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山中の洋館にて

 青い空に向かう洋館は古びていて、壁も窓も蔦に覆われていた。五階建ての建物から発せられる、泥濘のように体へ纏わりつく負のオーラ──それを感じることなく、蓮は扉を押し開いた。


「少しは警戒しろ。どこに潜んでいるか……」

「大丈夫だって」


 まず見えたのは、両階段。先頭に立った風間が埃の臭いの中懐で中電灯のスイッチを入れれば、まっすぐ光の道筋が見える。


「めかぶ、なんか感じる?」

「感じる、というよりはぁ……満ちている、ってところですかねぇ」

「……?」

「霊力が濃すぎて判別できないんですよぉ。蓮さんも、変身しておいたほうがいいですよぉ」


 そういうことなら、と合掌。出発直前に雪音の血を取り出し、車から降りる直前に投与しておいたのだ。M市内であればそれで問題ないが……と思ってしまう。


「その変身、どれくらいもつんだ」


 食堂だったらしい、長いテーブルが置かれた部屋に入った時、風間がそう尋ねた。


「試したんだけどよ、多分制限時間ねえよ。少なくとも、一日このままでもいける」

「便利だな」


 大斧を担いだめかぶがブツブツと何かを唱えている。


「おそらく、一階ではないですねぇ」


 これで一通り一階を調べ、彼女の探知術もまだ遠いことを告げている。一旦エントランスに戻り、階段を上がる。だが、途中で風間が足を止めるので、蓮はぶつかって危うく落ちるところだった。


「んだよ!」

「何かいるぞ」


 彼は振り向き、めかぶと頷きあう。


「使鬼 三影犬さんえいけん


 風間の影──どこも影だが、少なくとも彼の足元と言える場所が揺らめいて、三匹の黒犬が現れた。ドーベルマンのような印象を与える。


「お、前会ったときのやつじゃん。つえーの?」

「そこらの中級妖魔なら相手にできるが、何より鼻がいい。妖魔の臭いを見つけてくれる」

「なら最初から出せばいーじゃん」

「出してる間霊力を使うんだ。無駄にはできない」


 二階まで上がりきった時、蓮ですら感じ取れる恐怖が押し寄せてきた。今まで喧嘩で経験した時とは比にならない、殺意に満ちた黒い恐怖だ。


「なあ、今からでもつえー人呼ばね?」

「無理だな」

「なんでだよ」

「電波が通ってない」


 慌てて携帯電話を取り出そうとした蓮は、今の恰好では取れないことに気づく。


「おそらく、俺たちを飲み込んだ時点で結界を張り、電波を遮断したんだ」

「んじゃ、外に出れば──」

「外を見てみろ」


 廊下に作られた窓は、まるで夜空を映したかのように暗い。


「この洋館自体が、完全に世界から隔離されている。霊力の供給源──つまり、妖魔を討伐しないことには帰ることもできない」

「やばくね? もし上級だったら……」

「切り札がある。いざとなれば俺ごと殺す」

「やめろよ、そういうの」


 蓮の声のトーンがいつになく真剣になったのを聞いた風間は、当惑しつつも振り返った。


「全員生きて帰る。それが前提だろ」

「……ただの馬鹿じゃないんだな」

「んだとコラ」

「お話中失礼」


 いがみ合いになりそうだった二人の少年は、顔を間に割り込ませてくる“何か”を見る。


「一体、誰の許可を得てこの館に?」


 全身白く、赤いラインの走った、二百五十センチ近い長身。男だろう、と二人は判断する。そして、人間でないとも。異常に長い指の先には黒い爪が伸びていた。だが、そんなことはどうでもいい。そこにいるだけで、恐怖で体が凍り付く──風間は声を発することもできなかった。


「ここは、私の館なのですが」

「ちいっと、遊びに来ただけだっつーの!」


 左フックが繰り出されるも、軽く受け流され、逆に蓮は一階に投げ飛ばされた。


「ゲロバ──」


 逃げつつ鳥の妖魔を召喚しようとした風間の頭は、一瞬で距離を詰めた妖魔に掴まれ、床に叩きつけられる。後頭部が衝突すると同時に崩落し、一階まで落ちた。


「風間さぁん!」


 斧を振りかざして、めかぶが追うが、何度振っても当たらない。八回の攻撃の末、腹を掠めた。酸でもかかったように傷口は爛れ、腐臭を放つ。然るに、相手の動きを止めることはできず、彼女は腹に膝を喰らった。


「妖魔に対する猛毒を纏った斧ですか……呪いの武具、蒐集したいものです」

「ごちゃごちゃ言ってんじゃねーぞ!」


 叫びながら、蓮が飛び掛かった。霊力を伴った攻撃のはずだが、この妖魔は、未熟な弟子に稽古をつけるかのような態度で攻撃をいなし続ける。


「ご心配なさらず。こうして触れられている時点で霊力は込められていますよ」

「うっせえ!」


 床を蹴り、飛び回し蹴りだ。クリーンヒット──首が一回転する。しかし、すぐに逆回転して元通り。


 着地の隙を狙って、妖魔は爪を伸ばして刺突を繰り出す。二、三撃躱された末に、夜海原の装甲に直撃する。貫通には至らない。


 防御に成功した蓮が次にとった行動を見て、妖魔は少し感心してしまった。めかぶの前に立ったのだ。


「……私は、サバシと名づけられました」


 唐突に語りだした敵を前に、彼は警戒心を露にする。腕を広げ、めかぶを隠すように。


「そこに意味はありません。個を識別するための、便宜上の名前。でも、それでいいのです。大半の妖魔は名前など持たず──認識できず、死んでいく」


 サバシは指をピンと揃え、四本の爪を剣のような形に変える。


「あなたの名前を聞かせてください」

「……八鷹蓮」

「最期の名乗り、悔いはありませんか」

「言ってろ!」


 腰だめに構えた拳を、彼は突き出す。いくらか受け止められた直後、上からの斬撃。両腕の装甲で跳ね返して、足払いだ。跳躍した相手に当たることはなく、却って踵落としを招いてしまった。


 痛みに悶える暇はない。落下が終わる瞬間を狙って、蓮はタックルを仕掛けた。組み付いて、倒す。マウントポジションから殴りつけようとするも、自爆覚悟で霊力を爆ぜさせたサバシによって、彼は再び距離を置かれた。


 胸のあたりが大きく抉れた、特上級妖魔。だが、笑っていた。


「いやあ、悔しいですね。私がここまで傷ついても、あなたを殺しきれないのですから」


 夜海原は大きく損壊していた。胸のプレートは砕かれ、腕の装甲には罅が入っている。


「しかし、もう次はないですね。さようなら、八鷹蓮」


 爪の刺突を、という姿勢に入ったサバシ。意識が朦朧とし始めた蓮に、回避行動をとる力はなかった。だが、せめて、と願う力が一歩を踏み出させた。


「最早何もできないと──」


 最期の一言を送ろうとしたサバシの横から、ビーム。風間が鳥の妖魔に霊力砲を放たせたのだ。


「邪魔をしないでいただけますか」


 サバシは軽く手を翳しただけでそれを受けきってしまう。加えて、爪を伸ばして彼の右肩を貫いた。


「風間!」


 重い体を無理やり動かして、蓮は我武者羅に突進する。が、雑な前蹴りの一つで壁際まで飛ばされる。


『おいガキ、死ぬつもりか』


 スサノヲの声。


『お前が最終的に死のうが生きようがオレはどうでもいいが、慧渡のガキを殺すまでは動かなくては困る』

「何かないか」

『ケケケッ! 言うに事を欠いてオレに助けを求めるか!』


 壁に凭れた姿勢のまま、蓮は近づいてくるサバシを睨む。妖魔は憐れみにも似た表情を浮かべていた。


『そうさなぁ……協力しよう。だが、オマエが持っているモノから一つ奪ってやろう。これは呪いだ。因果を超えた喪失だ』

「なんだっていい。今、ここで勝たなきゃ何持ってても意味ねえよ」


 そう呟いた彼のアーマーが、再生を始めていく。


『これは元より解放されていた機能だ。安心しろ』


 次いで、掌にレンズのようなものが作られる。スサノヲの霊力が物質に変換されているのだ。


『霊力砲【石動いするぎ】。これをくれてやる。ケケケッ、あの芥も一撃よ……』


 立ち上がった蓮。使い方は脳に流れ込んでくる。夜海原に備えられた霊力回路で、エネルギーを右手に集める。ゆっくりと、掌を相手に向ける。


「吹っ飛べ!」


 レンズに集積された霊力が、爆発的に増幅され、人一人分の直径を持つ光として放たれる。数秒後、照射を終われば、サバシの姿はなかった。それを認め、蓮は膝をつく。


 スサノヲが沸いて来ようとしている。心臓がざわめくのを感じる。乗っ取られる前に、彼は合掌。夜海原を消した。


 先ほどの一撃で結界を失った屋敷に、夕立が突き刺さった。

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