目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第29話「佐原裕、他」

 ◆


 休日の朝っぱらから、俺は住宅街の一角に立っていた。


 築四十年は経ってるだろう二階建ての民家。

 庭の雑草は伸び放題で、窓ガラスには蜘蛛の巣がびっしり。

 どう見ても廃屋だが、正面玄関だけは妙に綺麗なんだよな。


 まるで誰かを招き入れるみたいに。


「佐原さん、あなた、そんな調子だとあっさり死にますよ」


 背後から飛んできた声に、俺は肩をびくつかせた。


 志賀さんだ。

 俺たちのチームの隊長。


 振り返ると、黒いスーツ姿の女性が腕を組んで立っていた。

 年齢は三十代半ばってところか。

 短く切りそろえた黒髪に、切れ長の目。

 顔立ちは整ってるが、どこか近寄りがたい雰囲気がある。


 元々は祓い屋として活動してたらしい。

 それを霊異対策本部がスカウトしたって話だ。

 実績も実力も、俺なんかとは段違い。


「すんません」


 俺は頭を下げた。


 確かに集中できてない自覚はある。

 ここ最近の聖の様子が妙に気になって。


 何がどう違うのか、はっきりとは言えないんだが。

 前より明るくなったような、でも同時に何か危ういような。


「おう、そうだぜ佐原。集中しろよな!」


 横から立島の声が飛んできた。


 立島忠之。

 俺と同年代の隊員で、最近チームに加わった奴だ。


 茶髪を派手に逆立てて、ピアスじゃらじゃら。

 どう見ても霊異対策本部の職員には見えない。

 つーか、チンピラにしか見えねえ。

 まあ俺が言えた事でもねえが。


 偉そうに腕組みして俺を見下ろしてるが、俺は知っている。

 こいつ、さっきから志賀さんの尻ばっか見てやがる。


 志賀さんは確かに凄い体してる。

 スーツ越しにも分かる引き締まった肢体。

 特に下半身のラインは──


 いや、何考えてんだ俺は。


「で、今日こそあの怨霊を仕留めるんですよね?」


 立島が志賀さんに話しかける。

 わざとらしく近づいて、肩に手を置こうとして──


 バキッ。


 鈍い音と共に、立島が吹っ飛んだ。

 志賀さんの蹴りが炸裂したんだ。


「立島、場所を選びなさい。殺しますよ」


 冷たい声だった。

 マジで殺意がこもってる。


 志賀さんの蹴りは洒落にならない。

 木製バット五本を平気でへし折るって噂は本当らしいし。


 でも立島はケロッとしてる。

 地面を転がりながら、へらへら笑ってやがる。


 こいつ、とにかく悪運が強い。

 どんなヤバい状況でも生き残る。

 志賀さんが「お守り代わり」として選んだのも、その辺が理由らしい。


 問題は、立島がやたらと女好きでドスケベだってことだ。

 さっきもきっと志賀さんの尻を触ろうとしたんだろう。


「いてて……隊長は相変わらず容赦ないっすね」


 立島が起き上がりながら言う。


「でも、そこがまたゾクゾクするっていうか──」


「黙れ」


 志賀さんの一言で、立島は口をつぐんだ。


 ◆


 俺たちは民家の前に並んだ。


 この家は、もう何度も来てる。

 中に巣食う悪霊を祓うためだ。


 タチの悪い奴でな。

 民家そのものを異常領域に変えちまってる。

 足を踏み入れた奴は、問答無用で呪われる。


 最初の被害者は、不動産屋の営業マンだった。

 物件の下見に来て、そのまま行方不明。

 三日後、自宅で腐乱死体となって発見された。


 死因は不明。

 外傷もなく、毒物反応もない。

 ただ、顔が恐怖に歪んでたって話だ。


 その後も被害は続いた。

 郵便配達員、近所の子供、泥棒──

 この家に近づいた奴は、みんな同じ運命を辿った。


 俺たちが動き出したのは、五人目の犠牲者が出た後だ。


 でも、肝心の怨霊は狡猾でな。

 俺たちが来るたびに逃げやがる。

 おかげで完全に祓えないまま、もう一ヶ月以上も通い詰めてる。


「今日こそ決着をつけましょう」


 志賀さんが言った。


「はい!」


 俺と立島が同時に返事する。


 志賀さんは軽く頷くと、懐から札を取り出した。

 白い和紙に、複雑な文様が描かれている。


「結界を張ります。逃げ道を塞ぎますよ」


 そう言って、札を玄関の四隅に貼り付けていく。

 ぺたり、ぺたりと。


 札が貼られるたびに、空気が変わる。

 ピリピリとした緊張感が漂い始めた。


「よし、行きますよ」


 志賀さんが玄関のドアノブに手をかける。


 ギィ……


 錆びた蝶番が嫌な音を立てた。


 ◆


 中は真っ暗だった。


 いや、暗いってレベルじゃない。

 光を吸い込むような、濃密な闇。


 懐中電灯の光も、数メートル先で掻き消される。


 先頭は志賀さん、立島がその後ろ。

 俺は殿(しんがり)だ。


「うわ、相変わらずキモい家だな」


 立島が呟く。


 確かにその通りだ。

 何度来ても慣れない。


 廊下を進む。

 床板がギシギシと軋む音だけが響く。


 空気が重い。

 まるで水の中を歩いてるみたいだ。


 と──


「うおっ!?」


 立島の声。


 立島が吹っ飛んできた。

 志賀さんに蹴り飛ばされたらしい。


「ぎゃあああ! な、なんじゃこいつはああああ!」


 立島が喚く。


 だが吹っ飛んだ立島に更に吹っ飛ばされた奴がいる──白いパジャマの少年だ。

 肌の色は不気味なほど白い。


「そ、それより隊長! 俺ぁ、俺ぁ、もう辛抱たまらんくて!」


 何言ってんだこいつ──と思ったが、ああなるほど。

 立島のやつ、志賀さんの尻を触ろうとしたらしい。


「佐原君」


 志賀さんの声は冷静だった。


 俺は頷いて、右手を構える。


「どけ、立島!」


 叫びながら、掌から火球を放った。

 オレンジ色の炎が、真っ直ぐに少年を捉える。


「ギャアアアアアア!」


 少年が絶叫した。


 炎に包まれ、のたうち回る。

 白いパジャマが黒く焦げていく。


 数秒で、少年は灰になって消えた。


 ◆


「おおおおい! 佐原! てめぇ俺を殺す気か──っ!」


 立島が起き上がりながら怒鳴る。

 顔が煤で真っ黒だ。


「すまねえ、でもお前なら大丈夫だろ?」


 俺が軽く謝ると──


「まあな、俺じゃなかったら危なかったけどな!」


 あっさり機嫌を直しやがった。

 単純な奴だ。


 志賀さん曰く、立島には強力な守護霊がついてるらしい。

 どんなヤバい状況でも、大抵は生き残る。

 ただし、普段の運勢は最悪なんだとか。


 確かに立島は自販機で当たりが出たことがないとか、傘を持つと必ず雨が降るとか、そんな話ばっかりしてる。

 そしてやけに貧乏だ。

 この仕事は給料がかなり高いが、なんだかんだで出費がかさんで生活はいつも苦しそうだ。


 志賀さんが急に顔をしかめる。


「……ちっ、また逃げましたか。大分高いお札を使ったんですけれどね……」


 舌打ちが響いた。


 そうなんだ。

 この家のボスは、とにかく逃げ足が速い。

 俺たちの気配を察知すると、すぐに姿を消しちまう。

 もう何度もこの家に来てるが、一度も姿を見たことがない。


「くそっ、今日もダメか」


 立島が悔しそうに言う。


「仕方ありません」


 志賀さんは淡々としている。


「ただ、こうして定期的に訪れることで、奴の動きは封じられています」


 確かにそうだ。

 俺たちがマークするようになってから、新たな犠牲者は出ていない。

 呪いを広げようとしても、すぐに俺たちが駆けつける。

 擬似的な封印状態ってわけだ。


「でも、いつまでもこのままじゃ……」


 俺が言いかけると、志賀さんが振り返った。


「焦ることはありません。奴もいずれ、痺れを切らすでしょう」


 その目は、獲物を狙う肉食獣みたいだった。


 ◆


 民家を後にして、俺たちは近くの公園で解散することになった。


「じゃあ、また来週」


 志賀さんがそう言って歩き去っていく。


 その後ろ姿を、立島が名残惜しそうに見送っていた。


「はあ……隊長のケツ、最高だよなぁ」


 呆れるほど正直な奴だ。


「お前、いつか本当に殺されるぞ」

「大丈夫大丈夫。俺には守護霊様がついてるから」


 へらへら笑う立島。


 こいつの守護霊って、一体どんな奴なんだろう。

 よっぽど立島に甘いのか、それとも──


「なあ、佐原」


 立島が急に真顔になった。


「お前、なんか悩み事でもあんのか?」


 意外な質問だった。


「なんでだよ」


「いや、今日ずっとボーッとしてたろ。隊長に怒られるくらい」


 鋭い。

 こいつ、見た目と違って結構観察力あるんだよな。


「……ちょっとな」


 俺は曖昧に答えた。


 聖のことを話すべきか迷う。

 でも、立島に話したところで──


「まあ、あれだ」


 立島が俺の肩を叩く。


「考えすぎんなよ。なるようになるって」


 軽い言葉だが、妙に心に響いた。


 ◆


 帰り道、俺は聖のことを考えていた。


 最近の聖は、明らかに変わってきている。

 浮遊霊を自分の中に取り込むようになってから特に。


 あいつ、自分でも気づいてないかもしれないが。

 取り込む度に、少しずつ"何か"が変わっていってる。


 表情が柔らかくなった。

 前より笑うようになった。

 それ自体は良いことだ。


 でも──


 時々、聖の目を見てゾッとすることがある。

 底なしの深さを感じるっていうか。

 何もかもを飲み込んでしまいそうな──


 俺とアリスが"監視"してるのも、それが理由だ。

 監視というか見守っているというか。


 アリスとも話したが、どうも聖には放っておけない部分がある。

 友達だから、ってのもあるかもしれないが。

 やけに構いたくなっちまう。

 肩を持ちたくなる。


 それは聖の人柄もあるんだろう。

 ただ、本当にそれだけなのか……。


 聖は俺たちの目には気づいてるみたいだけどな。

 でも何も言わない。

 むしろ嬉しそうにすら見える。


 いや、考えても仕方ない。

 立島の言う通り、なるようになるしかねえ。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?