔法の素質があったということだね。そして、その力が意図せず次元の壁に穴を開けてしまった……」

「ええ、そう言われています」


 拓人さんは小さく頷いた。


「彼女がどこにいるのか、そしてどうすれば救出できるのか……それを知りたいんです」


 村上教授はテーブルの上に広げられた地図を指さした。そこには清水山の詳細な地形図があり、洞窟の位置が赤い印で示されていた。


「この洞窟は古くから『境界の場所』とされてきた。地元の人々は不思議な現象が起きることを知っていて、特に満月の夜には近寄らないという言い伝えがあるんだ。彼らの間では生と死の狭間に現れる月の門という事になっているが、その実態は次元の扉だ」


 教授は別の本を取り出し、ページをめくった。洞窟の壁の文字を写し取ったような紙の写真が何枚か挟まれていた。


「実は最近、この洞窟の壁に刻まれた古代文字の解読に成功したんだよ。例の自由研究をやった中学生が壁の文字を丁寧に紙にトレースして写してくれて来ていてね、それを元に解読したんだ。文字は古代魔法語だった」


 彼は誇らしげに言った。


「それによると、百年目の満月の時には『次元の扉』が開き、異なる世界への通路が現れるという」

「それは……」


 わたしは思わず身を乗り出した。


「百年目の満月が過ぎたばかりで、その力がまだ残っているというエリアス先生の話と一致します!」

「そう、その通り」


 村上教授は頷いた。


「満月の力が残っている間は、適切な儀式を行えば次元の扉を開くことができる。ただし、それには特別な材料が必要だ」


 彼は古い羊皮紙を取り出した。そこには複雑な魔法陣と、古代魔法の文字で書かれた詠唱文が記されていた。


「これは『次元の門の儀式』と呼ばれるものだ。古代の魔法使いたちが異なる次元への探索の旅に使ったとされる魔法陣だよ」

「これが、私たちが探していた古代魔法の詠唱文……!」


 わたしは感激のあまり声が震えた。これで必要なものの一つが手に入った。


「村上教授……これを貸していただけますか?」


 拓人さんが真剣な面持ちで尋ねた。


「もちろん」


 教授は微笑んだ。


「私も長年、次元魔法について研究してきた。実践的な機会に恵まれるなら、喜んで協力するよ」

「ありがとうございます!」


 わたしは心から感謝した。


「ただし」


 教授は急に真剣な表情になった。


「次元の扉を開く儀式は危険が伴う。特に影魔法使いたちが関わっているとなれば、なおさらだ」


 彼は別の本を取り出し、古い絵画のような図版を示した。そこには黒い霧のような姿をした魔法使いたちが描かれていた。


「影魔法使いたちは古くから存在し、境界の力を操ろうとしてきた。彼らは『選ばれた者だけに魔法を』という思想を持ち、魔法界と人間界の境界を崩そうとしている」

「エリアス先生も同じことを言っていました」


 わたしは頷いた。


「彼らの目的は、混乱の中で魔法の力を独占することなんでしょうね」

「その通り」


 村上教授は重々しく言った。


「前回の百年目の満月では、君たちが五つの徳の力で影魔法使いたちを阻止できた。だが、彼らは別の方法を見つけたようだ。美咲さんを利用して、境界の法則そのものを書き換えようとしている可能性がある」

「では、美咲は……」


 拓人さんの声には緊張が滲んでいた。


「彼女は『愛』の徳を担っているのかもしれない」


 教授は慎重に言った。


「光の魔法は愛の象徴とされることが多い。純粋な心を持つ者だけが扱える魔法だ」

「でも、そんな重要な存在なら、なぜ彼女を監禁しているんですか?それに、この前の百年目の満月で『愛』の徳の結晶を生み出した白石葉月さんが狙われる可能性もあるんじゃないですか?」


 わたしは率直な疑問を口にした。


「うーん、葉月さんは徳の力を結晶化した後、他のみんなのように徳の種を感じられなくなったと聞いている。なのに『愛』の徳の力を使えたのは、珍しい『共鳴能力』の持ち主だったからではないかと思ってはいる」

「共鳴能力?」


 初めて聞く言葉だ。店長たちなら詳しいかもしれないけど、ここで教えてもらえるならしっかりと知識を吸収していこう。


「本来なら魔法病院の赤川教授の方が詳しいんだろうけど、私が知っている範囲になるが、概要は伝えておこう」

「赤川教授って現代魔法や魔法と科学の融合技術に詳しい方ですよね?以前講義をお聞きしたことがあります。話し出すと止まらない方でした……」

「あはは、確かにそういう所はあるね。私とは正反対の研究をしているが、魔法ってのは根本でつながっているものだからね。情報共有やそれなりの交流はあるんだよ」


 村上教授は何を思い出したのか、思い出し笑いに肩を震わせながらも、何とか復活して説明してくれた。


「さて、『共鳴能力』だったね。この能力は魔法界と人間界の両方に関係する特殊な才能で、魔法使いではない一般人でも稀に持つことがある素質なんだ。この能力は、持ち主の強い感情や絆によって活性化され、魔法や魔法具と共鳴して魔力や魔法効果の増幅など特殊な効果を生み出すとされている。百年目の満月など魔法的エネルギーが高まる状況で顕著に現れ、特定の『徳』との強い親和性を持ち、その徳の種や魔法具と特に強く共鳴する。というのが一般的な説明だ」

「では、葉月さんと美咲の場合は?」


 拓人さんが前のめりになって聞く。美咲さんにつながる情報は網羅的に集めようとしているようだ。


「この前の百年目の満月の時、美咲さんは近くにいなかった。そのため、葉月さんの共鳴能力が活性化されて、愛の徳の代理を果たしたのではないかと考えている。いずれも想像だがね。そう遠くは間違っていないと思うよ」


 拓人さんは話を聞いて考えこむそぶりを見せたが、そこにもう一つ村上教授が爆弾を落とした。


「拓人君、わたしは君にも共鳴能力があるのではないかと思っている。千秋君から魔力の籠った始まりの石を預かっていたとしても、通常は儀式を起動するのがやっとのはずなのに、影魔法使いの攻撃にも耐えたそうじゃないか。これは共鳴能力によって『献身』の徳の種と共鳴した結果ではないかと思うんだ。私は現場を見ていないので確実なことは言えない。だが本当だとしたら、拓人君には魔法具の1つである『献身の鏡』を使う素質があるという事になる。覚えておくといいよ」


――これ、拓人さん自身には非常に重要な情報だよね。必死に理解しようとしてるし。でも今重要なのは美咲ちゃんの事。話を戻そう。


「じゃあ話を戻して、美咲ちゃんの力と愛の徳との関係はどうなんですか?美咲ちゃんの力を使うなら、もっと積極的に関わりそうなものなのに」


 村上教授は考え込むように眉を寄せた。


「おそらく……彼女の力はまだ完全に目覚めていないのだろう。彼らはその覚醒を待っているのかもしれない」

「もしくは……美咲が消えた時の光の大きさから、彼女の力が制御できないほど強いから、封印しているのか」


 拓人さんが厳しい表情で言った。


「それも考えられるね」


 村上教授は頷いた。


「いずれにせよ、彼女を救出するには急がなければならない。百年目の満月の力が残っているのはあと3日だけだろう?」

「はい、エリアス先生もそう言ってました」


 わたしは羊皮紙を手に取り、慎重に見つめた。ここに記された古代魔法の詠唱文が、美咲ちゃんを救う鍵になる。


「この詠唱文の意味を教えてもらえますか?」


 わたしは村上教授に尋ねた。彼は頷き、羊皮紙に記された文字を指でなぞり始めた。


「これは『開門の詠唱』と呼ばれるものだ。主に四つの部分から成り立っている」


 教授は丁寧に説明し始めた。


「最初の部分は『次元の認識』。現在いる次元を認識し、その境界を見定める魔法だ」


 彼は羊皮紙の最初の段落を指した。そのまま次の段落へと移っていく。


「次に『壁の解放』。次元の壁に穴を開け、通路を作る部分だ」

「三番目が『道の生成』。作った通路を固定し、異次元への安全な通路と成す魔法だ」


 そして最後の段落を指し示した。


「最後は『門の封印解除』。目標となる異次元の扉を解き、そこへの移動を可能にする」

「複雑な魔法ですね……」


 わたしは少し不安になった。こんな高度な魔法を正確に実行できるだろうか。


「大丈夫だ。エリアスが一緒なんだろう?彼なら大丈夫だよ」


 村上教授は優しく微笑んだ。


「さて」


 村上教授は立ち上がり、別の棚から地図を取り出した。


「次は洞窟の調査だね。『月の門』がどこにあるのか、正確な地理的位置や行き方を特定する必要がある」


 彼は清水山の詳細な地図を広げた。


「この洞窟への道はやや複雑な構造をしている。参道の入り口から奥に進むと、分岐点がいくつもあり、洞窟の中にもいくつか分岐点がある。参道の途中までは車も通れるはずだ。この地図の通り正しい道を辿れば、最終的に『月の間』と呼ばれる広間に辿り着く」


 地図上には参道の入り口から洞窟の内部構造までが詳細に描かれていて、最深部には大きな円形の空間が示されていた。


――優斗くんは自由研究でどこまで入ったんだろう?


「『月の間』は天井に穴があり、満月の光が直接射し込む構造になっている。そこに古代の魔法陣が刻まれているんだ」

「それが次元の扉ですね」


 わたしは興奮気味に言い、教授も頷いた。


「その通り。そこで儀式を行えば、次元の扉が開く可能性が高い」

「でも、その前に偵察が必要ですね。影魔法使いたちも同じ場所を狙っているかもしれない。安全に儀式を行えるか確認しなければ」


 拓人さんは冷静だった。しかし、彼の表情には、これまでにない希望の光があった。10年間、妹を探し続けてきた彼にとって、ここまで具体的な手がかりを得たのは初めてのことだろう。


「美咲……必ず助け出す」


 彼は小さく、しかし強い決意を込めて呟いた。

 わたしたちは村上教授からもらった資料を大切に持ち、研究室を後にした。外は既に夕暮れで、街には優しいオレンジ色の光が広がっていた。

 バンに戻る道すがら、拓人さんは珍しく口を開いた。


「ありがとう、千秋」

「え?」


 わたしは驚いて振り向いた。彼がこんな風に素直に感謝の言葉を口にするのは珍しい。


「いや、なんでも無い……」


 彼はすぐにいつもの調子に戻り、少し恥ずかしそうに視線をそらした。


「さ、事務所に戻って、優斗たちに報告しよう」

「うん!」


 わたしは嬉しさを隠さずに笑顔で答えた。拓人さんの心の壁が少しずつ解けていくのを感じる。それは彼が妹との再会を信じ始めたからなのかもしれない。

 わたしたちはバンに乗り込み、事務所への帰路についた。夕焼けに染まる街並みを走りながら、明日の偵察、そしてその先に待つ救出作戦に思いを馳せた。


――いよいよ始まるんだね。美咲ちゃんを救う冒険が。


 わたしの胸は期待と緊張で高鳴っていた。


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