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登校中、ふと足を止めた。
道の向こう、コンビニのガラス扉に半透明の何かが張り付いている。
人型だ。
ぼんやりとした輪郭しかないけど、手足や頭があるのが分かる。
まるで磨りガラスの向こうにいる人を見ているみたいだ。
なんだか最近、こういうのがよく見えるようになった。
宙をふわふわと漂っていたり、電柱の陰にじっと佇んでいたり。
大半は僕に気づいていないみたいだけど、時々目が合うような気がして、そのたびに心臓がひゅっと縮む。
大体は無色透明に近い、あのコンビニにいるみたいなやつらだ。
でも、ごく稀に色がついてるのがいる。
昨日見たのは、真っ赤なやつだった。
踏切の近くで、燃え盛る炎みたいにゆらゆら揺れていた。
別の日に見かけたのは、真っ黒な塊。泥みたいにどろりとしていて、見ているだけで気分が悪くなった。
珍しいからといって、近寄ったりはしない。
色がついてるってことは、何か特別な理由があるはずだ。
強い想いとか、怨念とか。
そんなものに下手に触れたら、何をされるか分からない。
今までの経験上、僕はそういうのに好かれやすい──いや、引き寄せやすい体質みたいだから。
茂さんにも「慎重にな」って言われたばかりだし。
コンビニから出てきたサラリーマンが、何かに気づくでもなくその半透明な何かを通り抜けていく。
すり抜ける瞬間、人型の輪郭が僅かに揺らめいた。
──僕にしか、見えてないのかな
いや、そんなことはないはずだ。
アリスや裕なら、きっと見えている。
僕は再び歩き出す。
半透明なやつには視線を向けないようにして。
関わらないのが一番だ。
今はまだ、自分のことで手一杯なんだから。
§
昼休み。
いつもの屋上で弁当を広げていると、僕はふと思い出したように口を開いた。
「そういえばさ」
卵焼きを口に運びながら、僕は言う。
「最近、街で色々見えるようになったんだよね」
「あら」
アリスがお茶の入った水筒の蓋を閉めながら、上品に相槌を打つ。
「おお~……」
裕は唐揚げを頬張ったまま、興味深そうな唸り声を上げた。
僕は続ける。
「半透明の、人みたいなのがそこら中に浮いてるんだ。昨日も今日も見た」
「浮遊霊ですわね」
アリスがこともなげに言った。
「たまに色がついてるのもいる。真っ赤なのとか、真っ黒いのとか」
その言葉に、アリスと裕は少しだけ表情を変えた。
「色……? ……まあ、珍しいからといって近寄ったりはしない方がいいでしょうけれど」
「うん、それは僕もそう思う。危ない気がして」
「それで正解ですわよ」
アリスはきっぱりと言った。
「下手に干渉すれば、どんな厄介ごとを押し付けられるか分かりませんもの」
その言葉に、裕が続く。
「俺は色とかじゃねえけどな。声が聞こえんだよ、そういうのは」
「声?」
「おう。やべーのは大体やべーこと言ってる。『コロシテヤル』とか『ニクガホシイ』とか、まあベタなやつ。分かりやすくて助かるけどよ」
物騒な内容を、まるで天気の話でもするように語る裕。
「わたくしも、どちらかといえば佐原君に近いかもしれませんわね」
アリスが頷く。
「明確な害意や邪気を感じ取った個体のみ、“処理”の対象としています」
“処理”という言葉に、背筋が少し冷たくなる。
「人によって違うんだね、感じ方って」
「らしいな。俺も詳しいことは知らねえけど」
「でもさ、なんで急に見えるようになったんだろう」
僕は素朴な疑問を口にした。
「浮遊霊って、そんなに簡単に見えるものじゃないんでしょ?」
「まあ、そうですわね」
アリスは肯定する。
「幽霊や悪魔、そういった明確な意思を持つ存在とは違って、浮遊霊は想念の残滓に近いものが多いですから。普通なら、よほど感受性が高くないと認識できませんわ」
そこでアリスは一旦言葉を切って、僕の目をじっと見つめた。
エメラルドグリーンの瞳が、僕の奥にある何かを探るように細められる。
「でも、御堂君の場合は急でもありませんわ。自分の力を自覚して、そして鍛えているのですから、遅かれ早かれそうなります」
「聖、気をつけろよ~」
裕が弁当の最後の一個を口に放り込みながら言った。
「連中はマジで話が通じねえからな。人の形してても、こっちの常識は一切通用しねえ。理由もなく、急に襲い掛かってきたりするぜ」
「え、そうなの?」
「おう。まあ弱っちいけどな。聖でも思いっきり怒鳴りつけてやれば、びっくりしてすぐ消えちまうぜ」
「まあ、概ねは間違っていませんわね」
アリスが裕の乱暴な説明に、珍しく同意を示した。
「彼らの多くは生前の記憶というよりは、感情の反射で行動していますから。強い意志をぶつけられれば霧散することも多いです」
そうなんだ。
なんだか、少しだけ対処法が分かった気がする。
「でも」
アリスは付け加えた。
その声のトーンが、わずかに真剣なものに変わる。
「御堂君のような人たちは、必ずしもそうとは限らないかもしれませんけれど……」
アリスはそこで言葉を切ると、どこか遠くを見るような、意味深な表情で僕を見た。
その視線が何を意味するのか、僕にはまだ分からなかった。
§
眞原井アリスにせよ、佐原裕にせよ、強い“力”を持ち、日常的に幽世の住人と接している。
だからその声を聞くことも、そして干渉することもできる。
しかし、その本質や内面までを正確に看破することはできない。
人が人を見て、その第一印象だけでその者の人生や、抱える苦悩や、秘めたる喜びの全てを理解することなどできるだろうか。
いや、できるはずがない。分かるはずもないのだ。
言葉を交わし、時間を共有し、互いの心に触れようと努めて、それでもなお理解の及ばぬ領域が残る。
それが普通なのだ。当たり前のことなのだ。
しかし御堂聖には、それが分かる。
まだおぼろげにではあるが、彼は“彼ら”の感情の機微を、その存在の根源にある哀しみや、喜びや、渇望を、まるで自分のことのように感じ取ってしまう。それは単に共感能力が高いという次元の話ではない。
そして聖のその特異な感応能力が、今のレベルで止まるかといえば、否である。
いずれ聖は、浮遊霊がなぜそこに留まるのか、色つきの魔が何を求めているのか、“彼ら”のもっと深い部分──その
そうなれば──