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御堂美晴事件 六

 耶麻は自身のエネルギー防壁を生み出す異能に、「金城きんじょう」と名付けている。並みの攻撃では破るどころか傷をつけることすら叶わない、鉄壁の防御だ。


 だが、その本質は防御手段ではない。空中に壁を生み出して、任意のタイミングで着地と加速を可能とするのだ。


 それを十二分に活かし、彼は幾度となくふぐりの肉体を斬り裂く。四方八方、霊力で強化した肉体で踏み切り、絶え間ない斬撃を浴びせ続けた。


 二十回は殺したろう、というところで彼は手を止める。


「ん~、防御壁を生成する数に制限はない。そうだろう?」

「問答をするつもりはありません」


 赤く染まった刀を振って、血を落とす。ふぐりはバルコニーの上だ。


(あっちが空にいる以上、遠距離攻撃を仕掛けるしかない……でも、その手段は少ない。それはバレてるし、霊力が尽きるまで殺し続けてくるだろうね。どこかで逃げ出すか……)


 掌に穴を作る、ふぐり。


「日本人らしくない見た目だね。どこで生まれたの?」

「問答はしない、と言ったはずです」

「つまんないの……!」


 彼女は穴から弾丸を飛ばす。が、全て弾き落とされる。


(低級の小型妖魔か?)


 落下するそれらは、拳銃弾ほどの大きさで、強引に丸められた紙のような見た目をしていた。


「それ、何だと思う?」

「……妖魔」

「半分正解」


 気にならない──と言えば嘘になるが、耶麻はそれ以上詳しい答えを求める気もなかった。


「刀を防壁で覆って強度を底上げしているね。何ができないんだい?」


 眼鏡を押し上げた彼は、答えることなく跳んだ。顔面に蹴りを叩き込み、吹き飛んだ相手の背後に壁を生成。衝撃で一瞬意識が飛びかけた彼女の首を、刺した。


 吹き出る血が綺麗なバルコニーを汚していく。くらくらしながら顔を上げたふぐりは、口の中からも弾丸を放った。しかし、極小サイズの壁が阻む。


「……ああ、そういうことか」


 彼女は傷を癒し、すぐに口を開く。


「展開できる壁の面積に制限があるんだ」

「ええ、そうですよ」


 バレたならそれでいい、と彼は敵に近寄る。


「あと何度殺せば死にますか?」

「さあ。私にもわからないかな」


 未だ、耶麻は空にいる。少し地面を蹴れば詰められそうな距離だった。ふぐりは瞬間的に脚の筋肉を増強し、跳躍した。


 まず上を取る。そこから弾丸の雨。目にも止まらぬ剣捌きでその全てを叩き落した耶麻だったが、次の一撃──雨に紛れての体当たりは避けきれなかった。


 弾き飛ばされた彼は、少し宙に躍ってから屋根に着地する。瓦が砕け、破片が舞う。姿勢を戻そうとしたその体に、更なる体当たり。ふぐりは、腕の中に空間を作り、そこで圧縮した空気を掌から放出して加速したのだ。


 人一人の質量が、かなりの速度で襲い掛かる。予想外の攻撃に防御は間に合わず、再び直撃を食らった。屋根から落ちて、アスファルトの地面へ。


「なーんだ、致命傷にはならないか」


 耶麻の右脇腹に、穴。どくどくと血が溢れているが、還形術で元通りになりつつある。ふぐりは馬上槍のように尖らせた右腕を戻す。


「なんで八鷹蓮を帰らせたのさ。君一人じゃ殺しきれないよ」

「殺人の咎を背負うのは大人だけでいい。簡単な話です」

「嫌いじゃないよ、綺麗事は」


 彼女は先ほどの攻撃で自身に可能性を見出した。圧搾空気による高機動だ。


(うまくやれば空を飛べそうだ)


 脹脛を拡張し、空気を溜める。霊力で加圧して、足裏にあけた穴から放出。大きく飛躍したところから、弾丸を放った。


 耶麻も足場を作りながら上昇し、心臓に刀を突きたてる。勝ちを確信したわけではない。だが、途端に相手の体が破裂して体液をまき散らしたことで、その幻影を見てしまったのだ。


 視界が戻ってきた頃、遠くを飛ぶ小さな物体を見る。


「……逃げられましたか」


 その次の朝は、騒がしいものだった。





 後始末に大人たちが奔走する中、蓮は美晴の下を訪れていた。尋問ではなく、面会として。


「脅されたんだよな?」


 彼は防弾ガラス越しに美晴に問う。そうであってほしい、たとえ嘘でもそう言ってほしい、と祈りながら。


「私から、協力したの。嫌いな人間に少し嫌がらせができる、って」

「嫌がらせ、って」

「……何をされるかなんて、想像もしてなかった。でも、あの人に渡したら……妖魔にされてしまう」

「……は?」


 信じ難い言葉だった。ふぐりが従えていたあの化け物たちが、人間であったということ。


「煮卵さんは、人を妖魔に変えられるの。一回目でわかったことだった。だけど、逃げられなかった。逃げるなら、守ってやらないって言われて」

「でも、今こうして逮捕されてる」

「そうだね。私、バカだ……」


 啜り泣き始めた美晴。


「妖魔になった人って、戻せるのか」

「わかんない。でも、多分戻せない」


 蓮は言葉を探し続けていた。軽い脳味噌は、彼が思うほど回らない。ただ、膝の上で拳を強く握ることしかできなかった。


「俺に声をかけたのは、俺をふぐりに渡すためか」

「……うん。八鷹くんの持ってる夜海原が欲しい、って」

「知ってんのかよ。全部知った上で話してたのかよ!」


 思わず、彼は机を叩いてしまう。


「ごめん。謝って済むことじゃないのはわかってる。でも、私だってこうしなきゃ死んでたかもしれない! 妖魔に変えられてたかもしれない!」

「……よく、笑っていられたな」


 自分でも思わないほど怒気を孕んでしまった声。抑えたくても抑えられなかった。


「最初から敵だってわかってる方がマシだった。最悪だよ、ホント」


 違うんだ、と取り繕うこともできない。もっと話したかった。もっと笑い合いたかった。もっと下らない会話をしたかった。そんな言葉は、もう出てこない。心の底で怒りに沈められている。


「時間です」


 監視役の警察官が、美晴側の扉から入ってきた。


「また来る。それまで反省して……ろ……」


 立ち上がろうとした蓮は、最悪の光景を目にした。中性的で、不思議な気配を纏った警察に触れられた美晴の体が、引き伸ばされていく。綺麗だった肌は、漆黒と濃紺に塗りつぶされていく。


「……お前か」


 帽子を投げ捨てた警官は、醜い笑みを見せつけた。


「お前が煮卵ふぐりか!」


 二メートル近い長身になってしまった美晴が、防弾ガラスを突き破って蓮に襲い掛かる。


(まずい、ここで止めなきゃ、普通の警察じゃ殺されちまう!)


 ポーチの注射器で血を流し込み、合掌。瞬時に変身した彼は、奥歯を噛み締めながら拳を作った。


「もう妖魔なんだ、殺しちまうぞ!」


 長い腕をしならせての一撃を受け止め、自分に言い聞かせるために叫ぶ。だが、美晴だったものは何も気にしていないようだった。


 のっぺらぼう。彼が抱いた感想はその一言に尽きた。あの細長い目もなくなり、口だけがある。そこから発せられるのは獣の鳴き声のようなものだ。


 殴ろうとした。だが、もしかしたら戻せるかもしれない、などという思考が腕を止める。結果、弾き飛ばされて面会室から追い出された。


(おかしいだろ)


 衝撃でふらふらする頭で考える。


(こんなの、おかしい。確かに美晴は悪いことをしたさ。でも、こんな死に方はないだろ?)


 ゆっくりと立ち上がる。妖魔は長い髪を畝らせて近づいてくる。


「やつ……たか……くん……」


 残っている。いる。そこに、美晴が。体の表面からは赤い血が流れ出て、もう先が短くないことを彼は悟る。


「美晴、今楽にしてやる」


 右の拳に霊力を流し込む。基礎的な霊力操作はもう身に着けていた。スサノヲが供給するものも合わせれば、かなりの量になる。


 左足を大きく踏み込み、体重移動。全てを相手に預けるイメージで、腕を突き出す。接触面から霊力が流し込まされ、美晴の体が大きく膨らみ──爆ぜた。意図的に弱くされていたのか、自分が強くなったのか。どちらにせよ、彼の心は暗雲に包まれた。


 全身の力が抜けて、へたり込む。そこに耶麻が来た。


「蓮くん!」

「……殺したよ」


 呟くような声。


「俺が、美晴を殺した」

「……そうですか。君は休んでいいですよ。後のことは任せてください」

「なんか言ってくれよ。殺したんだぞ、人を!」

「妖魔に変えられた人間は、そう長くは生きられない。君は正しいことをした。それは、わかっているでしょう」


 耶麻はしゃがんで、蓮の肩に手を置いた。


「もう一度言います。君は正しいことをした。君がいなければ、警察官──いや、警察署を出て街に被害が出ていたかもしれない。だから、自分を責めることはない」


 変身を解いた蓮は、涙を流していた。


「泣きなさい。君は、それに値する経験をしたのだから」


 特科に戻ったのは、夜のことだった。

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