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第43話 優斗の覚悟

 朝の爽やかさが残る森を抜け、事務所へと戻る途中、わたし達は急ぎ気味に歩いていた。少し急がないと帰りの魔法のポータルを空けられる時間に間に合わなくなる。エリアス先生の樫の木の住まいで見た映像は、わたし達の心に深く刻まれている。特に拓人さんは、10年ぶりに見た妹の姿に複雑な表情を浮かべていた。喜びと安堵、そして怒りと焦り——彼の中で感情が入り混じっているようだった。


「拓人さん、大丈夫?」


 小道を通って事務所に戻る途中、わたしは彼に声をかけた。朝露に濡れた草が靴を湿らせ、空気は清々しく澄んでいた。拓人さんはしばらく黙って歩き続けた後、ふと足を止めた。


「ああ……大丈夫だ」


 彼は深く息を吐き、肩の力を抜いた。そしてわたしを見る目は、これまでになく柔らかいものだった。


「これまでは自信が持てなかったが、美咲が生きてる事が分かったんだ。それだけで……」


 彼の声は震えていた。普段は感情を表に出さない彼だけに、その姿はとても印象的だった。


――拓人さんがこんな風に素直な感情を見せるなんて……。美咲ちゃんのことをどれだけ大切に思っているか、よく分かる。


「わかるよ。10年間ずっと苦しんできて、彼女が生きていると知ったんだもの」

「でも……」


 彼の表情が急に引き締まり、拳を強く握りしめた。


「あの影魔法使いたちが美咲を閉じ込めてたなんて……許せない」


 怒りに震える拓人さんを見て、わたしはそっと彼の腕に触れた。彼は驚いたようにわたしを見たが、いつものように手を振り払うことはなかった。


「必ず助け出せるよ。わたしたちみんなで力を合わせれば」

「……ああ」


 彼は小さく頷き、再び歩き始めた。その背中は以前よりも少し軽やかに見えた。希望が彼に新しい力を与えているのかもしれない。

 森の小道を抜け、わたしたちは事務所へ続くポータルに到着した。店長はすでにそこで待っていた。彼は黒猫の姿でありながら、どことなく威厳を放っている。


「戻ったか。エリアスはどうするのだ?」

「エリアス先生は古代魔法の儀式について調べるって。それから、私たちが集めるべきものを集めるのを待って合流するらしいよ」

「そうか……」


 店長は静かに頷いた。彼の黄色い目は、何かを深く考えているようだった。

 ポータルを開いて事務所に戻ると、優斗くんがソファに座って本を読んでいた。彼の隣には河童ドラゴンのセイが丸くなって眠っている。本のページには複雑な魔法陣が描かれていて、優斗くんはそれを真剣な表情で見つめていた。


「ただいま~。あれ、優斗くん!?」


 癖で何となく発したわたしの声に彼は顔を上げ、明るい笑顔で迎えてくれた。


「おかえりなさい!店長も一緒にどこに行ってたんですか?」

「ちょっと……特別な配達があってね。優斗くん、学校は?」

「今日は先生たちの研修があるとかで、午後は休講なんですよ。ここで借りものの本を読みながらお昼でも食べようと思って急いで来ました」


 わたしは拓人さんと顔を見合わせた。まだ優斗くんには全てを話さない方がいいと判断した。彼はまだ魔法を学び始めたばかりで、危険な任務に巻き込むわけにはいかない。


「それにしても、拓人さん、どうしたんですか?すごく疲れてるように見えますよ?特別な配達ってやつのせいですか?」


 優斗くんの鋭い観察眼に、拓人さんは一瞬驚いたような表情を見せた。そして、いつもの冷たさを取り戻すように、少し気取った態度で答えた。


「別に……ちょっと寝不足なだけだ」

「そうなんですか?なんだか最近、夜遅くまで残ってるみたいですしね」

「お前、覗いてたのか?」

「いえ、そんなことないです!たまたま夜遅くに通りかかった時、事務所の灯りがついてたから……」


 拓人さんはため息をついた。しかし、いつものような厳しい表情ではなく、少し困ったような、柔らかな表情だった。彼の中で何かが変わり始めているようだ。


「……ねえ拓人さん、そろそろ村上教授に連絡を取った方がいいよね」


 わたしは話題を変えようとして拓人さんに話しかけた。優斗くんの好奇心が先走る前に、計画を進めなければならない。


「それとも、直接博物館に行った方がいい?」

「いや、あらかじめ連絡しておいた方がいいだろう」


 拓人さんは事務机に向かい、電話を取った。彼が村上教授に連絡する間、優斗くんの気を逸らそうとして、わたしは優斗くんがさっき読んでいた本に話を向けた。


「その本、何読んでるの?」

「あ、これですか?エリアス先生から借りた『次元魔法の基礎と理論』です」

「次元魔法!?それってとっても高度な魔法だよ」


 わたしは驚いて声を上げてしまった。まさか、優斗くんがそんな高度な魔法について調べているとは。しかも、これからわたしたちが行おうとしている救出作戦と関連の深い内容だ。


「はい!次元の壁や境界についてすごく興味があって……」


 優斗くんは目を輝かせながら説明を始めた。彼の純粋な好奇心と熱意は、いつ見ても心を打つものがある。わたしは思わず微笑んだ。


「この本によると、次元には『主次元』と『かん次元』があるんだそうです。魔法界と人間界は主次元で、その間には何層もの間次元が存在するって書いてあります」

「なるほど~」


 わたしは感心して聞いていた。まさに美咲ちゃんが閉じ込められているのは、そんな間次元の一つだと思われる。


「それで、間次元に入るには特殊な魔法陣や儀式が必要で……」


 優斗くんが熱心に説明する姿を見ながら、わたしは複雑な気持ちになった。彼には才能がある。もし彼の力を借りることができれば、美咲ちゃんの救出も成功率が上がるかもしれない。しかし、彼はまだ高校生。危険な任務に巻き込むのは責任が重い。


「村上教授と連絡が取れた」


 拓人さんが電話を置き、わたしたちの方を向いた。


「今日の午後、博物館で会えるそうだ」

「よかった!」


 わたしは安堵の声を上げた。村上教授は古代魔法の専門家で、きっと力になってくれるはずだ。


「千秋さん、何かあったんですか?」


 優斗くんがわたしの表情の変化を見逃さなかった。彼は直感的な部分があり、周囲の変化によく気づく。これは魔法の才能の表れでもあるのだろう。


「あ、いや……」


 わたしは言葉に詰まった。優斗くんの純粋な眼差しを見ていると、嘘をつくのが辛い。


「実は……」


 わたしは拓人さんと店長の方を見た。拓人さんは難しい表情をしていたが、店長はわたしを見てゆっくりと頷いた。


「優斗も知る権利がある。それに、彼の力も必要になるかもしれん」


 店長の言葉に、拓人さんは一瞬驚いたようだったが、すぐに諦めたように肩を落とした。


「……分かった。説明しよう」


 わたしたちは円卓に集まり、お昼ご飯を食べながら、これまでの出来事――拓人さんの妹が10年前に魔法事故で失踪したこと、彼女が特殊な次元に閉じ込められていること、そして影魔法使いたちの存在について話した。優斗くんは真剣な表情で聞き入り、時折質問を挟みながら、状況を理解しようとしていた。


「特別な配達って、そういう事だったんですね。それで、エリアス先生の所へ行って、記憶の映し鏡で美咲さんの姿を見たという事ですね」


 優斗くんは静かに言った。彼の表情には真剣さと共感が浮かんでいた。


「それで、彼女を救出するために次元の扉を開く儀式が必要なの」


 わたしは説明を続けた。


「百年目の満月の影響が残っているのはあと3日だけ。その間に準備を整えなくちゃならないの」

「僕も手伝います!」


 優斗くんは即座に宣言した。彼の目は決意に満ちていた。


「待て!」


 拓人さんも即座に厳しい声で応える。


「お前はまだ高校生だ。魔法の訓練も始めたばかりで……こんな危険な任務に巻き込むわけにはいかない」

「でも、僕にもできることがあるはずです!」


 優斗くんは譲らなかった。彼の瞳は真剣そのものだった。


「確かに優斗の力は役立つだろう」


 押し問答になりそうなところ、店長の声が静かに割って入った。彼の黄色い瞳は優斗くんを評価するように見つめていた。


「優斗の魔力は特殊だ。河童ドラゴンとの絆が示すように、彼には純粋な心とつながる力がある。次元の壁を超えるには、そのような純粋な力も必要になるかもしれない」

「店長。しかし……」


 拓人さんはまだ迷っていた。彼の表情には葛藤が見えた。自分の妹を救うために他の若者を危険に晒すことへの抵抗感だろう。


「拓人さん」


 優斗くんは真っ直ぐに拓人さんを見つめた。


「僕は自分の意志で協力することを選んだんです。魔法を学び始めてから、この力で誰かを助けられたらいいなってずっと思ってました。それに……」


 彼は窓の外を見やり、空を見上げた。空の天頂から降り注ぐ光が彼の横顔を照らしていた。


「茜も協力してくれると思います。彼女は科学的な観点から魔法を分析する能力がありますし、……優しいやつですから」

「ちょっと待て、茜まで巻き込むつもりか?」


 ちょっと照れつつ話した優斗くんに、拓人さんは少し焦ったような声を上げた。


「彼女に伝える内容は、僕が責任を持ちます」


 優斗くんの声には揺るぎない決意があった。わたしは彼の成長に驚かされていた。最初に会った時は、魔法に目を輝かせるだけの高校生だと思っていたが、彼の中にはもっと深い強さがあるようだ。


「……わかった」


 拓人さんが最終的に折れた。彼は優斗くんの決意を認めたようだった。


「だが、あくまで後方支援だ。前線に立つのは俺たち大人だけだからな。自分たちの身の安全を最優先にしてくれよ」

「はい、わかりました!」


 優斗くんは嬉しそうに破顔した。彼の瞳は期待と決意で輝いていた。セイも彼の肩の上で小さく鳴き、その決意に応えるかのようだった。


「さて、ではエリアスから聞いた情報を整理するとしよう」


 店長が話題を戻した。彼はテーブルの上に飛び乗り、まるで講義を始めるように姿勢を正した。


「まず、次元の扉を開くために必要なものは、美咲との絆を持つ物品、満月の光を吸収した水、そして古代魔法の詠唱文だ」


 彼の尻尾がゆっくりと揺れ、黄色い瞳は真剣な光を帯びていた。


「さらに、儀式を執り行うための強い魔力も必要となる。エリアスと私、千秋、そして優斗の力を合わせれば可能だろう」

「儀式はどこで行うんですか?」


 優斗くんが尋ねた。


清水山しみずやまの洞窟だ」


 拓人さんが答えた。


「そこには古くから湧水があり、次元の壁が薄くなりやすい場所らしい」

「洞窟……」


 優斗くんは考え込むように呟いた。


「実は、僕、清水山の洞窟のことを調べたことがあるんです」

「え?」


 わたし達は驚いて声を上げた。


「夏休みの自由研究だったんですけど、いくつかある洞窟のうち、特定の洞窟には不思議な伝説があって、興味があったんです」


 彼は少し照れくさそうに研究内容を披露した。


「伝説によると、その洞窟では満月の夜に不思議な現象が起きるって言われてました。奥から声が聞こえたり、人影が見えたり。月は陰の象徴ですから、あの世とこの世を繋ぐ門が開くと考えられていて、地元の人たちは『月の門』と呼んでるみたいです」

「月の門……」


 店長が興味深そうに言った。


「確かに、古くからその場所は特別視されていたようだな。あの世とこの世ではないが、人々の記憶の中に次元の扉の存在が伝説として残っていたか」

「ところで」


 優斗くんが少し心配そうな表情で尋ねた。


「影魔法使いって、前に境界を崩そうとしていた人たちですよね?なぜ彼らが美咲さんを捕まえているんですか?」


 店長が真剣な表情で答える。


「それはまだ分からん。正確なことはな……。じゃが、奴らが境界を崩そうとしていることは確かじゃ。百年目の満月は過ぎたが、その影響力の残滓を利用しようと、何かを企んでいる」


 店長の言葉に、部屋の空気が一瞬冷たくなったように感じた。影魔法使いたちの存在は、単なる敵ではなく、魔法界と人間界の秩序そのものを脅かす存在なのだ。店長は続ける。


「エリアスによると、影魔法使いたちの計画はこの前の百年目の満月の時に一度は阻止できたが、まだ諦めていないようじゃぞ」

「つまり、前回私たちが五つの徳の力で彼らを阻止したけど、彼らが再び動き始めたということね」

「ああ、その通りじゃ。前回は知恵、勇気、献身、誠実、愛の徳の力を結晶化して彼らの計画を阻止できたが、その力はすでに使い切ってしまった。今回は奴らの取りうる手段を予想し、別の方法で立ち向かう必要がある」


 わたしの言葉を受けて、店長が話をまとめた。だが、まだ疑問はたくさん残っている。


「そのために彼らは美咲ちゃんを?失踪したのは10年前だよ?」

「現在美咲がいる次元とは時間の流れが異なる可能性があるじゃろう?こっちでは10年でも、向こうでは数日かもしれんぞ。それに、彼女の中に何か特別なものを感じ取って、捕らえておいたのかもしれん。すべて想像にすぎんがな」


 店長は私の方に体ごと向き直って続ける。


「エリアスの所で映像で見たように、彼女には光の魔法の素質があった。光は純粋なエネルギーの象徴だ。また、愛の徳との相性もいい。五つの徳が絡んでくるかは分からんが、奴らは彼女の力を次元の壁を操るために利用しようとしているのかもしれんぞ」


 わたしは決意と少しの焦りを込めて言った。


「それなら、なおさら急がなきゃ。百年目の満月の力が残っているうちに、彼女を救出しないと」

「そうだ。だがそのためには、まず村上教授に会って、次元の扉を開ける古代魔法語の詠唱文について教えてもらう必要があるな」


 拓人さんは立ち上がり、窓の外を見た。空には雲ひとつない青空が広がっていた。


「今日の午後、これから千秋と俺で博物館に行く。優斗、お前は茜と連絡を取って、できるだけ情報を集めてくれ」

「はい!」


 優斗くんは元気よく答えた。


「僕、茜に連絡してみます。彼女なら科学的な視点から次元について何か知っているかもしれない」


 わたしは黒猫の姿をした店長に向き直った。


「店長は魔法評議会に状況を報告するんだったよね?」


 店長は立ち上がって尻尾を立てた。


「ああ。評議会にこの件を伝え、次元操作に関する必要な許可を得る。それから、儀式に必要な魔法の道具も集めてこよう」


 全員が自分の役割を理解し、決意を新たにした。これから3日間、わたしたちは美咲ちゃんを救出するために全力を尽くすことになる。

 拓人さんの表情には、希望と不安が入り混じっていたが、彼の目には強い決意の光があった。10年間、妹を探し続けてきた彼の思いは、ようやく実を結ぼうとしている。


――必ず美咲ちゃんを連れ戻そう。拓人さんのためにも、彼女のためにも。


 わたしは心の中で誓った。そして、これから始まる冒険に向けて、胸の高まりを感じていた。


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