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第28話 大切にしたい人

定食屋に入り私たちは向かい合って席に着いた。店員さんが手際よくメニューを持ってきてくれ、私たちは手早く注文を済ませた。料理が運ばれてくるまでの時間を利用して、私はさっきから渦巻いている疑問をタカ君にぶつけることにした。


「それで、さっきの話ってなに?」

前のめりになってタカ君に問い詰める。私の食い気味な様子にたじろぎながらもタカ君は話し始めた。


練習が終わって帰ろうとした時、黒川さんに声をかけられたらしい。少し緊張した面持ちで私とタカ君が付き合っているか尋ねてきたという。タカ君が「ああ」と答えると、黒川さんはさらに踏み込んできて、「高木コーチのどこが好きなんですか?」と真剣な眼差しで聞いてきたそうだ。 唐突な質問に戸惑っていると、黒川さんは小さな赤い箱を差し出し告白されたという。


タカ君は、その場でありがとうと言いながらも、黒川さんの気持ちには応えられないと断ったらしい。しかしチョコレートだけは彼女の気持ちとして受け取ったとのことだった。黒川さんも、付き合っていることは分かっていたようだがそれでも自分の気持ちを伝えたかったと、少し作り笑いをしながらそう言って去って行ったそうだ。


「ふぅーん、そうなんだ」

タカ君の話を聞き終えた私は、何とも言えない複雑な気持ちだった。


元カノの愛さんの件もあって、今回はタカ君の方から話してくれたし、その場で断ってくれたので心配することはないと理解している。それでも、自分の大切な人が他の人から好意を持たれているという事実を知るのは、嫉妬心のようなモヤモヤとした感情を生み出すものだった。理屈では分かっていても感情が追いつかない。


「黒川さんには、私のどこが好きって答えたの?」

モヤモヤしているうちに頼んでいた品が届き、私は生姜焼きを食べながらタカ君に尋ねた。


「えっ?そこ?」

テーブルに置かれたお冷のグラスを手に取り一口飲んでいたが、私の言葉に驚きむせていた。


「だって……タカ君のせいでもないし、黒川さんが悪いわけでもないのは分かってる。だけど、モヤモヤするんだもん。タカ君のことを信じているし、ちゃんと話してくれたことは嬉しい。本当に嬉しいんだけど……でも、やっぱり嫉妬するというか、心がスッキリしないんだもん」


「ゴホッ、ゴホッ……」

まだむせているタカ君は涙目になりながら喉元を押さえて正常に戻そうと咳ばらいをしている。


「え……なんか奈々の前で言うの恥ずかしいんだけど」

「なんで?聞きたい!私はタカ君の好きなところを目の前でも言えるよ。タカ君はね、呆れながらも私が言ったこと叶えようと付き合ってくれるし、冷静に周り見る大人の男だし、自分のことより相手の気持ち考えるとってもとっても優しい人で、ほかにも……」

「あー、分かった、分かったから。」

「え?まだまだ言えるし言いたいのに」

「店で言われるの恥ずかしいからこの辺にしといて……。」

私は気にしなかったがタカ君が恥ずかしそうにしていたので、それ以上言うのは止めて、二人で豪快にご飯をかけこみ食べて店を後にした。



「奈々の何事にも全力で前向きなところが好きかな。高木コーチのこと、大切にしたいんだ。だからごめんね。そう言ったんだよ。」

人通りが少ない道を歩いていると、タカ君がボソッと呟いた。


「タカ君、もう一回言って。録音して毎晩聞きたい!」

「絶対イヤ。」

「じゃ、録音はしないからもう一回言って。心の中に記憶する」

「絶対イヤ。」

本当はしっかり覚えているけれど、もう一回言ってほしくてねだるとタカ君は頑なに拒否した。


「私、いつだって全力でタカ君のこと大好きだよ」

「もう二度と言わない。」

そう言って照れて早足で先に行ってしまった。モヤモヤした気持ちはどこかへ吹っ飛んでいた。タカ君の言葉一つでこんなにも変わるなんて単純かもしれない。でも、好きな人に大切にしたいと思ってくれていることが幸せでしょうがなかった。


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