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第26話「日常⑱(聖、佐原 裕、眞原井 アリス)」

 ◆


 登校中、ふと足を止めた。

 道の向こう、コンビニのガラス扉に半透明の何かが張り付いている。


 人型だ。

 ぼんやりとした輪郭しかないけど、手足や頭があるのが分かる。

 まるで磨りガラスの向こうにいる人を見ているみたいだ。


 なんだか最近、こういうのがよく見えるようになった。

 宙をふわふわと漂っていたり、電柱の陰にじっと佇んでいたり。

 大半は僕に気づいていないみたいだけど、時々目が合うような気がして、そのたびに心臓がひゅっと縮む。


 大体は無色透明に近い、あのコンビニにいるみたいなやつらだ。

 でも、ごく稀に色がついてるのがいる。


 昨日見たのは、真っ赤なやつだった。

 踏切の近くで、燃え盛る炎みたいにゆらゆら揺れていた。

 別の日に見かけたのは、真っ黒な塊。泥みたいにどろりとしていて、見ているだけで気分が悪くなった。


 珍しいからといって、近寄ったりはしない。

 色がついてるってことは、何か特別な理由があるはずだ。

 強い想いとか、怨念とか。

 そんなものに下手に触れたら、何をされるか分からない。


 今までの経験上、僕はそういうのに好かれやすい──いや、引き寄せやすい体質みたいだから。

 茂さんにも「慎重にな」って言われたばかりだし。


 コンビニから出てきたサラリーマンが、何かに気づくでもなくその半透明な何かを通り抜けていく。

 すり抜ける瞬間、人型の輪郭が僅かに揺らめいた。


 ──僕にしか、見えてないのかな


 いや、そんなことはないはずだ。

 アリスや裕なら、きっと見えている。

 僕は再び歩き出す。

 半透明なやつには視線を向けないようにして。


 関わらないのが一番だ。

 今はまだ、自分のことで手一杯なんだから。


 §


 昼休み。

 いつもの屋上で弁当を広げていると、僕はふと思い出したように口を開いた。


「そういえばさ」


 卵焼きを口に運びながら、僕は言う。


「最近、街で色々見えるようになったんだよね」


「あら」


 アリスがお茶の入った水筒の蓋を閉めながら、上品に相槌を打つ。


「おお~……」


 裕は唐揚げを頬張ったまま、興味深そうな唸り声を上げた。


 僕は続ける。


「半透明の、人みたいなのがそこら中に浮いてるんだ。昨日も今日も見た」

「浮遊霊ですわね」


 アリスがこともなげに言った。


「たまに色がついてるのもいる。真っ赤なのとか、真っ黒いのとか」


 その言葉に、アリスと裕は少しだけ表情を変えた。


「色……? ……まあ、珍しいからといって近寄ったりはしない方がいいでしょうけれど」

「うん、それは僕もそう思う。危ない気がして」


「それで正解ですわよ」


 アリスはきっぱりと言った。


「下手に干渉すれば、どんな厄介ごとを押し付けられるか分かりませんもの」


 その言葉に、裕が続く。


「俺は色とかじゃねえけどな。声が聞こえんだよ、そういうのは」

「声?」

「おう。やべーのは大体やべーこと言ってる。『コロシテヤル』とか『ニクガホシイ』とか、まあベタなやつ。分かりやすくて助かるけどよ」


 物騒な内容を、まるで天気の話でもするように語る裕。


「わたくしも、どちらかといえば佐原君に近いかもしれませんわね」


 アリスが頷く。


「明確な害意や邪気を感じ取った個体のみ、“処理”の対象としています」


 “処理”という言葉に、背筋が少し冷たくなる。


「人によって違うんだね、感じ方って」

「らしいな。俺も詳しいことは知らねえけど」

「でもさ、なんで急に見えるようになったんだろう」


 僕は素朴な疑問を口にした。


「浮遊霊って、そんなに簡単に見えるものじゃないんでしょ?」

「まあ、そうですわね」


 アリスは肯定する。


「幽霊や悪魔、そういった明確な意思を持つ存在とは違って、浮遊霊は想念の残滓に近いものが多いですから。普通なら、よほど感受性が高くないと認識できませんわ」


 そこでアリスは一旦言葉を切って、僕の目をじっと見つめた。

 エメラルドグリーンの瞳が、僕の奥にある何かを探るように細められる。


「でも、御堂君の場合は急でもありませんわ。自分の力を自覚して、そして鍛えているのですから、遅かれ早かれそうなります」

「聖、気をつけろよ~」


 裕が弁当の最後の一個を口に放り込みながら言った。


「連中はマジで話が通じねえからな。人の形してても、こっちの常識は一切通用しねえ。理由もなく、急に襲い掛かってきたりするぜ」

「え、そうなの?」

「おう。まあ弱っちいけどな。聖でも思いっきり怒鳴りつけてやれば、びっくりしてすぐ消えちまうぜ」

「まあ、概ねは間違っていませんわね」


 アリスが裕の乱暴な説明に、珍しく同意を示した。


「彼らの多くは生前の記憶というよりは、感情の反射で行動していますから。強い意志をぶつけられれば霧散することも多いです」


 そうなんだ。

 なんだか、少しだけ対処法が分かった気がする。


「でも」


 アリスは付け加えた。

 その声のトーンが、わずかに真剣なものに変わる。


「御堂君のような人たちは、必ずしもそうとは限らないかもしれませんけれど……」


 アリスはそこで言葉を切ると、どこか遠くを見るような、意味深な表情で僕を見た。

 その視線が何を意味するのか、僕にはまだ分からなかった。


 §


 眞原井アリスにせよ、佐原裕にせよ、強い“力”を持ち、日常的に幽世の住人と接している。

 だからその声を聞くことも、そして干渉することもできる。


 しかし、その本質や内面までを正確に看破することはできない。

 人が人を見て、その第一印象だけでその者の人生や、抱える苦悩や、秘めたる喜びの全てを理解することなどできるだろうか。

 いや、できるはずがない。分かるはずもないのだ。

 言葉を交わし、時間を共有し、互いの心に触れようと努めて、それでもなお理解の及ばぬ領域が残る。

 それが普通なのだ。当たり前のことなのだ。


 しかし御堂聖には、それが分かる。


 まだおぼろげにではあるが、彼は“彼ら”の感情の機微を、その存在の根源にある哀しみや、喜びや、渇望を、まるで自分のことのように感じ取ってしまう。それは単に共感能力が高いという次元の話ではない。


 そして聖のその特異な感応能力が、今のレベルで止まるかといえば、否である。


 いずれ聖は、浮遊霊がなぜそこに留まるのか、色つきの魔が何を求めているのか、“彼ら”のもっと深い部分──その存在理由レゾンデートルとも呼ぶべき核心までもを、理解できるようになるだろう。


 そうなれば──

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