「御堂美晴を拘束します」
見回りを終えた後、パトカーに戻った蓮は、特科に戻る道中、耶麻からそう言われた。最後列の席には雪音もいる。
「……なんで?」
「行方不明となっている生徒は、皆直前に御堂美晴と接触している。そこで、君には囮になってもらいます」
嫌だ、と言っても聞いてくれないことはわかっていたので、蓮は何も返さなかった。
「おそらく、彼女の裏で何かが動いている。君に声をかけたのも、目的があるのでしょう。なので、君が黒幕を引きずり出し、私がそれを捕まえる、という作戦を立てました」
「……美晴が利用されてるってことかよ」
「ええ。そうするのが最も無理のない仮説です」
冷たい声音で言いながら、耶麻は眼鏡を上げた。
「なら、美晴が刑務所行くようなことはないんだよな?」
「彼女であれば少年院ですが……誘拐の幇助──手伝いをしたとして収容される可能性はありますね」
ギリリ、と蓮は奥歯を噛み締めた。
「君は彼女と親しくなったのかもしれない。しかし、だからといって罪を軽くすることはできません。それは受け入れてください」
「……わかったよ。俺が、美晴を操ってるやつを引っ張りだせばいいんだろ」
「理解が早くて助かります。しかし、上級妖魔や人間である場合は即座に逃げてください。可能な限り早く私が対処します」
「上級なら石動で倒せる」
耶麻は小さくため息を吐いた。
「あれは街中で使っていいものじゃない。出力の制御を覚えるまで封印してください」
「見てもないくせに」
「報告書を読みました。洋館は崩壊。所有者が放棄していなければ、莫大な賠償金が発生していましたよ」
それが自分に降りかかっていた可能性を思って、蓮は黙るしかなくなった。
「ひとまず、私が特科に外泊許可を出させます。この件は、誰にも言わないように」
「……うす」
厳しいことをいうようで、根回しはしてくれる。有難い気持ちを抱き、彼は短い返事を送った。
「……改めて言っておきます。相手が人間か上級以上の妖魔であれば、すぐに逃げること。戦おうとしないでください」
「わかってるって」
車はすぐに特科へ。
「降りねえの?」
車に残ろうとする雪音を見て、蓮は尋ねる。
「少し彼と話がありますから」
「そ。んじゃ、先戻ってるぜ」
バタム、とドアが閉まった。
「蓮に殺人をさせないつもりですね」
雪音が硬い声でそういうので、耶麻は誤魔化すように眼鏡を拭き始めた。
「……子供に咎を背負わせない。それは、大人の義務です。なら、子供の間だけでも私が背負わなければならない」
「いずれ向き合わなければなりませんよ」
「その時は、まだ訪れていない。彼にその覚悟ができるまでは、大人が守ります」
黙ったまま、雪音は車を降りようとする。
「蓮は、あなたが思うほど軽い覚悟で戦っているわけではありませんよ」
言い残して、去る。耶麻は、腰を曲げて指を組んだ。
しばらくして、食堂。青椒肉絲を食べようと思った蓮は、ふとその動きを止めた。
「なあ、風間」
めかぶはさっさと食事を終えて風呂に行っていた。
「人、殺したことあるか」
「何回か。どうした、任務か? それなら相談には乗れない。どうせ話すなと言われてるんだろう?」
先回りに先回りを重ねた答えに、彼は苦い顔をした。
「もし、さ。自分の友達が捕まるかもって言われたら、どうする?」
「因果応報だ。どうとは思わない」
「冷たいな、お前」
卵スープを口に運び、風間は横目で相手の表情を見た。
「俺たちは、ヒーローじゃない。警察官だ。法で裁けるものはそうするべきだし、そうでないものには別個に対処する。それだけだ」
「一人のダチを犠牲にして九十九人救え、って言われたら?」
「……わからないな。だが、職務としてはそういう判断をしなければならない、というのはわかる。耶麻さんに言われたんだろう?」
「へへっ、お見通しか」
食べきった風間が立ち上がる。
「迷いすぎるなよ。戦えなくなったら本末転倒だ」
本末転倒。何が本で、何が末なのか。考えなくてはならない。
三十分後。久しぶりの私服に着替えた蓮は、夜の街に踏み出した。
「五分の遅刻です」
バンで待っていた耶麻が言う。
「トイレだよトイレ」
適当な言い訳、とは耶麻も雪音も見抜いていた。
車で二十五分。M市の寂れた部分に入る辺りで、蓮は降りた。その直前渡された、黒いイヤホン。
「これは目立ちませんが、周囲の音を拾って私に送ってきます。失くさないように」
と、耶麻が言ってきたのだ。
(なんかやばくなったら助けてくれる、ってことだよな?)
未だ耶麻を信じ切れていない事実が、彼の心の中で蠢いている。
スマートフォンに送られてきた位置情報に導かれると、廃病院の前で美晴が待っていた。小さく手を振ってくるので、返す。
「会わせたい人がいるの」
「まあいいけど……ここ、大丈夫なのか?」
そんな疑問を無視して、彼女はガラス戸を開いていく。積もりに積もった埃の臭い。受付であったであろうカウンターは、『閉院しました』の札を出している。あからさまに怪しくて、逆に怪しくない気がしてきた頃、二階の扉の前に立つ。
「これから見せるもの、誰にも言わないでね」
「秘密ってことか? いいぜ、そういうの好きだし」
それが少し開いて中の空気が漏れてきた時、蓮は背筋が凍り付くような恐怖を覚えた。ポーチに手を伸ばした瞬間、弾丸のような速度で何かが飛来した。
反射神経の働く限りの反応速度でどうにか躱せば、後ろの壁に紫色の塊がめり込んだ。
「やあ、八鷹蓮」
出てきたのは、中性的な雰囲気を持った、おそらく女性であろう人物。
「ごめんね、八鷹くん」
その隣に、美晴が立つ。
「こうしないと、殺されちゃうんだ」
「私は煮卵ふぐり。頼まれごとをされていてね。君を殺す必要がある」
「へっ、やってみろ」
蓮はポーチから取り出した血を腕に注入し、素早く合掌。変身した。向かってくる三体の化け物を、彼は妖魔と判断した。
「耶麻さん、人だ」
そう呟いたタイミングで、窓の外から突っ込んでくる人影が。両手で刀を握り、空中で振り抜く。着地と同時に更に斬りかかり、ふぐりを壁際に追い込んだ。刀身を寝かせての刺突は、壁に突き刺さる。耶麻だった。
「蓮くん、美晴を連れて離脱してください。これは、私が相手します」
「加勢──」
「いりません。君では勝てません」
言い切る前に否定されたことは不服だが、それは蓮も感じ取っていた。
「相成耶麻。中々の腕利きらしいね」
粘度のように体の形を変え、突きを躱したふぐりは元の人に戻った。
「妖魔……いや、霊力で肉体が構成されている人間?」
「まあそんなところかな。人を妖魔に変える研究しててさ、その成果として、自分自身を妖魔化した。そしたら、霊力が続く限り──」
話の途中で、耶麻は踏み込む。首を落とさんと狙った一撃は易々避けられ、むしろ、伸びきった胴に、槍状に成型した腕が突き出される……。
「あれ?」
それと腹の間に、黄色い半透明の壁。状況を飲み込みかねたふぐりは、蹴りを喰らった。
「なるほどなるほど……防御壁を生成する異能か。近接タイプの君とは──」
またもや、会話に割り込むような攻撃。上段からの振り下ろしを回避したふぐり。肉体を伸ばし、相手を掴んで外に投げた。
「空中! 死ね!」
殺意をむき出しにした攻撃は、当たらなかった。耶麻は虚空に壁を生み出し、蹴ったのだ。彼女の首元を斬り、空に着地だ。
「……便利だね」
「それなりに修羅場を潜り抜けてきましたので」
耶麻が刀を振って血を落とす。
「君が八鷹蓮のお守りになっている間は、殺せないか……いいよ、相手になってあげる」
ふぐりは屋根の上。
(空中戦ではこちらに分がある……うまく立ち回らなければ)
少し冷えた空気が、二人の肌を撫でる。まだ、これからだ。