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第11話《去年》秋①

 大学に来て半年も経った頃には、晴翔とはかなり打ち解けた。

 きっと晴翔が誰とでも仲良くなれる社交性の高い人間だからだろうが。

 時々には理玖の研究室で一緒に昼飯を食べるくらいの仲にはなれた。


「先生、届いたらすぐお弁当、持っていきますね!」 


 講義終わりの教室移動中、受付の前で晴翔に声を掛けられた。

 咄嗟に反応できずに、理玖は首を傾げた。


(今日は一緒にお昼を食べる約束、していたっけ?)


 いつもなら事前に声を掛けてくれる。

 今がそうなのだろうか。あんまり大勢の前で話されるのは、理玖としては恥ずかしい。

 反応がいまいちだと思ったのか、晴翔が駆け寄ってきた。


「今日はプライム開発の試供品のお弁当が届く日ですよ。まだ届いていないので、届いたらすぐお持ちします」


 説明されて、思い出した。

 プライム開発は医療介護系の食事開発をメインとした開発販売をしている会社だ。理研にいた頃からの付き合いで、今も開発補助で関わっている。


(WOとは直接関係がないけど、関わっておくと研究費とか何かと融通がきくからな)


 難点があるとすれば、弁当を食べた後のアンケートの記入項目が多くて細かくて、うんざりする程度だろうか。


(論文一つ仕上げると思えば安いよね。プライムさんはお金持ちだから)


 自分に言い聞かせて納得する。

 忘れていただけに、今日の仕事が一つ増えた感じで、ちょっと残念だ。


「今日は届くの、遅いですね。先生のお昼休憩の時間は大丈夫ですか?」


 晴翔がしきりに時計を気にしている。

 事務所の他の職員は弁当を取り出したり財布を片手に移動を始めているから、もう昼の時間なんだろう。

 そういえば、意識していなかった。


「今日の午後は講義もないし、研究室で資料の纏めをしているから融通が利くよ」

「そうですか……」


 ホッとした顔をする晴翔が可愛いな、などと思いながら眺めていると、後ろから声が聞こえた。


「やだー、お弁当、忘れちゃった。息子のトコに二個入れちゃったのかなぁ」


 女性事務員が自分の鞄の中を何度も探していた。


「良かったら、僕のお弁当、食べますか?」


 女性事務員が振り返って理玖を見詰める。

 思わず口を押えた。何も考えずに喋ってしまった。


「プライム開発さんのお弁当が来るの忘れてて、持ってきちゃったから、良かったらと思ったんだけど」


 よく考えたら、ろくに親しくもない男の手作り弁当など気持ちが悪いだろう。


「すみません……。今の、忘れて、ください」

「いただきます!」


 女性事務員がノリノリでやってきた。

 勢いがすごくてちょっと仰け反ってしまった。


「向井先生のお弁当、自分で作ってるんでしょ? 空咲君がいつも美味しそうって話しているから、興味あったんです」


 素敵な笑顔を向けてくれた女性事務員のネームには伊藤と書かれていた。


「伊藤さんは、他人の手作りに抵抗とかないですか? なければ後で持ってきますけど。あと、アレルギーなんかは?」

「アレルギーとかないし、抵抗なんてないですよ。全然知らない人なら、ちょっと考えるけど、向井先生だし。全然大丈夫でーす。むしろ助かりますよ」


 伊藤の言葉に、安心した。

 どうやら事務員に悪い印象はないらしい。


「持ってきてもらうの申し訳ないから、私が取りに行きますよ」

「じゃぁ、俺が今から一緒に行って、受け取ってきます。雑用もあるから」


 受付から出ようとした伊藤を制して、晴翔が前に出た。


「いいの? 空咲君、ありがとう。先生も、ありがとうございまーす」


 晴翔に促される形で、理玖は歩き始めた。


「いいなぁ、伊藤さん。先生のお弁当食べられて」


 晴翔が、ぽそりと零す。


「空咲君も、お弁当ないの? 先に言ってくれたら空咲君にあげたのに」


 直接お世話になっている晴翔に先に聞くべきだったと後悔した。

 晴翔が小さく吹き出した。


「そうじゃなくて。俺も向井先生のお弁当、食べてみたいなって思って。いつも美味しそうだから」


 ニコリと笑んだ晴翔がやけにイケメンで、思わず顔を逸らした。

 ふと、晴翔のシャツのポケットが目に入った。

 理玖が作ったリスのあみぐるみが顔を出している。ジャケットで隠れて見えにくいが、渡してからずっと、晴翔は理玖が作ったリスのあみぐるみを大事にしてくれていた。


(あんな風に大事にしてくれると、作って良かったなって思う。晴翔君は人を喜ばせるのが上手だ)


 最近は心の中でだけ、下の名前で呼んだりしている。

 それだけ理玖にとっては大事な人になってきているんだと思う。けれど、それ以上を考えないように気を付けていた。


「じゃぁ、今度は空咲君にお弁当、作ってくるよ。嫌いな食べ物やアレルギーはない?」


 今、自分の顔は絶対に照れている。

 だから顔を見られないように、ちょっと逸らした。


「アレルギーも好き嫌いもないけど、良いんですか?」

「一つ作るのも二つ作るのも、変わらないから。その代わり、中身は僕のと同じになるよ」


 ちらりと晴翔を窺う。

 キラキラした瞳で、理玖を眺めている。尻尾があったら絶対に思いっきりフリフリしている顔だ。


「嬉しいです。やったぁ。おねだりして良かったぁ」


 晴翔が本当に嬉しそうに笑うから、理玖まで嬉しくなる。


(お弁当一つであの笑顔が見られるなら、毎日でも作る)


 誰にでも向けられる人懐っこい笑顔とは別の、理玖にしか見せない笑顔。

 最近の晴翔は、理玖の前で笑う時、ちょっとだけ幼い。その顔が、実家で飼っていた柴犬の豆太に似て見えて可愛い。


(そう、豆太だ。豆太に似ているから好きって思うんだ。それだけだ)


 生まれた時から一緒だった豆太は理玖が日本を離れている間に死んでしまった。

 兄弟のように育った豆太が戻ってきたようで、懐かしく思うのだ。

 自分にそう言い聞かせて、それより奥の心の内には気が付かない振りをした。

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