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今日は少し早めの時間に登校した。
理由は特にない──わけでもない。
──なんか最近元気なんだよね
僕はそんな事を思う。
最近朝も凄く寝覚めが良いし、食欲もある。
僕は自分の席に着いて、なんとなく周囲を眺めていた。
クラスメイトたちは思い思いに朝の時間を過ごしている。
スマホをいじる者、宿題を慌てて写している者、友達と談笑する者。
そんな日常的な光景の中で、僕はぼんやりとこの前の夢のことを考えていた。
「おはよう、御堂君」
声をかけられて顔を上げると、眞原井さんが立っていた。
相変わらずかわいいけど、なんというか畏れ多いみたいな感じでカジュアルに話すのにちょっと抵抗がある。
でも最近はこうして朝の挨拶を交わすのが習慣になっていた。
「おはよう、眞原井さん」
僕が返事をすると、彼女はいつもの席──僕の斜め前に座った。
「よっ、聖! アリス!」
威勢のいい声と共に、祐が教室に入ってきた。
相変わらず朝から元気いっぱいだ。
「朝から騒がしいですわね、佐原君」
眞原井さんが呆れたように言った。
祐は僕の隣の席にドカッと座ると、突然こんなことを言い出した。
「なあ、お前ら『ゴーストギャンク』観てる?」
「ゴーストギャンク?」
僕は首を傾げた。
聞いたことのない番組名だ。
「知らないのか? 今めちゃくちゃ流行ってるやつだぞ」
祐が驚いたような顔をする。
「式神とか悪魔と契約した召喚者とかがバトルする番組なんだよ。毎週金曜の深夜にやってるんだ」
「ああ、あの趣味の悪い番組ですわね」
眞原井さんが即座に切り捨てた。
「現実に異常領域で人が亡くなっているというのに、それをエンターテイメントにするなんて不謹慎極まりありませんわ」
その言葉には本田君の件も含まれているのだろう。
確かに、現実の脅威を娯楽にするのは少し不謹慎かもしれない。
でも祐は全然めげずに勧めてくる。
「いやいや、でもさ、案外面白いんだって」
祐が身を乗り出して熱弁を始める。
「ガチで式神同士を戦わせるんだ。もちろん安全対策はバッチリらしいけど、迫力がハンパないんだよ」
「そうなんだ……」
僕は曖昧に相槌を打った。
正直、そういうバトル系の番組にはあまり興味がない。
というか、異能を持たない僕からすると、どこか別世界の話のように感じてしまう。
「聖も観てみろよ。きっとハマるぜ」
「う、うん。機会があったら」
そんな調子のない返事をしていると、担任の牧村先生が教室に入ってきた。
「はい、席に着いて。ホームルームを始めるぞ」
ざわついていた教室が、すぐに静かになる。
牧村先生はいつもより少し真剣な表情で教壇に立った。
「今日は重要な連絡がある。隣町の火々羅町(カカラチョウ)で、明日から高野グループによる試験防疫が行われることになった」
教室がざわめく。
火々羅町といえば、ここから電車で二駅ほどの距離だ。
結構近い。
「高野グループって、あの密教の?」
誰かが呟いた。
牧村先生が頷く。
「そうだ。和歌山県に本拠を置く大規模な密教集団だ。最近では様々な事業も手がけていて、都内にも『九字蕎麦』というチェーン店を展開している」
九字蕎麦。
皆よく知っているお蕎麦屋さんだ。
店の入り口に護符が貼ってあったり、メニューに「厄除け蕎麦」なんてものがあったりする、ちょっと変わった店だ。
「試験防疫というのは、簡単に言えば町単位、市単位で広範囲を一気に祓い、異常領域をはじめとした怪異の発生を封じ込めるというものだ」
先生が黒板に大きく「試験防疫」と書く。
チョークの音が教室に響いた。
「従来の対処法では、異常領域が発生してから対応するという後手後手の状況だった。しかし高野グループは、事前に広範囲の土地を清めることで、そもそも異常領域の発生自体を防げるのではないかという理論を提唱している」
なるほど、予防的な措置ということか。
確かに理にかなっているような気もする。
「ただし」
先生の声が少し低くなった。
「これはあくまで試験的な取り組みだ。本当に効果があるかは未知数だし、作業中は様々な霊的干渉が予想される」
教室の空気が少し重くなる。
「火々羅町に住んでいる生徒もクラスに数名いるだろう。明日から三日間、防疫作業が行われる予定だ。その間は極力外出を控え、作業の邪魔をしないように」
「先生、学校はどうなるんですか?」
前の方の席から質問が飛んだ。
「火々羅町の学校は臨時休校になるが、うちは通常通りだ。ただし、火々羅町から通学している生徒は、安全を考慮して自宅学習でも構わない」
僕の家は火々羅町ではないが、かなり近い。
もしかしたら何か影響があるかもしれない。
「質問はあるか?」
牧村先生が教室を見回す。
「試験防疫って、具体的にはどんなことをするんですか?」
眞原井さんが手を挙げて質問した。
さすがエクソシストの家系だけあって、こういうことには詳しそうだ。
「詳細は公表されていないが、大規模な結界を張るらしい。高野グループの僧侶たちが町の要所要所で祈祷を行い、霊的な防護網を構築するそうだ」
「へー、すげえな」
祐が感心したように呟いた。
「とにかく、明日からは火々羅町方面には近づかないように。霊捜も警戒態勢を敷くそうだから、一般人が立ち入ることは危険だ」
先生の言葉に、生徒たちは神妙に頷いた。
本田君の件もあって、みんな異常領域の危険性は身に染みて分かっている。
「では、ホームルームはここまで。一時間目は小テストするぞー。あと斎藤! 念視は禁止だからな! 今回はしっかり妨害させてもらうからぞ!」
斎藤君はこの前念視でカンニングして100点を取っていた。
皆の嘆きの声を後に先生が教室を出て行くと、再び教室にざわめきが戻ってきた。
「試験防疫かあ……」
祐が腕を組んで考え込むような素振りを見せる。
「もし本当に異常領域を防げるなら、すごい発明だよな」
「そう簡単にはいかないと思いますわ」
眞原井さんが冷静に言った。
「異常領域の発生メカニズムすら解明されていないのに、それを防ぐなんて……不可能では?」
確かにそうかもしれない。
原因が分からないものを、どうやって防ぐというのか。
「でも、何もしないよりはマシじゃない?」
僕は思わずそう口にしていた。
二人が僕の方を見る。
「だって、このままじゃどんどん被害が増えるばかりでしょ? 試すだけでも価値はあると思う」
我ながら珍しく前向きな発言だった。
普段の自虐的な僕らしくない。
「聖の言う通りだな」
祐が大きく頷いた。
「失敗したって元々だし、成功すれば儲けもんだ」
「まあ、そうですわね……」
眞原井さんも渋々ながら認めた。
その時、一時間目の始業チャイムが鳴った。
慌てて教科書を取り出す。
小テストは正直いって自信がなかった。