歴史を感じる日本屋敷に入り、うきうきな母親の後をついていく。
外観とは裏腹に、中は現代的な作りをしていて、障子や畳は外から見える場所だけで、内側は基本的にフローリング。
「ほら、おいでおいで」
米子さんの声が弾むように響き、うききで俺を先導していく。
雰囲気もあるだろうが割烹着に包まれたその背中からは、見たこともないのにどこか懐かしさすら感じるおばぁちゃんのような温かみが来る。
「ここ、ここに、座って座って」
テレビのある客間に着くと、米子さんは木製の椅子を丁寧に引いて座るように促してきた。
部屋はシンプルで、テレビ台の横に小さな盆栽が置かれ、その前に洋式なテーブルとダイニングチェア、隣接するキッチン。
障子の隙間からフローリングに映る淡い光と影が、優しく部屋を包み込んでくる。
「あ、ありがとうございます」
促されるまま腰を下ろすと、米子さんはフローリングの床が軽く軋む音を立て、パタパタと隣のキッチンの方へ軽快に遠ざかる。
キッチンの棚に並ぶ使い古された茶器が、彼女の優しい日常を静かに彩っていた。
しばらくして戻ってきたその手には、急須と茶菓子の芋羊羹らしきものが握られていて。テーブルの上にあった裏返しのコップをサッと取ると、俺の方へ差し出してきた。
「さっ、どっちがいい?」
顔の近くで、にこっと笑って二択を迫ってくる。
その笑顔は無邪気で、目尻に細かいシワが寄るほど、楽しそうだった。
黒瀬はなんやかんや言っていたけど、兄以外は部外者の俺にも優しくしてくれる、良い両親じゃないか。
「こ、こっちでいいです」
「えへ、どっちも同じなんだけどね」
ぺろ、と舌を出し、米子さんは残ったコップにお茶を注いだ後、続けて俺の方にも注いでくれる。
いや……ほんで、自分の分から注ぐんかーい。
ま、マナーどうこう知らないし、わざわざ言うほどでもないか。
湯気と共に立ち上がるお茶の香りが鼻をくすぐり、ほのかに甘い芋洋館の匂いと混じり合う。食べなくても分かる、美味しいやつだ。
米子さんも席に座るとお茶を一口飲み、芋羊羹を頬張ると「おいし」と笑顔を揺らしてきた。
無防備な仕草に、どこか疎外感というか、羨ましさすら芽生えて自己嫌悪しそうだ。
かといって、こんな親し気にしてくれるし、もてなしてくるし、邪険にも出来ない……弱ったな。
「あ、ありがとうございます」
気まずさから手持ち無沙汰になった両手が、すがるように湯呑みを握ってしまっていた。
暖かい陶器の感触が掌にじんわり伝わり、心までほぐれるような感覚。
それがまた、そのまま俺とこの家の格差のように感じて、悲しくなってしまう。
っち、ここまで育ててくれた親父やお袋に申し訳ねぇな……感謝してるし、十分幸せだって誇れるよ。
「ここの芋羊羹、私大好きなの! 食べてみて」
米子さんがもう一口、芋羊羹を頬張ると俺にも手を伸ばし「はい、あーん」と勧めてくる。
拒絶する訳にも行けないし、その仕草に甘え、俺も一つ口に運んだ。
しっとりした食感に、少し遅れてほのかな栗の甘みが口の中に広がる……うまっ。
「ふふ、竹風堂のよ、美味いでしょー」
声が出てたのか。良かった良かった、と満足気に頷く米子さん。
「貴方には本当、感謝してるのよ」
声のトーンが落ち、温かい眼差しに変わり、俺をじっと見つめて来た。
笑顔はそのままに、瞳の奥に深い優しさが宿っている。
そのまっすぐな視線に、またもや照れ臭さがこみ上げてきた。
「あの子、ああ見えて抜けているところだらけでしょ? 感謝してもし足りないぐらいよ」
ただただ見つめ続けられ、感謝を述べられ、背中がむず痒くなる。
流石に我慢できなくなって、照れ隠しに湯呑みへ口をつけ、顔を隠した。
「輩だけじゃなくて、警察からも助けてくれたでしょ。もー本当、凄いわ」
「いえっ、ただ、偶然居合わせただけだから」
飲もうとした湯呑みを止め、慌てて弁解する。
だが、その言葉はさらに彼女の笑顔を広げるだけだった。
「もー、イケメンは言うこと違うわねっ!」
米子は何事もないように両手をぶんぶん振り回し、楽しそうに笑いかけてきた。
その明るい声が部屋に響き、穏やかな家庭的な和気あいあいさが溢れ出す。
こんな穏やかな時間がずっと続けばいいな、と一瞬思うほどだった。
俺は手に持っていた湯呑みを、
————全身全霊こめ、一撃でノックアウトするつもりで眩しい笑顔へ投げつけた。
あぁ……ぁぁ……やっちまったぁ、やっちまったよ。
金を貰うはずだったのに……これで、びた一文もらえなくなっちまった。
ま……元々誰の依頼も受けていなかったし、棚ぼた餅がなくなっただけ。
そう自分に言い聞かせるしかないか。
黒瀬の言う通り……俺は本当、地雷を踏んじまう性分みたいだ。