「いいですか、血の誓いは、一生を縛るものです」
裸のまま、雪音はガンを飛ばすような目つきで蓮を見つめていた。色素の薄い体は平坦だが、それでも女を知らない彼を刺激するには十分すぎるものだった。
「つまり──」
気になって仕方がない。話を聞くなんて状態ではない。大きくなっているのを感じる。
「なので──」
ネットで見たアダルトビデオとは、まるで興奮の度合いが違う。必死に直視しないよう俯き気味のまま、拳を強く握りしめて耐える。
「わかりましたね?」
「俺はでっかいおっぱいの方が好きだ!」
劣情を振り切るために、叫んだ。叫んでしまった。空気が凍り付く。防音結界がなければ、寮全体に響き渡っていただろう、という大声だ。
「はい?」
「俺はお前みたいな体に興味ねえってことだ!」
「はあ……とりあえず、そこに寝てください」
「え?」
思えば何も話を聞いていなかった。アパシーな目で促されて、蓮は大人しくベッドで横になった。
「相手してあげますよ。大変でしょう?」
「……マジすか」
「あなたがいなければ、私は今頃囚われていたでしょうし、その恩返しです」
交わりと呼ぶには一方的な行為だった。
「……なんで俺なの?」
服をはぎ取られ、出すものを出しきった蓮は、隣にいる少女にそう尋ねた。
「いつか話してあげますよ」
その声音がいつになく艶やかで、彼は気恥ずかしくなってしまった。
「言ったっけ。ダチが死んだこと」
「いえ。なぜ?」
「スサノヲが呪ったんだ。石動を使えるようにする代わりに、俺から一つ奪うって言って」
雪音は下腹部のあたりを手で押さえ、霊力を送り込む。体内に侵入したものを霊力で焼き払っているのだ。
「巻き込んだのは、私です。恨まれる覚悟はありますよ」
「恨むとか恨まないとかじゃねえんだ。夜海原がなくちゃ、そもそも俺は死んでる。あの特上級妖魔だって消せなかった。でもさ……なんか、やってらんねえな、って」
するり、ベッドから降りた彼女は上着を纏う。
「私には何もできません。戦う力もない。だから、あなたの全てを受け止めるつもりでいます。できる範囲で、慰めますよ」
部屋から出ていく。自分の小ささ、惨めさ。そういうものが心にどっと襲い掛かって、蓮の頬を涙で濡らした。
◆
それと時を同じくして、M市の外れにある病院の廃墟。一人の少女が、そのガラス戸を押し開いた。細長い目をしている彼女は、美晴だ。
彼女は特に怯える様子もなく、受付の奥にある階段を上がっていく。一つ不安要素があるとすれば、上階から聞こえてくる醜い呻き声だ。獣と呼ぶには明瞭で、人と呼ぶには曖昧な発音だった。
「やあ、こんばんは」
かつて院長とその家族が暮らしていた部屋で、美晴は中性的な女性に挨拶をされた。
「こんばんは、煮卵さん」
椅子に腰掛ける女性の足元で、歪な形の生命が這い回っている。一つは足が三本しかない犬のようなもので、一つは頭が二つある獅子。最後の一つは、胴体だけを短く圧縮されたような人間だ。
「手ぶらで来るとはね。どうしたんだい?」
「……八鷹蓮と、話したんです」
煮卵──そう、煮卵ふぐりは、目を大きく見開き、口の端を吊り上げる。
「どうだい、連れて来れそうかい」
「もう少し時間をください」
「うんうん、待ってあげよう。ただ、実験体をもう少し用意してほしいな」
「もう、嫌いな人間はいなくなりました」
震え始めた声で応答した美晴に、ふぐりは嘲笑を隠さない視線を叩きつける。
「今更手を引くつもりかい? 私は姿形を簡単に変えられる。でも君は違う。わかるだろう?」
「……はい」
ちょっと魔が差しただけだった。ほんの僅かな嫌がらせのつもりだった。だが、目の前にいる醜悪な化け物が、自分を虐めた
◆
翌日の、昼。蓮はまた街に放り出された。
「今回は、巡回です」
その直前、耶麻からそう告げられていた。
「怪しい動きがないか、よく観察してください。長話はしないように」
「うげっ……はいはい、気を付けますよ」
そう言って彼は車を降りようとする。
「君のエリアでは誘拐は発生していませんが、やはり霊災の多い街です。危機を悟ったら、すぐ力を使うように」
M市の霊災発生件数は、全国平均の八倍に当たる。三日に一回は小規模な事件が発生し、一週間に一回は複数人の隊員が出動するような事態に発展する。それは蓮も知っていた。
「戦う際は巻き添えに気を付けてくださいね。特に石動。あれは強力すぎます」
「あーもう、わかったから。それじゃ!」
というわけで、街中までやってきた。右腕の紅い腕輪が悪目立ちしやしないだろうか、と思いながらいつも松雲の制服を着ているが、スマートフォンや友人とのお喋りに夢中な人間はあまり気にしていないようだった。
(怪しい動きがないか、って言われてもな……)
犯人の面は割れていない。何らかの認識阻害の術で防犯カメラにも痕跡を残していないのだ。そんな状況で、犯人捜しなど無理がある。
人の多い街ではない。M市の人口は今年二十万を切った。高校を卒業すれば大体は県外に進学するし、そもそもこの県に大学は二つしかない。どちらも国公立。おまけに薬学部と獣医学部がないときた。
それでも、補習から解放された高校生たちで通りは賑わっていた。耶麻曰く、南高校の補習期間は今日で終わりらしい。
大通りから外れ、少し静かな細道。脇道を覗いては、前を向く。彼の腰にはポーチがあった。雪音の血を保管しておくものだ。出発直前に抜いた血を持ち歩かなければ戦えないからだ。
「だー! もう、無理だろこんなん……」
自動販売機でコーラを買って、近くのベンチに座り込む。買い換えたばかりの携帯電話を取り出す。ゲームのデータはアカウントを連携していたものだけ無事だった。金をつぎ込むタイプではないのでそこまでダメージはない。
が、先日、自分の金銭感覚がおかしくなるような出来事があった。任務報酬として振り込まれた、三十五万円。
「特上級倒したんだ、安いくらいだよ」
と躍は言う。
(毎回こんな金額送られたら、どうにかなっちまうよ)
背凭れに体重を預け、突き抜けるような空を見上げる。
(でも、命賭けてるってこと考えると、これくらいでいいのかもしれねえな)
冷たい缶を額に当て、目を閉じる。
「あれ、八鷹くんだ」
知った声が聞こえてきて、眼を開く。
「……美晴」
はっきりしない声音で蓮は相手の名前を呼んだ。
「お仕事?」
彼女が隣に座る。
「見回り。ほら、最近行方不明のやつが出てるだろ? 犯人捜すついでにさ」
「暑い中お疲れ。進展は?」
「まるでナシ。面も割れてないんだから無理だって」
そう言うと彼は残ったコーラを一気に飲み干した。最後の一滴まで徹底的に口に落とし、缶を投げる。見事、ゴミ箱に入った。
「器用なんだね」
「まあな。昔からこういうの得意なんだよ」
蓮が美晴の目を見ようとすれば、相手は視線を逃がす。
「なんかあったのか?」
「え⁉ いや、模試の結果悪くてお母さんに報告するの気まずいな~、って」
「そりゃ大変だ」
殆ど受けたことのない、模試。学力テストのようなもの、というぐらいの認識しか、彼にはなかった。
「飲み物いるか?」
「いいよ、持ってる」
今の蓮は、女性と二人ということに意識の大部分を持っていかれていた。雪音と体を重ねたことが、彼に女というものを感じさせる。不自然に表情が強張ってしまう。
「どうしたの?」
そんな顔を、美晴が覗き込んでくる。
「いやー……美晴ってかわいいな、って思ってさ」
途端、彼女は顔面を真っ赤に染める。
「や、やめてよ、も~……」
如何ともしがたい気まずさが、二人を包む。言葉を選んではかき消して、を繰り返しているうちに、美晴は蓮の手にそっと指を伸ばしていた。
「あのさ、今夜、来てほしいところがあるの」
「あー、寮に門限あるんだよ」
「お願い! どうしても」
「……やってみる。バレたら一緒に怒られてくれよな」
頼みを引き受けられたにしては暗い顔を、美晴は見せる。
御堂美晴が重要参考人として浮かび上がったのは、その夕方のことだった。