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新たな出会い

 冷やし中華の味を、蓮は感じられなかった。蝉の鳴き声が響く中、冷房の効いた食堂で、ぼんやりと義務的に食事をする。これで二日目だ。


「──ん、蓮!」


 雪音に呼びかけられて、彼の意識が戻ってくる。


「少し、運動でもした方がいいんじゃないですか」

「……気分じゃねえ」


 自分よりずっと大きな体を持っている相手が、こうも沈んでいる。雪音は声のかけ方を知らなかった。


「私にできることはないですか」

「……なんで、俺に夜海原を渡したんだ。自分で使えばいいじゃねえか」

「夜海原は誰かのために戦うという決意を、ロック解除の条件としています。私にはできません」

「めんどくせえことしてんだな」


 蓮は頬杖をついて時計を見つめる。午後一時二十分。


「あの男も、夜海原そのものの起動ではなくリバースエンジニアリングを目的としているのでしょう」

「りば……?」

「リバースエンジニアリング。腕輪を手に入れて、中を調べるつもりなんです」

「ああ、リバースエンジニアリングね、知ってる知ってる……」


 おどけてみせても覇気はなく、一層心配を雪音に募らせるだけだった。


「御堂美晴のことは、聞いています」


 小さな体の少女は、手元を見ながら言う。


「おそらく、あなたが取れる選択は、ああすることしかなかったのだと思います。そうでなければ──」

「わかってんだよ!」


 蓮は声を張り上げながら立ち上がる。


「わかってんだ、そんなことは。美晴をあそこで殺すこと以外、俺にできたことはない。でもよ、命って簡単に引き算していいのかよ」


 反駁しようとした雪音は、安全圏にいる自分が何を言っても響かないことを察してしまう。故に、黙った。内側に向けたい攻撃性を制御しきれず、他者への攻撃性として発露させるしかない、と理解していた。


「本当に、美晴を殺すしかなかったのかな」


 ぽつり、涙が落ちる。


「報告書には、妖魔になった人間が他にも確保されていますが、ふぐりの処置を受けられない状態では数時間ともたずに生命活動を停止しているとあります。衰弱して緩やかに死んでいくより、一撃で殺された方がまだ楽だったのだと、私は思います」

「だよな、そうでもなきゃ、俺は……」


 続く言葉は容易に想像できた。ただの、人殺しだと。


「俺のせいで、二人死んだ。俺がもっと頼れる人間だったら、美晴も打ち明けてくれたかもしれねえ。なあ、雪音。どうすればいいんだろうな」


 最後の一言は、笑いを含んでいた。


「……わりい、一人にさせてくれ」


 本当に、心の底から誰かのために戦える人間。それが蓮であることを雪音は知っている。だから苦しんでいるということも。


(私に、その感情は理解できない)


 いつだって自分が生きるために必死だった。蓮の父──八鷹奥平から、死に際に夜海原を託され、蓮がいるというM市まで逃げ続けた。


 蓮に会えるという保証も、夜海原を起動できる確証もなかった。それでも、と願って辿り着いたこの街で、出会ったのだ。全てを成し遂げるための、鍵に。


(蓮は、壱阡火せんかを殺せるかもしれない)


 そこにあった因縁を、彼女はまだ知らなかった。





 新千歳空港から、S県の地方管理空港に一機の旅客機が飛来した。


「いや~、田舎臭いったらありゃしねえ」


 四人分の荷物を背負う偉丈夫が、ゲートを通るなり言った。鞍馬くらましょう。特科二年。


「僕らがさっきまでいたところも、大概田舎だよ」


 そこから十センチほど視線は下がって、身軽そうで細身な男子生徒。久能くのうじん。縦にも横にも大きい翔から、一歩後ろを歩いている。


「特科にゃ新入りがいるんだろ? 一発殴らせてほしいところだぜ」


 更に七センチ下。黒部くろべ詩乃しの。女生徒だ。肩に竹刀ケースを担いでいる。その表情は険しく、まるで不倶戴天の敵といるようでさえ思える。しかし、それは当たり前のことだった。


「皆さん元気ですねぇ」


 一番小さい少女。紫雲院しうんいん茉莉花まつりかという。めかぶにも似たほんわか系女子であるように、見えはする。だが、熱的に冷たい空気を纏っていた。


「でも、後輩を殴っちゃ駄目ですよ」

「ハッ!」


 と詩乃が鼻で笑う。


「いいか、人間ってのはぶん殴られて成長するんだ。ま、守戒三家しゅかいさんけのお嬢様にはわからねえか!」


 守戒三家。平安時代、異能者の秩序維持を目的として、朝廷からその任を命じられた三つの氏族だ。名門も名門。そんな茉莉花の背中を、彼女は何度も叩いた。


「みんな、急ぐよ」


 拍手で急かすのは、引率の教員だ。


佐波さばチャン、焦ると老けるぜ?」


 翔の揶揄いに、詩乃が大笑いを返した。


五十嵐いがらしセンセもすぐババアになっちまうな! ガハハ!」

「アンタねえ……」


 スーツ姿の佐波は若い女だ。今年で二十四。まだまだ新米と言える。


(なんかアタシが学生の頃より治安悪くなってない?)


 大学に行っていた四年に間に何があったのか、胃が痛くなる思いで考えながら学生たちを進ませる。


 そんな彼らが特科の寮に戻ったのは、三時間後のことだった。その時、蓮は行き場所もなく森の中を彷徨っていた。遠くから西日が容赦なく照り付けてくる、そんな森だ。


 偶然か、入り口となっている鳥居の前に立つ。戻るのは簡単だ。任務で風間もめかぶもいない。耶麻が手を回して休息をくれたのだ。もう戦えない気がしていた。


 罰されたいのか慰められたいのかもわからない心を抱いて、それを潜ることはできなかった。


「おう、そこのガキ」


 その彼に、縦にも横にも大きな学生が声をかける。


「お前……特科だな」

「だったらなんだよ」

「名前を──いや、挨拶するなら俺からだな。鞍馬翔。二年だ。新入りだろ?」


 蓮は睨むような視線を送って答えない。


「なるほどなるほど……」


 翔が背負っていた荷物を置く。そして、左掌を拳で叩いた。


「その性根、叩き直してやる」

「やれるもんなら──」


 言い返した瞬間、蓮の鼻先まで一寸というところで拳が停止する。


「翔、教師の前で喧嘩は良くないよ」


 仁が自分の荷物を持ち上げる。他の生徒も銘々長旅のお供を拾っていた。


「喧嘩じゃねえ、指導だ。異能者ってのは数が限られてるからなあ、学生同士の組手が奨励されている。だろ? 佐波チャン」

「……あんまり怪我させちゃダメよ。責任取るのアタシなんだから」

「淳チャンに治せる程度で勘弁してやる」


 二撃。一瞬の間に二度の正拳が蓮を襲う。反応どころか視認もできない速度だった。吹き飛ばされた彼は、ポーチに手を伸ばす。だが、血はなかった。


 空中で、翔は縦の回し蹴りを繰り出す。直撃だ。グラウンドに叩き落とされた蓮が立ち上がる前に、首根っこを掴む。そのまま、再び上空へ。


(なんだこいつ、速すぎるだろ!)


 下にいたと思っていた相手は既に追い付いていて、密着状態から連打を放ってくる。霊力で体を強化していなければ内臓がボロボロになっていそうな威力の打撃が、一秒に十回の速度だ。


 落下しつつの連続攻撃で、蓮は大の字で転がるしかなくなった。


「霊力操作はそれなりにできる。筋がいいな」


 褒めている言葉面とは裏腹に、翔は哀しみを顔に浮かべていた。


「しかし! 戦わない理由を作っている!」

「いてえんだよ」


 体を起こした蓮が言う。


「散々殴られた上に、大声で頭がガンガンしやがる」

「どうした、まだ何かあるんだろう?」

「使えないんだ。俺が戦うには特別な血が必要なんだよ」

「それが今戦わない理由にはならん!」


 少し、響いた。ぴくりと頭が動いたことを、翔も見抜く。


「俺たちは強い! 耶麻チャンもよく言っているがな、簡単に人を殺せる以上、己を律して戦わねばならんのだ!」

「人、殺したんだよ」

「……初めてか?」


 力なく頷く。すると、翔は丸太のような腕で抱擁した。


「名前を聞かせてくれ、一年よ」

「八鷹蓮」

「蓮チャンは、おそらく、近しい人間を喪ったんだな。辛いだろう。だが、ここで逃げてしまえば、それこそその死を裏切ることになる」

「裏切る?」


 万力のような力で体を締め付ける。


「死に意味を見出すのは後世の人間だ。俺たちにそれは判断できない。だからな、とにかく真っ直ぐ走れ。後悔して引きずって、それでも進んでいれば、いつかはその死に意味を見出してくれるかもしれない。無駄にしないためにも、戦うんだ」

「……名前、なんだっけ」

「鞍馬翔」

「翔さん、俺、戦うよ」


 離れた二人は、固く握手を交わした。


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