「このあんぽんたんが」
白衣の胸ポケットに煙草を入れた男が、一年ズを廊下に正座で並べて言った。
「入学早々死ぬところだったんだぞ。逃げることに注力すれば、怪我もしなかった」
「でも!」
「でももだってもあるか!」
反駁しようとした蓮に、医者らしき男は一喝。彼の名前は
「蓮、お前、霊力すっからかんだぞ。死ななかったのは運が良かったからだ」
淳が得意とするのは、
「なあ、なんで俺説教されてんの? 躍さんの仕事じゃないの?」
蓮が風間に囁く。
「あの人がまともに説教できると思うか?」
同意するしかなかった。
「蓮、血液検査の結果は三日後知らせる。忘れずに来いよ」
「うす」
よく事情は知らないが、淳は彼に採血を行った。気になることがある、としか言われていないが故に、一抹の不安はある。しかし、あまり深く考えていないのも事実だった。
「……よく帰ってきた。休めよ」
足の痺れに、若者たちは泣くことになった。
◆
その夜のこと。蓮は家から持ってきた椅子に座って、回転しながらスマホを触っていた。スイッターやゲソスタグラムなどのSNSで友人たちの様子を見ているのだ。
「なあ、門限なくせねえ?」
花火大会、お泊り会。それ等全てを断らざるを得なかった彼は、解決の希望を持たないまま、ベッドに腰掛けている雪音へ問いかけた。
「私に訊かないでください」
「へいへい」
小さな彼女が届かない脚をパタパタと揺らしている。
「ケツ一族って、なんだよ」
それを横目で見ていた彼は、静かなトーンで尋ねた。
「血盟です。二度と間違えないでください──まあ、血に纏わる異能を持つ一族です。主なものとしては、霊力回路の最適化を齎す、契約の血ですね。これもまた、血盟と呼ばれることがあります」
「契約って、何を?」
「落ち着いて聞いてくださいね。一度血を飲めば──」
「うおー!」
蓮が突如叫ぶ。隣の部屋から風間が壁を叩いた。
「星三来たぜ!」
「……人の話はちゃんと聞くべきですよ」
いつか言わなければならないこと。必ず訪れるその日。だが、今は違うかもしれない、と雪音は思ってしまった。話を聞くつもりもない相手に、話してやる道理はない。
夜八時を告げるチャイムが鳴る。風呂の時間だ。買ったばかりのシャンプーと石鹸を持って、蓮は浴場に向かった。
脱衣所に先客。風間だった。よく見れば、かなり鍛えてある。傷もそれなりにある。右肩にはまだ新しいものがあって、それを認めた蓮は少し気まずくなった。
「じろじろ見るな」
「お前、結構ムキムキだよな」
「こんな世界だ、体を鍛えなければ死んでしまう」
死んでしまう、という部分を口にする時、彼は瞳に暗い影を滲ませていた。
何となく、というよくわからない気まぐれで、二人は隣り合って体を洗った。どちらも不思議と口を開かなかった。
その沈黙が破られたのは、浴槽に入った後だ。
「先輩って、今どこにいるんだよ」
「二年は北海道で合宿中。三年は海外研修。二年はもうすぐ帰ってくる」
「つえーのか?」
「今の先輩は、強い。多分、連携すれば特上級だって正面から倒せる」
ヒュウッ、と蓮は口笛を鳴らした。
「じゃ、風間が思う一番頼りになる隊員教えてくれよ」
「……
「ヤマ、ねえ。女なのか?」
「男だ。今の時代、名前だけで男だ女だと決めつけるのはよくないぞ」
小言に顔を歪め、彼は級友から視線を外す。
「死ぬのって、怖いか?」
そんな彼は、静かに質問を送った。
「……ある漫画に、こんな台詞があった。『勇気とは怖さを知ること』、と。俺はそう考えてる。どんなに怖くても、もしかしたら死ぬじゃないかと思っても、大切なもののために一歩を踏み出すこと。恐怖を感じないことじゃない。制御することなんだ」
返事が来ないことを妙に思って、風間は相手をちらりと見る。フレーメン反応を起こした猫のような顔をした蓮がいた。
「かっけえ」
「あ?」
「風間、お前カッケーよ!」
正面切って褒められると決まりが悪く、彼はザバンと立ち上がった。
「もう上がんのか?」
「これ以上はのぼせる。じゃあな」
足早に去っていったその背中を見送り、蓮は壁に体を預けた。
(さっきの、パクったら怒られっかな)
高い所にある窓からは、澄んだ星空が見える。やけに月が大きく見える──ような気がする。それはただの勘違いだった。
(漫画である風呂場のかぽーんってやつ、何なんだろうな)
風間の語る覚悟が、自分にあるのか。自問しながら下らない思考を流していく。
(大切なもの……か)
五年前、八鷹家は大阪を訪れ……そこで、爆弾テロに巻き込まれた。結果、妹と母は死亡。父はどこかに姿を消した。蓮は祖父に引き取られ、金だけ送ってくる父にどうしようもない苛立ちを向け続けている。
(顔くらい見に来いよな)
少し顔が熱くなってくる。
(いや、今更会ってもぶん殴るだけだな。死ぬまでぶん殴っちまう)
風呂から出て、服を着る。薄手のハーフパンツに上は下着。そんな恰好でスマートフォンを見ると、一件メッセージが届いていた。中学時代の友人が、急死した。
『ケケケッ!』
スサノヲの笑い声が聞こえてくる。
『死んだなあ、ええっ⁉ わかったか、オレを利用しようとするからこうなるんだ!』
浅くなる呼吸、速くなる鼓動。
『これに懲りたら、もう少し小さな頭で考えるんだなァ。あばよ』
膝から崩れ落ち、携帯電話がカランと硬質な音を立てる。呻くような泣き声が、静かに響いた。
◆
M市の高速道路を走る、一台の車。その中で、黒いスーツに赤いネクタイを合わせた男が、女性から話を聞いていた。
「そうか、夜海原、ポテンシャルが高いか……」
壱阡火だ。
「特上級を倒せるのは、計算外だった。これで終わると思っていたよ……まあ、次はふぐりに動いてもらうけどね」
相手はオレンジ色の髪をした女性。秋野だ。
「オータム、この街を吹き飛ばすつもりでやらせるんだ。そうでもなければ、きっと夜海原は止められない」
「ええ、御意に……」
◆
その日は雨だった。多くの受験生が夏季講習が休みになるのではと冷や冷やしたが、そんなことはなかった。
「んで、なんで俺なの?」
白黒のパトカーの中で、蓮が銀髪翠眼の青年に問うた。相成耶麻。第二小隊の柱だ。
「君には実践が必要。そして私が監視役に選ばれた。ただ、それだけです」
耶麻は眼鏡を押し上げた。体を覆うのは、黒に赤いラインの入った、軍服のようなものだ。
「でで、任務の内容は?」
「何だと思いますか?」
「ん~……猫探し」
「そんなわけがないでしょう」
大袈裟なほど深い溜息が出た。
「……S県立M市南高校。現在は夏休みですが、補習を行っており、大学進学を考える生徒が通っています」
「ほへー、真面目な奴もいるんだなあ」
苦い顔をする耶麻。
「その夏季補習に出席している二年生から、行方不明者が出ているのです」
「一課って人探しもすんの?」
「一々口を挟まないでください。……行方不明となる直前の目撃地点に、霊力の痕跡が残っていましてね。霊災と判断されました」
妖魔や悪意を持った異能者による事件事故を、霊災と総称する。財布を盗み取られるようなことから、一家惨殺まで、その幅は広い。
「じゃ、俺たちはその人攫い妖魔をぶっ飛ばせばいいわけだ」
「そう単純ならいいんですがね……霊力の痕跡はこれ見よがしに存在している。見つけてください、と」
「じゃあ、とっととそいつ捕まえに行く?」
「単純じゃない、と言ったでしょう。これが、痕跡のあった地点です」
前部座席の背中に備え付けられたディスプレイに、耶麻は画像を転送する。
「法則性がない。どこに行ったかもわからない。つまり、犯行を匂わせるだけ匂わせて、犯人には容易に辿り着けないようにしている。被害者の共通点を調べさせていますが、そこから当たるしかないでしょうね」
「んー……わかった! で、俺は何したらいい?」
「来てください。蓮くんに霊力の見方を教えます」