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御堂美晴事件 一

「このあんぽんたんが」


 白衣の胸ポケットに煙草を入れた男が、一年ズを廊下に正座で並べて言った。


「入学早々死ぬところだったんだぞ。逃げることに注力すれば、怪我もしなかった」

「でも!」

「でももだってもあるか!」


 反駁しようとした蓮に、医者らしき男は一喝。彼の名前はほうりじゅん。第二小隊のメディカルチームの一人で、特科の学生の治療や健康維持を任務としている。


「蓮、お前、霊力すっからかんだぞ。死ななかったのは運が良かったからだ」


 淳が得意とするのは、還形術かんけいじゅつ。霊力を操作して、肉体を復元する術だ。生きてさえいればどんな傷でも治せてしまう。現に、内臓にダメージを負っためかぶも、肩を貫かれた風間も、後遺症もなくピンピンしている。


「なあ、なんで俺説教されてんの? 躍さんの仕事じゃないの?」


 蓮が風間に囁く。


「あの人がまともに説教できると思うか?」


 同意するしかなかった。


「蓮、血液検査の結果は三日後知らせる。忘れずに来いよ」

「うす」


 よく事情は知らないが、淳は彼に採血を行った。気になることがある、としか言われていないが故に、一抹の不安はある。しかし、あまり深く考えていないのも事実だった。


「……よく帰ってきた。休めよ」


 足の痺れに、若者たちは泣くことになった。





 その夜のこと。蓮は家から持ってきた椅子に座って、回転しながらスマホを触っていた。スイッターやゲソスタグラムなどのSNSで友人たちの様子を見ているのだ。


「なあ、門限なくせねえ?」


 花火大会、お泊り会。それ等全てを断らざるを得なかった彼は、解決の希望を持たないまま、ベッドに腰掛けている雪音へ問いかけた。


「私に訊かないでください」

「へいへい」


 小さな彼女が届かない脚をパタパタと揺らしている。


「ケツ一族って、なんだよ」


 それを横目で見ていた彼は、静かなトーンで尋ねた。


「血盟です。二度と間違えないでください──まあ、血に纏わる異能を持つ一族です。主なものとしては、霊力回路の最適化を齎す、契約の血ですね。これもまた、血盟と呼ばれることがあります」

「契約って、何を?」

「落ち着いて聞いてくださいね。一度血を飲めば──」

「うおー!」


 蓮が突如叫ぶ。隣の部屋から風間が壁を叩いた。


「星三来たぜ!」

「……人の話はちゃんと聞くべきですよ」


 いつか言わなければならないこと。必ず訪れるその日。だが、今は違うかもしれない、と雪音は思ってしまった。話を聞くつもりもない相手に、話してやる道理はない。


 夜八時を告げるチャイムが鳴る。風呂の時間だ。買ったばかりのシャンプーと石鹸を持って、蓮は浴場に向かった。


 脱衣所に先客。風間だった。よく見れば、かなり鍛えてある。傷もそれなりにある。右肩にはまだ新しいものがあって、それを認めた蓮は少し気まずくなった。


「じろじろ見るな」

「お前、結構ムキムキだよな」

「こんな世界だ、体を鍛えなければ死んでしまう」


 死んでしまう、という部分を口にする時、彼は瞳に暗い影を滲ませていた。


 何となく、というよくわからない気まぐれで、二人は隣り合って体を洗った。どちらも不思議と口を開かなかった。


 その沈黙が破られたのは、浴槽に入った後だ。


「先輩って、今どこにいるんだよ」

「二年は北海道で合宿中。三年は海外研修。二年はもうすぐ帰ってくる」

「つえーのか?」

「今の先輩は、強い。多分、連携すれば特上級だって正面から倒せる」


 ヒュウッ、と蓮は口笛を鳴らした。


「じゃ、風間が思う一番頼りになる隊員教えてくれよ」

「……相成さがなり耶麻やまさん。いつも冷静で、絶対に動じない。そのうち一緒に任務へ当たることになると思うぞ」

「ヤマ、ねえ。女なのか?」

「男だ。今の時代、名前だけで男だ女だと決めつけるのはよくないぞ」


 小言に顔を歪め、彼は級友から視線を外す。


「死ぬのって、怖いか?」


 そんな彼は、静かに質問を送った。


「……ある漫画に、こんな台詞があった。『勇気とは怖さを知ること』、と。俺はそう考えてる。どんなに怖くても、もしかしたら死ぬじゃないかと思っても、大切なもののために一歩を踏み出すこと。恐怖を感じないことじゃない。制御することなんだ」


 返事が来ないことを妙に思って、風間は相手をちらりと見る。フレーメン反応を起こした猫のような顔をした蓮がいた。


「かっけえ」

「あ?」

「風間、お前カッケーよ!」


 正面切って褒められると決まりが悪く、彼はザバンと立ち上がった。


「もう上がんのか?」

「これ以上はのぼせる。じゃあな」


 足早に去っていったその背中を見送り、蓮は壁に体を預けた。


(さっきの、パクったら怒られっかな)


 高い所にある窓からは、澄んだ星空が見える。やけに月が大きく見える──ような気がする。それはただの勘違いだった。


(漫画である風呂場のかぽーんってやつ、何なんだろうな)


 風間の語る覚悟が、自分にあるのか。自問しながら下らない思考を流していく。


(大切なもの……か)


 五年前、八鷹家は大阪を訪れ……そこで、爆弾テロに巻き込まれた。結果、妹と母は死亡。父はどこかに姿を消した。蓮は祖父に引き取られ、金だけ送ってくる父にどうしようもない苛立ちを向け続けている。


(顔くらい見に来いよな)


 少し顔が熱くなってくる。


(いや、今更会ってもぶん殴るだけだな。死ぬまでぶん殴っちまう)


 風呂から出て、服を着る。薄手のハーフパンツに上は下着。そんな恰好でスマートフォンを見ると、一件メッセージが届いていた。中学時代の友人が、急死した。


『ケケケッ!』


 スサノヲの笑い声が聞こえてくる。


『死んだなあ、ええっ⁉ わかったか、オレを利用しようとするからこうなるんだ!』


 浅くなる呼吸、速くなる鼓動。


『これに懲りたら、もう少し小さな頭で考えるんだなァ。あばよ』


 膝から崩れ落ち、携帯電話がカランと硬質な音を立てる。呻くような泣き声が、静かに響いた。





 M市の高速道路を走る、一台の車。その中で、黒いスーツに赤いネクタイを合わせた男が、女性から話を聞いていた。


「そうか、夜海原、ポテンシャルが高いか……」


 壱阡火だ。


「特上級を倒せるのは、計算外だった。これで終わると思っていたよ……まあ、次はふぐりに動いてもらうけどね」


 相手はオレンジ色の髪をした女性。秋野だ。


「オータム、この街を吹き飛ばすつもりでやらせるんだ。そうでもなければ、きっと夜海原は止められない」

「ええ、御意に……」





 その日は雨だった。多くの受験生が夏季講習が休みになるのではと冷や冷やしたが、そんなことはなかった。


「んで、なんで俺なの?」


 白黒のパトカーの中で、蓮が銀髪翠眼の青年に問うた。相成耶麻。第二小隊の柱だ。


「君には実践が必要。そして私が監視役に選ばれた。ただ、それだけです」


 耶麻は眼鏡を押し上げた。体を覆うのは、黒に赤いラインの入った、軍服のようなものだ。


「でで、任務の内容は?」

「何だと思いますか?」

「ん~……猫探し」

「そんなわけがないでしょう」


 大袈裟なほど深い溜息が出た。


「……S県立M市南高校。現在は夏休みですが、補習を行っており、大学進学を考える生徒が通っています」

「ほへー、真面目な奴もいるんだなあ」


 苦い顔をする耶麻。


「その夏季補習に出席している二年生から、行方不明者が出ているのです」

「一課って人探しもすんの?」

「一々口を挟まないでください。……行方不明となる直前の目撃地点に、霊力の痕跡が残っていましてね。霊災と判断されました」


 妖魔や悪意を持った異能者による事件事故を、霊災と総称する。財布を盗み取られるようなことから、一家惨殺まで、その幅は広い。


「じゃ、俺たちはその人攫い妖魔をぶっ飛ばせばいいわけだ」

「そう単純ならいいんですがね……霊力の痕跡はこれ見よがしに存在している。見つけてください、と」

「じゃあ、とっととそいつ捕まえに行く?」

「単純じゃない、と言ったでしょう。これが、痕跡のあった地点です」


 前部座席の背中に備え付けられたディスプレイに、耶麻は画像を転送する。


「法則性がない。どこに行ったかもわからない。つまり、犯行を匂わせるだけ匂わせて、犯人には容易に辿り着けないようにしている。被害者の共通点を調べさせていますが、そこから当たるしかないでしょうね」

「んー……わかった! で、俺は何したらいい?」

「来てください。蓮くんに霊力の見方を教えます」

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