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2-1 闇の中で


 配信を切った瞬間、ルナの身体から猫耳や尻尾がふわりと消え、目の前のウィンドウもすべて溶けるように消失した。


「……え?」


 美咲は自分の腕を見下ろす。

 少し短めのジャージの袖、普段着の地味なスニーカー。

 先ほどまで感じていた不思議な力は、完全にしぼんでしまった。


「さっきまでの私、どこへいったの……?」


 さきほどまで猫神ルナとして、配信中は同接補正で強くなれたのに、今はただの中の人――川島美咲。それを思い知ると、胸の奥に寂しさが湧き上がる。


 ふと、空から冷たいものが落ちてきた。

 ポツ、ポツ、ポツ……

 水滴が頬を打ち、まもなく細かな雨が森全体を洗うように降り始める。


「……雨まで降ってくるなんて」


 異世界で一人ぼっち。

 ルナでいればみんながいたけれど、配信を切れば美咲に戻る。

 当然、同接補正もないし、強さもない。


「とりあえず雨をしのげる場所を……」


 視界を巡らせ、一本の大きな木が目に入る。

 その根元には人一人がなんとか入れそうな木のうろがあった。


「ここなら、濡れずに済むかも」


 美咲は身を縮めるようにして木のうろに滑り込み、ひんやりとした木肌に背を預ける。

 雨音がぽたぽたと外の世界を叩き、湿った土の匂いが鼻をくすぐる。


「私……どうしてVTuberになったんだっけ?」


 心細さが募る中、美咲は過去を思い出す。

 12歳の時に両親を亡くし、親戚の家を転々とする日々。

 遠慮と疎外感に包まれた孤独な青春は、人と距離を置くクセをつけた。


 22歳になっても目標もなく、ただ生きていた美咲は、ある日、偶然目にしたVTuber「ネコノミコト」の配信に心を揺さぶられた。

 いつも笑顔で明るく前を向くその姿に、思わず涙が出た。


「あの時、ネコノミコトさんがいなかったら、私はこんなふうに頑張ろうなんて思わなかったかも」


 テレアポのバイトで毎日くたびれ、事務所オーディションに応募しても落選続き。

 それでもあきらめず、ようやく受かった企業でVTuberデビューを果たした。


 しかし、その企業はVTuber事業が採算を取れないと判断。

 美咲が猫神ルナとして活動してわずか半年で、撤退することを決めた。


「猫神ルナという存在を消したくなくて、IPを100万円で買い取ったんだった……」


 当時1.5万人いた登録者は今もそのままだが、同接は100前後まで落ち込んでいた。

 それでも、あの姿で、あの声で、配信を続けることに意味があると信じていた。


「異世界に来ても、VTuberとして頑張れるかもしれないと思ったけど……」


 今、美咲としてこの世界にいると、無力さが身に染みる。

 日暮れとともに冷え込み、雨の湿気がジャージの布地に染み込んでくる。


「美咲じゃダメでも、ルナなら...」


 明日の朝にはまた配信してみよう。

 ルナとして、みんなに助けを求めれば、きっと何とかなる。


「うん……がんばろう。明日になったら、もう一度チャレンジですにゃ……」


 無理矢理にでも自分を奮い立たせる。

 雨音が静かに響き、木のうろの中は暗く、心細いけれど、どこか穏やかな休息の場でもあった。


 美咲はまぶたを閉じる。

 転生じゃなくて転移。

 途方もない不安があるけれど、配信という武器がある限り、立ち止まるわけにはいかない。


「明日……また……みんなと……」


 呟きが途切れると、美咲の意識は雨音に溶け込むように眠りへと沈んでいく。



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