M市の大通りには、テラス席を出すカフェがある。今日のように晴れ渡った日は、そこに腰掛けてゆっくりする人の姿もある。
蓮は松雲学院の制服を着て、その内の一グループである男子高校生の一団に近づいた。
「ちょっといいか?」
ポケットから貰ったばかりの警察手帳を見せて、空いている席に腰掛ける。
「警察の人……にしちゃ若いっすね。というか松雲の制服だし」
「特科って知ってるか?」
「ああ、なるほど……で、なんすか」
「南高の行方不明事件。何か知らない?」
高校生たちはフラッペを飲みながら、一斉に首を横に振った。
「あれ、霊災ってマジなんすか?」
「多分そうだろう、って感じ。詳しくは話せないけど」
「妖魔に食われたとかは……」
肯定も否定もできなかった蓮。それが、彼らに恐怖を植え付けた。
「ありがとな、んじゃ」
空振り続きで、一時間。何もわからなかった、と耶麻に送ることも慣れてきた。予測入力だけで連絡できるのだ。
(帰ったら履歴消しとくか)
後頭部を掻いて次の話し相手を探していると、こちらに近づく女子生徒の姿に気づいた。
「ちょっと、いいですか?」
柔らかな物腰の、美少女。少しどぎまぎしながら、彼は頷いた。彼女の胸には緑色のバッヂがある。
「私、御堂美晴っていいます。特科の方なんですよね?」
「そうだけど、何?」
「どんなところなのか気になって。話を聞かせてくれませんか?」
蓮は、自分が興味を持っていなかっただけで意外に特科は有名なのだな、と一人考えていた。
「オッケー。そこのカフェで話そうぜ」
逆ナンを一瞬疑ったが、まあ何とかなるだろう、と楽観的も楽観的な予測で適当な椅子を取った。
「お名前を伺っても?」
「八鷹蓮。一年だ」
名乗った直後、彼はアイスコーヒーを二杯頼む。
「で、何聞きたいの?」
「八鷹さんって、どんな能力持ってるんですか?」
「いやー、その……うーん……ビームが出る」
クスリ、美晴が笑った。
「嘘でしょう?」
「……そうだよ、俺、能力ないんだよ」
「能力なくても特科入れるんですね」
「武器使って戦ってるんだよ。妖魔を倒すための、特別な武器。そういう人他にもいるらしいぜ」
夜海原のことは黙っておくよう、耶麻に言われていた。周囲の人間にも危害を及ぼしかねないためだ。
「らしい、って何で伝聞形なんですか?」
「会ったことない先輩なんだよ。あとタメでいいよ。多分そっち年上だろ?」
南高の校章は、入学した年度で色が変わる。今年の二年は緑だと、蓮は聞いていた。
「じゃあ、遠慮なく……八鷹くん、特科ってどんな授業してるの?」
「それなんだけど、実は夏休みに転校したばっかでさ、授業まだ受けてないんだよな」
「なーんだ。外れかあ」
グイッ、と美晴は伸びをした。
「外れって……これでも、俺めちゃつえー妖魔倒したんだぜ」
「え~? 嘘だ~。そんな強そうに見えないよ」
「なっ! じゃあ腕相撲しようぜ、腕相撲。ゼッテー負けねえから」
「コーヒー倒しちゃうよ」
柔らかく微笑む美晴の顔を、蓮はまじまじと見つめてしまった。少し細い目が、笑うことで更に細くなっている。
「何?」
「いや……なんでもねえよ。つーかさ、美晴って夏休みも学校行ってんだろ? 嫌じゃねえの?」
「勉強って楽しいじゃない?」
全く以て理解できなかった蓮は、黙りこくってしまった。圧倒された、と言う方が正しいのかもしれない。
「俺、勉強嫌いなんだよなあ。何やってもうまくいかなくて。体育はいつだって五だけどさ」
「真逆だね、私たち。運動全然ダメ」
ストロー付きのアイスコーヒーを、ストローを使わず飲むのが蓮という少年だ。その不思議なこだわりが面白くて、美晴も真似をした。それも終わった頃、彼女の方から口を開いた。
「戦うのって、怖い?」
前触れのない質問に、彼は少し当惑した後、ゆっくりと答える。
「ダチが言ってたんだ。勇気ってのは、恐怖を制御することだ、って。俺はそれを真似しようと思ってる」
「凄いな……私、喧嘩なんてしたことないから」
そう呟くように言った美晴の顔が、曇っている。だが、蓮はそれを見抜けなかった。
「俺からもいいかな」
真面目な顔をした彼から、美晴は逃げるように目を逸らす。しかし、すぐに前を向いた。
「行方不明事件、何か知らないか? 霊災なんだ。もしかしたら、殺されてるかもしれない」
「……知らない」
心に溜まった澱を出さないようにするための、繕った声で彼女は答えた。
「またか~……じゃ、俺、別の人にも話聞かないといけねえし。払っとくよ」
「待って!」
伝票を持っていこうとした彼に、美晴は少し大きな声を発した。
「連絡先、交換しない?」
携帯を見せられて、ロインの友達登録を行った。
◆
結局のところ、彼は何の情報も得られないで特科に戻ってきた。夕焼けが照らす中、寮の扉を開く。
「帰ってきたか」
「おかえりなさぁい」
一階の食堂では、風間とめかぶが食事をしている。今日の夕食はソースカツ丼とのことだった。
食堂のおばちゃんから味噌汁と漬物もあるプレートを受け取り、中央にあるテーブルに座る。
「どうだ、進んだか」
「てんでダメ。誰に聞いても知らないってさ」
「耶麻さんは」
「刑事さんと一緒に捜査。でも、中々進んでねえみたいだ」
味噌汁を一息に飲み干し、蓮は顎を撫でた。
「人が消えてんだぜ? 少しくらい知っててもおかしくねえよな」
「……攫われた人間のプロフィールは」
「ん~、聞いた感じいじめっ子グループっぽいんだよな。割と嫌われてたらしい……だからか?」
「もしかしたら、消えてほしいって思われてたのかもしれないですねぇ」
物騒な言葉が放たれ、男子二人は嫌な顔をした。
「にしたって、死んでるかもしれねえのに嘘吐くかよ」
「人は醜いものですよぉ」
思いがけない、暗い発言。蓮は風間に助けを求めて視線を送ったが、無視された。
「蓮さん、雪音ちゃんが待ってましたからぁ、早めに行った方がいいですよぉ」
それだけ言い残して、めかぶは食事を終えた。居た堪れなくなって、蓮もカツ丼を掻き込んで部屋に向かった。
(九十九人救う、か)
一人になると、耶麻の言葉が頭の中で反響する。見ず知らずの人間九十九人のために、見知った人間一人を犠牲にする。わかっている。それは、力ある者が相応の責任を果たすための代償なのだ。だが、納得はできない。
(俺は、何を差し出せばいいんだろうな)
何かを得たいのならば、当然何かを捧げなければならない。その事実を、噛み締めるしかない。だとして、捧げるほど多くを持って生まれたわけではない。
(夜海原なしじゃ戦えねえんだもんな、俺)
変身していないまま戦う訓練は、一度受けた。だが、基礎的な霊力操作はできても、わざわざ生身で戦う理由がなかった。要は、夜海原を纏った方が強いのだから変身した方が手っ取り早いし、変な拘りで危険にさらされるのは自分だけではない、ということだ。
(あーもう、ごちゃごちゃ考えるの性に合わねえな)
自室の扉を開くと、彼は固まってしまった。西日の入ってこない部屋、遠くに赤い山々が映る窓の傍。美しいことこの上ない、宝石のような裸体がそこにあった。
「おかえりなさい」
雪音だった。
「ば、ばばばばば、バカ! 服着ろよ!」
慌てて目を逸らすが、思春期の衝動には抗えず少し視線を飛ばしてしまう。
「添い寝しているんです、別に大したことではないでしょう」
「ハァ⁉」
「一つ、大事な話があります。ドアを閉めてください」
小ぶりな乳房を隠そうともしない相手に、彼は少しずつ近づく。
「いいですか、血の誓いには──」