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第15話「アリス:暗い家」


 ◇


 教室に着くと、御堂君が傘を持って教室後ろの傘立てに向かっているのが見えた。


 私たちの学校は昇降口に傘立てがない。


 生徒の数が多いため、昇降口に傘立てを置くスペースがないのだ。


 だから雨の日は各自教室まで傘を持ち込んで、教室の後ろにある傘立てに入れることになっている。


 ──あの傘が……


 御堂君が持っている黒い和傘は遠目からでもただの傘ではないと分かった。


「おはようございます、御堂君」


 声を掛けると、「おはよう、アリス」と御堂君が振り返って私に挨拶をした。


 いつもの穏やかな笑顔。


 私は御堂の傘に視線を向ける。


「その傘、素敵ですわね」


「ああ、これ?」


 御堂君が傘立てを振り返る。


「今日の夕方から雨が降るっていうから持ってきたんだ。ちょうどいい機会だと思って」


 そう言いながら、少し得意げな表情を見せる。


「前に話した、不思議な男の子からもらった傘」


 ──なるほど、あの時の


「見せていただいてもよろしいですか?」


「もちろん」


 御堂君があっさりと手渡してくる。


 私は慎重に受け取った。


 見た目は確かに普通の和傘だ。


 黒い和紙に朱色の文様。


 竹の骨組みも特に変わったところはない。


 でも──


 指先に伝わるのは拒否感。


 私に持たれる事を嫌がっている。


 まるで生き物のようだ、と私はおもった。


 私は傘をゆっくりと回転させながら観察する。


 表面上は何の変哲もない和傘。


 でも、霊的な視点で見れば──


 この傘には確実に"何か"が宿っている。


 意思、とでも言うべきものが。


 恐らくは、いわゆる付喪神と呼ばれるモノでも憑いているのか──まあ珍しくはあるが、ありえない事ではない。


 ただ──


 私は傘から伝わってくる波動を慎重に探る。


 敵意はない。


 むしろ御堂君を守ろうとする、強い意志を感じる。


 これは御堂君にとって害になるものじゃない。


 そう判断して、私は傘を御堂君に返した。


「とても良い傘ですわね」


 褒め言葉に留める。


 今、この傘の正体を明かすのは得策じゃない。


 もし私が「これには何か宿っている」なんて言ったら、御堂君はどうするだろう。


 怖がって手放そうとする可能性もないではない。


 そうなったら──


 既に御堂君と絆を結んでしまった"モノ"を、一方的に拒絶することの危険性を私は知っている。


 愛が憎しみに変わる時、それは恐ろしい呪いとなるのだ。


 御堂君だけじゃない。


 下手をすれば、御堂君の周囲の人間──私や佐原君も巻き込まれる可能性がある。


「そうでしょ?」


 御堂君が嬉しそうに傘を受け取り、傘立てに収める。


「なんか妙に気に入っちゃって」


 ──悪いこととも言えませんが、危険ではありますわね


 魔は自分を受け入れてくれる者を好む。


 そして御堂君は──


 私の目から見れば、サマナーの素質を持っている。


 本人は全く自覚していないけれど。


 魔を引き寄せ、使役するサマナーという存在自体は珍しくはない。


 でも、無自覚なサマナーは危険だ。


 力を制御できず、魔に飲み込まれてしまう者──そういった者たちの末路は悲惨なものになりがちだ。


 歴史を紐解けば、そんな例はいくらでも見つかる。


 日本でなら2003年の「光のきざはし集団自殺事件」が最も有名だろう。


 かつて北海道某所に、光のきざはしと呼ばれる新興宗教が興った。


 その教祖は連日の様に信者たちの前で「奇跡」を演じ続けていた。


 病気を治し、失せ物を見つけ、未来を予言する。


 信者は増え続け、最終的には800人を超える規模になった。


 しかし教祖は知らなかった。


 自分に「天啓」を授けていた使の本質を。


 ある日、天使は教祖に囁いた。


「楽園へ導いてやる」と。


 教祖はそれを鵜吞みにし、信者たちに「集団昇天」を呼びかけた。


 結果、813名が毒入りジュースを飲んで命を落とした。


 教祖自身も含めて。


 海外でも似たような事例は枚挙に暇がない。


 イギリスの「ウィンチェスター事件」では、古書店の店主が偶然手に入れた魔導書から悪魔を召喚。


 契約の仕方を知らなかった彼は、代償として自分の魂だけでなく、店を訪れた客23名の魂まで捧げることになった。


 アメリカの「セイラム再来事件」は記憶に新しい。


 2015年、マサチューセッツ州の女子大生が自分の力に気づかないまま複数の下級悪魔を使役。


 最初は些細な願い事を叶えてもらっていたが、次第に悪魔たちの要求はエスカレート。


 最終的に町全体が異界化し、住民3000人が犠牲となった。


 これらはすべて、力があるにも関わらずそれを自覚せず、制御する術を学ばなかった者たちの末路だ。


 だからこそ、私は御堂君に干渉することにした。


 力を自覚させ、制御する術を身につけさせる。


 それが友人としての、そして同じく異能を持つ者としての責務だと思うから。


 ◆


 授業中、私はずっと御堂君を観察していた。


 彼の周囲には不思議な雰囲気がある。


 威圧感とは真逆の包み込まれるような安心感。


 まるで温かい毛布に包まれているような──そんな感覚を覚える。


 力の圧はまったくない。


 むしろ、自然に心を開きたくなるような──


 これはサマナーに多い性質だ。


 魔との交渉には、相手を威圧するのではなく、受け入れ、理解し、時には共感することが必要になる。


 強引に従わせようとすれば、契約は破綻し、最悪の場合は反逆される。


 だからこそ、優れたサマナーほど穏やかで包容力のある気質を持つ。


 相手に安心感を与え、自然に心を開かせる──それがサマナーの才能の証なのだ。


 御堂君はまさにその典型だった。


 ──やはり只者じゃない


 改めてそう思う。


 ◇


 昼休み、私は切り出した。


「御堂君、今日の放課後の特訓の件ですが。場所について相談があるのですが」


「え、学校で──あ、そうか。部活は……」


「ええ、そうなんです」


 私は少し考える。


 学校は部活動中止になっているから残れない。


 それに基礎訓練とはいえ、人目につかない場所の方がいい。


「私の家か、御堂君のお家か……どちらかでしょうね」


 私の家なら設備は整っている。


 でも、御堂君にとっては緊張するかもしれない。


 リラックスした状態で練習する方が、最初は良いだろう。


 それに訓練が終われば日は沈んでいるだろう。


 帰り道も心配だ。


 夜は特に魔が活発な時間帯──それに、御堂君はどうにもそういったモノを引き寄せるタチに思える。


「僕の家でもいいよ」


 御堂君が提案する。


「それがよろしいかもしれませんわね」


 私は頷いた。


「なんか面白そうじゃん」


 横から佐原君が口を挟んできた。


「俺も行っていい?」


 意外な申し出だった。


 でも──


 私は佐原君を見る。


 優れたパイロキネシストである彼なら、私とは違った観点から御堂君にアドバイスできるかもしれない。


 キネティック系の能力者の視点はきっと参考になるはずだ。


「もちろん構いませんわ」



 私が答えると、御堂君も頷いた。


「裕も来てくれるなら心強いよ」


 御堂君がスマホを取り出す。


「あ、悦子さんに連絡しておかないと」


 メッセージアプリを開いて、何やら打ち込んでいる。


 しばらくして──


「大丈夫だってさ。夕飯も食べていったらどう? だって。でも急だから、余り量は用意できないって言ってたよ」


 御堂君が笑顔で報告する。


「それはよかったですわ。ではお夕食もお言葉に甘えて……ちなみにわたくしは小食だから大丈夫です。佐原君は知りませんけれど」


「さらっと俺を厚かましい奴扱いするのはやめろよな……」


 ◇


 最後の授業が終わり、私たちは連れ立って校門を出た。


「聖の家って初めて行くんだよな」


 佐原君がそんな事を言う。


「前に一回くらい遊びに行きたいって思ってたんだよね」


「そうなの?」


 御堂君が意外そうな顔をする。


「だって普通、友達ならさ、相手の家とか行くだろ?」


「そうかもしれないけど……誘おうと思ったことはあるんだけど、何があるってわけでもないからさ。ゲームとかがあるわけでもないし」


「そんなの適当にダベってればいいんだよ」


 御堂君の反応を見ていると、彼があまり友人を家に呼んだ経験がないのが分かる。


 商店街を抜けて住宅地に入り──


「あ、そういえばさ」


 佐原君が急に立ち止まった。


「聖の訓練って具体的に何すんの?」


 そう言えば、詳しいことは話していなかった。


「基本的なエネルギーコントロールから始めるつもりですわ」


 私は歩きながら説明する。


「まず自分の中にある力を感じ取って、それを意識的に動かす練習」


「ふーん」


 佐原君が頷く。


「俺の時は勝手に火が出ちゃって大変だったけどな。ばあちゃんが抑えてくれたけどよ」


「キネティックに分類される中でも、パイロキネシスは暴発しやすいですからね。五十年ほど前のシャーリー・ブラック事件などを筆頭に……」


「でっかい街一つ燃やしちまったんだっけ?」


「ええ。彼女は近現代でも最も強力なパイロキネシストだと言われていますから。暴走した時の被害も文字通り桁違いですわね」


 特に感情と直結しているタイプは制御が難しい。


 佐原君の場合も最初は苦労したんだろう。


 住宅地を更に奥へと進んでいく。


 やがて、角を曲がったところで──


「あ、あれだよ」


 御堂君が指差す。


 ブルーの外壁の一軒家が見えてきた。


 二階建ての、こじんまりとした可愛らしい家。


 庭には手入れされた花壇があって、季節の花が咲いている。


 ──いい家ですわね


 温かみのある、人の営みを感じさせる家。


「じゃあ、行こうか」


 御堂君が振り返る。


 私と佐原君は頷いた。


 三人で門をくぐり、玄関へと向かう。


 御堂君が鍵を取り出して、ドアに差し込む。


 カチャリと音がして、ドアノブを引くが──


 開かない。


「あれ? 鍵あけっぱなしだったのかな」


 御堂君が呟いて、再度鍵を差し込み回す。


 今度はカチャリという音と共にドアが開いた。


「ただいま。えっと、友達もつれてきたよ」


 御堂君が玄関に入りながら声をかける。


 私と佐原君も続いて中に入るがしかし──


 玄関は暗い。


 いや、家中が暗い。


「悦子さん?」


 御堂君の呟きが、静まり返った家の中に響いた。

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