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31.日ノ神と暗ノ神①

 雲の中を駆けた紅優の体が明るい場所に飛び出した。

 紅優の体にしがみ付いていた蒼愛に、声が掛かった。


「もう目を開けていいよ、蒼愛」


 いつの間にか紅優の姿が妖狐から人型に戻っていた。

 紅優の背中から降りて、辺りを見回す。

 静かな何もない場所に、神社のような建物が一つ、建っていた。


(とってもシンプルな作りの家だけど、快適そう。流れてくるこの感じは、神力かな)


 神力という言葉を、蒼愛は知らない。

 知らないはずなのに、そう感じた。


 呆然と建屋を眺める蒼愛の手を、紅優が握った。


「俺の手を離さないで。傍から離れちゃ、ダメだよ」

「うん、約束する」


 いつもと変わらない笑みの紅優だが、さっきまでの浮かれた様子はなくなっていた。


「あれが日ノ宮ひのみや日ノ神ひのかみ日美子ひみこ様のお社だよ。今ならきっと、暗ノ神くらのかみ月詠見つくよみ様も御一緒だと思う」


 紅優の話に頷いて、蒼愛は足並みを揃えて歩き出した。

 宮の前に着くと、扉は独りでに開いた。


「入ろうか」


 紅優に手を引かれて、蒼愛は頷いた。

 開いた扉の向こうに続く、長い廊下を歩く。

 奥の突き当りに人が立っていた。


「やぁ、いらっしゃい。思ったより早かったね、紅優……」


 紅優と蒼愛を笑顔で迎えてくれた女性が、名を口走って驚いた顔をした。


「本当に番になったんだね。おめでとう」


 そう言って笑んだ顔は本当に嬉しそうで、心から祝福してくれているのだと感じた。


「立ち話も何だ。中へ、お入りよ」


 歩き出した女性に続いた紅優に腕を引かれて、蒼愛も歩き出した。


「番の名前って、他の人……、じゃなくて、神様や妖怪にも効果があるんだね」


 番になると、一文字だった頃の名前が呼べなくなる。

 蒼愛はもう、紅優を紅とは呼べない。呼ぼうとしても、口が紅優と勝手に発する。


「契りだからね。この国の存在総てに作用する。それだけ強い契りって証なんだ」


 紅優の顔は嬉しそうにも安堵しているようにも見えた。

 案内された広い部屋には広めの卓が一つ、置かれているだけだ。

 その奥に男性が座っていた。


「待ってたよ。面白い悪巧みを考えたね、紅優……っと。そうか、番になったのか。まずは、おめでとうだ」


 男性が指を鳴らすと、茶と和菓子が卓の上に現れた。

 美味しそうな練りきりに、蒼愛の心がキラキラした。

 そんな蒼愛を眺めて、男性が吹き出した。


「わかりやすいなぁ。随分と可愛らしい子を番にしたんだねぇ、紅優。らしいといえば、らしいけど」


 可笑しそうに笑われて、恥ずかしくなる。

 男性の隣に、さっきの女性が座った。


「笑い過ぎだよ。俯いちゃっただろ。気にしなくていいよ、蒼愛。座って、おあがりよ」


 紅優が腰を下ろしたので、蒼愛も小さく会釈して座った。


(僕の名前も知ってるんだ。契りのせいかな。それとも、神様だからかな)


「既に周知ではありますが、改めましてご報告いたします。この度、番を得て、名を紅優と改めました」


 紅優が蒼愛を振り返る。


「番になりました、蒼愛です。人間です」

「宝石の人間、しかも蒼玉か。その霊力量なら、納得だけどねぇ。只の蒼玉でもなさそうだね」


 男性にじっくりと見詰められて、居た堪れない。


「その前に、私らの名前も教えてあげないと。この緩いのが暗ノ神の月詠見だ。私が日ノ神の日美子。私はね、蒼愛と同じで、元は現世の人間だよ」

「え……、日美子様も、人間だったんですか?」


 驚き過ぎて目が落ちるんじゃないかと思うくらい、開いた。


「蒼愛より千年以上、大昔の人間さ。現世では日向神ひむかのかみの巫女だった。知己の頼みで、この国の神様になったんだけどね。まぁ、だからさ、自分が人間だって、あんまり悲観がらなくていいんだよ」


 日美子の言葉に、胸が締まった。

 瑞穂国に来て、紅優や黒曜以外に関わった相手はいないが、同じくらいの優しさを貰った気がした。


「ありがとうございます。安心、できました」

「日美子様は月詠見様と番なんだよ。だからお二人は、どちらかの宮でよく一緒にいらっしゃる」

「昼間は日ノ宮、夜は暗ノ宮にいるよ」


 紅優と日美子に、交互に目をやる。


「そうなんですね。神様同士でも、番になるんですね」

「今の神々で、番があるのは俺たちだけだよ。それより、俺は蒼愛の話が聞きたいな。何とも面白そうな人間だ。もっと色々教えてほしいから、とりあえずお菓子をお上がり。どれだけ食べてもいいから、蒼愛の霊力に触れさせてくれないかい?」


 月詠見が興味津々とばかりに顔を突き出して、蒼愛を見詰めた。

 そんなに間近で見詰められたら、お菓子を食べるどころではない。

 紅優が、そっと蒼愛の肩を抱いた。


「蒼愛は妖怪や神様に慣れていないので、程々の距離感でお願いします」


 紅優が少しずつ自分の方に蒼愛を引き寄せて、月詠見から離す。

 その仕草を眺めていた月詠見が、また吹き出した。


「過保護だなぁ。取って食ったりしないよ。紅優は余程に蒼愛が可愛いんだねぇ」


 笑いを噛み殺す月詠見を、何とも言えない顔で紅優が眺める。

 こういう顔の紅優は初めて見るなと思った。


(神様相手だと、いつもとちょっと違う紅優になるんだ。新鮮かも)


 普段、観られない紅優の顔を知れるのは嬉しい。


「ほら、蒼愛、口を開けなよ。はい、あーん」


 日美子が切り分けた練りきりを竹串にさして蒼愛の口元に持ってきた。


「あーん」


 ぱくりと頬張って、味わう。

 口の中で餡子が蕩けて、とても上品な甘さが広がった。


「んー……、美味しいです」


 そんな蒼愛を満足そうに日美子が眺める。

 隣の紅優が青い顔をしていた。


「蒼愛! 簡単に餌付けされちゃダメでしょ」


 慌てているように見える紅優を不思議に思いながら見上げた。


「え? ごめん。でも日美子様は僕たちが番になって喜んでくれたし、悪い神様じゃないと思うけど」


 二人のやり取りを眺めている月詠見が、ずっと笑っている。


「紅優の慌てる顔は面白い。蒼愛は素直で良い子だなぁ」


 月詠見に頭を撫でられて、こそばゆい気持ちになった。


「蒼愛は菓子が好きなんだね。美味しそうに食べるから、嬉しいよ。沢山、お食べ」

「ありがとうございます。いただきます」


 日美子に促されて、蒼愛は自分の前に出された練りきりに、ぱくついた。

 そんな蒼愛を、紅優は後ろから抱くように囲い込んだ。


「え? 紅優、流石にこれは、お二人に失礼なんじゃ」

「良い良い。それで紅優が安心できるなら、好きなようにしていればいいさ」


 やっと笑いをおさめた月詠見が紅優に目を向ける。

 紅優が気まずそうに目を逸らした。

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