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第27話「日常⑲(聖、佐原 裕、眞原井 アリス)」

 ◆


 八田野さんの「とにかく話せ」という言葉が、頭の中でずっと回っている。


 浮遊霊や怪異と話す。

 それが霊媒としての第一歩なんだろう。


 でも、正直言って怖い。


 目に見えるようになったからといって、相手が何を考えているかなんて分からない。

 裕の言うとおり、理由もなく襲いかかってくるかもしれないし。


 それでも──


 傘の少年とお姉さんから言われた「強くなれ」という言葉を思い出す。

 あれはマッチョになれってことじゃないのは分かる。多分、異能を成長させろという意味なんだろう。


 だから、やらなきゃいけない。


 ◆


 放課後、僕は意を決してアリスと裕に相談した。


「あの、実は頼みがあるんだけど」


 教室に残っていた二人に声をかける。


「なんですの?」


 アリスが振り返る。


「その……浮遊霊とか怪異と話してみたいんだ。でも一人じゃ危ないから、一緒に来てもらえないかな」


 僕の言葉に、二人は顔を見合わせた。


 きっと断られる。

 そう思って身構えていたら──


「良いですわよ」


 アリスがあっさりと頷いた。


「良いぜ」


 裕も即答だった。


「え、本当に?」


 思わず聞き返してしまう。


「友達じゃないですか」


 アリスが微笑む。


「それに、御堂君の訓練にもなりますし」

「俺も興味あるしな」


 裕が腕を組む。


「聖がどんな風に話すのか見てみたい」


 二人の優しさが嬉しかった。


 ◆


 その日の夜。


 夕食の席で、僕は茂さんと悦子さんに今日のことを報告した。


「友達と一緒に、浮遊霊と話す練習をしようと思うんだ」


 箸を止めて僕を見つめる二人。

 悦子さんの表情が、みるみる心配そうになっていく。


「大丈夫なの? 危なくない?」

「友達が一緒だから」


 僕は慌てて付け加える。


「アリスは悪魔祓いができるし、裕も強いから」


 茂さんは箸を置いて、じっと考え込んでいた。

 重い沈黙が食卓を包む。


 やがて口を開いた。


「あの鈴は持っているか?」


 懐から取り出してもらった、小さな魔除けの鈴のことだ。


「うん、いつも持ってる」


 僕は頷く。


「浮遊霊くらいなら大丈夫だと思うんだが……」


 茂さんの声に迷いが滲む。


 ふと思い出したことがあった。


「そういえば、僕に危機が迫った時に鈴が鳴るって話だったけど」


 僕は首を傾げる。


「多分、鳴ってないよね?」


 河童に襲われた時も、あの天邪鬼に遭遇した時も。

 鈴は一度も音を立てなかった。


 茂さんの表情が曇る。


「ああ、普通は鳴る。鳴るんだが──」


 歯切れが悪い。

 何か言いにくいことがあるみたいだ。


「危ないっていうのと、もう駄目だっていうのは似ているけれど違うんだ」


 茂さんが慎重に言葉を選ぶ。


「鈴が鳴るのは『危ない』時だ。つまり、まだ回避の余地がある状況。逃げるなり、助けを呼ぶなり、何か手立てがある時に警告として鳴る」


 なるほど、と思いながら聞く。


「でも『もう駄目』な時は──」


 茂さんが言葉を切る。


「鳴らない。鳴っても意味がないからな」

「え、じゃあ僕は──」


 血の気が引いていく。


「ああ、本当ならもう何度も死んでいる」


 茂さんの声が重い。


「……まあ、それをくれた人はそう説明してくれた。俺も後から聞いた話なんだが」


 それって役に立つんだか立たないんだか分からないな。

 思わずそう考えてしまう。


 僕の心を見透かしたように、茂さんが頷く。


「済まないな、正直、余りアテにしちゃいけないと思う」


 そして続ける。


「ただまあ、それで生き残っているっていうのは、聖の異能のおかげなのかもな」


 そう言って茂さんはもう一度、申し訳なさそうに頭を下げた。


 ◆


 翌日の放課後。


 僕たち三人は、学校の裏手にある小さな公園に集まった。

 錆びたブランコと、ペンキの剥がれたジャングルジムだけがある寂れた場所だ。


「ここなら人も来ないし、ちょうどいいですわね」


 アリスが辺りを見回す。


「それに──」


 言いかけて、空を指差した。


「あそこに一体いますわよ」


 僕も視線を向ける。

 電線の上に、半透明の人影がぼんやりと浮かんでいた。


 女性のような輪郭。

 長い髪が風もないのにゆらゆらと揺れている。


「よし、じゃあ早速──」


 裕が一歩前に出ようとして、アリスに止められた。


「待ってください。今日の主役は御堂君ですわよ」


「あ、そうか」


 裕が苦笑しながら下がる。


 僕は深呼吸をした。

 大丈夫、二人がついている。


 半透明の人影に向かって、声をかけてみる。


「あの……こんにちは」


 反応はない。

 相変わらず電線の上でゆらゆらしているだけだ。


「僕は聖っていいます。話をしてもいいですか?」


 やっぱり無視される。


 墨ゑの時と同じだ。

 ただ話しかけるだけじゃダメなんだ。


 相手のことを知りたいと思わないと。


 僕はじっと人影を見つめた。

 なぜここにいるんだろう。

 何を求めているんだろう。


 集中していると、少しずつ何かが見えてきた。


 悲しみ。

 深い、深い悲しみの色。


 それと──


 待っている。

 誰かを、ずっと待っている。


 その瞬間、人影がこちらを向いた。


 顔はない。

 のっぺらぼうみたいに、何もない。


 でも確かに、僕を"見て"いる。


『だれ……?』


 風鈴みたいな、か細い声が聞こえた。


「聖です」


 僕は答える。


「あなたは?」


『わたし……わたしは……』


 人影が困ったように揺れる。


『おもいだせない……』


 記憶がないんだ。

 自分が誰だったのかも分からないまま、ただここに留まっている。


「誰かを待ってるんですか?」


『そう……まってる……ずっと……』


 声が震えている。


『でも、だれを……?』


 切ない。

 胸が締め付けられるような気持ちになる。


 その時だった。


 ざわり。


 公園の空気が変わった。


 ◆


「聖、下がれ!」


 裕の鋭い声が響く。


 反射的に後ずさった瞬間、目の前の空間が歪んだ。


 人影が──変わり始めた。


 透明だった体に、どす黒い色が滲み出てくる。

 まるで清水に墨を垂らしたみたいに、じわじわと汚染されていく。


『まって……まって……』


 声も変わった。

 風鈴の音から、錆びた鉄を引きずるような不快な響きに。


『なんで……こない……の……』


 人影の輪郭が崩れ始める。

 髪だと思っていた部分が、無数の触手のように蠢き出した。


『ゆるさない……みんな……ゆるさない……』


 憎悪。

 純粋な憎悪が、波のように押し寄せてくる。


「これは──」


 アリスが身構える。


「悪霊化ですわね」


 人影が──いや、もう人の形をしていない何かが、電線から飛び降りた。


 ぐちゃり。


 湿った音を立てて着地する。

 アスファルトに黒い染みが広がっていく。


『さびしい……さびしい……だから……』


 無数の触手が、鞭のようにしなる。


『みんな……おなじに……してあげる……』


 来る! 


 本能的にそう感じた瞬間、触手が矢のように伸びてきた。


 速い。

 目で追えないほどの速度で、僕の胸を貫こうとする。


 でも──


 ごうっ! 


 オレンジ色の炎が、触手を焼き払った。


「調子に乗んなよ、幽霊風情が」


 裕が右手を前に突き出している。

 掌から噴き出す炎が、闇を引き裂いていく。


 悪霊が甲高い悲鳴を上げた。


『あつい……あつい……』


 でも怯まない。

 焼け焦げた触手が再生し、今度は地面を這うように迫ってくる。


「御堂君、下がってください!」


 アリスが前に出た。


 その手には、いつの間にか透明な剣が握られている。

 ペットボトルの聖水で作った、彼女の得物だ。


 剣が振るわれる。


 しゅっ、という風切り音と共に、触手が次々と切断されていく。

 切り口から黒い体液が噴き出して、嫌な臭いが漂った。


『いたい……いたい……』


 悪霊が苦痛に身をよじる。


『なんで……じゃま……するの……』


 その声を聞いて、僕は気づいた。


 怒っているんじゃない。

 泣いているんだ。


 ◆


「待って!」


 僕は二人の間に飛び出した。


「聖!? 何やってんだ!」


 裕が慌てる。


「危険ですわよ!」


 アリスも僕を止めようとする。


 でも──


「この人、ただ寂しいだけなんだ」


 僕は悪霊を見つめる。


 どす黒い塊。

 触手を蠢かせる異形。


 でも、その奥に見えるのは──


「ずっと待ってたんでしょう?」


 僕は語りかける。


「でも、待ってた人は来なかった」

『……』


 悪霊の動きが止まる。


「記憶もなくなって、自分が誰かも分からなくなって」


 一歩、前に出る。


「それでも待ち続けた」

『そう……まってた……』


 声が震えている。


『でも……もう……つかれた……』


 触手がゆっくりと下がっていく。


「うん、疲れたよね」


 僕は頷く。


「もう、休んでもいいんじゃないかな」

『やすむ……?』

「そう。もう十分頑張ったから」


 また一歩、近づく。

 裕とアリスが息を呑む気配がした。

 でも止めない。

 僕を信じてくれているんだ。


『でも……まだ……』

「来ないよ」


 僕ははっきりと言った。


「残酷かもしれないけど、もう来ない」

『……そう……なの……』


 悪霊の体から、力が抜けていく。

 どす黒い色が薄れて、また半透明に戻り始めた。


『もう……いい……の……?』

「うん、もういいよ」

『そう……』


 小さな、安堵のような声。


 そして──


 人影はゆっくりと光に包まれていく。


『ありがとう……』


 最後にそう言って、消えた。


 後には何も残らない。

 まるで最初から何もなかったみたいに。


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