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御堂美晴事件 二

 御堂みどう美晴みはるは、南高校二年生の女子だ。品行方正、成績優秀、眉目秀麗。家柄が特別なわけではないが、好成績のグループに属した、幸せな高校生だった。


 だが、やっかみというものはどこにでもある。心無い生徒は彼女の噂をでっち上げ、どうにかこうにか足を引っ張ろうとしていた。


 今日は、援助交際を行っているという風説が流布された。信じる者はいない。嘘だとわかりきっている。それでも、優秀な人間が顔を顰める様子を見て嗤うのだ。


「気にしないでいいんだよ?」


 友人が顔を覗き込んで言う。昼休みの教室だ。エアコンの効いた室内であっても、窓際の席はカーテンの隙間から差し込んでくる陽光に照らされている。


「……そうだね。ありがとう」


 暗い笑みを返して、彼女は立ち上がる。


「じゃ、私家のことあるから。またね」


 もうすぐちゃんとした夏休みが始まる。自分のペースで勉強しやすい長期休暇だ。母に少しでも楽をさせたい一心で、全国模試上位に入るほどの学力を手に入れた。しかし、彼女の人生は狂ってしまう。


 母親に帰る旨の連絡をして、炎天下の坂を下る。陽炎の中に、不思議な人を認めた。


 中性的だが、女性であることはわかる、若いその人。彼女はゆっくりと近づいて、美晴の肩に手を置いた。


「嫌いな人間がいるね」


 見透かされた不快感と、不審者への警戒心。その二つを持って美晴は相手を睨んだ。


「私は魂の臭いを嗅ぎ取ることができる。負の感情なら、猶更」

「あの、急いでるんで」

「少し仕返しができる、と言ったら?」


 振り払おうとした彼女は、動きを止めた。


「ちょっと痛い思いをするだけさ。何、死んだりはしない。私の指定する場所に、人を連れてきてほしいんだ」


 心の奥底で燻っている黒い感情が、燃え盛ろうとしている。


「……私、いい大学行って、たくさん稼がないといけないんです。その邪魔にならないなら、少しだけ……」

「うんうん。いいよ、何かあったら私が守ってあげるからね」


 信じ切っていい、と思っているわけではない。一方で、嫌な噂を垂れ流す連中にお灸を据えられるなら、多少のリスクは取りたくなった。


「じゃ、ここ来てね」


 と丸をつけた地図を渡され、それで終わりだった。





 数日後。蓮と耶麻は、ごみごみとした路地裏を訪れていた。


「霊力を行使すれば、必ずそこに痕跡が残ります」


 道の真ん中で屈みこんで、耶麻が言う。彼の腰には打ち刀が差してあった。


「目に霊力を集めてください。自然と見えてくるはずです」


 そう言われた少年は、指で眼鏡を作って道路を睨む。夜海原を纏った時の、体の中を見えないものが駆け巡る感覚を再現しようと四苦八苦。十五分ほどうんうん唸って、ようやく見えてきた。赤色の靄が、足跡めいたものから立ち昇っている。


「これが霊力かあ。なんか地味」

「一般に、異能者でない人間も僅かな霊力を垂れ流しています」


 起き上がりながら言う。


「しかし、それはこうした痕跡として残ることもない、微弱なものです」

「えっと……つまり?」

「異能者か妖魔、そのどちらか──乃至、両方が関わっています」


 そう教えながら、耶麻は鯉口を切っていた。


「蓮くん。来ますよ」

「へ?」


 その時、上方から、醜いという言葉では足りないほどの、四足歩行の妖魔が落下してきた。合掌をしようとして躊躇ってしまった、蓮。だが、一瞬にして刀を抜いた耶麻が、それを一刀両断した。


「なぜ、変身しなかったんですか」


 灰となって消えていく敵を認めた彼は、そっと尋ねた。


「君の変身にかかる時間は、十分の一秒ほど。十分間に合ったはず。力は有効に使わねばなりませんよ」

「……スサノヲに、ダチが殺されたんだ」


 刀を納めようとした耶麻だったが、その動きを止めた。


「新しい力を解放するたびに、一人殺すつもりなんだ。もしかしたら、また死んじまうかもしれねえ」

「君の力は、百人を救える力です。計算を間違えないように」

「んだよ、一人死んで九十九人生きてりゃそれでいいってのかよ!」

「そうです」


 掴みかかろうとした蓮は、直前で体が動かなくなった。


「我々は、確かに世間で言えば超人に値する。その気になれば百人や二百人殺せます。だからこそ、冷徹に計算をしなければならないのです。君が望んでその力を得たのかは知りませんが、得た以上は責任に向き合うべきですよ」


 口の端を震わせながら、彼は俯く。拳を握りしめる。


「……殺された妖魔は、こうして灰となって消えます。裏を返せば、頑丈な妖魔を相手にした際、消えるまで油断してはならないということです」


 授業をしながら、耶麻は一つ、可能性について考察していた。狙い澄ましたように、捜査に来た人間を妖魔が襲った。


(風間くんの使鬼のような異能である可能性……否定できませんね)


 大通りに出た二人は、家路についた高校生の群れを見た。


「夏休みも学校行かないといけねえの、嫌だよなあ」

「彼らは勉強していない方が不安になるタイプなのでしょう」

「なんで?」

「ルーティーンとなっている、というのもあるでしょうが、飽くなき上昇志向が現段階に留まることを善しとしない、というのが正確ですかね」


 上へ上へと目指す心を、蓮も持ち合わせていないわけではない。全てを守れるようになりたい、と思っている。まだちっぽけなことを自覚した上で。


 車に戻る。ベルトから刀を外した耶麻が、脇にそれを立てかける。


「八鷹事件」


 そんな彼が、唐突に口を開いた。


「五年前、大阪旅行中だった八鷹家が謎の爆破テロに巻き込まれた事件です。君は、その生き残りだという」

「……だからなんだよ」

「誰かを守りたいと思う気持ちは理解できます。しかし、何かを得るには何かを差し出さなければならない時もある。そういう非情な決断を、いつかはしなければなりません」


 外ではポツリポツリと雨が降り始めた。


「計算とはそういうことです。何も失わずに何もかもを守ろうとすれば、最後に払うのは一番大事なもの。青臭い理想は捨てなさい」

「じゃあ、俺は何を失えばいいんだよ。まだダチを犠牲にしろって言うのかよ」

「それは自分で考えなさい。他人に言われて納得できることではない」


 突き放されている、ようで重々しい声音から滲むのは、僅かな後悔。単なる説教でないことをふんわりと感じ取った蓮は、それ以上言い返さなかった。


「一度本部に戻りましょう。明日から君には目撃証言を集めてもらいます」

「……うす」





 夜のベッド。蓮と雪音は、眠る際互いに背を向けあうことを約束していた。壁を見つめながら、彼は自分のうちに潜むものと対話を始めていた。


『オマエから来るか』


 スサノヲは、やはり揺らめく黒い炎だ。


「……何を差し出せば、ダチを殺さないで力を使える」

『あのメガネ野郎の話を聞いていなかったのか? 自分で決めろ。不愉快だ』


 炎を睨みつければ、嗤笑するように大きくなった。


『その目だ! 憎しみこそが人の本性! ケケケッ、次は誰を呪ってやろうか……』

「笑ってんじゃねえ」


 蓮は、自分でも思っていないほどの冷たい声を出した。


「わかったよ。もうお前には頼らねえ。新しい力は必要ねえ」

『いつまでその意地がもつか、楽しみにさせてもらおう』


 そのまま、蓮は朝を迎えた。


「疲れていますね」


 第二小隊本部の前で耶麻と落ち合えば、開口一番そう言われた。


「まあ、今日の任務は軽いものですから。まずは南高校の生徒を中心に聞き込みを行ってください。手に入れた情報は逐一送るように。後から纏めて、というのは確実に忘れますので」

「うっす!」


 大げさな敬礼を行った彼に、耶麻は何も言わなかった。


「町の中心部までパトカーで送ります。君なら大丈夫でしょうが、あまり警戒されないように」


 透き通るような空を見上げる大人の姿に、彼は不思議な感情を抱く。もしかしたら、“同じ”なのではないか、と。

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