「では御三方、社長がお待ちなのです。ご案内するのです」
七瀬川は電動車椅子の車輪を回して方向を変えると、本を片手で開いたまま、エレベーターホールまで向かっていった。その後を追うようにして、七瀬川の後に続いた。
――〈極皇杯〉のファイナリスト。
七瀬川が上階行きのボタンを
天音、拓生と共にエレベーターに乗り込み、七瀬川がエレベーターの扉の脇に備え付けられたかご操作盤――その無数のボタンの中から、最上階を示す「200」のボタンを押した。エレベーターが静かに上昇し始める。
「噂には聞いていたでありますが……天プラの
「社長――
――一二三様、か。一二三がそう呼ばせているとは考え辛い。一二三のカリスマ性がそうさせるのか……
「七瀬川さん、副社長なら忙しいだろうに来客対応とは悪いことしたな」
「とんでもないのです。社長から大事な親友だと聞かされているのです。私が対応するのも当然の義務なのです」
「そうか」
「――ですが……貴方に一二三様が親友と呼ぶだけの価値がある人間だとは思えないのです」
「……は?今、
静観していた天音が怒りを露わにする。静かに上昇するエレベーターの中、俺はそっと天音に耳打ちした。
「……おい天音、落ち着け」
「天ヶ羽 天音さんなのです?この程度の挑発で取り乱す時点で程度が知れるのです」
「コホン……そうですね。初対面の相手に喧嘩を売る時点で貴女の頭の程も知れますが」
そう言ってにこやかに微笑む天音の手が強く握られ、小刻みに震えている。それに反して表情は酷く穏やかで、その様はメイド然としている。
――まずいな。この二人、相性が悪過ぎる。
「女の戦いですなぁ……」
間の抜けたことを独り言のように呟く拓生を
エレベーターからその最上階フロア――社長室に足を踏み入れると、デスクの側の椅子に座っていた白いスーツ姿の男が、
「雪渚、来てくれたか」
「おう一二三」
白いスーツが映える、ウェーブがかった短い黒髪にスマートな印象の眼鏡、端正な顔立ちの男――
「それに天ヶ羽さんと……む、君は御宅 拓生君だね?」
「お、覚えてくれているでありますか?」
「無論だ。一緒に仕事をしたことがあったね。そうか、君が雪渚の仲間か」
「そ、そうですぞ!雪渚氏のクラン――〈神威結社〉に加入させていただきましたぞ」
「はは、緊張しなくても構わない。さあ、こっちに来てくれ」
一二三に促されるがままに、俺たちはデスクの前へと横並びになって立った。そして俺は口を開いた。
「立派な会社じゃないか」
「雪渚にそう言ってもらえると嬉しいよ。何とか世界一の業績と共に世界一のホワイト企業と呼ばれるほどに上り詰めた」
「そうらしいな、流石一二三だ。ここなら俺が働いてやってもいいぞ」
――〈天網エンタープライズ〉――通称、天プラ。フレックス制度を採用し、一年のうち有給が驚異の六十日。有給取得率は百パーセント。残業も禁止。福利厚生も充実しており私服出勤も可能で社食も無料という超絶ホワイト企業だ。
「はは、冗談だろ雪渚。俺にお前ほどの才能は扱えないよ」
「つーかお前マジで医者が副業なのな……」
「医者は引退して後継の信頼できる者に任せたがな」
「お前な……我らが東慶大学医学部が泣くぞ」
「言っただろう?雪渚が回復するまでの面倒を見るために建てたような病院さ。天プラの運営とは違って俺でなくとも命は救えるからな」
「お前一度学長に頭下げてこいよ……」
「ああ、そうだ。東慶大学と言えば彼女も東慶大学の出身でな。昨年文学部を首席で卒業している。この異能至上主義の新世界における彼女の異名は――『
そう言って一二三が指し示した電動車椅子に座る女――七瀬川
「『アカシックレコード』ねえ……」
――第八回〈極皇杯〉、そのファイナリストの一角である七瀬川 言葉の異能は、偉人級異能、〈
「言葉に関する知識量では雪渚や俺と同格と言って差し支えない。彼女もまた天才だよ」
「私は幼い頃から一二三様のお
「ほー、一二三。部下に愛されてるじゃないか」
「勘弁してくれよ雪渚。俺は何もしていない、七瀬川君が優秀だったというだけの話さ」
「――我慢ならないのです」
突然、七瀬川が空を裂くように口を開いた。拳をわなわなと震わせている。七瀬川の眼前に展開される、何も表示されていない黒いディスプレイが、窓から差し込む陽光を
「――七瀬川君?」
「こんな白いボサボサ髪の品のない男が一二三様の親友などと……。一二三様の品格に関わるのです」
「七瀬川さん……貴女、さっきからせつくんに対して無礼ですよ?」
「はわわわ……」
拓生は俺の背に隠れて恐怖に震えている。俺は溜息を
「天音……怒ってくれるのはありがたいが落ち着け。なあ一二三、ちょっと部下の教育がなってないんじゃないか?ビジネスの場なら大問題だぞ」
「悪いな雪渚……七瀬川君はどうにも俺に心酔してくれているようでな」
「いえ一二三様、そもそもこのギザ歯の男に一二三様の親友を名乗る資格などないのです。事前に調べさせていただきましたがこの男、二次試験では一問失点しているのです。一二三様のほうが優れているのは明らかなのです。とても一二三様と同列に語る立場にはないのです」
「……七瀬川君、君も満点というわけではないだろう」
「おいおい一二三、お前の部下は就職してまだ大学受験の話してんのか?」
「ほら見たことなのです。品がないからこうして直ぐに
「最初に煽ったのあんただろ……」
両手を黒いスキニーパンツのポケットに突っ込んだまま、吐き捨てるように呟いた。一二三は呆れたように七瀬川を
「七瀬川君……大学受験の点数だけが人生ではない。それに雪渚が一問失点したのも家庭の事情があったからだ」
「――〈極皇杯〉で決着をつけるのです」
七瀬川がパタン、と本を閉じて言った。一瞬の静寂が、その広々とした社長室を包んだ。七瀬川の眼前に展開されるディスプレイに、「FUCK YOU」という文字列が不気味に浮かび上がった。
「あ?」
「一二三様、私に〈極皇杯〉の出場許可をいただきたいのです」
「それは構わないが……待ってくれ七瀬川君。〈極皇杯〉で雪渚と戦うと?」
「回答はYESなのです。この夏瀬 雪渚という男が『本物』なのであれば予選を勝ち上がることは造作もないはずなのです。私の仕掛ける『言語ゲーム』の上でボコボコにしてやるのです」
「……七瀬川君、君は昨年は出場していなかったが……」
「二年前、私がファイナリストに名を連ねたときは、私が一二三様のお側に立つのに相応しいことを証明するために出場したのです。今回は、一二三様に
「……ということだが、雪渚はどうだ?」
「『言語ゲーム』ってあんた、ウィトゲンシュタインじゃあるまいし……。まあ構わねえよ。どうせ出場するつもりだ」
――「言語ゲーム」――言語哲学者、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインが提唱した、言語活動を比喩して提唱した理論。だがまあ七瀬川が言う「言語ゲーム」は、言葉で戦う異能戦――といった意味合いだろう。
「一切油断はしないのです。頭脳戦で全身全霊を
「はっ、俺に頭脳戦を挑んだこと、一生後悔させてやるよ電波女」
「そうか……雪渚、七瀬川君。健闘を祈るよ」
「はいなのです。では一二三様、私は仕事に戻るのです」
「ああ、ありがとう七瀬川君」
七瀬川は一二三に
「雪渚……」
「なんだ?」
「目が変わったな。お前の今の目には、『生きる意志』がある」
「ああ、死ねない理由も腐るほどできたしな。生き抜いて覆して、最期には笑って死んでやるよ」
「せつくん……」
「そうか雪渚、それで
「そういや一二三、聞きたいことがあった」
「む、なんだ?」
「異能戦のクランランキング――〈天網エンタープライズ〉はSランクの世界十位だよな」
「そうだな。無論俺が操作したわけではない。俺は世界六国から委託されてランキングを視認できるアプリを開発したというだけで、ランキングを決定するのは飽くまで世界六国だからな」
「まあお前の独断でランキング決めてりゃお前は無事じゃ済まないだろうからな……。だとすればクランランキング世界十位――これは一二三、お前の手腕による功績か?」
「そうだ……と言いたいところだが実情は
「あの電波女がか……」
「世界中の極めて優秀な人材を異能戦――彼女の場合は異能による頭脳戦、と言い換えたほうが適切だがそれによって仕事を賭けさせた。要するにヘッドハンティングだな」
「天プラに入社しちまえば超絶ホワイト企業の超高待遇だ。人も離れないだろうからな。それによって企業としてもクランとしても大きく成長したっつーわけか」
「そんなところだ。雪渚、先刻も言ったが言葉に関する知識量においては、彼女は俺たちと並ぶ。
「お前がそこまで評価するならそうなんだろうな。肝に
「ああ」
「じゃあな一二三。お前とまた話せて良かった」
「俺もさ。また連絡させてもらう」
「おう」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――〈天網エンタープライズ〉を後にし、〈
「あら天音ちゃんたち!こんにちは!」
「こんにちは。心地の良い天気ですね」
「ふふ、天音ちゃんを見ると毎日癒されるわぁ。またね!」
「はい、お気を付けて」
――天音は〈真宿エリア〉の住民たちからの信頼も厚いようで、こうして良く声を掛けられる。俺も自然とこの街に溶け込んでいった。
「――いやはや、〈極皇杯〉に雪渚氏が出場となると、今年も荒れそうですなぁ。まさか七瀬川女史が雪渚氏に挑戦状を叩き付けるとは……」
「御宅さん、あの程度の女はせつくんの敵ではありませんよ」
――幕之内 丈に七瀬川 言葉……〈極皇杯〉、か……。
「むむっ、あれは……どなたですかな?」
〈オクタゴン〉の敷地――その
「――開けんかいゴルァ!!」
その女は黒を基調とした複数のパーツでできた軽装の鎧を身に着けている。陽光が、彼女の姿を劇的に照らし出していた。
「――出てこいゴルァ!」
女はガタガタと玄関の扉を揺らし、こじ開けようとしていた。そのやさぐれた雰囲気の黒髪のロングヘアの女の姿には見覚えがあった。
「大阪府警かあいつは……」
「雪渚氏、お知り合いですかな?」
門を解錠し、敷地内に足を踏み入れる。そして、荒れ狂う女に背後から声を掛けた。
「――おい竜ヶ崎、何の用だ」
「――あァ!?」
頭から二本の黄色い角が生えた、黒い軽装の鎧を身に
「そうかァ!テメェの家かァ!こんな立派な家に住みやがってよォ!やっぱ金持ってんじゃねェかァ!」
竜ヶ崎の身体がメキメキと悲鳴を上げ始めた。骨が
「――うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおォォォォ!」
竜ヶ崎の肌には鱗が現れる。黒い鉤爪の
「他を当たれと言ったはずだぞ……」
――新世界四日目。四度目の異能戦が、今、始まる。