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1-22 錯綜のネオンライト

 ――白菊しらぎく警察署、ロビー。


「すみません、先程お電話をいただきました夏瀬 雪渚と申します。竹田さんをお願いしたいのですが……」


「夏瀬 雪渚さんですね。少々お待ちください」


 受付の女性が、竹田を呼びにその場を離れる。しばらくして、四十代なかばほどだろうか――中年の男性警察官が、受付から姿を現した。


「夏瀬さん、お待たせしました。こちらへどうぞ」


「はい……」


 警察官は、俺を別室へと案内した。言われるがままにその個室へと歩を進める。個室の白いテーブルに向かい合わせになった二つの白い椅子いす。案内されるがままに、奥の椅子へと着席すると、警察官は口を開いた。


「改めまして白菊警察署の竹田です。まずはご連絡が遅くなったこと、お詫び申し上げます」


「いえ……」


「お電話でもお伝えしましたが……お父様とお母様が本日午前十時頃、こちら近くの白菊坂しらきくざか交差点で交通事故にわれ、残念ながらお二人共お亡くなりになりました」


「……そんな」


「詳しい状況をお伝えいたします。事故は、お二人が車でこちら方面へ向かわれる途中、交差点で大型トラックと衝突しょうとつしたものです。救急搬送されましたが、残念ながらお二人共、病院で息を引き取られました」


「……待ってください。どうして両親が東京に……?」


「はい、それについてですが……事故現場でお父様のスマートフォンを確認したところ、夏瀬さんの住所が記載されたメモが見つかりました。また、車内には食料品等が詰まったお届けもののような袋が置かれていました。恐らく、夏瀬さんをたずねて来られる途中だったのではないかと推測されます」


「自分に……会いにですか……」


「その可能性が高いかと思われます。夏瀬さんもご心配かと存じますが、まずはご遺体の確認をお願いしたいのと、事故の詳細についてもお伝えしますので、今後の対応についてご一緒に進めさせていただければと存じます」


「……はい、かしこまりました」


「この度のことは、心よりお悔やみ申し上げます」


 諸々もろもろの対応を済ませ、自宅へと戻った俺は、玄関にうずくまった。


 ――俺の所為せいだ。俺が、両親と連絡が取れないようにしていたから、両親は俺を心配して会いに来たんだ……。


 十何年も俺に精神的苦痛を与え続けた母とそれを放任していた父。死ねばいいと思ったことはあった。だが、初めて直面して実感する、両親の死の重み。俺の心の中で、罪悪感が渦を巻く。


 そして、それ以上に俺を苦しめたのは、両親との関係性が修復しないまま両親がこの世を去ったことだった。俺は、青春を謳歌できなかったコンプレックスと両親との確執かくしつも、時間が解決してくれる、と甘く考えていた。それが叶わなくなったことが、何よりも苦しかった。


 それからの俺は、更にその現実から逃避するかのように、消費者金融にも手を出してまで、ネオンが輝く街で、青春の残滓ざんしに執着し、無軌道むきどうな日々を送っていった。夜の街の喧騒けんそうが、まるで俺を誘うように響いていた。光と音の渦に飲み込まれていく感覚は、不思議と心地良かった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「せつくん……?どうしましたか……?」


「天音……悪い。少しぼーっとしてた」


 ――そうだ。あの頃から一二三は俺に向き合ってくれていた。そんな俺に追い討ちをかけるかのように、両親を交通事故で亡くした。両親との確執を生んだまま。


「あなたたちが〈神威結社〉のお二人ね……?」


 御宅に群がっていた人々が此方こちらに声を掛ける。俺に話し掛けた初老の女性は、優しそうな笑顔を浮かべたまま、言葉を継いだ。


「拓生ちゃんは優秀な子でね。色んなクランが拓生ちゃんを誘いに来たの。でも拓生ちゃんはそれをずっと断ってたわ」


「そう……だったんですね」


「でも初めてよ。拓生ちゃんが自分から、『あの人たちについて行きたい』なんて言い出すのは。あなたたちはとても素敵な人たちなのね……」


「いえ……そんな」


 初老の女性は、優しい目で、俺の目を見る。そして、彼女は言った。


「拓生ちゃんをよろしくお願いします」


「「拓生兄ちゃんをよろしくお願いします!」」


 子どもたちがそれに続いて俺たちに一礼する。俺はそれにしっかりと向き合うように、彼らの顔を見て言った。


「……はい。任せてください」


 初老の女性は満足したかのように微笑んで頭を下げた。冷たい風が吹き付け、寒緋桜かんひざくらの花弁が雪の上にひらひらと舞い落ちる。隣にたたずむ天音が白い髪を掻き上げた。


 初老の女性は、舞い散る花弁を見上げ、独り言のように小さく呟いた。


「これでつむぎさんもやっと安心してくれるかしらね……」


「紬さん……?」


「ああごめんなさい、拓生ちゃんのお婆さんよ。この〈淡墨エリア〉に満開の寒緋桜を咲かせてくれたのは紬さんだもの」


 ――紬さん……。


「拓生ちゃんは昔から身体が弱くてね、紬さんは拓生ちゃんのことをずっと気にかけてたわ。拓生ちゃんもこんなに立派になって……紬さんも天国できっと見守ってくれているわね」


「……そうですね」


「紬さんが再会を待ち望んでいたあの方と……紬さんが亡くなる前に再会できなかったのが残念だけれどね……」


 ――御宅の祖母――御宅 紬が、小さい頃に大好きだった人と再会するために、二人の思い出である満開の寒緋桜を咲かせたという話か……。


「あら、ごめんなさいね。一人で話してしまって。こんな時代だけれど、拓生ちゃんはきっとあなたたちの力になるわ」


「ええ、自分もそう確信しています」


「――お待たせしましたな!」


 群がっていた子どもたちに別れを済ませた御宅が俺に声を掛ける。初老の女性がそっと身を引いた。


「御宅……」


「何辛気臭い顔してるのですかな!?クランへ入るのは小生も元々考えていたことですぞ!」


「……そうだな。つーかお前、なんで俺たちを態々わざわざ挨拶に連れ回したんだ?」


「――そうですぞ!小生、どうしても最後に祖母――ばあちゃんに挨拶したいのですぞ!小生の仲間になるお二方の顔も見せてあげたいですからな」


「紬さんか」


「ほほう、話を聞きましたな?」


「まあ少しな」


「では早速行きましょうぞ!皆の衆!またですな!」


 御宅は集落の老若男女に手を振ると、皆、それに呼応するように手を振った。


「拓生兄ちゃんがんばってね!」


「拓生ちゃん、頑張るのよ」


 俺はそれを横目に、ふと満開の寒緋桜を見上げていた天音に声を掛けた。


「ああ。天音、行こうぜ」


「はい、せつくん。かしこまりました」


 ――そして再び。祠の前へ。


 俺たちは御宅の祖母――紬さんが眠る祠の前へ並んで立った。寒緋桜の花弁が風に乗って、積もった雪の上にひらひらと舞い落ちる。空から冷たく白い雪が、天使が舞い降りるかのように降っていた。


 ――まだ記憶が断片的だ。夜の街に逃げて……俺はあれから……。


 俺はそっと祠に手を触れ、覆い被さっていた雪を払い除けた。すると、先刻まで隠れていた名が現れた。


 ――束花つかはな 紬……。


「祖母の名前――嫁入り前の名前は束花 紬ですぞ」


 俺は再び、古い記憶の糸を手繰たぐり寄せられるように、その記憶を鮮明に思い出した。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ――両親が他界して数ヶ月後。俺はスーツに身を包んで、ある塾を訪れていた。能進塾のうしんじゅく――教場は異なるが、しくも幼い頃に通っていた塾だ。


 個室の中央に置かれた机を挟み、スーツ姿の若い男性と顔を向かい合わせる。事故の慰謝料すら使い果たし、仕送りも絶たれ、借金もあった俺は働かざるを得なくなったのだ。身嗜みだしなみを整え、塾講師のアルバイトに応募した。


「東慶大学、医学部の次席入学……これは優秀な人が来てくれたものだな……」


 俺の履歴書をまじまじと見ながら、感心した様子の面接官。


「いえ……恐縮です」


「どうしてうちで?」


「はい、教場は異なりますが、小学校の六年間、御社〈おんしゃ〉――能進塾様でお世話になっておりました。東慶大学へ入学出来たのも、御社での経験によって学習習慣が身に付いたためだと考えております」


 脳内で瞬時に組み立て、それをはきはきと告げる。俺は言葉を継ぐ。


「次は私が、若く未来ある子供たちに、自分の経験を伝える番です。私ならではの経験を元に、子供たちに伝えられることがあるのではないかという考えに至り、本日うかがった次第です」


 ――当然、真っ赤な嘘だ。アルバイトをする理由なんて、「金が欲しいから」一択いったくに決まっている。俺が出したのは模範解答だ。さて、面接官の反応は……。


「ありがとうございます。素晴らしいお考えです。やはり夏瀬さんはあの夏瀬 雪渚さんでしたか」


「あの……と言いますと?」


「いえ、ここだけの話、小学校の六年間、『特別テスト』で一問足りとも失点せず、毎回全科目満点で全教場一位をり続けた夏瀬 雪渚さん……。うちの塾の教員の間では有名な伝説なんですよ」


「はは……買いかぶり過ぎですよ。教員の皆さんの教え方が素晴らしかったお陰です」


 ――まあそりゃそうだろ。この塾自体に罪はない……むしろ良い塾だろう。だが全科目満点を獲るには塾の授業だけでは少し足りない。あの地獄のような経験がここで活きてくるとは、皮肉なものだ。


「よろしい!夏瀬さん、文句なしの採用です!」


 ――即採用……アルバイトの面接は初めてだったが楽勝だな。余程感触が良かったか。塾に通っていた当時叩き出した文句のつけようのない実績に、完璧な受け答え。物腰ものごしも丁寧かつ謙虚けんきょ。そして東慶大学の現役合格かつ次席入学。まあ俺が面接官でも落とす理由がない。


「ありがとうございます。お力添ちからぞえ出来るよう、尽力いたします」


「いえ夏瀬さん。こちらこそありがとうございます。では早速、仕事や給与の話ですが――」


 自身の実績も相俟あいまって、一コマ六十分の授業で八千円という、破格の時給を提示された。


 ――東大生の塾講師は稼げると聞いていたが、時給八千円とは、ここまで来ると笑えてくるな。


 ――翌日。早速さっそく塾へと出勤した俺は、教員が集まる職員室に顔を出す。職員室とは言っても、個室ではなく、フロア一面を丸々職員室としている形だ。廊下をねた職員室から、それぞれの教室にアクセス出来る造りになっている。


「ええと、新しい講師の夏瀬先生ですね」


 スーツ姿の中年女性が、あわただしい職員室で声を掛けて来た。蛍光灯の明かりが、俺の新品のネームプレートを照らしている。


「はい、夏瀬と申します。ご指導ご鞭撻べんたつのほどよろしくお願いいたします」


 若干じゃっかん緊張した面持ちで答える。これくらいのほうが可愛げがあるだろうという打算ださん込みで。


 金に釣られたアルバイトとは言え、仕事はしなければ給与は貰えない。やる以上は少なくとも、母のような教育者にはなるまい、と心に誓いながら。


「最初は天ヶ羽あまがばね先生の授業を見学していただきます。生徒からの評判も良く、指導力の高い先生なので」


「天ヶ羽先生……ですか」


「ええ、彼女も名門大学――青鱈学院大学あおたらがくいんだいがくに通っている先生で……あ、年齢も近いので仲良くなれると思いますよ」


 そのとき、奥の教室の扉が静かに開き、スーツ姿の一人の女性が入ってきた。真っ白な髪にウルフカット、可愛らしい外ハネの毛先が印象的な、何処どこ妖艶ようえんで美しい女性。豊満な胸がスーツ越しに浮き出ている。


 蛍光灯の光が、その姿を神々こうごうしく照らしていた。

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