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第12話《去年》秋②

 理玖の弁当は晴翔が伊藤に届けてくれた。

 プライム開発の試作弁当を食べながら、理玖はアンケート用紙を埋めていた。


「嚥下困難な患者用のソフト食か。今回、重視したのは見た目と彩り……」


 嚥下困難者用のソフト食は、誤飲防止のため粥やペーストが多い。副菜などは、元の食材や形がわからないものばかりだ。

 それでは食欲もわかないという意見から、食べ物の形を再現したソフト食の開発をしている企業は、割と少なくない。

 中でも真っ先に着手したのがプライム開発だ。


「幾つか見たことあるけど、やっぱりプライムさんはクオリティ高いな」


 今日の試作弁当はうな重だ。

 見た目は申し分なくウナギだし、香りも良い。舌で潰せる柔らかさで、嚥下時に突っかかりもない。

 強いて言うなら、米がどうしても糊のように感じられてしまう点だろうか。以前に比べれば改良されているが、もう少し、米粒感が欲しい。


「米と……、丼もの以外のおかず系の開発が今後の課題かな」


 アンケート用紙にびっしりと意見を書き込む。

 息を吐きながら、一緒に入っていたパンフレットを数枚、流し見た。


「既に販売している分は売れ行き好調って話だったけど」


 商品の紹介パンフの他に、会社紹介のパンフが入っていた。


「新しくなったのかな? へぇ、プライムさんてSky総研の傘下に入ったのか」


 Sky総合研究所といえば、医療業界に特化したシンクタンクというイメージが強い。ここ数年で頭角を現し、めきめきと業績を伸ばしている。


 何となく興味が湧いて、ネット検索を掛けてみた。


「あれ、慶愛大もSkyさんと協業してたんだ。医学部が大きいからかな」


 慶愛大学は私立の中では最も大きな医学部を有する。昨今の大学の中では研究も盛んだから、医療分野に特化したSky総研が欲しがるのも頷ける。


「新規事業として、生活医療研究所の設立を予定。WOに特化した総合研究を目指す。どの性であっても不自由なく暮らせる日本であるために。総ての性に明るい未来を、か。なんでWO特化……」


 注目を集める分野と言えど、専門性で言ったら医学の中でも狭義の分野だ。ビジネスにして採算が合うかは微妙だろう。

 研究所となれば、赤字必須だ。未来への投資なんだろうか。


「でも、面白いかな。企業が研究所を作ってくれるなら、開発品が市場に出回るのも速いだろうし」


 生活に根差した研究所を謳うなら、実用性のある研究が主になるのだろう。

 薬品開発や関連した生活品など、同時に作れたら面白い。


「研究員の募集は終わってるのかな。始動はいつなんだろ」


 ちょっと興味が湧いてきた。

 研究員の募集はまだ始まっていないようだ。


「詳細は後日アップか。代表取締役社長、……空咲、翔吾」


 偶然目に入った名前に、ドキリとした。

 Sky総研の社長の名前は初めて知ったが、既視感が否めない。


(ない名前じゃないけど、この漢字で空咲って、珍しいよな。それに、名前……)


 コンコン、とドアをノックする音がして、理玖は咄嗟にウィンドウを閉じた。


「はい、どうぞ」


 ドアを開けて入ってきたのは、案の定、晴翔だった。


「先生、アンケート終わりました? 終わったら貰っていきますよ」


 晴翔がドア先で笑顔を向ける。

 時計を見たら、もう二時だった。


「今、終わったよ。回収よろしく」


 アンケート用紙の入ったクリアファイルを手渡す。

 室内に入ってきた晴翔が嬉しそうにニコニコしている。


「これ、伊藤さんから弁当の御礼って預かりました」


 差し出した手の中には、兎の形をした大福が二つ、握られていた。

 可愛いし美味しそうで、理玖の気持ちにワクワクが湧いた。


「先生、可愛い物もお菓子も好きでしょ。だから、喜ぶかなと思って」


 それで晴翔まで嬉しそうにしていたのだろうか。


(僕が喜ぶと、晴翔君は嬉しいんだろうか)


 きゅんと締まる胸に気が付かない振りをして、目を逸らした。


「可愛いし、美味しそう。伊藤さんにありがとうって、伝えて」

「伝えておきますね。あと、弁当箱は洗ってありますから」


 晴翔が机の上に理玖の弁当箱が入ったバックと大福を二つ置く。


「今日は他に何かありますか?」


 晴翔がこう聞く時は、晴翔側に用事がない時だ。いつもなら「ない」と答えて晴翔が部屋を出ていくのだが。


「特にないけど、良かったら、一緒に大福、食べない?」


 部屋の隅から丸椅子を持ってきて、隣に置く。


「良いんですか?」

「だって、二つあるから。一緒に食べた方が美味しいかなって」


 言ってから、自分の発言に自分で照れた。


「別に深い意味はないけど、一人で美味しい物、食べても味気ないというか」


 慌てる理玖を余所に、晴翔が丸椅子に座った。


「お誘いありがとうございます。俺も向井先生と一緒に可愛い大福食べたいです」


 晴翔が屈託なく笑うので、何となく安心した。

 冷蔵庫から小さなお茶のペットボトルを出して、晴翔に手渡す。


「良かったら、どうぞ」

「お茶まで、ありがとうございます」


 晴翔が二つの大福を理玖の前に並べた。


「中身の餡が違うみたいなんですけど、答え、言っちゃってもいいですか」


 晴翔の問いかけに、理玖は激しく首を振った。


「ですよね。どっちがいいですか?」


 理玖は二匹の兎を真剣に見比べた。


「空咲君は、どっちも食べてみたい? 半分こしたい?」


 兎から目を離さずに聞いてみる。

 色味から察するに、片方は白餡だ。もう一つは、順当なら黒餡だが、違う気がする。


「そうですね。先生は兎を半分に切るの嫌だろうから、好きな方を選んでください」


 理玖は驚いて、思いっきり晴翔を振り返った。


「どうして、わかったの? ていうか、パクってしたらどうせ半分になるだろ、とか思ってない?」


 晴翔が笑いを噛み殺しながら首を振った。


「パクって、ね。パクってして半分になるのと、刃物で切るのは先生の中で違うんですよね」


 晴翔が楽しそうに笑っている。

 どうしてそこまで理玖の思考を読めるのか、謎だ。

 呆気にとられる理玖に、晴翔が目を向けた。


「もう半年も毎日一緒にいるんだから、わかりますよ。先生の癖とか、好みとか」


 胸が大きくドキリとして、顔が熱くなった。

 一緒にいるとは言っても、仕事で毎日三十分程度、顔を合わせているだけだ。


(それでも晴翔君は、僕の癖とか好みを覚えてくれてるんだ)


 その方が仕事が円滑に回るから。きっと、その程度の話だろう。

 それでも、嬉しいと思う。


(僕はどれくらい、晴翔君を覚えているだろうか)


 運動が得意で、誰にでも好かれて、人当たりが良くて。

 そんな程度しか、知らない気がする。


(君をもっと知りたい、なんて言えないけど)


 理玖は左側の黄色みが強い兎に手を伸ばした。


「こっちにする。空咲君は、右側でいい?」

「はい、もちろん」


 右側の白みが強い兎を晴翔が持ち上げた。

 大福が入ったケースを開けて口元に持っていった手を、晴翔が止めた。


「一緒にパクってします?」

「……うん。じゃぁ、せーの」


 照れた心地のまま、兎の大福にパクリとする。

 餅が、みょーんと伸びた。


「俺の方、白餡ですよ。先生の方は……」


 理玖を振り返った晴翔が言葉を止めた。

 パクリとして引っ張った餅が切れない。

 伸びた餅が手を離すほどに伸びて、どうしていいかわからない。

 気持ちは慌てているが、口が塞がっているので何も言えない。


「先生、食べて、食べて。えーっと」


 理玖が慌てているのに気が付いたのか、晴翔が立ち上がった。

 机の辺りを見回していた晴翔が、さっきの弁当に付いていた割り箸の爪楊枝を見付けた。

 大福側の餅を切り取って、伸びた餅を爪楊枝で器用に巻き取る。


「切れました。先生、口開けてください」


 言われるがまま、爪楊枝の餅をパクリとした。

 口元を抑えて一生懸命もぐもぐする。

 そんな理玖を見ながら、晴翔が楽しそうに笑っている。


「……ありがとう。こっちの兎さんは黄身餡だったよ」


 恥ずかしくて顔から火を噴きそうになりながら、ぼそぼそ答える。


「先生の貴重な姿を見ちゃいました。黄身餡、美味しいですか?」


 ただ、恥ずかしい姿を晒しただけだと理玖としては思う。

 余計に熱くなった顔で頷いた。


「この大福、牛皮じゃなくて本当にお餅なんだね。美味しい。……伸びるけど」

「伸びますね。一緒に食べて良かった」


 晴翔が嬉しそうに呟く。

 一人なら一人なりに何とかしたとは思うが。晴翔の助け舟があって良かったとは思う。

 改めて、半分になった大福を眺める。


「お尻、食べちゃった」


 兎の尻尾側から食べたから、顔だけ残っている感じだ。

 晴翔が自分と理玖の手の中の兎を見て、また笑った。


「そうですね。俺の兎も、お尻食べちゃいました」


 嬉しそうに話す晴翔を眺めながら、理玖は残りの大福を頬張った。

 恥ずかしい姿を見られたが、晴翔が楽しそうなので良かったと思った。

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