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第42話 映し出された真実

 わたしが決意の表明をした瞬間、鏡の表面が波打ち、映像が揺らぎ始めた。


「映像が不安定になっている!拓人くん、集中して。美咲さんとの繋がりを保って」


 エリアス先生が警告した。拓人さんは額に汗を浮かべながら必死に鏡に手を押し付けるが、映像はどんどんとぼやけていく。


「だめだ……消えていく……」


 彼の声には焦りが混じっていた。


「拓人さん、リラックスして」


 わたしは彼の肩に手を置いたまま、優しく語りかけた。


「もっと美咲ちゃんのことを思い出して。二人で過ごした楽しい思い出を」


 拓人さんは一瞬驚いたようにわたしを見たが、すぐに目を閉じ、深呼吸をした。彼は妹との思い出に心を沈めていくように見えた。

 映像の揺らぎが少し落ち着いてきた。美咲ちゃんの姿がまた見え始める。彼女はまだわたし達の方を見つめ、何かを伝えようと必死に口を動かしていた。影魔法使いは彼女から少し離れた場所で、警戒するように立っていた。彼の姿勢からは、美咲ちゃんを守ろうとしているようにも見えた。


「彼女が何か言おうとしている……」


 エリアス先生が身を乗り出した。彼は美咲ちゃんの唇の動きを読み取ろうとしていた。


「『洞窟』……『百年目の満月』……『次元の扉』……」

「ひょっとして、彼女は脱出する方法を知ってるのかもしれないよ!」


 エリアス先生の発した単語を聞いて、わたしは思わず声を上げた。しかし、その瞬間、鏡の表面が激しく波打ち、映像が歪み始めた。まるで何かが干渉し始めているかのようだった。


「何が起こってるんだ?」


 拓人さんが焦りの声を上げる。エリアス先生の声も緊張に満ちていた。


「誰かが繋がりを妨害している……」

「別の影魔法使いがいるぞ!」


 店長が唸るように言った。映像の中に、暗い影のようなものが新たに現れ始めた。先ほどの影魔法使いとは明らかに異なる、より巨大で威圧的な姿だ。彼は美咲ちゃんの後ろに立ち、彼女の肩に手を置いた。

 先ほどの影魔法使いは何かを言うように前に出たが、巨大な影魔法使いに押しとどめられている。二人の間に何らかの対立があるようだ。


「美咲!」


 拓人さんの叫びが部屋内に響いた。彼は鏡に両手を強く押し付け、まるで中に飛び込もうとするかのようだった。

 巨大な影魔法使いはわたし達の方向を見上げ、冷酷な微笑みを浮かべた。そして美咲ちゃんの耳元で何かを囁き、手を上げた。


「止めろ!」


 拓人さんの叫びも虚しく、影魔法使いの手が動いた瞬間、鏡の表面に氷が砕け散るような映像が一瞬浮かび、映像は完全に消えた。鏡は再び元の普通の表面に戻ってしまった。

 部屋に重い沈黙が落ちた。拓人さんは鏡に手を置いたまま、凍りついたように動かなかった。彼の表情には言いようのない苦痛と怒りが浮かんでいた。


「あいつら……あいつらが美咲を」


 彼の声は震えていた。怒りに満ちた声だった。


「影魔法使い……またしても奴らが関わっていたか」


 エリアス先生は厳しい表情で言った。


「彼らが美咲さんを閉じ込めている理由はまだわからないが、おそらく彼女の中に特別な何かを感じ取ったのだろう。そして影魔法使いたちの間でも、彼女への対応に意見の相違があるようだ」

「特別な何か?」


 わたしは混乱したまま尋ねた。


「彼女の中には影魔法使いたちが求める強い魔力が眠っておるのかもしれんな」


 店長が静かに言った。


「光の魔法を自己習得できるほどの才能があるなら、影魔法使いたちにとって脅威になり得る。あるいは、利用価値のある存在なのかもしれん。じゃが、すべての影魔法使いが同じ考えを持っているわけではないようじゃ」


 拓人さんの拳が震えていた。彼は怒りと悔しさで一杯のようだった。


「どうやって美咲を助ければいい?」


 彼の声には切実さが込められていた。エリアス先生は沈黙の後、ゆっくりと言った。


「鏡に映った場所の特徴から判断すると……そこは古い洞窟のようだ。湧水があり、古代の文字が刻まれた場所。そして、博物館の近くで気配を感じたということは……」

「あっ!もしかして、清水山しみずやまの洞窟じゃない?」


 私は思い当たることがあって声を上げた。


「清水山?」


 拓人さんが驚いた顔で振り向いた。


「うん、博物館の裏山だよ。清水山には古い洞窟がいくつかあって、湧水が出てることで有名なんだ。昔から神聖な場所として崇められてきたんだって」

「清水山……確かに可能性が高いな」


 店長も頷いた。


「あの山は古くから魔力の溜まりやすい場所として知られている。次元の壁も薄くなりやすい」


 エリアス先生は立ち上がり、別の本棚から地図を取り出した。それは普通の地図ではなく、魔力の流れを示す特別な地図だった。青や紫の線が複雑に交差し、特定の場所で渦を巻いている。


「ここだな」


 彼は清水山の中のある位置を指差した。そこには紫色の大きな渦が描かれていた。


「この渦は強い魔力の集中を示している。次元の扉が開く可能性が高い場所だ」

「じゃあ、そこに行けば美咲に会えるんですか?」


 拓人さんの声は少し震えていた。長年の探索がついに実を結ぶかもしれないという期待と、それが失敗するかもしれないという恐れが入り混じっているようだった。

 エリアス先生は慎重に言葉を選んだ。彼は安易な約束をする人ではない。


「今は百年目の満月の力がまだ残っている。そして、美咲さん自身が『次元の扉』について言及していた。おそらく、清水山の洞窟で次元の扉を開く儀式を行えば、彼女のいる次元に到達できる可能性は高いだろう」

「本当ですか?」


 拓人さんの目に希望の光が灯った。


「ただし、危険も伴う」


 エリアス先生は厳しい表情で続けた。


「影魔法使いたちも私たちの行動に気づいたはずだ。おそらく妨害してくるだろう。しかし、彼らの間にも内部対立があるようだ。どの派閥が美咲さんに対してどのような意図を持っているのか、まだ分からない」

「それでも……、俺はどんな危険があっても、きっと美咲を救い出す」


 拓人さんの声には揺るぎない決意があった。彼はもう迷っていなかった。


「私も行く!」


 わたしが即座に反応すると、拓人さんは驚いたようにわたしを見た。


「千秋……、危険だぞ」

「だから何?拓人さんは私のパートナーでしょ。拓人さんが困ってるんなら、助けるのは当然だよ。それに、今回は特別配達だよね?」


 わたしはにっこりと笑った。彼の驚いた表情が少し可笑しかった。いつもの皮肉屋の彼からは想像できない、素直な驚きの表情だった。


「私も手伝うとしよう」


 店長も決意を込めて言った。黒猫の姿でありながら、彼の表情には重みがあった。


「さて、では準備をしよう」


 エリアス先生が立ち上がった。


「百年目の満月の力が残っている期間をあと3日と想定する。その間に必要なものを集め、儀式の準備をしなければならない」


 わたし達は顔を見合わせ、静かに頷いた。時間との戦いが始まる。美咲ちゃんを救い出すために、わたし達は全力を尽くさなければならない。「特別配達」を成功させるために。

 窓から差し込む朝の光が、わたし達の決意を照らしているようだった。これから始まる冒険は危険に満ちているかもしれないが、拓人さんの妹を救うという目標は、わたし達に強い絆と勇気を与えてくれるはずだ。




 記憶の映し鏡が見せてくれた映像は、拓人さんの心に大きな波紋を投げかけた。長い間、妹の行方も生死も分からず苦しんできた彼にとって、美咲ちゃんが確かに生きていることが分かっただけでも大きな一歩だった。だが同時に、彼女が影魔法使いによって監禁されているという事実は、彼の心に新たな痛みと怒りを引き起こしていた。

 エリアス先生の樫の木の住まいの中、わたし達は救出作戦について話し合っていた。窓から差し込む光は時間の経過とともに強くなり、部屋の中を明るく照らしている。空気中に浮かぶ小さな埃が光の筋の中できらきらと踊っていた。


「まず、次元の扉を開くために必要なものをリストアップしよう」

「何が必要なんですか?」


 私はエリアス先生に尋ねた。エリアス先生は大きな羊皮紙を広げ、古い羽ペンで書き始めた。彼の文字は力強く、美しい曲線を描いていく。


「まず、美咲さんの持ち物。彼女と強く結びついたものが儀式の核になる」


 拓人さんはポケットから手帳に挟まれた写真を取り出した。


「これでいいだろうか?美咲が最後に触ったものだ」

「それは理想的だ」


 エリアス先生は頷いた。拓人さんは写真に視線を落とした。それは美咲ちゃんの13歳の誕生日パーティーで撮られたもので、彼女の無邪気な笑顔が映っていた。10年前のままの笑顔が、今も異次元の監獄で彼を待っている。その思いが胸に迫ってきた。


「次に、他の光が混じらない純粋な百年目の満月の光のみを吸収した水。それは人が滅多に近寄らない湧水のある洞窟で集めるのが最適だ」

「水は清水山の洞窟で集められますね」


 私は決意を込めて言った。


「そして最後に、扉を開くための古代魔法の詠唱文を書き記した羊皮紙が必要だ」

「そんなものは私たちの魔法史料集にもないぞ」


 エリアス先生の言葉に店長が眉をひそめた。古代魔法の記録は断片的にしか残っておらず、特に次元の魔法に関するものは稀少だった。


「困ったことに、私の蔵書でも見たことがない」


 エリアス先生も困ったように眉を下げて言った。


「村上教授!」


 わたしは突然思いついて声を上げた。拓人さんも顔を上げる。


「村上教授なら何か知っているかもしれない。彼は古代魔法の研究家だし、博物館に古文書がたくさんあるはずだよ」

「それはいい考えだ。村上さんは私の旧友でもある。彼なら協力してくれるだろう」


 エリアス先生は頷いた。


「あと、強い魔力を持つ者が儀式を執り行う必要がある。私とユーリオスだけでは不十分だ」


 エリアス先生は私を見つめた。


「千秋さん、君の力が必要だ。君は強い魔力を持っている」

「え?私の魔力で足りるんですか?」


 わたしは少し不安になって尋ね返した。わたしの魔力はそれなりに強いが、次元の壁を超えるような大魔法となると自信がなかった。


「私とユーリオス、そして千秋さんの魔力を合わせれば可能だろう」


 エリアス先生は自信ありげに言いつつ、優雅に尻尾を振る店長を見た。


「ユーリオス、力を貸してくれるか?」


 店長は黄色い目を細め、頷いた。


「当然だ。仲間の妹を救い出すためなら、私も全力を尽くす」


 拓人さんは驚いたように私たちを見回した。


「本当に……協力してくれるのか?」

「当たり前じゃん!」


 私は元気よく答えた。


「拓人さんは私のパートナーだもん。あなたが困っているなら、全力で助けるのは当然のことでしょう?」

「皆さん……、ありがとう」


 彼の声は小さかったが、その言葉には深い感謝が込められていた。エリアス先生は小さく頷き、言葉を続ける。


「さらに優斗くんの力も借りられると良いのだが……」

「彼をこんな危険な任務に巻き込むわけにはいかない」


 拓人さんが即座に言った。彼の声は強く、決意に満ちていた。


「彼はまだ高校生だ。魔法の訓練も始めたばかりで……」

「わかっている」


 エリアス先生はそっと頷いた。


「だが、彼には特別な才能がある。彼の魔力は並ではないんだよ」

「それでも、この作戦は危険すぎる」


 拓人さんは引かなかった。彼は自分の妹を救うために危険を冒すことはいとわないが、他の若者を危険に晒したくないという思いが強かった。彼の責任感が表れている。


「優斗くんのことは後で考えましょう」


 わたしが調停するように言った。


「今は他に必要なものを確認する方が優先です」


 拓人さんは少し落ち着いたように見えた。彼は椅子の背もたれにもたれて、深いため息をついた。


「美咲が閉じ込められている場所……清水山の洞窟の中にあんな所があるのか?」


 拓人さんの素朴な疑問に、エリアス先生は考え込むように眉を寄せた。


「ユーリオスの言う通り、次元の監獄、つまり古代魔法では『境界の狭間』と呼ばれる場所かもしれないな」

「境界の狭間?」

「魔法界と人間界の間に存在する特殊な次元だ。通常は誰も入れないが、特別な条件が揃うと入ることができる」

「美咲はどうやってそこに?」

「彼女が実験した光の魔法が偶然にも人間界側の次元の壁に穴を開け、彼女は吸い込まれてしまったのだろう。だが、魔法界側の壁までを破る事はできずに境界の狭間に落ちたのかもしれない」


 エリアス先生の説明に、拓人さんは目を閉じた。過去の出来事が蘇ってきたのかもしれない。


「影魔法使いたちは、彼女が次元の壁を超えたことを感知して捕らえたのではないか」


 店長が鋭く指摘した。彼の黄色い目は真剣に光っていた。


「通常、次元を越えるのは容易なことではない。それを素人の少女が成し遂げたとなれば、彼らも驚いただろう」

「彼らの真の目的は何なんだろう」


 わたしはつぶやいた。映像の中で、影魔法使いは美咲ちゃんの耳元で何かを囁いていた。彼らは彼女に何を伝え、何を求めているのだろう。


「それは定かではない」


 エリアス先生は肩を落とした。


「だが、彼らが境界を崩そうとしていることは百年目の満月の事件からも明らかだ。今度は美咲さんの力を利用しようとしているのかもしれない」

「美咲にそんな大きな力があるのか?」


 拓人さんは半信半疑の表情だった。


「映像で見たように、彼女は光の魔法を使える。しかも、次元を超える規模の魔法を無意識に発動させた」


 エリアス先生は重要なことを指摘した。


「そのような才能は稀だ。影魔法使いたちが彼女に興味を持ったのも無理はない」


 拓人さんの表情が暗くなった。彼は妹が魔法の才能を持っていることを知らなかったのだ。もし彼がその才能に早く気づいていれば、適切に導いていれば、こんな事態にはならなかったかもしれない。彼のそんな後悔が表情に表れていた。


「拓人さん、自分を責めないで」


 わたしは思わず声をかけた。


「美咲ちゃんの才能は誰にも予測できなかったことだよ。それに、彼女は今も生きている。私たちで救い出せるんだからさ」


 彼は少し驚いたようにわたしを見つめ、それから小さく頷いた。彼の表情が少し和らいだのを見て、わたしはほっとした。


「さて、計画を立てよう」


 エリアス先生は羊皮紙に新たな項目を書き加えた。


「まず村上さんに連絡を取り、古代魔法の文献を探してもらおう。それから清水山の洞窟の偵察も必要だ」

「洞窟の偵察は私と拓人さんで行きます」


 わたしが即座に答えた。彼と二人で行動することで、彼の不安を少しでも和らげたかった。


「そして、儀式の準備も進めなければならない」


 エリアス先生は続けた。


「百年目の満月の力が残っているのはあと3日だけと思って良い。その間に全ての準備を整える必要がある」

「間に合うのか?」


 拓人さんの声には焦りが混じっていた。


「間に合わせるしかないじゃろう。美咲の命がかかっておるんじゃからのう」


 店長が断固とした口調で言った。その言葉に、拓人さんは静かに頷いた。彼の目には決意の色が濃く浮かんでいた。


「そうだな。何としても間に合わせる」


 窓から差し込む光が強くなり、部屋の中がより明るくなった。外では鳥たちが明るくさえずり、新しい一日の始まりを告げていた。希望の光が見えてきたように感じた。


「それでは役割分担をしよう」


 エリアス先生が言った。


「私は古代魔法の儀式の詳細を調べる。ユーリオスは魔法評議会に状況を報告し、必要な許可を得る」

「拓人さんと私は、まず村上教授に会いに行って、それから洞窟の偵察をします」


 わたしは元気よく言った。全員が頷き、それぞれの役割を理解した。これから3日間、わたし達は美咲ちゃんを救出するために全力を尽くすことになる。危険が待ち受けているかもしれないが、退くわけにはいかない。

 拓人さんの表情には複雑な感情が浮かんでいた。希望と不安、決意と恐れ。しかし、彼の目には以前よりも強い光が宿っていた。妹が生きていることを知った今、彼は何があっても彼女を救い出す覚悟を決めたようだった。


「美咲、待っていてくれ。必ず助けに行くからな」


 彼は小さく、しかし力強く呟いた。

 わたしはそっと彼の肩に手を置いた。不思議なことに、今日は彼もそれを拒まなかった。普段は触れられることを嫌う拓人さんが、今は人の温もりを必要としているのかもしれない。


「絶対に美咲ちゃんを取り戻そうね」


 わたしは笑顔で言った。


「ああ、ありがとう、千秋」


 彼の言葉は素直で、心からの感謝が込められていた。いつもの皮肉や冷たさはなく、素の拓人さんの姿がそこにあった。

 エリアス先生の樫の木の住まいから出る時、来た時より少し高くなった朝日が木の葉の隙間から差し込み、わたし達を温かく包み込んだ。新たな希望と共に、わたし達の冒険が始まろうとしていた。

 洞窟での偵察、村上教授との会話、そして儀式の準備。これからの3日間は忙しくなるだろう。しかし、美咲ちゃんを救うという目標が、わたし達に力を与えてくれている。


――とにかく今は早く村上教授に会いに行こう。彼なら何か知っているはず。


 わたしは心の中で計画を立てながら、拓人さんと一緒に森の小道を歩き始めた。彼の表情には新たな決意が浮かんでいた。その姿を見て、わたしは彼のためにも、美咲ちゃんのためにも、この任務を絶対に成功させなければならないと改めて誓った。

 そして何より、わたし達全員が無事に帰ってこられるように。

 わたし達の冒険は、これからが本番だった。


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