理玖の弁当は晴翔が伊藤に届けてくれた。
プライム開発の試作弁当を食べながら、理玖はアンケート用紙を埋めていた。
「嚥下困難な患者用のソフト食か。今回、重視したのは見た目と彩り……」
嚥下困難者用のソフト食は、誤飲防止のため粥やペーストが多い。副菜などは、元の食材や形がわからないものばかりだ。
それでは食欲もわかないという意見から、食べ物の形を再現したソフト食の開発をしている企業は、割と少なくない。
中でも真っ先に着手したのがプライム開発だ。
「幾つか見たことあるけど、やっぱりプライムさんはクオリティ高いな」
今日の試作弁当はうな重だ。
見た目は申し分なくウナギだし、香りも良い。舌で潰せる柔らかさで、嚥下時に突っかかりもない。
強いて言うなら、米がどうしても糊のように感じられてしまう点だろうか。以前に比べれば改良されているが、もう少し、米粒感が欲しい。
「米と……、丼もの以外のおかず系の開発が今後の課題かな」
アンケート用紙にびっしりと意見を書き込む。
息を吐きながら、一緒に入っていたパンフレットを数枚、流し見た。
「既に販売している分は売れ行き好調って話だったけど」
商品の紹介パンフの他に、会社紹介のパンフが入っていた。
「新しくなったのかな? へぇ、プライムさんてSky総研の傘下に入ったのか」
Sky総合研究所といえば、医療業界に特化したシンクタンクというイメージが強い。ここ数年で頭角を現し、めきめきと業績を伸ばしている。
何となく興味が湧いて、ネット検索を掛けてみた。
「あれ、慶愛大もSkyさんと協業してたんだ。医学部が大きいからかな」
慶愛大学は私立の中では最も大きな医学部を有する。昨今の大学の中では研究も盛んだから、医療分野に特化したSky総研が欲しがるのも頷ける。
「新規事業として、生活医療研究所の設立を予定。WOに特化した総合研究を目指す。どの性であっても不自由なく暮らせる日本であるために。総ての性に明るい未来を、か。なんでWO特化……」
注目を集める分野と言えど、専門性で言ったら医学の中でも狭義の分野だ。ビジネスにして採算が合うかは微妙だろう。
研究所となれば、赤字必須だ。未来への投資なんだろうか。
「でも、面白いかな。企業が研究所を作ってくれるなら、開発品が市場に出回るのも速いだろうし」
生活に根差した研究所を謳うなら、実用性のある研究が主になるのだろう。
薬品開発や関連した生活品など、同時に作れたら面白い。
「研究員の募集は終わってるのかな。始動はいつなんだろ」
ちょっと興味が湧いてきた。
研究員の募集はまだ始まっていないようだ。
「詳細は後日アップか。代表取締役社長、……空咲、翔吾」
偶然目に入った名前に、ドキリとした。
Sky総研の社長の名前は初めて知ったが、既視感が否めない。
(ない名前じゃないけど、この漢字で空咲って、珍しいよな。それに、名前……)
コンコン、とドアをノックする音がして、理玖は咄嗟にウィンドウを閉じた。
「はい、どうぞ」
ドアを開けて入ってきたのは、案の定、晴翔だった。
「先生、アンケート終わりました? 終わったら貰っていきますよ」
晴翔がドア先で笑顔を向ける。
時計を見たら、もう二時だった。
「今、終わったよ。回収よろしく」
アンケート用紙の入ったクリアファイルを手渡す。
室内に入ってきた晴翔が嬉しそうにニコニコしている。
「これ、伊藤さんから弁当の御礼って預かりました」
差し出した手の中には、兎の形をした大福が二つ、握られていた。
可愛いし美味しそうで、理玖の気持ちにワクワクが湧いた。
「先生、可愛い物もお菓子も好きでしょ。だから、喜ぶかなと思って」
それで晴翔まで嬉しそうにしていたのだろうか。
(僕が喜ぶと、晴翔君は嬉しいんだろうか)
きゅんと締まる胸に気が付かない振りをして、目を逸らした。
「可愛いし、美味しそう。伊藤さんにありがとうって、伝えて」
「伝えておきますね。あと、弁当箱は洗ってありますから」
晴翔が机の上に理玖の弁当箱が入ったバックと大福を二つ置く。
「今日は他に何かありますか?」
晴翔がこう聞く時は、晴翔側に用事がない時だ。いつもなら「ない」と答えて晴翔が部屋を出ていくのだが。
「特にないけど、良かったら、一緒に大福、食べない?」
部屋の隅から丸椅子を持ってきて、隣に置く。
「良いんですか?」
「だって、二つあるから。一緒に食べた方が美味しいかなって」
言ってから、自分の発言に自分で照れた。
「別に深い意味はないけど、一人で美味しい物、食べても味気ないというか」
慌てる理玖を余所に、晴翔が丸椅子に座った。
「お誘いありがとうございます。俺も向井先生と一緒に可愛い大福食べたいです」
晴翔が屈託なく笑うので、何となく安心した。
冷蔵庫から小さなお茶のペットボトルを出して、晴翔に手渡す。
「良かったら、どうぞ」
「お茶まで、ありがとうございます」
晴翔が二つの大福を理玖の前に並べた。
「中身の餡が違うみたいなんですけど、答え、言っちゃってもいいですか」
晴翔の問いかけに、理玖は激しく首を振った。
「ですよね。どっちがいいですか?」
理玖は二匹の兎を真剣に見比べた。
「空咲君は、どっちも食べてみたい? 半分こしたい?」
兎から目を離さずに聞いてみる。
色味から察するに、片方は白餡だ。もう一つは、順当なら黒餡だが、違う気がする。
「そうですね。先生は兎を半分に切るの嫌だろうから、好きな方を選んでください」
理玖は驚いて、思いっきり晴翔を振り返った。
「どうして、わかったの? ていうか、パクってしたらどうせ半分になるだろ、とか思ってない?」
晴翔が笑いを噛み殺しながら首を振った。
「パクって、ね。パクってして半分になるのと、刃物で切るのは先生の中で違うんですよね」
晴翔が楽しそうに笑っている。
どうしてそこまで理玖の思考を読めるのか、謎だ。
呆気にとられる理玖に、晴翔が目を向けた。
「もう半年も毎日一緒にいるんだから、わかりますよ。先生の癖とか、好みとか」
胸が大きくドキリとして、顔が熱くなった。
一緒にいるとは言っても、仕事で毎日三十分程度、顔を合わせているだけだ。
(それでも晴翔君は、僕の癖とか好みを覚えてくれてるんだ)
その方が仕事が円滑に回るから。きっと、その程度の話だろう。
それでも、嬉しいと思う。
(僕はどれくらい、晴翔君を覚えているだろうか)
運動が得意で、誰にでも好かれて、人当たりが良くて。
そんな程度しか、知らない気がする。
(君をもっと知りたい、なんて言えないけど)
理玖は左側の黄色みが強い兎に手を伸ばした。
「こっちにする。空咲君は、右側でいい?」
「はい、もちろん」
右側の白みが強い兎を晴翔が持ち上げた。
大福が入ったケースを開けて口元に持っていった手を、晴翔が止めた。
「一緒にパクってします?」
「……うん。じゃぁ、せーの」
照れた心地のまま、兎の大福にパクリとする。
餅が、みょーんと伸びた。
「俺の方、白餡ですよ。先生の方は……」
理玖を振り返った晴翔が言葉を止めた。
パクリとして引っ張った餅が切れない。
伸びた餅が手を離すほどに伸びて、どうしていいかわからない。
気持ちは慌てているが、口が塞がっているので何も言えない。
「先生、食べて、食べて。えーっと」
理玖が慌てているのに気が付いたのか、晴翔が立ち上がった。
机の辺りを見回していた晴翔が、さっきの弁当に付いていた割り箸の爪楊枝を見付けた。
大福側の餅を切り取って、伸びた餅を爪楊枝で器用に巻き取る。
「切れました。先生、口開けてください」
言われるがまま、爪楊枝の餅をパクリとした。
口元を抑えて一生懸命もぐもぐする。
そんな理玖を見ながら、晴翔が楽しそうに笑っている。
「……ありがとう。こっちの兎さんは黄身餡だったよ」
恥ずかしくて顔から火を噴きそうになりながら、ぼそぼそ答える。
「先生の貴重な姿を見ちゃいました。黄身餡、美味しいですか?」
ただ、恥ずかしい姿を晒しただけだと理玖としては思う。
余計に熱くなった顔で頷いた。
「この大福、牛皮じゃなくて本当にお餅なんだね。美味しい。……伸びるけど」
「伸びますね。一緒に食べて良かった」
晴翔が嬉しそうに呟く。
一人なら一人なりに何とかしたとは思うが。晴翔の助け舟があって良かったとは思う。
改めて、半分になった大福を眺める。
「お尻、食べちゃった」
兎の尻尾側から食べたから、顔だけ残っている感じだ。
晴翔が自分と理玖の手の中の兎を見て、また笑った。
「そうですね。俺の兎も、お尻食べちゃいました」
嬉しそうに話す晴翔を眺めながら、理玖は残りの大福を頬張った。
恥ずかしい姿を見られたが、晴翔が楽しそうなので良かったと思った。