目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第13話 優しい妖狐

 気付けば、紅の屋敷に来て二週間が過ぎていた。

 今夜はニコが紅に呼ばれて、添い寝していた。

 蒼は、久々に芯と枕を並べて寝た。


「多分、朝には溶けてると思うぜ、ニコ。羨ましいなぁ。俺も早く紅様の中に溶けてぇな」


 夢心地に話す芯に、返事ができなかった。


 紅に芯の事情を聴いてから、逃がしてほしいとも術を弱めてほしいとも言えなくなった。

 術を弱めれば病で苦しい思いをするか、屋敷から抜け出して危ない目に遭うかの二択だ。

 だったら、このまま夢の中で気持ち良く酔っていた方がいいだろうと思った。


(本当はどうするのがいいかなんて、わからない。自分の状況を知ったら、正気の芯はどんな選択をしたかな)


 考えてもわからない。

 今更、芯本人に伝える訳にもいかない。


(保輔なら、どうしたかな。正気の芯に事実を伝えたかな。このまま夢心地にしたかな)


 きっと保輔みたいな人なら、正しい選択ができるんだろう。

 蒼には正解が、わからなかった。



 次の日の朝。

 起きると、紅が一人、庭でシャボン玉を吹いていた。

 ニコが溶けたんだと思った。


「おはようございます、紅様」


 声をかけると、ちょっとぼんやりした目で紅が笑んだ。


「おはよう、蒼」


 いつもなら先に気が付いて声をかけてくれる。

 ニコが溶けたのが、悲しかったのかもしれない。

 色の時も、悲し気な表情をしていた。


(優しいというより、お人好しだ。わざわざ死期が近い子供を金を出して買い取って、気持ち良くして逝かせてやって、自分はしっかり悲しくなって辛い思いをするなんて)


 本当に馬鹿なんじゃないかと思う。

 自分でもよくわからない怒りが蒼の中に湧き上がった。

 蒼は、シャボン玉の液を持つ紅の手を握った。


「僕も、シャボン玉、吹きたいです。やらせてください」


 見上げる蒼の顔を眺めて、紅がストローを手渡した。


「いいよ。一つしかないから、蒼がシャボン玉を吹いて。俺は紙風船を飛ばすから」


 頷いて、ストローに石鹸液を付ける。

 いっぱい吹けるようにたくさん付けた。

 強く吹くと、シャボン玉は一つも出なかった。


「もしかして、シャボン玉、初めて?」

「聞いたことしかないです。実際やるのは、初めてです」


 紅が蒼の手を掴んで、ストローに石鹸液を馴染ませた。


「付け過ぎてもシャボン玉、膨らまないんだよ。少なくてもダメ。これくらいかな」


 ストローを蒼の口元に持っていく。


「強く吹くとシャボンになる前に弾けちゃうから、優しく、そぉっと息を吹くんだ。やってごらん」


 言われた通り、そっと息を吹き込む。

 シャボンがゆっくり大きくなって、ストローの口から離れた。


「できた! できました!」


 年甲斐もなく燥いでしまい、恥ずかしくなる。

 そんな蒼の頭を、紅が慈しむように撫でた。


「シャボン玉、沢山作ってね。紙風船と一緒に飛ばすから」

「はい!」


 気合の入った返事をして、慎重にシャボン玉を吹く。

 紅が、クスリと笑った。


「蒼は根が真面目な子なんだね。何でも一生懸命で、可愛いよ」


 真面目という自覚はないが、つい夢中になる癖は、あるのかもしれない。

 理研にいた頃も、本棚の少ない本を読みつくして三周くらい同じ本を読んでいた。


(良かった。紅様、笑ってくれた。少しは辛い気持ち、紛れたかな)


 段々、慣れてきて、沢山のシャボン玉を飛ばせるようになってきた。

 空にシャボン玉が増えたタイミングで、紅が紙風船を膨らませた。

 息を吹き込み、ニコの魂の一部を包んで大きく張った風船が空に舞い上がる。

 シャボン玉と一緒に登っていく紙風船は、綺麗だった。


「いつもは一人でしてるんだ。術を掛けてる子には見せないようにしてるから」


 どうして、と聞こうとして、言葉を飲み込んだ。


(シャボン玉と紙風船を飛ばしている理由を聞かれたら、紅様はきっと正直に教えるんだろうな。けど本音は、話したくないんだ)


 妖術で心をかどわかしていると、かどわかした相手に伝えてしまうような妖狐だ。

 理由なんか聞かれても答えなければいいのに、紅にはそれができないんだろう。

 何より、一人で静かに見送りたいのだろうとも、思った。


「蒼がいてくれて良かったよ。色とニコも、きっと喜んでるよ」


 色が喜んでいたかはわからないが、ニコとはそれなりに話した。


(あやとりしたり、鞠で遊んだり、一緒にお風呂に入ったりも、したから)


 顔を知っている仲間がいつの間にがいなくなるなんて、理研ではよくあった。

 事情がどうであれ、理研においては、いなくなった時点で大概は死亡している。

 そういう別れなら、何度も経験してきた。


(慣れてるはずなのにな)


 一緒にご飯を食べて、風呂に入って、眠る。

 理研と同じはずなのに。どうしてこんなにも、胸が苦しいのだろう。


 蒼は空に昇っていく紙風船を見詰めたまま紅に寄り添った。

 そっと、大きな手を握る。温もりに安堵した。


「蒼の手は温かいね。握ってくれると、安心するよ」


 紅が蒼の手を握り返した。

 その横顔を見上げる。

 紙風船から目を離さない紅の目は、いつもより暗く見えた。


「僕はニコと色を紅様より知りません。だから、紅様が悲しくないといいって、思います」


 蒼が手を握って、紅の悲しみが少しでも癒されてくれたらいい。


「蒼がいてくれたら、悲しくないよ」


 そう話す紅の声は沈んで聞こえる。

 優しい妖狐は、蒼が思うよりもずっと人間が好きで、もしかしたら守りたいと思ってくれているのかもしれない。

 何となく、そんな風に思った。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?